第二百八話 Double Dragon Descent(前編)






◆ダンジョン都市桜花・第百十八番ダンジョン『天城』最終層・杞憂非天・第九番神域『混沌空亡』






 ――――どうして、とは聞かなかった。

 何故ならば、少女は己の置かれた状況を深く冷静に理解していたからだ。


 ――――どうやって、とも尋ねなかった。

 何故ならば、少女はその瞬間を視ていたからだ。

 彼が暗殺者に何かを伝え、それを半ば不服そうに了承した暗殺者が彼を《空間転移》の術で飛ばし、そうして彼は混沌ひしめくアタシ達の空域せんじょうへとやって来た。……えぇ、知っているわ。知っていますとも。全部まるっと一部始終、余すことなく彼の動向を追っていたんだから、知ってない方がおかしいわ。

 だから尋ねない。平時ならば兎も角、神々との決戦の場において「知っている事をさも知らないように振る舞う」なんて恋愛生存戦略バカなマネ、試している時間はありゃしないのだから。


 ――――ならば、ごめんと謝るか。一人で双龍やつらを抑えきれなかった無力さを殊勝に詫びれば、良い女に見えるのだろうか?


 ――――あるいはいっその事なじるべき? 子供のように、余計なお世話を焼くなと。アタシは一人でもやれるのだと。そんな風に駄々をこねれば、一周回って愛嬌のある女の子として受け入れて貰えないかしら?



「乗って」



 答えは否だ。全て否だ。


 火荊ナラカは、清水凶一郎が駆けつけたという事実に対し、いかなるリアクションも起こさない。


 どうしても、どうやっても、ごめんも、アタシ一人でも、そして来てくれて嬉しい愛してるも全ての心は己の内に留めたまま、火龍の少女は空に現れた紫黒の龍人の手を掴み、そのまま相棒である炎龍の背に乗せた。



「――――!」

「――――――――ッ!」



 無論、その隙を天陽龍アポロは見逃さない。殲月龍ディアナも見過ごさない。


 混沌ひしめく暗黒のソラに集いし対極の兄妹龍が、ナラカ達の周囲を旋回し、各々の属性に応じた息吹を送出する。


 偉大なる熱術と、破壊の光矢。

 それらは、カオスの理に染まり、別の事象へと書き変わる。


 太陽神の光輝は、吹き荒ぶ有毒の嵐へ。

 月女神の光矢は、百に分かれた影色の殺刃ククリへ。



 敵味方問わず、この『混沌空亡』におけるあらゆる非接触アンタッチャブル術技スキルは、その在り方を神域の主カオスの力によって捻じ曲げられる。



 彼はかつて、その様を指して「ゲームで例えるなら物理攻撃以外の技が全てランダムな技に変えられる状態」と説いていたが、成る程、確かに言い得て妙だと少女も思う。


 思うのだが、しかし。



「悪いけど」



 その仕様が完璧ではない事を、ナラカは既に突きとめていた。




 少女の両の掌が紅く染まり、次瞬同時に火を噴いた。


 苛烈に、高らかに、そして正しく少女の描いた通りに炸裂する紅蓮の劫火。


 双龍達の相貌に、戸惑いの色が浮かぶ。

 『混沌空亡』は、あらゆる事象がカオスの手により変換される。


 出力、特性、ベクトル、質量。何もかもが無差別に変わる世界において何故彼女の術式だけが、変わらない?



「馬鹿ね。本当に無作為ランダムなわけないでしょう」



 少女は咲き誇る笑顔を浮かべながら、再び両の手に焔を灯しそれを射出する。


 爆ぜる煌炎。押し寄せる亡者達の行進パレード

 今度は一方だけに事象変換が起こり、ソレは都合良く天陽龍の脇腹を貫いた。


 あらゆる熱術を封殺する『太陽神の天輪』が、混沌の理により変質した事象によって破られる。


 偶然ではない。奇跡でもない。


 全ては少女が狙って起こした必然だ。



「何が起こるか分からない“制御不能の無作為”なんて、兵器としてはあまりにも欠陥品ポンコツよ。少なくとも、最低限の安全保障セーフティがなければ守護者という役割は務まらないわ」



 アポロに向けて再度三度焔を放つ。それはかつてのように「特別な王水どく」の奔流へと変換され、しかしながら此度におけるその脅威は天陽龍だけを狙い澄まし、の龍の蛇腹を溶かした。




「だから“こうすれば、こうなる”という規則性アルゴリズムは必ずある。座標、出力、特性、ベクトル、質量! それらに特別な変数を当てはめて別の解答けっかに組み替える。つまり言うなればこれは、調。全く。何がカオスよ。【聞くに堪えないとてもお下品な言葉】のフリした馬鹿ほど、ダサいものなんてこの世にないと思うんだけどォ」



 そう。この混沌は、所詮模造品イミテーション


 本来のカオスが持ちえていた【完全なる混沌】とは程遠い《制御された事象の改竄》である。


 無作為なようにみえて作為的。

 天衣無縫を装いながらも、その本質は杓子定規。


 兵器としては、正しいことこの上ないが、しかしそれ故に生じた僅かな隙。


 

 それを火荊ナラカは読んだのだ。


 実験の為に手傷こそ負えども、たった数周。


 その短い周回の中で、彼女はカオスによって作り出された世界の法則を完璧に解析し、そしてその無作為チカラを己の武器として転用するに至ったのである。



 向きを変え、座標を調節し、威力と属性に偏りを入れれば、それだけで今のナラカはあらゆる術式を扱える。


 最早『太陽神の天輪』等、問題ではなかった。対熱術に特化した防護能力など、この場においては何の意味も為さない。



「どうやら俺がしゃしゃるまでもなかったみたいだな」

「そうでもないわ」


 

 冷たい空気を身体いっぱいに吸い込みながら、強い否定の言葉と共にそれを吐く。


 確かに双龍討伐この仕事は、自分アタシに課せられたものだ。

 龍族であるが故の高い耐久性と焔による自己再生能力を買われ、他ならぬ彼の頼みにより任された大役である。

 そこに誰かが助太刀と称して入るという事は、ある意味において火荊ナラカという女を「能力不足」と侮っているに他ならない。


 少なくとも、かつてのナラカであれば強い憎悪をもって突っぱねていただろう。

 また、こと今においても、相手が彼でなければ「ありがとう、もう大丈夫」と強がっていたはずだ。


 しかし



「この戦法が上手く機能するのは『混沌空亡ここ』だけよ。他の神域エリアでアタシがイマイチ天陽龍アイツを削り切れない事には変わりないわ」



 最もらしい言葉を吐きながら、心の中で「行かないで」と小さく願う。



「時間が押してる。悔しいし、情けないけど、アタシ一人でやってもアンタ達に迷惑をかける恐れがある。作戦の達成を優先するなら、これ以上双龍こいつらを自由にしておくわけにはいかないでしょ? ――――だから」


 超音速の世界の中で、龍だけに伝わる波長ことばを使って、彼女は彼に建前と本音の混ざり合った台詞を説いた。




「一緒に来てよ。今のアタシにはアンタが必要なの」




 その間もなくの後、殱月龍の満月が灯り、龍達はカオスの治める次元を立ち去った。



 そうして『混沌空亡』には、神獣の暗殺者だけが取り残されたのである。





◆ダンジョン都市桜花・第百十八番ダンジョン『天城』最終層・杞憂非天・第五番神域『怨讐愛歌』




「しかし、お前も変わったよな」



 飛翔する炎龍を足場に、彼が天陽龍アポロの巨腕と相対する。


 怪物達の狂演する地母神の宮殿。地上では、桜髪の仔犬と赤髪の猿女が亡霊達と共に無双の活躍を見せており、そして少女アタシは空で彼と踊る。



「正直、最初はどうなるもんだと思ったぜ。何せ初っ端から単独行動かましてくるし、その後もワガママ放題やり放題。マジで“ナラカ様”って感じだったもんな」



 陽色に燃える天陽龍の五爪を真正面から拳で受け止め、一打。

 <骸龍器>と『覆す者』の相乗効果により、破格の膂力を手に入れた彼の一撃は、こと近接戦において平常時のナラカを優に上回る戦果を発揮する。



「悪かったわね。可愛くない女で」



 返しの言葉は、自分でも頭を抱えたくなる位、可愛くなかった。本当はもう少ししおらしく謝りたかったのに、何故だか彼を前にすると少しだけ気位が高くなってしまう。



「その、勘違いしないでよ」



 だから少女は彼に背を向け、脚と背中の炎を翼に変えてはためきながら



「アタシがこうなのは、別に意固地になってるとかそういうのじゃなくて」



 その在り方は、龍の性といえばそれまでだし、親の教育の賜物せいだとなすりつける事も可能だろう。しかし



「アタシが可愛くないのは、アタシが可愛くないからなのよ」



 我ながら、なんて下手くそな自己表現。単純に自己責任だと言いたかっただけなのに、これじゃあ何というか



「……いや、あくまで一個人の感想だけどさ」



 というか



「お前は最上級に可愛い部類だろう。それに飛びきり出来る女というか、良い女だし」

「……っ!」

「前みたいな過剰なまでの不遜っぷりは流石にどうかと思うけどさ、“火荊ナラカが可愛くない”は、流石に卑屈が過ぎるってもんだろう」

「……つまり、アンタは何が言いたいわけ?」

「いや、だからさ。お前はちゃんと可愛いよって――――」



 その続きを、少女が聞く事はなかった。

 いや、正しくは殲月龍に対して放った焔の掃射が思いの外大きくなり過ぎて、彼の言葉をかき消してしまったのだ。



 顔が熱い。

 こめかみはプルプルと震えているはずなのに、頬の下が緩んでしまって仕方がない。

 こんな顔、絶対に彼に見せるわけにはいかなかった。






◆ダンジョン都市桜花・第百十八番ダンジョン『天城』最終層・杞憂非天・第十番神域『物換星移』





「でも本当に、悪いとは思ってるのよ」



 星の海を飛翔する。

 彼はファフニールに跨り、少女アタシは自前の翼で風を切って



「一生、なんて軽々しく言うつもりはないけれど、少なくとも残りの研修期間くらいは全力で償いたいと思ってる」

「償うって大袈裟な」


 隣に並ぶのは、太陽と月の龍。

 そして星の王が創星の光を放ち、それを黒雷の少女が奇声と共に喰らい尽した。


「大袈裟じゃないわよ。アンタ達にやらかした事を考えれば全然大袈裟なんかじゃ……」

「あぁ、でも。そっか」


 互いに背を向け、それぞれの偽龍てきと相対しながら、とりとめのない、けれどこんな場所じゃなければきっと出来ないであろう青臭い会話をぽつり、ぽつりと少しずつ



「お前、アッチに戻るんだよな」

「正しくは、後四ヶ月と少しね」



 彼が入ってくれた事で、趨勢は大きくこちら側へ傾いた。



「こんな事を言うと変に聞こえるかもしれないけど」



 満天の星空を見上げながら、ずっとこの時間が続けばいいのにと叶いもしない願い事を想い浮かべる。


「アタシがいなくなったら、アンタ寂しい?」

「そんなの、当たり前だろ」



 ――――あぁ、本当に。



「寂しいに決まってるよ。お前は気づいてなかったかもしれないけどさ、俺はお前と交わした何気ない会話が大好きで、そんでもって何度も救われてたんだ」




 星のような、恋をした。






◆ダンジョン都市桜花・第百十八番ダンジョン『天城』最終層・杞憂非天・第七番神域『花天月地』







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