第二百四話 遥遠く(1)









◆◆◆ある香水にまつわる話



 その日、珍しく彼が寄り道をしたいと言いだした。


 買い出しを終えた帰路での事、気になる店があるのだと。



「良いわよ。付き合ってあげる」



 誘われたわけじゃない。むしろ彼は、ものすごい早口で「いや、本当に個人的な用事だから先に上がってくれて大丈夫だよ」等と野暮ったい言葉を口にしていたのだが



「別にアタシがアタシの時間をどう使おうと勝手でしょ? …まぁ、アタシがいるとお邪魔になるようなら、大人しく退散するけど」



 簡単に言いくるめてやった。

 コツは一歩引いてやることだ。スパイス程度に自虐的なニュアンスを含ませておくとなお良しである。

 


「……分かったよ。じゃあ悪いけど、ちょっとだけ付き合ってくれ」



 かくして始まった二人きりの寄り道に、少女は特別な意味を見出していた。


 別にこれが初めてというわけではない。

 何せ彼と少女はパーティーメンバーであり、住む家を共とする共同生活者。

 彼女にとっては幸運な事に、こういう二人きりになれる機会にはそれなりに恵まれていたのである。


 特に最近は、彼の方から誘ってくれる。求めてくれる。


 ……まぁ求められているのは“私”の身体じゃなくて頭の方で、誘われている理由も不健全さの欠片もないようなものばかりなのが玉に疵だが、しかし


「(それでもよ)」


 そう。それでもなのだ。

 

 あの最悪な時期と比べれば、今の自分達の関係性は奇跡みたいに良いものだと言えるだろう。


 いや、“あの時”にしたって、彼は何度も自分に声をかけてくれた。

 「ごめん」って、「話そう」って。

 自分に非がないにも関わらず、身勝手で非常識な理由で塞ぎこんでいたワガママなジブンの身を最後まで案じてくれて

 



“大事な身内が幸せそうに笑ってくれてたらさ、それだけで俺は幸せなんだ”



 そしてあの場所で、世界に二人だけの「敗者なき地平線」で、彼は“私”に、初めての気持ちを教えてくれたのだ。


 そんな彼と、沢山傷つけてそれでも笑って許してくれた彼と、今こうしてデートまがいな事が出来ている。

 分かっている。こんな時間は今だけだ。ダンジョンの攻略が終われば、直ぐに本物アレがやってくる。


 あの嫉妬深い女が、他のメスと自分のオス逢瀬デートなぞ許すはずがない。

 そしてあくまで推測に過ぎないのだが、多分



「()」


 

 彼は言わないし、杞憂で終わればどんなに良いかと思わずにはいられないのだが、しかし、それでも少女の中の女の勘が忌々しい声で告げるのだ。



 長いようで短かった猶予期間モラトリアムが終わり、嫉妬の女王が本来あるべき王の傍らへと帰ってくる。


 そうなればもうお終いだ。少なくとも、こんな風に気兼ねなく彼と過ごせる時間はとても貴重なものになるだろう。



 ――――火荊ナラカは負けている。

 ――――あらゆる観点において蒼乃遥に負けている。


 力という尺度で、技という領域で、速さで、堅さで、強さで、そして何よりも彼との距離が敵わない。


 積み重ねた時間が違う/罪重ねた過去が違う。


 彼女は彼にもたらして/“私”は彼を傷つけた。



“……あぁ、うん。白状するとな、実はあの時、少しだけ遥と話をしたんだよ。いや、あいつが『天城ここ』に来たとかじゃない。電話というか、《思考通信》というか……まぁ、俺も詳しい原理は分かんないんだけどさ、奇跡的にあいつと繋がって、……うん、あれは本当に奇跡だった”



 忘れもしない。彼からその話を聞いた瞬間を。

 「なんで?」とか、「どうして?」なんて疑問符が浮かび上がるよりも早く少女は、胸が苦しくなるような敗北感を覚えたのだ。


 勝てない。勝てるはずが、ない。だってあまりにも格が違いすぎる。


 単にあの女が高みにいるだけならばまだ反撃の余地があった。

 しかしながらこの場合、“私”が度し難い程に「低い」のだ。



 出会った瞬間に暴言を吐いた。

 彼を何度も嘲笑ったし、身勝手な主観で男の価値を測っていた。

 探索に行く前の練習に参加しなかった。そのせいで<骸龍器>の存在に気づけなかった。

 『天城』に来た初日、仲間達を置き去りにして勝手に先へ進んでしまった。

 彼をわがままで何度も困らせてしまった。

 仲間と喧嘩をした。足並みを揃えようともしなかった。

 ご飯はいつも彼に作ってもらって、ありがとうの一言も言わなかった。



 そしてあの日、彼は



“もしかして、俺のせいか?”



 どんな気持ちで



“俺が原因なんだな? 俺がお前を傷つけたんだな? なぁ、教えてくれよ火荊。俺の何がいけなかったんだ?”



 あの言葉を口にしたのだろうか。



 何も。何一つとして彼は悪くなかったのだ。



 第二十五層の『タロス』戦、懸命に育ててきた仔犬あの子が失敗して、折れて、その穴を埋める為に使った<骸龍器>。


 一番不安だった筈だ。

 一番つらかった筈だ。


 彼の計画の全貌を知った今だからこそ分かる。

 彼がどんな気持ちであの子を育てていたのかを。

 どれだけ心を砕いてあの道化共に付き合ってきたのかを。


 彼は――きっと自分からは決して認めたがらないけれど――救いたかったのだ。

 色んなものを、色んな暗闇から助けてあげたかっただけなのだ。


 でも、その想いを何度も、何十回も、何百回も



 それは意図的という形ではなかったのかもしれない。


 人によってはやむを得なかった場合もあるのだろう。


 だから彼は言うのだ。“誰も悪くなかったのだ”と。


 自分の心が弱かったから、考えが甘かったから、期待したから、余計なお節介を焼いたから────だから他の誰かが悪いのではなく、自分が“こうなった”のは自分のせいなのだと。



 ……断じて違うと、“私”は言わなければならなかった。


 彼が本当に辛かったあの時期に

 鍵であるはずの空樹花音あの子の心が折れかけて、救いたかった人達と化かし合い、未来視シミュレーションの中で終わらない悪罵を吐かれ、「悪者の侵略者」として「戦争」を行う覚悟を決めていたその時に


 自分は、決定的に彼の心を踏みにじったのだ。


 勝手な嫉妬、身勝手なプライド。下等種族に出し抜かれたという歪んだ選民意識を拗らせて、一方的に被害者を気取り、それでも差し伸べてくれた彼の手を当たり前のようにはね除けて、引きこもったのだ。


 彼は違うというだろう。お前も辛かったんだろと、寄り添ってくれるだろう。


 彼は、もたらす者だ。

 周到に計画を張り巡らせ、後から棋譜スコアを読み返してみれば、これ以上はないという方法で“私達”を助けてくれる。


 だけど、けれども、しかしながら。


 そんな彼の心を、一体誰が救おうとしたのだ?


 ────そう。それこそがあの女と自分達の間にある決定的な差。



 あの女だけが、唯一彼の心を救っていた。


 「ごめんね」と泣いてくれそうなのだ。

 彼が一番辛い時、ほとんど状況も分からないまま、声だけを聞いて

 それだけで、蒼乃遥は正解を引き当てたのである。


 彼はロボットではない。

 嫌な事があれば心が曇るし、そういう“淀み”が積み重なれば人並みに傷つき荒んでいく。

 許容値キャパシティを越えたストレスにさいまれた人間が次に行き着く先は“暴力”だ。

 他人そとか、自分うちか――――言うまでもなく彼は後者であり、その極北である。

 どれだけ自分が傷つこうとも「頑張らなければ」と「自分が悪い」と奮起を刻み、そうして築き上げた“血まみれの研鑽”の果てに、彼の奇跡はある。


 それは酷く歪な在り方だ。

 

 「誰かの為に」というその道を志す者にとって唯一の大義すくいすらも「自分の為だ」と偽り続ける病的なまでの“正義拒絶症アンチヒロイズム”。


 誰かが言わなければならなかった。

 大丈夫だと。そこまで自分を追い詰める必要はないのだと。

 どうしても「誰かの為に」と言う事の出来ない、たった一人の愛すべき愚か者を肯定否定してあげなければならなかったのだ。


 なのに、火荊ナラカは傷つけた。

 一番辛い瞬間に、彼に寄り沿うどころかその心を決定的に貶めた。


 だから蒼乃遥は謝った。

 遠い場所から、何も罪がないにも関わらず、「私がいればこんな事にはならなかったのに」と泣いて謝った。


 結果、“私”は彼に救われ、“アイツ”は彼を救ったのだ。



 ――――格が違う。あまりにも違いすぎる。

 力とか、関係性の深さとか、そんな言い訳のできるラインを優に超えた圧倒的な格の差が、“私”とアイツの間には確かにあって……あぁ、本当に。これで、この期に及んで、彼に惚れた等と、どうしてのたまえようか。



“ならばく変わりなさいな”



 そんな悩める少女に啓示を与えたのは、彼の『いとこ』だった。



“起こしてしまった罪を悔い、それでも彼を求めるのならば、死に物狂いで彼を支えなさい。愛とは、一方通行ではあり得ないのです。与えられた分だけ返しなさい。悔いた分だけ、優しくなさい。火荊ナラカの改心アップデートを今この瞬間から始めなさい”



 黄金の白髪に白銀の瞳。

 神々しささえも感じる出で立ちをした彼の『いとこ』が説いた道理は、迷う少女の心に温かな灯火を与えた。


 そうだ。今の自分では相応しくないというのなら、根本フレームワークから立て直せばいい。


 取り繕うのではない。取り壊し、作り変えるのだ。

 出来る女になろう。

 尽くせる人間になろう。

 情が深く、いつだって危なっかしい彼を見逃さず、気さくで、対等に振舞えて、二人でいても安心してもらえるようなそんなキャラクターになろう。


 それがこれまでの火荊ナラカではないというのなら、そんなものは死ねば良かった。


 さる歴史において、皇国の終焉を招いた稀代のトリックスターとなる可能性を秘めた少女が、本気で極めた自己変革プロデュース


 その成果は夏の暁天ぎょうてんのように目覚ましく、今では彼女がパーティーの副官サブリーダーであることを誰しもが疑わない。

 

 火荊ナラカは変わった。

 己の為に、そして彼の為に、自分という器を改め直したのだ。


 それを健気だと評する者もいれば、独り善がりだと詰る輩もいるかもしれない。


 だけど、それで良かった。


 だって恋というものは、そういうものだ。


 見方によって、あるいは見る人間によって、その美醜は如何様にも変わる。


 だから“私”にとっては、これで良かったのだ。

 少しでも今までの罪がすすげるのならば、そして僅かでも彼の負担を背負えるのならば、それで良かった――――



「(――――はずなのにね)」

 


 彼が笑う。二人で入った香水専門店フレグランスショップ


 ライトブルーの容器に包まれたさっぱりとした柑橘系のフレグランスに顔を綻ばせながら、“あなた”は、“私”に




「なぁ、ナラカ。これアイツに似合うかな? 喜んでくれるかな?」

「そうね」



 遠く。彼が、そして彼女までの距離が



「良いと思うわ」



 遥遠くて。





◆◆◆ダンジョン都市桜花・第百十八番ダンジョン『天城』最終層・杞憂非天・第五番神域『怨讐愛歌』:『龍騎士』火荊ナラカ




 目の前に並ぶ怪物の軍勢を眺めながら、火荊ナラカ深く、深く口角を上げた。


 ガイア。数多のヒカリ怪物ヤミを産んだ万物の母。


 一糸まとわぬ肢体を紫黒の長髪で隠したその美女が、絢爛たる宝石の寝台に身を寄せながら怪しく歌う。


 空気が孕む。

 彼女の調べに触れた宮殿の空気が変質し、無から有角の牛魔人が産声を上げた。


 種族も、大きさも、精霊の格ランクまでもが万別の怪物達。



 地母神ガイア。その美声で、瞬きで、吐息の一つで空間を怪物に書き換える亜神の創造者クリエイター


 彼女は産む。産み続ける。怪物を、兵器カミを、そして時間さえ叶えば新たな神王クロノス達ですら産み直せる。


 だからこそ、可能な限り速やかな討伐を試みたいところだが、それを二つの理由が許さない。



 一つは、このオリュンポス中盤戦に仕掛けられたある設定ルールのせいで



 そしてもう一つは



「これはこれは。随分と盛大に歓迎してくれるじゃないの、アンタ達」



 広大な宮殿の天頂を飛ぶ二柱の龍。


 一方は太陽のような灼熱を纏った蛇腹の龍。翼はなく、焔に燃えた雲をその巨体に纏いながら悠然とたゆたう姿は、本物ナラカをして見惚れる程である。



 片やもう一方は、非常に鋭角的な形状をしていた。月光色の躯体は、戦闘機のように無駄がなく備えつけられた両翼には無数の砲門と、弾頭のような突起物が幾重にも。



 天陽龍アポロ、殲月龍ディアナ。双方がそれぞれ第四、第七神域を護する



 彼等は守護者にして乱入者。

 新たに解放された五つの神域エリアに直接介入する移動型エネミー。


 故にこそ、こういう事も起こるのだ。



「良いわ。全員まとめてかかってきなさいよ。だって、これくらいのハンデがなきゃ」



 地母神ガイア

 天陽龍アポロ

 殲月龍ディアナ



 第五番神域に集いし三柱の兵器カミを前にして



「このナラカ様の相手は務まらないものねぇっ!」



 紅蓮の少女は高らかにその戦端を切ったのである。





 ――――――――――――――――――――───



 Q:どうしてナラカ様はSSRになったんですか?

 A:贖罪

 Q:贖罪って……一体彼女がどんな罪を犯したっていうんです?

 A:メスガキ



 後になればなる程ヤバさが増していく百三十九話~百四十一話とかいう地獄

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