第百七十一話 まるで兄妹のように在り方が似ていて
◆◆◆ダンジョン都市『桜花』・古錆びた境内:『英傑戦姫』空樹花音
清水アルビオンさんは、とても不思議な人だ。
白銀の瞳。
前髪の一房だけが尾のように長く、ショートカットとも、サイドテールとも呼べないような独特なヘアスタイル。
髪色にしてもそうだ。
基本カラーは白。だけどその中に確かな黄金が含まれていて――――何て言えば良いんだろう。プラチナブロンドというわけではないのだ。
それは確かな白なのに、漂う不思議な粒子(そういえば、はー様もたまに同じようなものを髪から出している。彼女の場合は、名前の通りの蒼色だけど)が金色で、無理やり定義するならば“黄金の白”、そう、黄金の白だ。
彼女は黄金の白を持っている。
「それでは、もう一度。最初から始めますよ。目を閉じて、意識を奥へ、そうです、心を落ちつけて下さい。大丈夫、私がこうして
夕焼け色に染まる鳥居の下、特大サイズの宅配ピザを何枚も脇に抱えながら、淡々とした声で指示を下す臨時師匠。
アルビオンさんの訓練は――――勿論
準備運動としてフルマラソン三周を求められた時は、流石に泣きそうになったけど、今なら彼女の思惑がなんとなく分かる。
身体が
心地よい疲れと、冴えわたる頭。
ある意味においてこの上なく整った状態に身体を落ちつけてから、始めるアルビオン式プログラムのその最たる目的は、“精霊との対話”だった。
「優れた精霊使いは、得てして精霊と良好な関係を築いているものです。遥然り、我が妹然り、最近ですと火荊さん辺りもそのカテゴリーに入れて良いかもしれませんね」
言われてみれば確かに。
特にナラカさんの場合、私は“その瞬間”を直接見ていたわけだから、アルビオンさんの言い分を素直に聞き入れる事ができた。
正直その辺りが上手くいっていない身としては大耳の痛い話ではあったが、しかしだからこそ試す価値があるなと、当初の私は、そんな風に彼女の話を鵜呑みにしたのだ。
……そう、当初の内は。
アルビオンさんの行う訓練は、……何というかあまりにも常識とかけ離れていたのだ。
「さぁ、行ってらっしゃいまし。貴女のパートナーが待っておりますよ」
私は今日も、アルビオンさんの不思議な力で
我が相棒、『アイギス』の眠る英傑達の墓標へと。
◆
『アイギス』の心象世界は、当たり前と言えば当たり前なのだが、とても彼女らしかった。
どこまでも続く鋼色の世界。
空を見上げれば、無数の英雄譚が星座のように煌めいていて、在りし日の“
その中には父の姿もあった。
父さん。私の中の最大にして最愛の英雄。
ここに来ればいつだって父さんに会える――――あぁ、けれど。どんなに高画質で迫力があろうとも、映像は決して私に振り向いてはくれないのだ。
それが分かっているからこそ、私は立ち止まらずに彼女の元へ進む事が出来た。
生い茂る武器や鎧の群れをかきわけて、漂う盾の遊覧に巻き込まれないように身体を縮こませながら前へと進む。
「アイギス」
彼女は、いつものように“果て”にいた。
全身を純白の鎧で包んだ彼女の素顔を私は見た事がない。
それでも、私がアイギスを“彼女”と呼ぶ理由は、かつてその声を何度も聞いていたからだ。
アイギスは雄弁ではなかった。
そして融通の利く性格でもなかった。
潔癖で、真面目で、不義理を許さず、何よりも
間違っても人に好かれるタイプじゃない。
私と同じだ。兎に角、古い。
けれども、
ヒーローになりたい少女と、英雄をこよなく愛する精霊。
私達は、あの時まで確かに良好な関係を築けていた。
……そのはずなのに。
「お願いです、アイギス。貴女の声を聞かせて下さい。私の何がそんなに貴女を怒らせてしまったのか、それを、教えてくれませんか」
アイギスは今日も答えない。
きっと明日も応えない。
彼女の本心は、未だ純白の鎧に包まれたままだ。
◆
「やはり今回もダメでしたか」
責めるでも、ガッカリするでもなく、いつも通りの平坦さでピザを食べながらアルビオンさんは言った。
「気に病む事はありませんよ、空樹さん。精霊が塞ぎこむのは、割とメジャーなあるあるです。
歴史書によれば、かつてこの国には弟に馬やら糞やらを投げつけられたという理由で
そんなあったかどうかも分からない大昔の話を引き合いに出されても反応に困るのだが、きっと彼女なりに励ましてくれているのだろう。
その心遣いに報いるべく、私は絵にかいたような快活さを顔に張りつけて
「ありがとうございます、アルビオンさん。至らない身ではありますが、これからもご指導ご鞭撻の程よろしくお願い致しますっ」
「……ふむ」
だけど、これがいけなかったのだ。
ぎこちなかった? それとも彼女の方が何枚も上手だったから?
ともあれ、結果だけを述べるならば、私の努力とも呼べない自分なりの処世術は
「やはり随分と無理をしておられるようで」
あっさりと、見抜かれたのである。
私が「何のことですか」と惚けるよりも早く、両手にピザを乗っけたアルビオンさんが更に核心へ迫る言葉を言い放つ。
「マスターから聞きましたよ。現在貴女の古巣には、良からぬ疑いがかけられているそうですね」
「それは……」
「さぞやお辛いでしょう。何も信じられないでしょう。だというのに」
夕陽に染まる特大サイズのカットピザを華麗に飲み干し、そして
「貴女は、とても元気に訓練に励んでらっしゃる」
じりりりり、と神社に秋虫の鳴き声が響き渡った。
首筋から、嫌な汗が流れ込む。図星だった。
「あぁ、勘違いしないでくださいまし。別に責めているわけではありませんので。むしろ貴女のその在り方は、称賛されて然るべき
その顔は相も変わらず無表情で、声音も酷く平坦だ。
だけどきっと彼女は嘘を言っていない。ただ
「しかし、重い悩みを抱えたまま、“迷いを振り切ったキャラクター”を演じ続けるのは、辛くはありませんか」
「……仕方、ないじゃないですか」
ただ、その棘は痛かったのだ。
「私なんかの為に、Bチームの皆さんが一丸となって協力してくれてるんですよ。辛いとか分からないとか、そんな冷めたこと、言えるわけないです」
溜め息が漏れた。秋の空気よりもなお冷たく、黄昏の空よりもずっと暗いそんな溜め息だ。
分かってる。結局、私は良い子でいたいだけなのだ。
嫌われたくなくて、迷惑をかけたくなくて、だからいつだって真面目で清廉な空樹花音を演じようとしてしまう。
人との距離感が分からないから正しさにすがり、みんなに良い顔をしようとするから無理が祟る。
そしてそれを見抜かれたらあっさり白状して楽になろうとしているだなんて、本当に私という女は
「やはり似てらっしゃる」
染まりかけた自嘲のまどろみを止めたのは、アルビオンさんの言葉だった。
「綺麗な在り方に憧れて、故にそうなれない自分を過剰なまでに責め立てる。そしてその自傷すらも醜いものだと思っているから、人の前では懸命に仮面を被ろうとする──最早兄妹の線を疑いたくなる程に相似しておりますよ、あなた達は」
「あの、すいませんアルビオンさん。イマイチ話が、見えてこないのですが」
「
やれやれ、と1,5リットルサイズの炭酸ジュースを豪快に空けながらアルビオンさんは何かを言いかけて
「──あぁ、そうだ」
まるで天啓を得たと言わんばかりの勢いで自分の膝を叩き、そして
「やはりこういうのは悩みを共有できる人間に相談するのがよろしいかと」
そしてかつてない程の早口で
「何事も溜め込むのは良くないですし、何より貴女の心持ちが今後の『天城』攻略を左右すると言っても過言ではないのです。なので、空樹さん。今晩二人っきりの相談を“彼”に行いなさい。良いですか、これは師匠命令ですよ。うまく行かなければ明日の訓練メニューを十倍に増やしますからね」
半ば脅迫じみたアドバイスを私の耳に叩き込んだのである。
◆ダンジョン都市桜花・第三百三十六番ダンジョン『常闇』第一中間点「住宅街エリア」
仕方がないのでその日の夜、私はアルビオンさんに言われた通り、彼に悩みを打ち明けてみた。
場所は『常闇』の借り家のリビングで。
『常闇』の借り家は、『天城』の家と比べて幾分小さい。個室は三つしかなく、トイレも一つという手頃さだ。
だから凶一郎さんは「ナイショ話なら外の方が良い」と誘ってくれて、私達は『常闇』の街を歩きながら、少しずつ話をすることになったのである。
「凶一郎さんは、本当に最初から見通していたんですね」
「えっと、ごめん何の話?」
「『亡霊戦士』の事ですよ。犯人が“笑う鎮魂歌”の皆さんだって分かっていたから、『常闇』の拠点を残したままにしていたんですよね?」
思い返してみれば、その片鱗は沢山あったのだ。
例えばこの前の模擬戦大会。凶一郎さんは、その開催地を目と鼻の先にある『天城』のコロシアムではなく『常闇』を選んでいた。
あるいは、戦い方。凶一郎さんはその道中において頑なに<骸龍器>を使おうとしなかった。
恐らくは、やがて相対するであろう本当の敵に自分達の手札を読ませない為に講じた策だったのだろう。
そして極めつけがこの借り家だ。
『常闇』で訓練を考えるならば、成る程、確かに拠点はあった方が良い。
だから残していた。私達の休息時間を少しでも長く取れるようにと。
「本当に凶一郎さんは凄いです。相手の手を完全に読み切って、常に一歩先を行くだなんて、なんだか物語のヒーローみたいで憧れちゃうなぁ」
「いや、花音さん。それは買いかぶり過ぎというか、少なくとも借り家に関しては全く別の理由で」
「? そうなんですか?」
何だろう。やはり彼の事だし、私には考えもつかない壮大な布石を――――
「その、いつでも遥と二人っきりで過ごせる場所が欲しくてさ。だから個人的に、賃貸契約を続行していたといいますか……」
「おおっ」
まさかの凶ハルてぇてぇ案件。
私は思わずごちそうさまです、と呟きそうになった。
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