第百四十八話 世界で一番熱いモノ












◆ファフニールについて




 ファフニールは、かつて“負の龍あしきもの”の一柱として、さる国のダンジョンにほうぜられていた。



 “負の龍あしきもの”――――それは、龍達の次元せかい龍宇大りゅううだい”より放逐された者達に与えられる烙印いみなだ。



 彼らは、総じて敗者である。


 “龍宇大りゅううだい”での縄張り争いに負けた者、不遜にも超神かみに挑み敗れた者、“王”の座を引きずり降ろされた者、あるいは逆に革命を成し遂げられずに下った者。



 龍の世界における善悪は単純だ。


 勝利と力にこそ価値があり、敗北と弱さこそが最も恥ずべき罪なのだ。



 故に“あしきもの”の中に孕む悪性の正体とは、即ち負けた者であるという単純明快な事実に他ならない。



 ファフニールもまた、そのような敗者の一柱ひとりであった。



 彼(龍の性別は非常に多様かつ複雑な為、ここでは便宜上、彼と呼ぶ)はその生涯の中で二度負けた。



 一度目の敗北はかつて“龍宇大りゅううだい”行われた『大戦』で。

 この時の敗戦がきっかけで、彼は自らの故郷と安住の地を奪われた。



 そして二度目の敗北は深い深い穴ぐらの底で。

 人間がダンジョンと呼ぶ可能世界の狭間で、彼はジークなにがしという英雄に『調伏』され、その在り方と血を奪われた。



 かつて“強欲龍”と謳われたファフニールの魂の方向性ベクトルは、今や見る影もない。


 ジーク某の使い魔として従事し、彼が異国の地に渡り“火荊”なる一族の長として振る舞えば、それに相応しい炎龍ものとして振舞った。



 かつて龍宇大りゅううだいの強欲龍と呼ばれていた彼の姿は最早どこにもない。



 彼は火荊の守護龍“炎龍”ファフニール。

 欲などなく、ただ従順に彼の血を飲んだ末裔達を守護する無欲な精霊。



 大それた野望も、抑えきれない程の渇望も、今の彼の中にはない。



 ただ、あえて欲をいうのならば一つだけ――――





◆◆◆ファフニールの心象世界:『龍騎士』火荊ナラカ:








 紅く燃え滾る焔の宮殿、大量の黄金が積み上げられたその場所が、彼の心の風景である事を、少女はよく知っていた。



 仮想空間ならぬ夢想空間。



 夢であると同時に、ファフニールの“中”とも言える大切な場所だ。



『我を喰らえ、主よ。さすれば汝の望みは叶わん』


 

 そんな自分だけの心の秘密基地よりどころに少女を呼び寄せた理由は、彼曰く『提案』の為なのだそうだ。



『アンタを喰らうですって…………それってつまり、アタシに“龍喰らいドラゴンイーター”になれって事?』

『然り』




 緋緋色金ひひいろかねの鱗の主が長首を縦に振る。



 “龍喰らいドラゴンイーター”――――龍を存在ごと喰らう事で、己を龍へとい改める禁忌の捕食者達。



 今しがたファフニールが申し出た言葉は、つまりそういう事だ。



 己を喰らって、強くなれとそう言ったのである。





『汝の目的と現在の状況を勘案した上での申し出だ。断る理由はあるまい』

『大アリよっ!』



 少女は、感情に任せて叫んだ。


 だってそれは、あまりにも身勝手だ。


 自分の身を主に食べさせるなど、あまりにも彼自身を軽んじている。



『アンタ、そんな事したら自分がどうなるか分かってんの? アタシに? 自我も記憶も全部奪われて、アンタだった何もかもがアタシになるのっ!』



死ぬ事それの何が問題だというのかね?』




 龍の灼熱色の瞳が心底不思議そうに揺れる。




『我は消え、そして我を喰らった汝は、望むモノへと至る事が叶う。……互いの利害が一致した良い取引だと思うのだが』

『だから何度も言ってんでしょ! そんな事したらアンタ消えんのよっ』

むしろそこにこそ我の本懐がある』




 炎龍はその荒々しい風貌に似合わない静けさで、淡々と少女に説いていく。



 自分は何を望んでいるのかを。



 この時をどれ程待ちわびていたのかを。




『二度の戦いに敗れ、故郷と強欲在り方を奪われた我に残された希望は“死ぬ事”だけだった。

 人間達汝らに例えるとするならば、“夢と居場所、そして己の存在証明アイデンティティを根こそぎ奪われた挙げ句、終わらない隷属と労働を強いられている”とでも言うべきかな。どうだ? ?』

 


 否定の言葉が喉から出ない。


 だってもしも少女が同じ立場でも、きっとそういう結論に走っていたと思うから。



『良いか、主よ。これが敗北した者の末路だ。たった二度、たった二度の“負け”で我は斯様な身まで落ちぶれたのである。ならば今、三度目の敗北を迎えかけている汝はどうなるか? 想像するに単なる負けでは済まぬだろう』



 訓告。落第。嘲笑。留年。そして退学────親からも見捨てられ、一族の出来損ないとして残りの人生は子孫を残すだけの■■■に




『嫌』



 そんな人生は真っ平ゴメンだ。

 自分は勝者でいたい。勝者でいなければならない。

 負ければ終わりなのだ。目の前のファフニールのようになるのだ。




『それは、絶対にイヤっ』

『であれば汝は勝たねばならぬ。勝つ為には力が足りぬ。過ぎた力には代償いけにえが伴う。そして贄となるのは』



 その一瞬だけ、燃える黄金郷の全ての音が停止した。




『贄となるのは、この我だ』




 あぁ────と、少女は心の中で諦めのため息をついた。


 あぁ、最早。彼の提案をはね除ける材料がどこにもない。



 自分アタシには負けられない理由があって


 彼には己を消したい理由がある


 今ここで、ファフニールを食らえば、両者の望みが同時に叶う。



 弱肉強食。この国を象徴する聖なる理屈の本当の意味を、少女はこの時知ったのだ。




『さぁ、契約者よ。我を喰らえ、我を解放してくれ。汝のような傑物に我の全てを託すことこそが、ユメだった』



 身体が自然と彼の傍まで近づいていく。


 その動きに合わせて、ファフニールは自ら長首を降ろし、彼女に無言の催促を向けた。



『えぇ、いいわ』



 不思議と、やるべき事は分かっていた。



 必要となるのは、喰らう意識と贄からの了承、そして儀式のきっかけとしての口づけだけ。



 既に喰らう側と喰らわれる側の意識は統一された。



 故に、後は目の前の彼に、誓いの口づけを捧げれば────










「ちょっと待てよ」







◆仮想世界・ステージ荒野




 彼女が目を覚ましたのは、その力があまりにも強かったからだ。




 痛みはない。

 けれど、夢の世界に浸れない程に強くて熱い力が少女の手首を掴んでいる。



「今お前、何しようとしてた?」



 龍の頭蓋を纏った男が尋ねる。



「聞こえねぇのか、火荊。何しようとしてたのかって聞いてんだよ」




 感情を抑えた、けれど明らかに『怒っている』と感じ取れるそんな声。



 彼が何を怒っているのかが少女には分からなかった。


 どうしてそれに、気づけたのかも。



「アンタには関係ないでしょ」



 仮想の青空に漏れた悪態は、どこまでも空々しかった。




「何に手を出そうが、どんな力を身につけようが全部アタシの勝手。ていうか本気で戦えとか言ってきたのはそっちでしょ? だったら」

「あぁ、確かに言ったさ。だけどよ、火荊」



 怪人の紫色の瞳が少女を見つめる。




「俺は一言だって、誰かを犠牲にしろだなんて言ってねぇぞ」

「――――!」



 その時、少女が声なき叫びを上げたのは「見透かされたこと」に驚いたからではない。


 「恥ずかしいところ」を見られたと感じたからだ。




「てめぇの相棒をてめぇで食って、それで強くなれれば満足なのかよ」

「過程なんてどうでもいい。大事なのは結果なの。ここでアンタに勝たなきゃ、アタシの人生は終わるのよ」

「へぇ、そうかい。結局お前は。命がかかっていようがいまいが、火荊ナラカは火荊ナラカっていう事か」


 

 煙のように捉えどころのない感想を呟きながら、一人勝手に納得を覚える怪人。


 意味は分からなかったが、何故だか無性にムカついた。



「アンタに」



 あぁ、思えば。



「アンタに、アタシの何がわかるってのよ!」




 思えば、自分アタシはずっとこの男に毒づいていた気がする。



「折角何もかもが上手くいってたのに、突然こんな胡散臭い穴掘りサークルに連れて来られて、それで気づいたら下等生物たちに何度もくじかれて」



 思い出す。

 頭のおかしな女に斬り伏せられた屈辱を。

 いけ好かない獣野郎に手も足も出なかった惨めさを。




「雑魚のお守りは本当に苦痛だった。銀髪チビは何考えてるかよく分かんないし、あの真面目女は全然強くない癖にに口だけは一丁前で!」



 思い出す。

 銀髪の少女と意味もなく語り明かしたいつかの夜を。

 思い出す。

 暇つぶしに病床の少女の世話を焼いてやったら、後でとても喜ばれた事を。




「何よりも最悪なのはアンタと過ごした時間よ。聞いてもないのにベラベラと喋りかけてきて、こっちの都合もお構いなしに色んなところへ連れ回して!」




 思い出す。

 彼と初めて背中を預けて戦った夜を。

 誰もいないリビングで秘密を共有し合った日の事を。

 怒る時は公正で、いつだってフォローを忘れなかった。

 毎日手の込んだ料理を作ってくれた。

 身分も種族も違うのに、何故だか馬が合うのがムズ痒かった。

 打てば響き、叩けば鳴る。

 上下はなく、生産性もなく、勝ち負けすらも「ただ」の会話。




 そんなものを押しつけられて

 そんな世界を見せつけられて



「なのにっ」



 なのに自分は、アタシは、火荊ナラカは





「なのにそれがすっごく楽しかったのよ!」





 

 張り裂けそうな声が天を突く。



 あぁ、そうだ。

 自分はこの下らない日々を、いつの間にか楽しいと感じていたのだ。



 温くて、ガキ臭くて、うるさくて。


 けれど誰もが誰かを想っていた。



「こんなの、知らなかった! 知りたくなかった! 勝ちとか負けとか成功とか失敗とか序列とか優劣とか損得とかマウントとか、そんなものを気にしなくても誰かと話せるんだって、話していいんだって……!」



 必要なのは、小匙こさじ一杯の思いやりだけだった。


 誰かの椅子を奪わなくても、「正しさ」や「偉さ」といった余計なステータスを纏わなくても、人は誰かと仲良くなれるのだ。



 ────そんな事も、自分アタシは知らなかったのである。




「勝つことだけが全てだった。負けた奴は価値のないゴミだと思ってた。龍人まわりはみんな敵だらけで、下等生物アンタ達は『愛玩動物敵じゃない』と思ってた! だけどっ!」



 だけど違ったのだ。


 彼等は敵ではなく、ましてや愛玩動物などでも断じてなく


 ありふれながらも歴とした、醜くも美しい、ただの、そう、ただの



「アンタ達は、下等生物なんかじゃなかった。龍人アタシと同じ、人間だったのよ!」




 能力の優劣はある。

 価値観や境遇の違いだってある。

 種族や国籍という隔たりだってある。


 しかし、それでも、上手に言語化することは出来ないけれど、彼等は人間で、「アタシ」も人間だったのだ。



 ……ならばこれまで火荊ナラカに敗れた者達はなんだったのか? アタシは彼等から何を奪ったのだ?



 分からない。分かりたくもない。

 でも、もう目をそららす事はできない。




「ねぇ、凶の字。教えてよっ! 勝つって何なの!? 負けたらゴミなの? 同じ人間を蹴落とす事が本当にアタシ達の正義でゴールなの!? ねぇ、何とか言ってよ! アンタに負けたらアタシ、……どうなるの?」

「……………………」



 大男は答えない。

 ただ彼はゆっくりと少女の手を離し、それから腰を降ろした。


 青い空。燃える大地。吹き荒れる風。流れる沈黙。


 少女と怪人は、しばらくの間、互いに無言で睨み合い、そうして幾ばくかの時が過ぎた頃




「知らねぇよ」



 返って来たのは呆れの混じったため息。


 まさかの回答拒否である。



「正義とは何か? 勝利の意味? 知るわけねぇだろそんなもん。つーかその質問、俺がどうこう以前に模範解答とかないタイプのアレだべ。……あぁ、もしかして『人の数だけ答えがある~』的な定型文マジックワードをご所望だったりする? だったらとっておきのがあるぜ、火荊さんよ。いいか、正義の敵は悪じゃない。正義の敵は別の――――」

「そのクソの役にも立たないゴミみたいな屁理屈を今すぐ止めなさい。ハッ倒すわよ」

「おー怖っ。ついさっきまでギャン泣きヒステリック自分語りをかましてたお嬢さんの台詞とは思えませんな」

「ぐ」


 言葉が詰まる。

 彼の言葉が大凡おおよそ図星をついていたからだ。



「まぁ、でも一つだけ確かなことがある」

 


 うっすらと瞳の光を細めながら、彼は言った。




「お前が今日負けても、……いや、これから先何千何万回と負けようと、火荊ナラカは“烏合の王冠ウチ”の子だ。少なくともお前の居場所がなくなることは絶対にないよ。そこは安心していい」

「……何よソレ、そんなことしてアンタ達になんのメリットがあるっていうの?」

「メリットというか、単なる埋め合わせだよ。ほら、悪気はなかったとはいえ<骸龍器コイツ>のせいでお前の立場悪くしちゃったっぽいじゃん。

 ……だからな火荊、もし、もしだぞ? もしもお前が“塔”に帰れなくなるような事になったら、そん時は俺達が責任もってお前を『龍』にするからさ、だから」



 

 少女の両手が、彼女の顔を隠す。

 だってもう、耐えられなかった。



「だからもう、そんなに泣くなって。俺もそんなに涙腺強い方じゃないからさ、お前のそういう顔見てると、つられて泣きそうになっちまう」




 言葉が出ない。

 


 溢れ出るのは感情の雫ばかりで、何も言い返すことができなかった。




 いっぱい彼を傷つけた。

 ワガママを言って、勝手なことをして、余計なトラブルだって何度も招いて。


 終いには一番彼が辛い時に、心にもない悪罵を吐き捨てて、それで、なのに────




「……なんで、うぅっ……なんでアンタはそんなに甘いのよ。こんなめんどくさくて可愛げのない女、グスッ、さっさと切ればいいじゃない」

「それでお前が落ちぶれていく様をみて遠くから嘲笑えば良いのか? 悪いけど、趣味じゃないんだよ、そういうの。特にお前って人間を知っちまった今となっては、『龍喰らい』ルートなんてとてもとても」

「答えになってないっ!」




 そう。

 答えになっていない。


 彼の献身それは、「後味が悪いから」という次元をとうに越えている。


 いつだってそうなのだ、この男は。


 痛み、悩み、苦しみながら、それでも困っている誰かの味方になろうとする。


 「自分の為だ」とうそぶきながら。




「ねぇ、どうして? どうしてアンタはアタシを見捨てないの? アタシなんて、アタシなんて…………」

「あぁー、もうっ! グジグジすんな鬱陶うっとうしい! そんなん理由は一つしかないでしょうが」



 心底うんざりしたような顔で、彼は言う。



「いいか、火荊。先に断っとくけど、他意はないからな。俺には、はーたんっていう世界一美人で優しい彼女がいるわけで、その座がくつがる事は未来永劫みらいえいごう絶対絶対、あり得ない。だから余計な勘違いをして、ていうかそこから発展してセクハラとか告ハラで訴えるってのはナシな、ナシだぞ、頼むからナシにしてくれな!」




 ともすれば惚気にも聞こえかねない珍妙な注意喚起。




「……まぁ、要するに変な意味に捉えないでくれって事なんだけどさ、つまり、その、なんだ? 俺はさ、俺はお前のことが」



 

 けれど、その長ったらしい前口上は、彼の発した次の言葉を聞いた瞬間に






「お前のことが好きなんだよ、火荊かけい





 跡形もなく吹き飛んだ。




「お前とどうしようもない悪巧みをしてる時間が好きなんだ。何の意味もない馬鹿みたいな話をしてると心が救われるんだ」



 はらり、はらりと。

 少女の中に溜まっていた節くれだった気持ちが、花弁となって消えていく。




「色々気づいてくれた時、本当に嬉しかった。沢山相談に乗ってくれた事、すっごく感謝している」



 ――――あぁ、そうか。

 合理性などあるはずもなかったのだ。



「だからさ、火荊。やっぱりこれは俺の為なんだよ」



 だってこの衝動に

 この甘くて切なくてそして涙が出る程にまばゆい感情に

 論理とか利益とかそんな小賢しいものがつけいる隙など



「大事な身内が幸せそうに笑ってくれてたらさ、それだけで俺は幸せなんだ」



 まるで存在しないのだから。




「…………アンタの気持ちは良く分かったわ」



 血流が全身を巡る。

 吸い込んだ空気はどこまでも軽やかで、鳴り響く心臓のリズムは雷のように速い。



「大丈夫、安心して。アンタの想いは正しくアタシに伝わった。変な勘違いも、馬鹿みたいなすれ違いも起こらない」



 そう。さとい少女は、彼の好意が『人間的な』というニュアンスで構成された文脈である事をこの上なく正確に理解していた。



 だからコレは、





「悪かったわね、変な気を遣わせちゃって。今立ち上がるから、仕切り直しといきましょ?」

「え? いや、お前大丈夫か? バトル中にこんな事いうのも変かもしれないけど、もうちょっと落ち着いてからの方が」

「大丈夫よ。もうアタシは落ち着いた」



 そうとも。落ちて、着いたのだ。


 古今東西数え切れないほどの人間達を狂わせ続けてきた『深淵』に、火荊ナラカは齢十七にして、初めてハマったのである。





「その上で、アタシはアンタとヤリたいの。……ダメかしら?」

「――――その目、本気みたいだな」

「えぇ。本気よ。もしかしたらこれまでの人生で一番といっても良い位に、アタシは本気」

「オーケー。だったらもう何もいう――――ってうぉおっ!」



 瞬間、少女は隠し持っていた虎の子の【圧政君主論マキャベリズム】を、あらん限りの力で龍骨の怪人にぶつけた。



 けたたましい爆音と共に、周囲一帯が火炎地獄色に染まる。



「てめっ! 卑怯だぞ火荊! そんな事しなくても俺は幾らでも待つつもりでいたのに――――!」



 爆発の中心で、一人元気に文句を垂れる間抜け男。


 あぁ、全く。そんな風に無邪気に怒る姿もたまらなく可愛らしい。


 だからといって容赦をかけるつもりはないのだけれど。




「残念だけど、アタシはお情けで喜べるほど安い女じゃないの。アタシは、アタシの力でアンタをる。欲しいモノは、自分の力でとってこそ、よっ――――!」

「威勢がいいじゃねぇか、お前のそういうところ嫌いじゃないぜ。だけど火荊さんよ、この状況、どうやって乗り切るつもりだ? お前のご自慢の炎術は、今の俺には届かんぞ!」

「ハッ」


 

 少女は笑う。

 心底から楽しそうに身体を震わせながら、堂々と。



「そんなもん、これからゆっくり考えるわよ! 『ファフニール』!」



 少女の呼び声に応じ、無欲の炎龍が顕現する。



 緋緋色金ひひいろかね色の鱗を煌めかせながら、されど金色の眼はどこか胡乱げに。




 『どういうつもりだ』という声のない指摘に、『続きは空でお話しましょ』と視線で答えながら、少女は相棒の背にまたがろうと足をかけ




「させるかよ」




 そこで彼が拳を振り上げた。



 少女が『ファフニール』を展開し、それを彼が止めようとする。


 まるでさっきの焼き直し。


 未来予知と超加速を持つ今の彼を振り切るのは、あまりにも困難が過ぎる。



「(……でもね、凶の字。その眼の良さはアンタの弱点でもあるのよ)」



 少女は薄く微笑みながら、ある未来ことを決意する。



 すると次の瞬間



「う……うぉあえっ!?」




 彼の動きがファフニールの眼前で不自然に止まった。




「ばっ、てめぇ火荊! そんなところで何やってんだっ! ていうかスマン! これは不可抗力の一種で、決して覗こうとかそういうんじゃなくて」



 訳の分からない事をのたまいながら、あたふたと慌てふためく骸龍器。



 少女は作戦が上手くいった事と、そして彼がきちんと意識してくれた事に悦びを感じながら、無造作に己の服を破り捨てていく。




「未来が読めるってのも考えものね。なまじ一方的な能力な分、時として視たくないものまで視えてしまう」



 バリバリと破り捨てられていくインナー、アウター、そしてブラジャー。


 結果、露わになったのは、それはそれは豊かな自慢の乳房である。



 モザイクもなく、不自然な遮光もない生まれたままの裸体ナラカがそこには在った。



 これこそが、対未来視用の対抗手段カウンタースペル



 即ち、予告フォーチュン露出ハレンチである。



 

 一糸纏わぬ扇情的な姿を未来覗き見童貞に見せつける事で、その全行動を停止させるこの恐るべき技を閃いてしまった時には、さしもの彼女も震えそうになった。



 リスクはあった。

 そしてこの技を発揮するに辺り、彼女が支払った代償コストは言うまでもなく甚大じんだいだ。



 だが――――



「飛んで! ファフニール!」



 背に跨った裸の少女の願いに従い、無言で翼をはためかせる緋緋色金ひひいろかねのファフニール。



「てめっ! 逃がすか火荊――――って、お前なんだその動きは!? そんな、ソレをアレしてスライムみたいに……やめろっ! こんなの反則じゃねぇか!」




 そうして少女と龍は、とうとう怪人を出しぬき、彼等の領域である大空に飛び立ったのである。









「(…………とはいえ、現状打つ手がないのよねぇ)」




 空の上から荒野を見下ろす。


 戦いの余波で荒れ果てた土地の片隅で、豆粒大の人間が地団太を踏んでいた。



「(悔しいけれど、今のアタシの手札じゃアイツの防御を破れない)」



 <骸龍器>、成る程。大した天啓どうぐだ。



 “封龍の祠シリーズ”由来のモノと比べても、遜色がまるでない程に強靭かつ無比。



 加えて……



「(……アイツが本当に『飛べない』かどうかも、まだ分からないしね)」



 彼の表情から察するに、飛ばれると面倒だったのは確かだろう。


 しかし、「飛ばれると面倒だ」ということと、「全く飛べない」ということは必ずしも等号関係ではない。



「(更なる変身、あるいはそれ以外の何かを使った奥の手…………いずれにせよ、アイツが『飛べない』ものだと決めつけるのは、危険だわ)」




 己の知性を限界まで回しながら、少女は懸命に考える。



 つけいる隙はないか?

 彼が更なる奥の手を隠しているとするならば、それはどのような類いの代物なのか?

 仕掛けてくるタイミングは?

 何がどの位あれば、彼と対等に戦える?




 考える。

 少女はひたすらに考える。

 勝つために。

 そして自分の全てを彼に感じてもらうために。

 考える。考える。魂を燃やして、心を束ねて、強靭な意志を以て、彼の事だけを考える。



 空の大海に漂う沈黙。

 一体どれだけの時間が流れたのだろうか。

 それすらも分からない程に、思索にふけったその先で




『ならば、我を喰らえ主よ。さすれば汝の望みはあたわれる』



 彼女の相棒が、再びその誘いを口にした。




『今の汝では、あの者を喰らえぬぞ。個としての出力が足りぬ』


 龍の言い分は正しい。


 そう。結局のところ問題は出力そこなのだ。

 今の火荊ナラカと『ファフニール』では、彼の<骸龍器ザッハーク>を越えられない。


 敵にはかすり傷一つ負わせられず、一方こちら側は相手の攻撃を受ければ即死亡KOである。



 あそこで思いきって裸体を見せなければ、恐らく逃げることも叶わなかっただろう。



 彼我の戦力差は歴然。

 手段を選んでいられる立場ではないことなど百も承知である。



 けれども。



『契約者よ、勝利に飢えし幼き龍よ。今こそ我を喰らい、羽化を果たせ』



「お断りよ」




 微笑と共に発せられたその言葉こそが、全て。



 火荊ナラカは、炎龍ファフニールを喰らわない。


 これはもう、少女の中では確定事項だった。



「別にこの勝負に負けたってアタシは死にやしないわ。シミュレーションの喧嘩ごときで、自分の相棒消し飛ばす馬鹿がどこにいるってのよ」

『しかし』 

「あー、うるさいうるさい! 兎に角アンタは大人しくアタシに協力してりゃあ良いの! どうせ死ぬなら、アタシの為にキリキリ働いてからお死になさいな。自己犠牲なんて今時流行んないわよ、このダサドラ



 解せない、と炎龍は思った。



 先程までの彼女は、『龍喰らい』を完全に受け入れていた。


 強くなるためにと、必ず勝つためにとそのように自分に言い聞かせながら、己の精霊を喰らおうとする龍人の少女。


 その姿をみて、炎龍ファフニールは、ようやく自由になれるのだと胸の底から安堵を覚えたのである。



 ……それが、どうしてこうなった?



 今の少女に澱みはない。

 焦りもなければ悲壮感もなく、ただ年相応の笑顔で笑うばかりだ。




『何故だ、契約者よ。何故我を喰らわん? 今我を取り込めば、汝の望みはすぐに叶うのだぞ? 強くなりたいのだろう、あの男に勝ちたいのだろう?』

「愚問ね。まるで世界の理が分かっちゃいないわ、ファフニール。こんな絶好の機会を棒に振ってまでアンタを喰わない理由なんて、……そんなもん一つしかないじゃない」



 そして少女は、青空に負けないほど晴れ晴れとした笑顔でこう言ったのだ。




「アタシ、アンタのことが好きなのよ」





 それが、それこそが少女が至った答えだった。




「小さい頃からずっと見守ってくれてありがとう。いつもアタシを助けてくれてありがとう」



 まるで人間かれから貰ったばかりのそのことばを返すかのように、少女は己自身すら気づいていなかった本当の気持ちを、相棒の龍に説いていく。




「ずっと周りは敵だらけだと思ってたけどさ、アタシにはずっとアンタがいたのよね。そんなことすら気づかずにアタシは独りぼっちを気取ってた。ホント、馬鹿みたい。少しだけ自分が嫌になるわ」



 僅かばかりの自嘲を含んだその文言は、しかし驚く程に穏やかで、優しかった。




「そんな恩人のアンタに、アタシはまだ何も返せてない。いつだって貰ってばかりで、……甘えてばかりだった」




 暗殺者の言葉を思い出す。




『いつまでも甘えてんじゃねぇぞ、ガキが』




「(……えぇ、そうね。本当にその通り)」



 誰かの献身けんしんを当たり前だと甘えていた。


 その陰にどれだけの労力や厚意があったのかなど考えもせずに甘え続けた。


 そして、自分はそんな生き方を貫ける程の強さを持ち合わせていなかったのである。




『……その言葉が本心であるというのなら、我を喰らえ。さすれば我の献身は報われる』

「そんなのウソね。アンタの望みは死ぬ事じゃない。アンタはただ、“この惨めな状況から抜け出したい”と思ってるだけよ」 

『同じ意味だ』

「全く違うわ」



 半裸の少女は、龍の反論をぴしゃりと否定した。



「故郷を追われて、自分を奪われて、代々火荊家アタシたちにコキ使われてきた。えぇ、成る程。全てを諦めたくなるには十分すぎる位の地獄だわ。もしも同じ立ち場だったら、きっとアタシもアンタと一緒の事を考えていたでしょうね」



 全てを奪われ、搾取されるだけの生――――想像するだけでおぞましく、そして彼にソレを強いてきた一族ものたちの末端として深く深く恥じ入るばかりである。



 けれども、あるいはだからこそ。




「だけどアンタにはアタシがいる。アタシがずっと傍にいる」



 

 それは“火荊家”のナラカとしてではなく、火荊ナラカという個人が辿り着いた宣誓やくそくだった。




「アンタの名誉も、在り方も、そして故郷の空も、全部全部アタシが取り返してあげる」

『……そんな事、不可能だ』

「できるわ。だってこのアタシよ。火荊ナラカ様よ。いずれ“龍生九士”になって、ううんその先の“真龍さいきょう”になって、それで……なオスと一緒に“龍宇大”を統べるの。どうっ、凄いでしょ! 凄いって言いなさい! 流石ですナラカ様と崇め奉るならここをおいて他にないわよ!」



 「ワッハッハ!」と豪快に笑いながら、そんな夢物語を空に謳い上げる龍人の少女。



 不可能だ、とファフニールの理性は結論付けた。

 だって、何もかもが足りなさ過ぎる。

 たかが人間が、“真龍”になって“龍宇大”を統べる?

 なんという戯言、あまりにも荒唐無稽。

 世間を知らぬ幼児が抱く妄想でさえ、これと比べたら幾ばくかマシだろう。




「そしたら、アンタは超絶勝ち組みよ! 龍の世界を支配する女王様の忠臣とか滅茶苦茶おいしいポジションよ! アンタを追いだした馬鹿な連中を全員ざまぁみろって見返して、それからのんびり幸せなスローライフを送って、なんかものすごいハーレムとか作っちゃったりすんの! どう? 最高にイカしてるでしょ?」



 しかしその一方で、彼の記憶は「彼女の在り方」にもの懐かしさを感じていた。



 この馬鹿な少女に勝るとも劣らない程の“欲張り者”が、かつて龍宇大の空にいた事を久方ぶりに思い出したのである。



 ――――誰よりも強くなれると信じていた。

 ――――何よりも自由だという誇りがあった。



 住処を追われ、在り方を奪われて、それでも魂の奥底に残り続けた黄金の日々の記憶。



 あぁ、そうだ。

 自分は死にたかったんじゃない。

 自分の望みはあの場所に、龍宇大の空に帰ることだったのだ。


 それを、ようやく思い出す事が出来た。


 この素晴らしいクソッタレな主の発した強欲ねがいによって。



『…………いいだろう、火荊ナラカ。今はお前の口車に乗ってやる』



 

 だから、ファフニールは諦めた。

 ここで死ぬ事を諦めたのである。



「へぇ。随分と物分かりがいいのね。一体この短い間にどんな心境の変化があったっていうの?」

『お前と同じだよ。自分でも気づかなかったのだが、どうやら我もあてられやすい性質タチのようだ』

「あら、そ。まぁ、機嫌が直ったのならそれでいいわ。んじゃあ気を取り直してアイツを押し倒す――――じゃなかったハッ倒す方法考えるわよ」

『それなのだが、一つ提案がある』




 そうしてほんの少しだけ欲を取り戻した無欲の龍は、彼の主に向かってささやいた。




『我を喰らわず、龍喰らいの力が得られるとしたら、お前様はどうするね?』










◆◆




 全身が燃えるように熱い。


 身体はおろか、魂までもが火炙ひあぶり状態。


 最早、痛いとか苦しいとかそういう次元の話ではなかった。


 一秒毎にアタシの身体が八つ裂きにされて、焼き尽くされて、そして時間が撒き戻り、また八つ裂きにされてみたいなシチュエーションを千倍くらい酷くしたような感覚とでも言えばいいのかしら、まぁ兎に角酷いものよ。


 燃やされて、切り刻まれて、治されて、また燃やされる。




 仮想の世界で、痛覚を遮断されているにも関わらずどうしようもなくのは、きっとこの力の源泉が第六感霊覚よりも更に奥にあるからなのでしょうね。



 全く、どうしてアタシがこんな酷い目に合わなければならないのか。




『それはお前様が、あの男に勝ちたいからであろう?』



 この有様を作り出した張本人からの煽りに、アタシは青筋を立てながら答える。


 が偉そうに。


 吐きだしたらダメ、飲みこんでもアウト。


 全く、こんな不安定な状態でよくもそんな軽口が叩けるわね。




「えぇ、勿論もちろん。勝ちたくて勝ちたくてたまらないわ」



 言っている内に何故だか、口角が上がって来た。



 アイツに勝ちたいし、ファフニールも失いたくない。


 それが今のアタシの嘘偽りない本音。


 妥協なんてしない。

 火荊ナラカは今も昔もこれから先も、欲しいものを全部手に入れて生きていく。


 だからその為に火炎地獄コレが必要だっていうのなら。




「ッ!」

『痛むかね』

「べっつに。ただ全身がちょっとばかしバーベキュー状態なだけ。大した問題じゃ――――ッ! ないわぁっ。それよりもコレ、どれくらい保つの?」

『五か、十か。いずれにせよ長くは持続できまい。お前様次第では、更に縮むだろうな』

「うっわ、超いい加減ファジー。ソレ、“良く分かんないけど多分短いかも”って言ってるのと一緒よ」

『仕方あるまい。我も初めてなのだ。というか』




『ぶっちゃけ、ただの思いつきだし』






◆◆◆




 死にたがりの龍がいた。

 死ぬ寸前の少女がいた。


 龍は己の身を少女に差し出し、少女は新たな龍となった。



 “龍喰らい”

 龍を喰らいし異端のモノ。

 その在り方は王道に非ず。

 その成り方は正義とされず。


 生き返った少女につきつけられた現実は、戦線送りという名の地獄だった。


 成功しなければ、お前を『解体する』と両親に脅された。

 何も知らない馬鹿共は、少女の事を悪しきモノだと疎んじた。

 全てを知る龍達は、体の良い生体兵器オモチャとしてひたすら少女に殺戮けいけんを積ませた。



 味方なんていなかった。

 求められるモノはいつだって成果で、過程がどうであろうと知った事ではない。



 生き残る為に誰かを殺した。

 命じられれば親だって焼いた。



 勝ちこそが価値なのだと、それだけを信じて上を目指した。




“アンタ達の敗因は、アタシを信じた事。仲間? 絆? 馬鹿馬鹿しい。そんなものにすがらないと生きていけない程弱いから、アンタ達はここで死ぬのよ”



 やがて少女は狻猊ほんものとなり、かつての龍宇大あこがれに復讐を開始する。



 大切なものなど何もない。

 龍も人も皆等しく滅べばいいと笑いながら、世界に怨讐の禍炎をもたらす煉獄の使者。




 それが少女の運命。


 それが少女の摂理。


 それが少女の結末。





 そしてその筋書きは、絶対の








◆◆◆ 





 その流星は音を置き去りにして着地した。



 世界が燃える。

 少女の辿った軌跡に沿って燃え上がる。


 鳴動する天変地異。

 足を降ろすだけで変わる地形。


 大地が爆ぜる。

 大気がける。



 そして

 


「待たせたわね、凶一郎ダーリン。ちょっとお色直しに時間がかかっちゃた」


 

 そして運命の転輪に、ifもしもの亀裂が走り出した。






―――――――――――――――――――――――




・クロスシステム――――ダンマギシリーズに勃興した精霊と人間の融合技術の総称。詳細は次回。



Q:ナラカ様は覚醒したんですか? 眷族神になったんですか?

A:どちらも否です。時間と因果の女神四番目の関与も無窮覇龍六番目の目論見もありません。火荊ナラカという人間と、ファフニールという精霊が至った正真正銘彼女達だけの答えです。








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