第百四十一話 完璧とは程遠く、されどあまりにも人間的な









 《思考通信》は次元の壁を越える事はできない。



 そして《思念共有》は、およそ特別な事情でもない限り契約した精霊との間でしか使えない。




 だから今ここで彼女の声が聞こえるはずがなくて


 幻聴やアルの声真似の可能性を疑った方がまだ建設的で




『凶さんっ! そこにいるのは、君なんだよねっ』




 だけど、あぁ、わかってしまう。



 本能が、魂が、そして俺を構成するありとあらゆる要素が無条件にその奇跡を受け入れていた。


 “彼女”は本物だ。


 本物の――――




『遥……』

『やっぱり……っ! 凶さんだ。凶さんだぁっ』



 

 その太陽のような暖かい声が脳を震わせた瞬間、俺の左目から感情の雫が垂れた。



『なんで……?』

『あたしも全然分かんないっ。ただいつものように凶さんに会いたいなぁ、凶さん何してるかなぁって考えてたら急に君の声が聞こえてきて』




 それで気づいたらこうなっていたと、彼女は弾む声で教えてくれた。



 何が何だか分からない。

 唯一のヒントは、これがアルのお膳立てによるものであるという事だけだ。



『なぁ、遥。お前アルと?』

『んー? んー、。なんでそこでアルちゃんの名前が出てくるのかもわかんないし、だけど、どっかでアルちゃんと大切なお話をしたような気もするし、なんだろ、この状況に驚いている自分あたしがいる一方で、そんなに驚いていないあたしもいる……みたいな感じ?』




 遥の解答は、全く要領を得ないものだった。


 分かるような、分からないような――――基本的に物事を白黒バッサリ切り裂くタイプの彼女にしては、珍しく曖昧グレイな反応。



『そっか、分かんないならしょうがないな』

『しょうがないにゃー』



 だけど、そんな事は本当にどうでもよかった。


 今俺の心の中には、遥がいる。


 世界で一番大好きな人と繋がっている。


 この幸福じじつに比べれば、真実や理屈なんてクソ程の価値もない。


 遥の声が聞こえる。


 遥の心と触れ合えている。


 遥。遥。蒼乃遥。



 俺の弱い部分を誰よりも理解してくれる人。



『辛い。ものすごく辛ぇんだ、遥』



 そんな彼女を前にして、下手な小細工つよがりなど出来るはずもなく、気がつくと俺は目頭を熱くしながらこれまでの経緯を彼女に語っていた。



 こんなのは紳士のやる事じゃない。

 こんなのは全然男らしくない。

 スマートでもなければ、甲斐性もなく、愚かで、利己的で、まるで幼児が母親に甘えているかのような情けなさである。




 だけど



『毎日不安で仕方がないんだ。俺のミスでとりかえしのつかない事になったらって思いがずっと離れなくって……』




 だけど今の俺には、そんな風に誰かに気を使えるだけの余裕メモリーがなかったんだよ。




『上手くいくようにって考えれば考える程自分がわかんなくなっちまってさ、気づいたら花音さんの育成に失敗して、火荊を傷つけて、なのにロクな立て直しリカバリー案が浮かばなくって』




 これまで貯め込んできた感情がせきを切ったかのように溢れだす。




 『亡霊戦士』の事、“笑う鎮魂歌”の事、火荊の事、花音さんの事、事件の真相を知りながら仲間に打ち明けられない罪悪感、敵の思惑にあえて乗っかりながら“善きこと”をする徒労感、ヒイロさんが嫌いで、アズールさんが憎くて、黄さんにムカついて、なのに争い合う彼らの姿がすごく痛ましくって




『俺さぁ、頑張ったんだよ。少しでもこの旅が楽しいものになりますようにって、みんなが笑って過ごせますようにって……必死に、ない知恵を、振り絞ってさ』




 恩を着せる気なんて微塵みじんもない。


 俺が始めた冒険で、俺が集めた仲間達だ。


 リーダーとして彼らを支えるのは当然のことだし、何より全部俺が好きでやってきた事だから。


 だから。


 だけど。


 でも。




『身体がいてえんだ。心が砕けそうなんだ。毎日吐きそうになりながら、何とか取り繕って生きてんだ。それを、その事を、が、何よりも、辛い』




 顔に出さないようにと毎晩、鏡の前で表情を動かす練習をした。


 辛い事を考えそうになった時は、努めて思考を楽観的に染め上げて前向きに振舞った。


 その甲斐あって、誰も、ユピテルすらも騙されてくれる位に仮面をつけるのが巧くなったんだ。

 でも、それがうまくいきすぎて、気づいたら誰も、誰も……。




『情けねぇよなぁ、カッコ悪いよなぁ。気をつけても気をつけても、次から次へと問題が起こるんだ。ほんと、俺ってやつはどうしてこんなに無能なんだっ!』




 ずっとウジウジするなと自分に言い聞かせてきた。


 自分の機嫌は自分で取れと、間違っても他人にぶつけるなと、固く心に留めてやってきたつもりだ。



 自己責任。うまくいかないのは全部自分のせい。


 弱いことを理由に不貞腐れてはならない。



 誰かにこの重荷を背負わせてはならない。



 傲慢にならず、礼を忘れず、そして決して“誰かの為”等とうそぶかず



 だけど自分に出来る範囲のことだけは頑張ろうとして――――





『ごめん……っ、うぅ…………ごめんねぇっ』






 気がつくと、彼女は泣いていた。



 何度も何度も「ごめん」と謝りながら、嗚咽を漏らす恒星系。



『どうして』



 意味が分からなかった。




『どうしてお前が謝るんだよ、遥。お前は何も悪くない。むしろ謝るべきは、こんな情けない愚痴を延々と垂れ流しちまった俺の方で』

『ううん。違う、違うの』



 涙の混じった強い否定の言葉。

 



『あたしが、もしもあたしがそこにいたら、絶対に君を一人になんてさせなかったっ。こんな風に、こんな、こんなボロボロになる前に君の本当の気持ちに気づいてあげられたっ。辛かったねぇ、苦しかったねぇ、本当に一人で、……っ一人でよく頑張ったねぇ』



 頬を伝う涙の雨が止まらない。


 あぁ、……あぁ、そっか。


 俺、ずっとこう言われたかったんだ。



 よく頑張ったねって。



 ずっと辛かったねって。



 そんな風に、誰かに分かって欲しくって



『俺さぁ、がんばったんだ』

『うんっ、君は、君はずーっと頑張ってたよ』

『俺さぁ、ずっとつらかったんだ』

『うんっ、聞かせて。君の気持ちを全部、全部』

『……っ! 俺さぁ、おれさぁ…………』

『うんっ、……うんっ』




 深く被った仮面ががれていく。


 中に眠っていたのはき出しの自我エゴ


 誰にも見せまいと/けれども同時に誰かに見つけて欲しいと


 どうしようもなく愚かで/どうしようもなく愛しかった本当の願い。




 それを暴かれた事がたまらなく恥ずかしく、そして嬉しくって



 俺は姿の見えない彼女のそばで、ずっとずっと泣き続けたんだ。










『どう、少しは落ち着いた?』




 一頻ひとしきりの話を終えて、一頻りの涙を流し切って



 そうしてようやく俺の心が立ち直りかけた絶妙のタイミングで、彼女は優しく問いかけた。



『あぁ。……ありがとう、遥。お前のおかげで大分楽になれた』

『お礼なんて言わないで。あたしが君の心に寄り添うのは、あたしがそうしたいからなんだよ――――あっ、ねぇねぇ。今の台詞、ちょっと凶さんっぽくなかった?』

『……えっと、ごめん。どの辺が?』



 にしし、と悪戯っぽい笑い声を上げる恒星系。


 


『お節介焼く時に、必ず“自分のためだー”って言い訳するところ。やー、我ながら旦那様への理解度が半端ないにゃー』

『俺、そんな事言ってたっけ?』

『しょっちゅーいってるよぉ』



 呆れるような、そしてそれすらも愛しているかのような、そんな不思議なトーンで遥は言葉を紡いでいく。




『君は意地っ張りというか照れ屋さんだから、本当は“誰かの為に”って思っていても、それを“自分の為だ”っていう風に置き換えて、いや書き換えてかな――――まぁ、どっちでもいいや。兎に角そんな風に言い換えて、良い様に変えて、なんだかんだと結局だれかを助けちゃう、そんな嘘つき人間ヒーローなんだ。少なくともあたしの中では、ずっとそう』

『買いかぶり過ぎだよ。俺が色々やるのは、結局のところ自分の人生の為であって』

『そりゃあ人間なんだから、当然そういう側面もあるんだろうけどさ、君は人並み以上に人の為に動ける人間なんだよ、凶さん』




 思わず変な笑みがこぼれてしまう。


 これまた随分と可愛い勘違いをしてくれちゃって。



『ないよ、ないない。だって俺、そういうの大っ嫌いだから。“誰かの為に”とか“お人好し”とか、そういう単語を見ただけで吐き気がするもん』

『それはそういう言葉を傘にして、自分の価値観を押しつける人達が許せないだけでしょ? 大丈夫だよ、凶さん。傍からみれば、いやあたしの目から見ても君は十分おひと』

『やめてやめて、マジでやめて!』



 あぶねー、心臓がキュッてなったわ。

 なんちゅー事を言い出すんだこの最愛カノジョ

 


『俺そんな偽善者じゃないから! 理想主義者じゃないから! バリバリの完全自由主義者でゴリゴリの現実主義者リアリストだからっ!』

『ぷっ、くくくっ! あははははっ! ちょっと凶さん、その冗談は無理があるって。君が現実主義者って……くくっ、あー、ダメだ。これ完全にツボに入っちゃった……く……くくくっ』




 どうやら俺の吐いた文言が相当お気に召したらしい。



 それから数分間、遥は世界一綺麗な声をカラカラと鳴らしながら、笑い続けたのだった。




『何がおかしいんっすか、遥さんや。俺はいつだって現実的なプランを練り上げてきたつもりなんだが』

『現実的なプランて。“半年で五大ダンジョンを二つも踏破する”なんて仰られていた方の言葉とは到底思えませんなぁ』

『ぐ……っ』



 その返し手は、なんというか反則だろう。



 今日の遥さんはちょっとだけ意地悪だ。




『凶さんはね、行動する理想主義者なんだよ。どんな無理難題も一生懸命考えて行動して、それでも足りなければ誰かの力を借りてでも理想ユメを叶えるそんな人。だから好きなの。ワクワクするの。もしも君が現実なんてこんなもんだーってはなから諦めてるような人だったら、あたしはきっと落ちなかったゾ』




 頬が熱い。

 触ってみると耳も、首も、心臓も……ていうかもう身体中が茹でたタコのように赤くて熱い。




『大好きだよ、凶一郎。恥ずかしがり屋さんなところも、頑張りすぎちゃって時々パンクしちゃうところも、自分の為って言いながら誰かを助けちゃうヘソ曲がりなところも、実は意外と泣き虫さんでほんとは甘えんぼさんなところもぜんぶぜんぶだーいすき』




 改めて思う。


 知ってはいたし、惚れた弱みというのもあるのかもしれないが、でもやっぱり、疑う余地もない程に俺の彼女は





『ずっと君の事を想ってる。どんな時でも、どれだけ離れていても、あたしの心は君と共にあるから。どうかそれを忘れないでね、旦那様』





 俺の最愛カノジョは、最高だ。









―――――――――――――――――――――――



・『天城』完全攻略への課題



 ①自身のメンタルの回復(達成)


 ②火荊ナラカとの関係修復


 ③空樹花音の育成


 ④亡霊戦士事件の解決




・遥さん



 この後、それはそれとしてやんわりとダメ出しを受けました。


 主に遥さんから指摘を受けたのは要約すると「放っておくとすぐに貯め込み過ぎるところ」、「真面目すぎて全部自分でやろうとしてしまうところ」、「変なところ(表情筋を鍛えてポーカーフェイスをマスターしたり)に拘ってたまに本質を見失いがちなところ」、「(実際はゲーム知識に準じたものではあるのだが)、うっすらと○○はこうであるという決めつけのようなものがある」、「自分自身を『下』に見がち」等といった割とボコボコな内容。



 ただし遥さんは、邪神と違って言葉をちゃんと選ぶ上に一個指摘したら百個ぐらい褒め、更に言えば実はその欠点すらも愛らしく思っているので、ゴリラもグジグジせずに「確かにそういうところがあるかもなぁ」と自分を見つめ直せました。


 たっぷり褒めたり慰めたりした後で、本人が治したいと思っている部分をすっごく優しくアドバイスをするのが遥さんのスタイルです。




・ゴリラ



 良くも悪くも真面目で責任感が強く、そして強がり屋。後、自分に対して嘘つき。

 それでいてメンタル面の丈夫さは凡人並み(第一部六十四話、第八十五話後日談あたりが顕著)なので、一回ダメダメモードに入るとものすごく脆くなるが、そこを無駄に高い意志力や事務処理能力で解決してしまうので表面上は上手くいっているように見えてしまうところが業深い。



 第一部六十四話における旦那との修行エピソードの話辺りが顕著であるが、自分の弱さや至らなさに対してものすごく自責的である為、放っておくと拗らせる上に、あろうことかきらいがある。

 定期的に誰かが「メッ!」しないとどんどん悪い方向に(それでいて成果だけはだす)進化を遂げる困ったさん。



 邪神が干渉しなかった世界の六十四話部分では、遥さんによるスペシャルケアがないまま旦那との修行を乗り越えてしまったので、「一人でやらなきゃ」という決めつけ病が悪化し、その事が巡り巡って遥さん離脱の遠因になったとかならなかったとか。


 


・ナラカ様



 本人は無自覚であるが、「貯め込むと悪い方向にいく癖に、放っておくと一人で全部やろうとしてしまう」ゴリラの事を人知れず救っていた。百三十六話の感謝の言葉は心からのもの。



・邪神


仕方なく眷属神と契約者を繋ぎ、この場を設けた。無言でコントローラーをぶん投げている。






・亡霊戦士関連



 前回もお話した通り、ゴリラが「何に」怒っていて、「どうして」苛ついていたのかという不明瞭な部分を軸に仮定を構築していくと真相に辿りつける……かも?

 










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