第八十話 リザルト










 酷い顔だ、と邪龍王は思った。



 己の心臓に終末を突き刺したその男の顔は血だらけで、吐く息も荒く、何より大層疲れている。


 勝利した者が抱く愉悦はなく、まるで自分が敗れたかのようにうめく男。



 されど勝者は紛れもなくこの男であり、敗れたのは己なのだ。



 なぜ自分は負けたのか。


 幾ばくもない今生の猶予の瞬間を、邪龍王はこの命題を解くことに費やした。



 単純な実力差ではない。

 ステータスは己が圧倒していたはずだし、最終的には全ての縛りも消えていた。

 故にこの敗北は個のスペックに基因するものではない、と邪龍王は結論付ける。



 では、頭数の問題だろうか。

 絆や仲間などといった弱者共がこぞって祭り上げる絵空事が勝敗を分けたとでも?

 恐らくは目の前の弱者は「そうだ」と肯定するだろう。

 しかし、ザッハークはこれが否であることを知っている。


 彼ら四人の連携に、邪龍王が一時的に追い詰められたのは事実だ。

 だがしかし、己はそれを■■の力で打破している。

 そしてその力は、確実に彼らを追い詰めていたはずなのだ。

 


 だから己の敗因は、数の差ではない。

 最後の一騎討ちを征することさえ叶っていれば、己は彼らに勝っていたのだから。



 個人の力量ではない。

 数の問題でもなく、ましてや空疎な精神論など論外だ。



 では、何故己は負けたのか? 一体何が足りなかったというのだろうか?




 男の顔を見やる。

 今にも倒れそうな瀬戸際ギリギリの瞳。


 未だに信じることができない。

 なぜこのような男に全力以上の己が――――



「――――」

 


 そこでハタと気づいた。


 


 <崩界術式>を破った砲撃手、自身の武練と龍麟を切り裂いた剣術使いに、己を越える悪魔を宿した黒鋼の騎士。


 彼らの戦闘は、余りにも無駄が無さすぎた。


 適材適所等という次元の話ではない。

 アジ・ダハーカとザッハーク、そして復活を遂げた己の敵対者として、あつらえたような人材配置。


 この領域に辿り着いた侵入者は、彼らが初めてであるにもかかわらず、全ての形態に完璧な適応をみせていたという矛盾。


 つまり、彼らは事前に対策を練っていたのだ。

 経緯は不明だが、彼らはアジ・ダハーカを知っていた。ザッハークを知っていた。

 だから数多の初見殺しを、その都度的確な手段カードさばき切れたのだろう。

 


 対して、己は彼らを知らなかった。

 彼らの伏せ札を幾つかの幸運と強引な力技で乗り越えてはきたものの、終始後手に回っていたという自覚はある。



 手札の質ではなく、相手の手札を見ぬけていたかどうか。 


 きっとその差が、此度こたびの趨勢を分けたのだろう。


 あぁ、そうとも。


 最後の攻防も、結局は初見殺しの延長だ。


 もしもこの男が、事前に一度でも拘束の鎖を使っていれば斯様かような結末には至らなかったはずなのだ。



 どれだけ痛めつけられても、たとえ死の間際まで追い詰められたとしても、頑なに開かなかった伏せ札。



 敵を知り、その上で己の隠し牙を悟らせなかった。



 それはつまるところ、知識と謀略という点において、この男が己を上回っていたという証左に他ならない。



 強い者が勝ち、弱い者が負ける。


 しからば、知謀に劣っていた己が負けるのもまた摂理。



 ならば是非もなし。


 この敗北もまた、己の奉じた道の上に在り。


 しからば、微塵の悔悟かいご慟哭どうこくもありはせず


 そして



「――――」



 そして、常闇の王は無明の闇へと霧散きかんした。


 ただ、静かに

 何も残さず

 茫洋と






◆◆◆リザルトアナウンス






【“邪龍”アジ・ダハーカ並びに“邪龍王”ザッハークの沈黙を確認致しました。これにより桜花第三百三十六番ダンジョン『常闇』の完全攻略が成し遂げられました。おめでとうございます】



【完全攻略者の一覧に清水凶一郎、蒼乃遥、清水ユピテルの三名を新規登録致しました】


【黒騎士の登録情報を更新致しました】



【清水ユピテルのロールを更新。リミテッドロール『破界砲撃手』を新規習得、これに伴いロール専用スキルを解放致します】



【蒼乃遥のロールを更新。エクストラリミテッドロール『天元剣術使い』を新規創造、これに伴いロール専用スキルを解放致します】



【清水凶一郎のロールを更新。リミテッドロール『覆す者マストカウンター』を新規習得、これに伴いロール専用スキルを解放致します】



【資格要件が満たされた為、清水凶一郎、蒼乃遥、清水ユピテルの三名に称号『エビルドラゴンスレイヤーⅠ』、『ジャイアントキリングⅠ』、『初見踏破』を授与致します】



【昇格要件が満たされた為、黒騎士の称号『エビルドラゴンスレイヤーⅢ』を『エビルドラゴンスレイヤーⅣ』にランクアップ致します】




【挑戦者へのリソース分配、完了。討伐レコードに冒険者清水凶一郎の名を記録致します】



【最終階層守護者討伐報酬、天啓<天災をカラミティ齎す者ブリンガー>を清水ユピテルに贈呈致します】



【最終階層守護者討伐報酬、天啓<龍哭>を蒼乃遥に贈呈致します】



【抽選結果、的中。最終守護者討伐報酬、天啓<終わりなき屍山血河ペイヴァルアスプ>を黒騎士に贈呈致します。これに伴い黒騎士の称号『七天』を『八天』にランクアップ致します】



【最終階層守護者討伐報酬、天啓<骸龍器ザッハーク>を清水凶一郎に贈呈致します】



【権限解放。清水凶一郎、蒼乃遥、清水ユピテル、黒騎士の四名に当ダンジョンの自由交通フリーアクセス権を授与致します】



【宝物層解放。当ダンジョンに新たな層が追加されました。細やかではございますが、皆様の偉業に報いるべく記念の品を用意致しております。お帰りの前に、どうか一度立ち寄っていただけると幸いです】



【以上を持ちまして、ダンジョン『常闇』最終階層守護者戦のリザルトアナウンスを終了致します。また、どこかの世界ダンジョンで皆様の活躍が観られることを、運営一同心待にしております。お疲れさまでした】









◆◆◆ダンジョン都市桜花・第三百三十六番ダンジョン『常闇』最終層・邪龍王域:『覆す者マストカウンター』清水凶一郎




 色々と理解が追いつかなかった。



 旦那の天啓所持数が原作越えしたこととか、遥に唯一無二のエクストラ特殊固有リミテッドロールがついたこととか、それに何より<骸龍器ザッハーク>だ。そんな名前の天啓は、見たことも聞いたこともない。



 ダンマギ時代に存在しなかったはずの謎の天啓…………ちくしょう、超試してぇ。


 

 だけどオタク心や一冒険者としてとの興味よりも睡眠欲の方が強くって、眠りたい気持ちよりも早くアレを手に入れなければという使命感の方が勝っていて




「悪い。みんな、もう少しだけ付き合ってくれ」



 だから俺は、ボロボロの身体を引きずりながら足早に宝物層へと向かったのだ。







 そこから家に帰るまでの記憶は、ほとんどない。



 風光明媚な風景と大量のプルプル星人達が出迎えてくれた宝物庫、帰還した俺達を待っていてくれた沢山の人達の喝采、旦那とユピテルが気を利かせてくれて俺達を先に帰してくれたこと、タクシーの中で感じた柔らかい感触…………どれも得難い経験だったはずなのに、残っているのはその断片だけ。



 我ながら大変惜しいことをしたと思う。

 やり直せるものなら、もう一度ちゃんと味わいたいものだ。



「お帰りなさい、マスター」



 けれど、とても残念なことに、俺の記憶が鮮明さを取り戻したのは、家に帰った直後からなのである。




◆清水家

 




「ただいま、アル。姉さんは?」

「奥で休んでおります」



 その一言で、全てを悟る。

 やっぱりあの時、間に合ったのは……。



「そっか。じゃあ、ちょっと行ってくる」

「その前に、何か言いたいことはないのですか?――――今ならば特別に恨み言の一つや二つくらい大目に見てあげますよ、マスター」



 肩を貸してくれている遥の美貌が「何の話?」と疑問符を浮かべている。


 恨み言、ね。



「ンなもんねぇよ。……いや、訂正。一つだけあったわ」



 話についていけていない遥さんの頭を優しく撫でながら、深々と頭を下げる。



 それは恨み言ではないけれど、決戦前に受け取ってもらえなかった言葉。


 そして、今こそ言うべき言葉でもある。



「ありがとう、アル。お前のおかげでここまで来れた」

「…………遥はこちらで預かっておきます。マスターは、急ぎ文香の元へ」



 愛しの彼女と離れることに俺の身体が細胞レベルで拒否反応を示していたが、こればかりは仕方がない。



「すまん、遥。ちょっと姉さんの様子を見てくるから、居間で寛いでてくれ」

「文香さん、どこか具合でも悪いの?」

「心配してくれてありがとな。けど、大丈夫。すぐ元気になるよ」



 そうさ。もう大丈夫なんだ、姉さん。

 やっと、やっと大丈夫になったんだ。






◆清水家・文香の部屋





「ただいま、姉さん。帰って来たよ」



 ふすま越しに返ってきた声は朧気おぼろげだった。



 胸がきしみ、戸にかけた手が震える。


 姉さんがこうなってしまったのは、俺のせいだ。


 ザッハークとの最後の攻防で、《時間加速》を撃つ為にアルが支払った代償もの


 それこそが――――




「おかえりなさい、キョウ君」


 

 ベッドに横たわる姉さんの顔は、病的に白かった。


 こんな姉さんの姿をみるのは本当に久しぶりで、そして二度と拝みたくはなかった。



 万能快癒薬エリクサーの入った瓶を固く握りしめる。


 間に合ったという確かな安堵と、間に合わなかった正史ゲームの記憶。


 グチャグチャだ。現実リアルifもしもがない交ぜになってオレ達の記憶を乱しやがる。




「姉さん」

「よく、帰ってきましたね。キョウ君が無事で、お姉ちゃんとっても嬉しいです」

「そんな事は……」



 そんな事は、どうでもいいんだ。


 オレの身体なんてどうなろうが知ったこっちゃない。


 オレは姉さんさえ無事でいてくれれば、それで……。



「ごめん、姉さん。オレのせいで、姉さんはこんな風に」

「どうしてキョウ君が謝るんですか」

「それは……」




 なんて説明すればいいのか分からない。


 アルからの霊力を供給する為に姉さんにかけていた封印を解いたって説明すればいいのか? 

 しかしそうなるとアルが精霊であることから語り直さなきゃならない。

 それに何より、そんな恩着せがましい台詞を吐きたくないともう一人の自分オレが嫌がるんだ。



 姉さんには何も知らないまま、元気になって欲しかった。


 誰に負い目を感じることもなく、ましてやオレなんかに感謝しなくても済むようにって、ずっとそう思ってやってきたというのに。



「キョウ君、こっちに来て下さい」



 言われるがままに姉さんの枕元に顔を近づける。



「キョウ君」

 


 姉さんの腕が、俺の頬に優しく触れた。



「全部、アルちゃんから聞きました。キョウ君がお姉ちゃんの為にアルちゃんと契約してくれた事、この一年お姉ちゃんの身体を守ってくれていたのはキョウ君とアルちゃんだった事、そしてキョウ君が今日までずっとお姉ちゃんの為に戦ってくれていた事」

「――――っ」



 アル越しに姉さんの伝言が届いた時点で、覚悟はしていた。


 けれどアルは、俺が思っていた以上に色々と話していたらしい。


 それは奴なりの義理立てだったのかもしれない。

 ……だけどやっぱり黙っていて欲しかったよ、アル。



「全部、言い訳に聞こえるかもしれないけど」

「また謝ろうとしています。キョウ君は」



 何も悪い事をしていないのに、という姉の一言がどうしようもなく胸に刺さる。



「ちがうんだ、姉さん」



 その言葉が、無性に耐えられなくて



「オレは、たくさん悪い事をしてきたんだよ」



 いつしかオレは、ここではない自分の記憶を語り始めていた。



「日々、弱っていく姉さんを見るのが辛くって、何もできない自分が大嫌いで」



 それで、少しでも罪悪感を減らす為に冒険者になった。

 けれど、戦うのも人付き合いもうまくないオレは何の成果も上げられなくって。


 姉さんの為にって始めたはずの冒険者活動が、いつしか辛い現実から逃げる為の逃避場所に変わっていたんだ。



「オレは、姉さんの為にって言いながら、姉さんから逃げてたんだよ。何かしている自分に酔って、姉さんがいなくなった時の言い訳作りに必死になって、ロクに家にも帰らなくなって、それで、それで――――」



 それで最後は短絡的な行動に走り、あっけなく死んだのだ。



 なんで俺の中にゲーム外の記憶があるのかは分からない。


 けれど、オレが語るその言葉には、確かな重みがあった。



 イキって、ボコられて、死ぬ。


 それだけの役割しか持たなかったはずの男の、あまりにも浅ましく、罪深い末路正史



「ありがとう」




 それでも。



「そんなにボロボロになるまで、一人で頑張ってくれたキョウ君がお姉ちゃんはだいすきです」



 それでも姉さんは、オレ達を大好きだと言ってくれた。



「だからっ、ちがうんだって。オレは姉さんにそんなことを言ってもらえる資格なんてないんだよ」

「いいえ。あなたは私の誇りです。私の最愛の弟です。世界で一番すごい子です。ありがとう、キョウ君、ずっとずっとお姉ちゃんの為に頑張ってくれて」



 そこで、もう駄目だった。


 目から溢れる感情の雫がどういった理由で流れてきたものなのかも分からずに、オレは小さかったころのように泣きじゃくる。



 ごめん、と謝る度に、ありがとうが返ってくる。


 俺のせいで、と自分を責めようとすると、あなたのおかげだとほめてくれた。




「ありがとう、キョウ君。お姉ちゃんの弟として生まれてきてくれて、ありがとう」




 あぁ、その言葉こそが、この長い旅路で得た最も輝く宝物だったのだ。






――――――――――――――――――――――――



・次回 三章エピローグ




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