Chapter8-6 後継者と商人(1)
オルカより告白を受けた翌日。本日は学園があるんだが、オレは登校前に執務室へ足を運んでいた。自分のデスクに座り、二つの資料へ目を通している。
ほぼ明け方の早朝とあって、オレ以外には誰も詰めていなかったんだが――
「失礼するわ」
「お邪魔する」
ノックの後、ミネルヴァとニナが入室してきた。
この二人が執務室に来るのは、とても珍しいことだった。
片や婚約者とはいえ、未だ他家の令嬢。片や二つ名持ちとはいえ、一介の冒険者に過ぎない。そういった各々の立場を考慮して、こういった機密にも触れやすい場所には、近づかないよう気をつけていると聞いていた。
何か緊急事態かと身構えていると、ミネルヴァが苦笑を漏らす。
「警戒しなくても大丈夫よ。危急の用件じゃないから」
「急いでるなら、
「それもそうか」
日々アップデートを続けている
ただ、一つ納得したものの、根本の疑問が解決していなかった。
「じゃあ、どうしたんだ? キミらがココに来るなんて珍しいじゃないか」
朝食の場や学園への道中等、顔を合わせる機会はいくらでもあった。緊急でないのなら、わざわざ執務室に足を運ぶ理由もないはずだ。
その問いには、ニナが端的に答えた。
「オルカの件。どうなったのか、気掛かりだった」
「なるほど。場合によっちゃ、他だと尋ねにくいか」
一昨日、例の円卓部屋にオルカを連れ込んでいたのは知っていた。そこで、エクラの一件について話し合ったんだろう。ゆえに、事の顛末……というよりも、オレたちが何を話したのかが気になるみたいだな。結論自体は、ミネルヴァたちと話し合った時点で下していたようだし。
うーん、何て答えたら良いかな。
幾秒かの逡巡の後、簡潔な返答を口にする。
「結果だけ言おう。オルカに告白された」
「「は?」」
おや、オルカが恋を自覚したことは、ミネルヴァやニナも関知していなかったらしい。
……そういえば、『昨晩のうちに自分を見つめ直した』とか言っていたな。つまり、キッカケは彼女たちでも、気がついたのは一人の時だったわけだ。鈍感だと思っていた人物が即日行動を起こしていれば、確かに青天の霹靂と感じるだろう。
「いや、まぁ、多少は発破をかけたけど……」
「まさか、自覚するとは思わなかった」
「そうよねぇ。私たちは、ランプロスの件に対する彼の本音を聞き出しただけだし」
「鈍感とか言われたから気づいたらしいぞ」
未だに当惑する二人へ補足を告げたところ、異口同音に『嗚呼』と頷いた。
「理詰めで結論を出したってことね。オルカらしいけど、それにしたって妙な自覚の仕方よね」
「即日速攻で告白するのも度胸ある。普通、自覚して即座には動けない」
「何だかんだ、オルカも男の子ってことよね。ついつい忘れるけど」
「うん、忘れる。というか、今も忘れてた」
オルカが聞いたら怒りそうな会話を繰り広げるミネルヴァたち。
まぁ、彼女たちの気持ちも理解できる。ニナの言うように、自覚から告白までのスパンが短かったもんなぁ。今まで牛歩だった関係が、ここに来ての新幹線だ。混乱して当然と言えた。
これが第三者だったら『そういうこともあるか』で済むんだけど、オレは当事者だから厄介だった。
いや、オルカの告白に文句があるわけではなく、オレの心構えが整う暇がなかったという意味だ。そのせいで、中途半端な返事しかできなかったのが情けない。
――っと、オレの情けなさについては置いておこう。
「そんなわけで、オルカに関しては心配いらない。ちゃんと立ち直ってると思う」
「なら良いわ」
「安心した」
こちらがそう締めくくると、ミネルヴァたちはそろって胸を撫で下ろした。二人とも、相当心配していた様子。
それを認めたオレは、ふと疑問に思う。
「そういえば、カロンはどうしたんだ? あの子なら、この場に駆けつけてても不思議じゃないのに」
家族のためなら
すると、ミネルヴァとニナは苦笑を溢した。
「駆けつけてたわよ、あなたの寝室に」
「夜這い染みたことをして、それを目撃したシオンに説教されてる」
「時間帯を考慮して、私たちも最初は寝室の方に向かったのよ。そこで、正座させられてるカロラインを見たってわけ」
オレがまだ就寝中と考え、カロンは忍び込んだんだろう。その瞬間をシオンに見つかってしまったと。
「何て言うか……ドンドン過激になってないか、カロン」
「あの子に関しては、もう受け入れるしかないわ。分かってるんでしょう?」
「諦めが肝心」
「ハァ」
二人のまったく役に立たないアドバイスに、溜息が漏れた。
たしかに、カロンについては受け入れるしかないんだが、もう少し落ち着いてほしいとも思う。
そんなオレの反応を見たミネルヴァが言う。
「今は中途半端な立ち位置だから、少し焦ってるだけよ。一度受け入れれば、ある程度は落ち着くわ」
「つまり、しばらくは耐えるしかないか」
「そうね」
さらに妙な方向へ進まないよう、適度にガス抜きをさせるべきかもしれないな。今でも毎日時間を作ってあげているから、密度を上げる方針が良いかな。
話題の切れ目、一旦の静寂が生まれる。
その
「こんな朝早くから、何の仕事をしてるの? というか、あなた、ちゃんと寝てる?」
「それはアタシも気になってた。特に後者」
ニナもその話題に乗っかってきた。
気のせいか、二人の圧力が若干増したよう。
こちらの体調を気遣ったための気迫だろうか。これに突っ込むと藪蛇になりそうなので、大人しく回答しておこう。
オレは肩を竦める。
「ちゃんと寝てるよ。【刻外】のお陰で、睡眠時間を実質カットしてるだけさ。で、何の仕事をしてたのかって言うと、やっと上がってきたエクラ嬢に関する報告書と“アウター”関連の報告書を読んでたんだ」
「【刻外】……あの頭おかしい魔法ね。まぁ、そっちはいいわ。“アウター”はともかく、ランプロスの報告書の提出が今って、ずいぶん遅いわね。結構前から探ってたと思うんだけれど」
「奴隷時代、主が頻繁に変わってたんだよ、彼女。あちこちを転々としてたせいで、なかなか情報が集まらなかったんだ」
「錯綜してたってこと?」
「そう。極めつけは、他国へ売り払われた経験もある。あまり長くはないけど、その期間の詳細は不明だ。さすがに、荒れてる都市国家群の情報を集めるのは難しい」
都市国家群は本当に厄介なんだ。たとえるなら、日本の戦国時代だろうか。あちこちの小国が争いまくっている。こちらにまで飛び火しないのが不思議なくらい。
それだけ混乱している情勢ゆえに、情報収集もままらないわけである。
こちらの答えに、ミネルヴァは眉をひそめた。
「あの子、都市国家群の方にいた時期があるの?」
「一時期、な。最後の主であるイラーカ男爵家に拾われる直前まで、カーシヨ王国の商家に所属していたらしい」
「ふーん」
訝しげな声を漏らすミネルヴァ。
気持ちは分かる。ただでさえ『お家復興』を掲げてキナ臭いエクラだ。その経歴に不透明な部分があると知れば、色々と勘繰りたくもなる。オレだって、彼女が何かを隠していると疑っているもの。
とはいえ、現状では何の証拠もない。強権を行使する手段もあるが、それはあくまでも最終手段だ。そういった方法は歪みを生み、どこかで手痛いしっぺ返しを食らうと相場が決まっている。
「エクラ嬢は、今のところ様子見だな。警戒はするけど、こちらから起こせるアクションは少ない」
「……仕方ないわね」
状況をきちんと理解しているようで、ミネルヴァは溜息混じりに首肯した。
「“アウター”の方はどうなの?」
次いで、ニナが質問を投じてきた。
彼女はそっちの話題に興味があるらし――いや、違うか。ついでだから聞いておこうといった感じだな、あの顔は。
二人ともそこまで熱心ではなさそうなので、概要を伝える。
「首魁が判明した。ルデンシっていう、そこそこ大きい商家だ」
「聞いたことないわね」
「そりゃそうだろう、北東部の一地方で活動してるんだから。オレたちとは縁遠いさ」
ミネルヴァが首を傾げるのも当然。それなりに大きいと言っても、所詮は一部地域に根付くローカルな店だ。
ただ、あれだけの大きな組織を、一介の商家程度がまとめていたことは驚きだった。小さいからこそ隠れ蓑になっていたか? さらなる黒幕も考慮すべき案件だよなぁ。
「捕縛は?」
ニナの端的な問いに、オレは首を横に振った。
「ウィームレイと共同で突入部隊を編成。件の家を捜索させたが、主犯と思しきルデンシ当主は不在だった。彼の息子や従業員曰く、ここ数年は営業には関与せず、他国での活動に注力してたらしい」
いくつかの“アウター”を発見したため、ルデンシが事件に関わっているのは認められたが、肝心の当人が行方不明という結果に終わった。
“アウター”の製造所も見つかっていないので、注力していたという他国が怪しいと踏んだわけだが――
「ルデンシが赴いている国っていうのが、カーシヨ王国なんだよなぁ」
「それって……」
「エクラがいたって言う?」
そう、ここに来て話が繋がってしまったんだ。いや、正確には共通項があるだけで、関連性は全然認められていないんだけど、偶然の一致と片づけるには些か怪しすぎるんだよ。
「というわけで、カーシヨ王国の内情を探るのが、目下の仕事になる」
「これで怪しむなって方が無理あるわよね」
「あからさますぎる」
ニナの言う通り、あからさまなんだよな。罠の線も考えた方が良いだろう。
しかし、他に手掛かりがあるわけでもなし。ここは罠でも突き進むしかなかった。
「人員が確保でき次第、オレもカーシヨに向かうことになる。その時は留守をよろしく」
「ゼクスも行くの?」
何で伯爵家当主が? そんな疑問を投じるニナ。
オレが理由を答える前に、ミネルヴァが口を開いた。
「国交のない他国だからでしょ。いくら禁止薬物の捜査とはいえ、大々的に調べるわけにもいかない。となれば、【
「その通り。今回は、絶対に露見しない力が必要なんだよ」
もしも王国側にバレたら、最悪の場合は戦争を吹っかけられるかもしれない。それくらい、あちらの情勢は不安定だからな。
だったら、藪をつつかなければ良いと思うかもしれない。
実のところ、オレがいなかったら放置の判断を下したと思われる。オレという規格外がいるゆえに、秘密裏の捜査という手段が選ばれたんだ。
それらの事情を聞いたニナは、僅かに眉を曇らせた。
「貧乏くじ?」
「そうでもない。今回の件は聖王国側の依頼だ。今まで以上の貸しを作れるから、フォラナーダにもメリットはあるさ。じゃなきゃ引き受けない」
“アウター”事件の解決は、口だけは達者な連中を黙らせるには十分の成果だ。オレがわざわざ動く価値はある。
「出立はいつになりそう?」
「遅くとも一週間以内だな」
「そう。留守は私たちに任せなさい」
「任せて」
不遜に胸を張るミネルヴァと小さく拳を握るニナ。
たくましい彼女たちの態度に、オレも笑みを溢した。
「嗚呼、任せた。っと、そろそろ朝食の時間だな。一緒に行こう」
そう言うや否や、オレは二人の手を握って優しくエスコートする。
最初こそ驚く二人だったが、すぐに嬉しそうに頬を緩めてくれた。愛しいヒトの笑顔は、何にも代えられないと思う。
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