Chapter7-3 水の精霊(5)
オレとマリナは、百層へ向かう階段の傍で腰を下ろしていた。先のマイムの暴走によって二人とも魔力がかなり減っていたので、その回復に努めているんだ。
この短時間で、どうやって九層も進んだのかって?
原因は、マイムを止めるために放った【
あの魔法は【
別次元へ移送されたゆえに契約のパスが一時的に切れ、マリナの魔力流出が止まったわけである。マイムの隔離も叶ったので一石二鳥だった。
ただ、この魔法はダンジョンでは扱えない空間系に分類される。無理やり行使した代償は当然存在した。
まず、地上で使うよりも膨大な魔力が消費された。これが予想以上のコストで、今のオレでさえ三分の二が吹っ飛んだ。手のひらサイズの精霊を閉じ込める小さな空間を展開しただけで、である。ダンジョン内での空間系魔法の発動がどれほどタブーなのか、よく理解できるものだった。
もう一つは、ダンジョンの一部が崩落したこと。詳らかに語ると、魔法を発動した場所を起点に半径十メートルの床が崩れ、それが九層下まで続いた。九十層から九十九層まで、直通の大穴が空いてしまったんだ。オレたちが百層手前にいるのは、その崩落に巻き込まれたためだった。
ダンジョンが崩れたのは、おそらく、一瞬だけ一部の支配領域をオレが奪ってしまったからだろう。ジェンガのピースを無理に外した状況が
閑話休題。
休憩してから幾許か。おおよそ一時間程度が過ぎたと思われる。精神魔法の助けもあって、オレもマリナもほぼ全快していた。マリナが軽い火傷を負っているけど、こればかりは応急手当くらいしかできない。オレに、他人のケガを治す術はなかった。
【
とまれ、状況は落ち着いた。降って湧いて出た問題は一旦の鎮静を見せ、表面上はキレイに片づいている。
実のところ、ダンジョンは百層で終わりだと察している。今までは異なる階層へ探知は届かなかったんだが、百層だけは違った。大きな一部屋だけが存在し、そこに強大な魔獣が鎮座しているんだ。十中八九、ボス戦なんだろう。
ダンジョンボスは、一般的には相当の強敵だ。レベルにして八十を超えており、まさかの原作ラスボスよりも強い。よほど、この先へは進ませたくないらしい。
とはいえ、オレにとっては赤子も同然。油断できる相手ではないが、そう必死になって戦う敵でもなかった。だから、このままオレが突入すればアッサリとダンジョン制覇はできる。
しかし、本当にそれで良いのだろうか?
何となく、この場でオレが動くのは良くないような……そんな気がしてならなかった。判然としない、直感にも等しい
「ゼクスさま」
悶々と
オレは彼女の方に顔を向け、先を促した。
マリナは語る。
「マイムと話をさせてくれませんか?」
「……それは今か?」
「はい」
小気味の良い彼女の返答。
オレは眉根を寄せる。
正直、マリナの提案は受け入れがたいものだった。マイムという存在と向き合うのは、契約者である彼女にとって必須事項だろう。だが、それを今すぐ行うべきかと問われれば、否と返せる。万全を期すのなら、地上に戻った後の整った環境で対話するべきだと思う。同じ精霊であるノマのアドバイスを貰える点も大きい。
こちらの懸念をマリナも理解しているようだ。悔しげに唇を噛む。
しかし、彼女は諦めなかった。すぐに表情を改め、オレを真っすぐ見つめる。
「お願いします。無理を言ってるのは分かってるの。それでも、今、マイムちゃんと話がしたいんです」
「理由を訊いてもいいか?」
どこまでも真剣な
マリナは一呼吸置いてから答えた。
「マイムちゃんが暴走した時、彼女の心が流れ込んできたんです。苦しくて、痛くて、悲しくて……孤独でした。たぶん、マイムちゃんには今すぐにでも誰かが寄り添ってあげなくちゃいけないんだと思います。それは契約者のわたしの役目だと思うんです」
そして、と彼女は続ける。
「この先に待つ敵を、わたしたちが倒します。きっと、これがわたしたちの試練なんです。わたしたちが真にパートナーとなるための壁なんです」
「……気づいてたのか」
「はい。マイムちゃんと契約した恩恵か、彼女ほどじゃないけど、感知能力が向上したみたいなんですよねぇ」
たははと微笑を溢すマリナ。
自信なさげにも見える頬笑みだったが、瞳の奥には確固たる信念が窺えた。
先までのマリナたちでは、絶対にダンジョンボスには勝てない。いくら感知できようとも、彼女たちには矛も盾も足りないからだ。
でも、火の精霊の方の力を御せるのであれば、この推測は覆るだろう。あの
止めるべきだ。そう理性が語り掛けてくる。冷静に考えて、マリナの言い分は何一つ根拠がない。すべてが感情論や直感の産物であり、保証は何もなかった。
――だが、同時に思うんだ。賭けてみても良いのではないかと。マリナの想いを信じ、彼女の成長を願うのなら、そっちの方がより良い未来へ進めるのではないかと。
マリナが淡い青紫の瞳をジッと向ける中、じっくり考える。
程なくして、オレは溜息を吐いた。その場より立ち上がり、軽く指を振るう。
その動作に合わせて、マリナの手の中にマイムが現れた。ぐったりと横たわる彼女に意識はない。
それを見たマリナは目を輝かせる。
「ゼクスさま!」
「とりあえず、任せよう。でも、チャンスは一度だ。しっかり話し合えよ」
ぶっきらぼう気味に返してから、オレは少し離れた場所の壁に寄りかかってマブタを閉じた。
かつて憧れた
急いでダンジョンを出るべきだとか、安全性を優先するべきだとか、正しい理屈はいくらでも浮かんでくる。しかし、オレはこの選択に後悔はない。きっと、
あとはマリナの仕事だ、こちらの出番はない。オレは周囲警戒に集中し、二人の準備が整うのを待つことにした。
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