Chapter7-3 水の精霊(2)
【身体強化】を発動しながら駆ければ、数キロメートル程度の道のりは、そう時間をかけずに走破できる。十分も経たずして、オレとマリナは例の小部屋の前へと辿り着いた。
小部屋の出入り口には、洞窟内には似つかわしくない人工的な扉が設置してあった。右半分が青、左半分が赤で塗られたシンプルなデザイン。ただ、取っ手の類は見当たらない。
明らかに、何者かが後付けでこの部屋を作り出したんだ。ゆえに、ダンジョンとは違う気配を感じたんだと思われる。
オレとマリナは顔を見合わせた。
「どうする?」
「……開けましょう」
一応、提案者である彼女に確認を取ってから、慎重に扉へ手を当てる。魔力を流し、変な罠が存在しないかも調べた。
扉というよりフタだな、これは。
魔力を流しながら押すと、そのまま外れる仕組みが施されている。小部屋の出入り口に固定されているわけではなく、持ち運びも可能のようだった。少し興味深い構造をしているし、外した後は持ち帰ってみよう。
そんな益体のないことを考えつつ、オレは内部の様子も探ってみた――が、今いるフロアとは別階層の判定らしく、上手く探知術が行き届かない。実際に扉を開け、内部を確認するしかないようだ。
すでに魔力は通してある。オレは軽く扉を押した。
ガタッと音が鳴り、扉が奥へ押し込まれる。上下左右の接点がすべて離れたのを認めた後、手早く【
そこは
しかし一点だけ、一つだけ異物が存在した。
部屋の中央で膝を抱えて座り込むのはヒト――いや、違う。ヒトにしては、あまりにも小さい。手のひらサイズよりも一回り小さい、ヒト型の生物がいた。
「せ、精霊?」
オレの背後より中を覗いたマリナが、小声で呟いた。
そう。彼女の言う通り、どこからどう見ても、中にいたのは精霊だった。体躯の大きさや全身が魔力で構成されている二点を考慮すると、それ以外の結論は出せそうにない。
膝を抱えているせいで顔は見えないが、おそらく女性。また、ボサボサの長髪が青色なことから、水の精霊だと推察できる。
オレはマリナへ待機するよう合図を送った後、水の精霊へと近づいた。罠の類がないのは調査済みであり、残るは彼女に事情を訊くしかないためだ。
少し距離を詰めたところで気づく。水の精霊は泣いているようだった。押し殺すような声で肩を揺らしており、そのせいかコチラの存在を認知していない模様。
何となく面倒くさそうな気配を感じるが、ここで
「あー……ちょっといいか、そこの精霊?」
「へ?」
一度では気づかれないとも思ったけど、それは杞憂に終わった。少し張った声は、無事に彼女の耳に届いたよう。やや間抜けな表情を浮かべつつも、こちらへ顔を向けてくれた。
水の精霊は、可愛らしい少女の様相だった。顔立ちからして、だいたい八歳前後だろうか。とにかく、幼い少女の年齢だと窺えた。
かなり長い時間を泣いていたらしく、目元は赤く腫れており、頬には涙をこすった汚れが付着していた。そこに更なる涙がこぼれるのだから、せっかくの端麗な容姿も台無しである。
オレの存在を認めた水の精霊は、最初はポカーンと呆然としていたが、次第に状況を理解したようだ。おもむろに口をパクパクと開閉させ、先程までとは別種の体の震えを表し始める。
悲鳴こそ上げてはいないけど、完全に怯えられていた。涙が溢れそうな青の瞳に、心底絶望したといった感情が透けて見える。
オレは内心で首を傾げた。ただ声をかけただけなのに、どうして『恐怖の大魔王を目前にした哀れな小市民』みたいな構図が出来上がっているんだ? まったくもって、意味が分からない。
「えっと、危害……キミを襲うつもりはないから、そんなに怯えないでほしいな」
「ひぃ」
笑顔かつ柔らかい口調を心掛けたけど、効果は皆無。オレの声を聞くと同時に、水の精霊は小さく短い悲鳴を上げた。
これはお手上げだ。子どもの相手はそれなりに慣れているが、ここまで怯えられたのは初めてだった。人見知りならともかく、オレの何かに怖がっている現状、それを改善しない限りは前へ進めない。
精神魔法で落ち着かせる手段もあるが、相手が精霊のため、カスタムし直さなくてはいけない。それに、一定以上の感情を抑え込むのは難度が高いんだ。少なくとも、恐怖の原因を排除しないと、振り出しに戻ってしまうだろう。
仕方ない、か。
オレは心の
「頼めるか?」
「あはは、がんばります~」
一部始終を眺めていた彼女は苦笑を溢し、両拳を握り締める。やる気は十分といったところ。
オレたちは立ち位置を変え、今度はマリナが水の精霊へ声をかけることにした。正体不明の精霊へ彼女がアプローチするのは、警戒の面で宜しくない。だが、今回は致し方ないと判断した。次善策として、オレが警戒を強めるとする。
「こんにちはー、精霊さん」
「……」
穏やかな雰囲気を全面に出し、マリナは水の精霊へ挨拶した。
対する反応は無言だったけど、先程までとは態度が些か異なったように思う。チラリとマリナを確認した際の眼差しは、怯え以外の感情が含まれていた。
これは親近感か?
ノマやフォラナーダに押しかけている精霊たちを観察してきたお陰で、精霊の感情を読むのは造作もない。ゆえに、この結果の確度は高かった。間違いなく、水の精霊はマリナへ仄かな親近感を抱いている。しかも、マリナが一方的に話しかける度、現在進行形で、その割合は上昇していっていた。
あまりにも異様な状況だったが、オレには心当たりが一つあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます