Interlude-Louise 眩む

 この場は緊張感に包まれていた。


 王城にあるアリアノート殿下の私室中を、主であるアリアさまは無言でグルグルと回っておられた。その足並みは早足気味で、小官――ルイーズにも彼女のイラ立ちが伝わってくる。


 基本的に、アリアさまはジッと黙り込んで思考される方だ。最後のまとめこそ口を動かすけれど、今のようにウロウロと動く状況は相当焦られている証拠だった。思考が空回りしていると、以前にアリアさまが仰っておられたか。


 何に対して焦燥感を抱いておられるのか、小官は知らない。――いや、ある程度の予想はできた。本日幕を閉じた学年別個人戦および悪魔騒動についてだろう。


 だが、そこまで焦ることかと疑念が残る。アリアさまほどの智慧ちえをもってすれば、そう難しい案件ではない気がするのだ。実際、過去にも類似した事件も容易く解決なさっている。


 こういった状況に際して、小官にできることは少ない。それなりに勉学もこなせる小官だが、決してアリアさまの領域には届かないのだ。高く見積もっても、一般的な”秀才”の範囲だと思う。主人を支えられない事態に毎回忸怩たる思いを抱くけれど、こればかりは覆せない。


 お茶を用意し、忙しなく歩くアリアさまを見守る。それだけが小官に許された行動だった。





 どれくらい時間が経過しただろうか。不意に、アリアさまは回していた足を止められた。それから、ポツリと呟く。


「無理ね」


 言葉を発せられるのは、アリアさまが思考のまとめに入った証拠だった。同時に、討論相手を求めている状況でもある。


 小官はすかさず口を開く。


「何が無理なのでしょうか?」


 アリアさまは緩慢な動作でこちらを見られる。


「フォラナーダをどうにかすることは不可能、ということですわ」


「フォラナーダを?」


 何故、ここでフォラナーダの話が出てくるのだろう。かの伯爵とは持ちつ持たれつの関係を築く。それがアリアさまの方針だと小官は考えていたのだが、勘違いだったのか?


 アリアさまは、小官の表情より内心を読まれた様子。苦味の強い苦笑を浮かべられる。


「今回の個人戦にゼクスさんが参加するよう、わたくしが誘導していたことまでは理解していますね?」


「はい。伯爵の実力は噂程度にしか把握していないため、その精度を上げる算段だったかと」


 先代の剣聖を殺したとは聞いている。当時居合わせた方より話を聞き、剣技と魔法の腕に優れているとも知った。


 ただ、その内容は鮮明ではないのだ。『歴代最強を上回る剣技の腕』や『未知の魔法を行使した』と人伝に窺っても、いまいちピンとこないのは当然だろう。それはアリアさまほどの頭脳をもっても同様。もう少し情報を集める必要があった。


 ところが、フォラナーダ伯爵はなかなか人前で戦わない。森国の暗躍をコッソリ伝えたりもしたが、解決が迅速すぎて観測できなかった。


 ゆえに、個人戦を利用した。


 かの伯爵の立場からして、彼の実力を周囲が疑い始めるのは時間の問題だった。その不穏を密かにあおり、表舞台で戦わせる展開を整えたのだ。無論、優秀なフォラナーダの暗部に悟られぬよう。


 骨が折れたと仰っておられたけれど、ヒトの噂を操る術はアリアさまの十八番だ。そう時間も浪費せずに下準備は完了した。たった三、四の会話だけで噂を蔓延まんえんさせてしまう手腕は、いつ見ても末恐ろしい。


 結果的に、こちらの目論見は成功した。フォラナーダ伯爵は個人戦の舞台に上がり、一学年で優勝するほどの実力を示した。小官自身は己の試合があったために観戦できなかったが、アリアさまは一部始終を観察できただろう。


 ――まさか、その試合の中で、彼の危険思想が露見したのか? ゆえに、敵対するべき状況に追い込まれている?


 一つの可能性に至り、小官は眉根をひそめた。


 しかし、


「ゼクスさんが、危険思想の持ち主というわけではありませんわよ」


 こちらの思考を読まれたように、アリアさまは先回りした発言をなされた。


 次いで、「彼は化け物です」というセリフを皮切りに、目撃なされた光景を語り始める。


わたくしは専門家ではありませんが、それでも彼の異常性は理解できました。振るう得物は神速の如く、扱う魔法はまるで手足の如く。武神の生まれ変わりだと言われたら信じてしまうくらい、彼の実力は秀でていましたわ。しかも、まだ底が見えない。あの調子だと、我が国を落とすのに一日も掛からないのではないかしら」


「国を落とすなど……」


「嗚呼、語弊がありますね。政治的な国落としではなく、文字通りの意味ですわ。おそらく、ゼクスさんは一人で国を焦土と化せるでしょう」


「……」


 絶句だった。


 正直、アリアさまの言葉とはいえ、信じがたい内容だ。だが、叡智溢れる我が主がそう断言するのであれば、間違いはないのだろう。フォラナーダ伯爵は、本当に国を更地にできる力量を有するのだ。


「加えて、彼の元に集う少女たちも恐ろしい実力者でした。あのゼクスさんと、それなりに戦えていたのですから。わたくしもオルカさんと対戦いたしましたが、まるで歯が立ちませんでしたわ。あの精緻な魔法技術は一種の芸術でしたね。」


 アリアさまは魔法の精密な操作に秀でておられる。それは宮廷魔法師の方々も目をみはる実力だ。そんな彼女が『まるで歯が立たない』と仰るのは、もはや驚愕を通り越して呆れ果ててしまった。


 そこまでの話を窺って、小官はふと思い出す。


「フォラナーダは悪魔騒動で……」


「その通りです」


 こちらが言い切る前に、アリアさまは頷かれた。


「悪魔たちの大半を請け負ったのは、フォラナーダ所属の配下たち。騎士だけではなく、使用人の姿も多かったとか。王都の騎士がやっと相手できる敵を、ただの使用人がほふっていたようですよ」


「……かの領は魔窟か何かなのでしょうか?」


 いくら貴族に仕える使用人だからといって、文官に戦力があるはずはない。彼らは一般人と変わらない存在であるのが普通だ。フォラナーダは、その常識を易々と覆してしまったのだ。


 領主は化け物、その周囲に侍る少女たちも準化け物、配下たちも騎士以上。魔境や魔窟と表現する以外に、言葉が見つからない。


 小官が言葉を失っていると、アリアさまは溜息を吐かれた。


「ある程度は予想を超えることも想定していましたが、ここまで規格外だとは思いませんでした。しかも、惜しみなく戦力投下した辺り、まだ隠し玉を有していそうです」


「まだ、何かあるのですか?」


「ゼクスさん自身は、割と分かりやすい性格をしておられますからね。慎重なあの方なら、すべてをさらす愚は犯さないでしょう」


「……そこまで理解しておられるのに、かの領と敵対なされるのですか?」


 これまで語られた内容だけで戦力差は絶望的。だというのに、アリアさまは最初、『フォラナーダをどうにかする』と仰っておいでだった。ハッキリ言って、正気の沙汰とは思えない決断だ。


「差し出がましい意見かとは思いますが、今まで通り、持ちつ持たれつの関係を維持するのが最善なのでは? 伯爵側に手を出すのは、龍の尾を踏む行為かと愚考いたします」


「そうね。それがわたくしにとっては合理的判断でしょう」


 小官の具申に、アリアさまは首肯される。


 しかし、即座に首を横に振られた。


「でも、国の最善としては間違っていますわ。フォラナーダ伯爵領は、聖王国にとって潜在的脅威に他なりません」


「何故でしょうか? 彼は道理なき暴力を振るう人間ではないように思えますが」


 これまでの行動からして、こちらからチョッカイを出さない限り、伯爵は武を示す動きは見せないだろうと推察できた。ウィームレイ第一王子とも仲が良いと聞く。聖王国の脅威になるとは、どうしても考えられない。


 対して、アリアさまは冷静に返される。


「ゼクスさんは、どちらかといえば感情で物事を思考するお方ですわ。身内のために行動を起こす、そういう情を重視する人柄です」


「はい。ですから、下手に突かなければ、大人しくしているのではないかと……」


「情とは移ろうものです」


 ピシャリと、アリアさまは断言される。


「ゼクスさんが貴族的思考の持ち主なら、わたくしも憂慮はいたしませんでしたわ。ですが、良くも悪くも彼は情を優先します。つまりは、非合理な理由で動き出す可能性が大いにあるのですよ。こちらがいくら気をつけようと、突拍子もない理由で拳を振るうかもしれないのです。それを潜在的脅威と言わず、何と申すのでしょうか」


「それは……」


 小官に返す言葉はなかった。


 確かに、こちら側が問題ないと判断していた行動が、あちらにとって不愉快なものになる可能性は否めない。


 損得勘定を優先する一般的な貴族なら気に留める状況でもないが、情を優先するフォラナーダ伯爵の場合は異なるだろう。どこに地雷が潜んでいるか判然としないのだから。途方もない戦力がいつ振るわれるか分からない、そのような恐怖に怯える羽目になる。


「最善は婚約等で身内に引き込むことでしたが、もはやそれは叶いません」


「第二王子ですか……」


「ええ。あの一件のせいで、フォラナーダが聖王家へ懐を開く可能性は潰えました」


 たしかに、婚約者ともなれば、フォラナーダ伯爵は情を抱いてくださるだろう。現に、その立場に収まっておられるロラムベルとは懇意にしていらっしゃると聞いている。


 最善の選択ができないから次善策を講じる。そのお考えは理解できるし、納得もできた。しかし、それでも――


「聞く限りの戦力差であれば、敵対は避けるべきだと小官は愚考いたします」


 情を優先するとはいえ、フォラナーダ伯爵は損得勘定もできる方だと小官は考える。ゆえに、意図していなかった展開の場合は、その暴威は振るわれないと思うのだ。


 小官はアリアさまの護衛。何よりも主人の安全を優先したいがための具申だった。


 だが、アリアさまは何と返すのかは理解していた。


「あなたの心配は嬉しく思います。ですが、国の繁栄を願うなら、かの領は危険すぎます。彼が国の存続を大事にしてくださる方なら宜しかったのですが……彼の性格上、必要に迫られれば国を滅ぼすことも辞さないでしょう。そういった人種は、いつまでも野放しにはできません」


 合理主義を掲げるアリアさまは、どうしてもリスクヘッジを優先するのだ。自らの、ではない。国のリスクを。


 アリアさまは苦笑を溢される。


「そう深刻になる必要はありませんよ。わたくしはフォラナーダを”どうにかしたい”と考えているのであって、排除したいと考えているわけではありませんわ。首輪をつけられそうなら、わざわざ敵対などしません。それは非合理ですから」


「……アリアさまの御心のままに」


 小官は剣であり盾。アリアさまがその道を突き進むと仰られる以上は、強く反対はできない。


 ただ、致命的な一歩を踏み出すことがあれば、その時は小官が――。







 今思えば、アリアさまは規格外の力に魅せられてしまっていたのかもしれない。光はヒトの視界を開いてくれるが、強すぎる光は目を曇らせるのだ。どんなに才知溢れるヒトであっても、くらんだまなこでは進むべき道を定められない。


 この時の受け答えを、小官はいずれ悔いることになる。もうすでに魔は笑っていたのだ。

 

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