Chapter5-1 諜報員(4)

 表向きのサウェード子爵は、情報管理局という部署に属している。


 情報管理局の仕事を簡単に表すなら、『王城に集められた情報を精査し、資料としてまとめ上げる』といった感じか。暗に“諜報部隊ですよ”と言っているんだが、公式では情報管理局なのである。


 情報管理局の長であるサウェード子爵は、立派な個室を与えられているよう。案内された部屋には、高価そうなデスクと資料の山があった。


 とはいえ、乱雑な印象は受けない。むしろ整然としている。資料の一枚一枚が、キッチリ揃えられている様は、見事という他になかった。


 たぶん、子爵が几帳面な性格なんだろう。ここまで整った部屋は、なかなかお目にかかれない。たくさんの資料を抱える執務室なら尚更。


「そちらにお座りください」


 子爵の提案に従い、オレはソファの一つに腰を掛ける。彼も対面のソファに腰を下ろした。


 それから数秒と置かずにお茶を淹れる使用人メイドが入室してきたんだが、彼女はものすごく不機嫌な感情を湛えていた。表面上こそ楚々としているんだけど、内心は憤懣やるかたないといった様子だった。


 もありなん。この使用人もエルフだから、オレへ反感を持っているんだろう。同族かつ次期当主を誅した相手だからな。それが逆恨みだとしても、内に秘めている感情まで否定することはできない。


 お茶に異物を入れるような阿呆なマネはしていないと思うけど……念のため、対策は施しておこう。


 お茶汲みの使用人が退室し、ようやく二人きりになるオレたち。


 お互いにお茶を一口含んでから、サウェード子爵が口を開いた。


「察しはついていらっしゃるでしょうが、森国しんこくの間者に関して話し合いたいのです」


「先程の会議で語ったはずですが?」


「すべてではないでしょう?」


 どこか確信めいた問いかけ。


 当たり前か。同国の貴族とはいえ、潜在的には敵に近い。諜報のプロとして、自分が同じ立場なら全情報は渡さないと考えたんだろう。


 その考え方はとても正しい。普段であれば、オレも同様の対処をした。


 だが、今回ばかりは違うんだよな。


「残念ながら、すべてですよ。王都偵察中の間者を発見し、様子見をしては事態が悪化すると判断。即座に捕縛へ取り掛かった。情報はそれだけです。尋問も、意味をなしませんでした。何せ、彼らは偵察の任しか受けていなかったのですから」


 せっかく捕らえた間者たちは、何一つ情報を握っていなかった。現在の王都の地理や市場情報などを収集するという命令しか下されておらず、その情報を何に役立てるかも知らされていない。トカゲの尻尾切りを前提とした運用だったんだ。


 従って、子爵の疑うような情報は一切ない。精霊を逃がしたのは失敗だったかなとも考えたが、彼らの大半は――ノマみたいな例外を除いて――ヒトの事情に興味がないため、捕獲していても益はなかったはずだ。


「そう、ですか」


 こちらが真実を語っていると悟ったのか、サウェード子爵は拍子抜けにも似た表情を浮かべた。当てが外れたんだから無理もないけど。


 数秒ほど逡巡した子爵は、再び口を開く。


「何か、気にかかった点などはなかったでしょうか? 些細なことでも良いのです」


 諜報に携わる者らしく、彼の声音は冷たく抑揚が少ない。感情を読み取らせない技術を磨き上げた賜物たまものなんだろう。


 ただ、オレの前では無力だ。かつては【偽装】や【身体強化】をされると見通しにくくなってしまったけど、今や感情走査程度なら、レベルが拮抗していなければ貫通できる。


 これを誤魔化せるのは、生まれながらにして感情の振れ幅が小さいニナのような者か、感情を完璧にコントロールできる化け物くらい。それらに該当しない子爵の精神状態は丸裸だった。


 子爵は強い怒りと執着を抱いているな。シオンの話によると、祖父の代から聖王家に仕えていると言う。不当な理由で森国より追放された際、彼は若い時分だったはず。成熟した現在でも、当時の感情を呑み込み切れていないのかもしれない。


 懸念されるのは、独断での暴走か。これほどの執念ならあり得る話だが、同等の聖王家への忠誠心も窺える。判断の難しいところだ。


 畢竟ひっきょう、様子見が妥当な結論だろう。


 オレは子爵の問いに対し、首を横に振る。


「これといって、気になる点はありませんね。力にはなれないでしょう」


「そうですか。……無理を申し上げました、ご容赦ください」


「いえ。あなたの立場を考えれば、当然の行動です。気になさらないでください」


 話は終わった。もはや彼と語るべく内容もないので、退室しようと腰を浮かせる。


 しかし、あちらには、まだ語り終えていない話題が残っていたらしい。


「お待ちいただきたい」


 こちらが立ち上がる前に、子爵は言葉で制止を呼び掛けてくる。


 オレは首を傾いだ。


如何いかがいたしましたか?」


「一つ忠告……いや、謝罪しなくてはならない事項があります」


「謝罪?」


 忠告やら謝罪やら。不穏な単語の羅列に、心底嫌な予感を覚えた。


 彼は滔々とうとうと言う。


「身内の恥のため、口にするのは躊躇ためらわれるのですが、現在のサウェード家では家督争いが行われているのです」


 だろうなぁ。跡目だったカーティスは、もうこの世にはいない。対外的にも行方不明扱いであるがゆえに、子爵家の後継者の再選出は必須事項だろう。


「候補は二名。私の息子が二人です。それぞれが己の長所を活かして張り合っています。ここまでは良いのですが、各々が掲げる方針が問題なのですよ」


「……この流れだと、フォラナーダに対するスタンスが違うのでしょうか」


「仰る通りです。私は陛下の命に従って不干渉を貫いておりますが、次期当主候補たちは違います。次男はすり寄って旨みのある地位を得る方針を、三男は徹底抗戦で潰す方針を提示しています」


 マジかよ。サウェード家の内情、そんなことになっているの?


 彼らの監視を最低限しか行っていなかった弊害が、ここにきて露呈したか。諜報の仕事が多すぎて、そっちにまで手が回っていなかったんだよなぁ。


 頭痛を堪えながら、オレは問う。


「聖王……陛下の命を無視する形になりますが?」


「恥ずかしながら、息子たちの世代は、我々ほど聖王家へ恩義を感じていないようなのです。森国での一件を実体験していないためでしょうが」


 嗚呼、なるほど。彼の息子の世代――シオンも含む――は、聖王国で生まれている。森国を追い出されて過酷だった時期を伝聞でしか知らないがゆえに、親世代よりも忠誠心が低くなってしまっているんだろう。


 まぁ、それは仕方のないことだ。世代が進むにつれて、経験が歴史に変わっていくのは必然。


 本件の問題は別にある。


「それを今話したということは、あなたは当主候補たちを制御し切れていないと捉えて宜しいか?」


 フォラナーダへの対応表明は、結局のところは次代の方針にすぎない。身内の恥をさらしてまで、この場で語るべく内容ではなかったはず。


 だのに、オレに聞かせたとなれば、結論は一つしかあるまい。当主候補たちは暴走しており、サウェード子爵の制止を聞かず、こちらに接触してくる可能性があるんだ。


「……」


 対する子爵は無言。肯定も同義だった。


 オレはバカらしくなり、溜息を溢す。


「正直に申し上げましょう。当主としての能力を疑います」


 当主という責任ある立場を有しながら、下の者たちを統べられない。それは由々しき事態だ。貴族失格の烙印を押されても文句は言えない。


 とはいえ、よく考えてみれば、これも当然の帰結か。サウェード家は元々森国の貴族だったが、政争に負けて国を追い出されたんだ。諜報員としての能力は高くとも、貴族としての能力は低かったんだろう。


「返す言葉もない」


 子爵に反論はなかった。力なく項垂れるだけ。


 オレは再度溜息を吐き、念を入れる。


「私にそれを明かしたということは、好きに対応して良いと認識して宜しいですね?」


 当主の力が及ばなかったのなら、次は派閥の上司にお伺いを立てるのが常識だ。彼の場合は、聖王家に解決策の打診をしたんだと思う。


 どういった対処を行ったのかは知らないが、結果的には失敗に終わったんだ。大きな破綻が起きていない現状から察するに、表向きは従う振りをして、より姑息に隠密行動し始めてしまったといった感じか。


 子爵は小さく頷く。


「無論です。サウェード子爵家当主として、二言はないと誓いましょう」


「分かりました。では、好きにやらせていただきますよ」


 もう話は終わったな? と視線で確認した後、オレは退室した。


 王城の無駄に豪奢ごうしゃな廊下を歩きながら思う。何で、オレのところにトラブルばかり舞い込んでくるんだと。


 多少は息抜きしたい。そう切実な願いを胸に秘め、今後の対策を練るのだった。

 

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