Chapter2-4 奴隷(3)

 ニナ・ゴシラネ・ハーネウスは、その名前こそゲーム上で語られるが、彼女自身が登場することは一切なかった。何せ、ニナはゲーム開始時点で死亡しているからだ。


 内乱で敗北した彼女は奴隷として売り払われ、反抗的な態度を崩さなかったことにより死の瀬戸際まで追い詰められ、最終的には好事家の貴族に買われてもてあそばれる。そういう運命だった。


 ニナの名前がどうして挙げられるか。理由は、彼女がヒロインの一人の姉妹であるため。しかも、カバーヒロインの双子の姉ゆえに、大きく取り上げられていた。奴隷になってから死ぬ瞬間までの描写を、彼女を汚し殺した貴族が嬉々として語る展開があり、ゲーム内屈指の胸糞だとプレイヤー間で言われていたくらい。


 そして、姉の死の詳細を知ったことをキッカケに、ヒロインの復讐心は後戻りできない領域に至ってしまい、恋人の勇者と聖王国内の貴族を粛正して回る。そんな凄惨なエンディングが用意されていた。


 カバーヒロインということもあって、オレは、この【血の粛清】エンドを最初にクリアしたんだが、当時は酷く困惑したものだ。だって、王道ファンタジーの恋愛RPGをやっていたと思ったら、いつの間にかダークファンタジーに路線変更していたんだもの。他のヒロインならまだしも、カバーヒロインで血生臭いエンディングを持ってくるとは、予想外にも程がある。


 無論、選択肢次第で穏やかなエンディングにも辿り着けるが、【血の粛清】が某ヒロインのトゥルー扱いだと言うんだからない。


 まぁ、某ヒロインのことは良いんだ。どこかの田舎町で息を潜めているらしいから、学園が始まるまで関わらない。いや、学園が始まってからも関わり合いたくない。


 話の根幹は、“どうしてオレがニナを救ったのか”だろう。


 理由は大まかに三つ。


 一つは、救える命なら救おうと思ったから。内乱の経験を経て、安易に他人を見捨てると思わぬしっぺ返しを食らうかもしれないと学んだ。純粋な善意とは言い難いけど、『やらない善より、やる偽善』の精神である。


 二つ目は、【血の粛清】エンドの芽を摘むためだ。聖王国がどうなろうと興味がないのは、昔より変わっていない。しかし、積極的に滅ぼしたいわけでもない。カロンたちの平和を考えるなら現状の地位がベストなので、あの凄惨なエンディングは回避したかった。最悪、オレたちも狙われる確率だってあるし。


 最後。この理由がもっとも重要で、死ぬ運命を覆せるかどうかの実験である。オレの目標は、カロンを死ぬ運命より脱却させること。同じく死ぬ定めを背負っているニナの過程を観察すれば、今後のカロンに関する方針も固まってくる。


 実験というと外聞が悪いけど、結局は彼女の命も助けることになるため、ご容赦願いたい。


 以上の三点より、オレはニナを引き取った。


 ゲームだと、彼女は学園入学前後で死亡するはずなので、それまではカロンと同様の方針で進めるつもりだ。




 【位相連結ゲート】でフォラナーダ領都に戻ったオレだが、移動先は城ではない。領都の最東端にある一軒家に入った。


 2LDKほどの民家の内部は殺風景だった。一応、必要最低限の家具は搬入済みであるものの、まるで生活感がない。


 それも当然だろう。今まで、誰も住んでいなかったんだから。この家は、ニナを引き取った時に備えて用意したものだった。


 オレはリビングにあるソファの上にニナを転がし、浴室にて湯を沸かす。この辺は元日本人としてこだわって・・・・・おり、最新鋭の設備が整っていた。少々の魔力消費でお湯が蛇口より注がれ始め、三十分もしないうちに浴槽は満タンになるはずだ。


 リビングに戻り、まだニナの意識は戻っていないのを確認すると、オレは再び【位相連結ゲート】を使った。今度こそ領城へ向かう。


 執務室に出て【偽装】を解除し、その場にいた部下にカロンの居場所を尋ねた。今は魔法の授業が終わり、自室で休んでいるらしい。


 休憩中のところ悪いが、仕方ないか。


 城内を歩いてカーティスと鉢合わせるのも嫌なので、【位相連結ゲート】で直接彼女の部屋へ足を運ぶ。着替え中などでも良いように、ゲートを展開してから潜るまで、ある程度間を置いた。


「お兄さま!」


 カロンの部屋に入ると、突然彼女に抱きつかれた。


 何となく予想できていたので、優しく受け止めた上で頭を撫でてあげる。そうすると、彼女はいっそう力強くオレを抱き締めてきた。


「……うん?」


「? どうかいたしましたか?」


「……いや、何でもないよ。それよりも、魔法の授業で何かあったのか?」


「……お兄さまは何でもお見通しなのですね」


 オレが問うと、カロンは胸に顔を埋めたまま語り始めた。


 案の定、カーティスは、弟妹たちの堪忍袋を刺激する発言を連発したようだった。そのせいで、手加減のための魔法操作に苦労したとカロンは言う。


 だから今は、こうしてストレスを発散しているんだ。他人のことを言える立場ではないが、兄とハグしてストレス解消できるとは、立派なブラコンである。


 カロンがこの調子なら、オルカの方も早めに顔を出した方がいいかもしれない。彼もブラコンの気があるからなぁ。


 抱き合いながら頭を撫で続けたお陰で、しばらくするとカロンは落ち着きを取り戻した。


「そ、それで、お兄さまは、どのような用件でいらっしゃったんでしょうか? 【位相連結ゲート】まで使用したということは、よほどの危急だと一考いたしますが」


 照れくさそうに頬を朱に染め、彼女はオレから離れた。可愛いすぎるぞ、我が妹よ。


 ……って、それどころではなかった。早く戻らないと、彼女が目を覚ます前に治療できない。


「治療してほしい人がいるんだ。結構重症でね」


「承知いたしました。すぐに向かいましょう!」


 患者と聞いてカロンは即答する。ケガ人は絶対に見捨てないという気概が、言葉の端々から溢れていた。本当に優しい子に育ってくれた。


 彼女の姿を見て頬笑みを溢しつつ、オレは三度みたび位相連結ゲート】を開く。行く先は、当然ニナの元だ。


 カロンを伴い、一軒家に戻る。ソファではニナが眠っており、あれから目を覚ました気配はない。


 カロンは、ニナを認めると即座に駆け寄った。彼女の惨状に一瞬だけ眉をひそめたものの、その後は滞りなく治療を施していく。


「終わりました」


 治療開始より三十秒も経たずして、ニナは完治してしまった。この速度には、オレも目を見開く。彼女の治癒能力は、予想を遥かに超えて上達しているようだった。


 とはいえ、同時に納得もする。教会の協力要請を数多くこなしてきたんだ。努力家のカロンなら、回数を重ねるごとに腕を上げていても不思議ではない。


「かなり酷い状態でした。肋骨の六本、全指の末節骨、手根骨、大腿部が骨折していて、内臓や血管も相当数が傷ついていました。特に手足の末端部は、深刻なレベルで粉々でした。わたくしの光魔法でなければ、おそらく二度と指を動かせなかったと思います」


「……そうか」


 オレは多くの言葉を呑み込んで、一つ頷いた。


 あの奴隷商人、そこまで苛烈な虐待をしていたのか。かなりの重傷だとは分かっていたが、カロンより聞く診察結果は衝撃的だった。


 大きく息を吐いて、胸の内にわだかまった感情を緩和させる。


 そんな時だ。ニナが「ううん」と身じろぎをした。ケガが回復したお陰か、そろそろ気絶から復活する模様。


「カロン、来て早々悪いけど、城に戻っててくれ。オレは彼女の介抱をしてから帰るよ」


「でしたらわたくしも……」


 カロンが助力を申し出るが、オレは首を横に振った。


「それは止めておいた方がいい。その気持ちはありがたいんだけど、事情があるんだ」


 境遇からして、貴族を恨んでいる可能性が高い。実際、彼女の妹ヒロインは復讐心で身を焦がしていた。見るからに貴族然としているカロンを、ニナと邂逅させるのは悪手だろう。わざわざ一軒家に連れ込んだ意味もなくなってしまう。


 姿を変える手もあるけど、カロンの場合は口調が仰々しいからなぁ。たぶん、すぐにバレてしまう気がする。


「……そうですか。承知いたしました。お兄さまがそう仰るのですから、相応の理由があるのでしょう。大人しく帰参いたします」


「悪いな」


 やや躊躇ためらう雰囲気を出していたが、彼女は了承してくれた。


 オレは申しわけなく思いつつも、彼女の頭を撫でて「許してくれ」と謝罪する。


「いえ、わたくしは大丈夫です。先も申しましたが、お兄さまには何か考えがあると理解しております。わたくしは、お兄さまの決断を尊重いたしますわ」


 カロンは、そう言って頬笑んでくれた。含むところのない、まぶしい笑みである。


 それから、彼女は開きっぱなしだった【位相連結ゲート】を潜り、城へと帰っていった。


 彼女が潜り抜けるのを見届けてから、オレは【位相連結ゲート】を閉じる。


「……んー? ッ!? うううううううううう!!!!!!」


 タイミング良く、ニナが目を覚ましたようだった。

 

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