Chapter1-5 内乱(4)
起きた時には、準備はほとんど整っていた。増援に送られる騎士団の精鋭十人はすでに待機中。支援物資の調達も荷馬車へ積み込み済み。オレが不在中のフォラナーダ領運営の実案も提出されていた。
残るのは微調整のみで、それも午前中には終わるはず。お昼直後くらいには出発できるだろう。
「ふぁああ」
オレはアクビを噛み殺しながら、出立前の朝食を取るために食堂へ向かう。時間の余裕はあまりないので、提出された書類に目を通しながら歩く。
前世にて鍛えた速読能力は便利なもので、食堂の席に座る頃には、厚さ数センチはあった紙束を読了した。
これといって訂正する箇所はなかった。部下が優秀なお陰だ。
着席すると、すぐさま朝食が運ばれてくる。昨夜の時点で食事の時間は伝えていたため、待ち時間はほぼゼロだった。
それと同時に、カロンが入室してくる。彼女はスケジュールを調整し、必ず食事の時間をオレと合わせているんだ。
「おはようございます、お兄さま」
「おはよう」
いつもは天真爛漫に挨拶をしてくれるカロンだが、今朝は些か明快さが陰っていた。
おそらく、昨晩は遅くまで会議に参加していたせいで眠いんだと思う。アクビはしていないものの、目をパチパチと何度も瞬かせているし。ちゃんと起床できただけ偉い。
カロンの朝食も、彼女の着席とともに用意される。それから、二人で食事を始めた。
まだオルカの姿が見えていないけど、彼の場合、一緒に朝食を取ることは稀だった。というより、朝食自体を抜くことが多い。
何故なら、オルカはとても朝が弱かったからだ。低血圧気味らしく、どうにも朝は頭が回らないんだとか。
寝る時間が遅めだったため、オレたちの朝食の時間も普段より遅かったけど、オルカが食堂に足を運ぶのは昼頃になるだろう。
そういうわけで、オレとカロンは二人っきりで食事を楽しんでいたんだが――
「どういうこと、ゼクス
あと二時間は顔を出さないと思われていたオルカが、ものすごい勢いで食堂へと突入してきた。
彼は興奮冷めやらぬといった様子で、オレの元へ詰め寄ってくる。こちらの両肩を掴み、このままではキスしてしまうくらいの距離まで顔を近づけてきた。
いくら愛らしい容姿をしているとはいえ、義弟とキスするのは不味すぎる。オレはオルカとの間に両手を挟み、落ち着くよう説得を試みた。
「近い近い。まずは落ち着いてくれ。話はそれからだ」
「そんな場合じゃないよ! 先に説明して!」
ところが、彼に聞く耳はなかった。オレの言葉は一切耳に入っていないみたいで、グイグイと体を寄せてくる。
うわっ、今唇が微かに触れなかったか? やばいやばい!
無理やり引きはがすことも可能なんだけど、これほど興奮状態のオルカにそれを行うと、ケガをする可能性がある。
どちらを優先するかで対応は変わるが……考えている暇は残されていない。
いよいよ限界か。そう思われた時、不意にオレへかかっていた力が弱まった。
何事かと視線を巡らせると、オルカの背後にカロンが立っていた。彼女は彼の腰に手を回し、オレから引きはがそうと懸命に引っ張っている。
そうだよ、カロンや使用人たちに助けを求めれば良かったんだ。思っていた以上に、オレも混乱していたらしい。
二人分の力があれば、オルカにケガを負わせず処置できる。オレはカロンと連携し、何とか彼の引きはがしに成功する。
その後、怒髪天を衝く勢いでカロンがオルカへ説教を始めて悶着したが、ようやく落ち着きを取り戻した。
オルカが冷静さに戻ったところで、オレは目の前で正座する――カロンがやらせた――彼へ問う。
「いったい、何があったんだ?」
まぁ、原因の察しはついているんだけど、一応本人の口から聞いておきたい。
すると、彼はポツポツと起床後の流れを説きだした。
「ボクが起きたのは、ついさっきだったんだ。ほら、昨日は色々あったから寝つきが悪くて……。それで、朝の仕度をしてた時、使用人の一人に言われたんだよ。午後一番でビャクダイ男爵領へ向かうから、きっちり準備しようって。何のことが分からなくて訊き返したら、ゼクス
「驚きすぎて、さっきみたいな行動をしちゃったと?」
「うん」
オルカは羞恥で頬を染めながら頷く。
絵面の破壊力が抜群すぎる。男とは思えない。見た目は完全に美少女のそれだ。
妹がダントツであるのは間違いないが、オルカも追随できる可愛らしさだった。どうして男なんだろうか。
……って、そんなこと考えている場合ではない。
オレは惑いかけた思考を、頭を振って元に戻す。
「……使用人の話って本当なの?」
ためらい気味に、オルカが尋ねてきた。
その声音には不安と期待が込められている。今にも
やはり、事前に覚悟を決めたといっても、実の家族の助かる確率があるのなら、手を伸ばしたいようだ。当然か、彼はまだ七歳の子どもなんだから。
オレはオルカの不安が拭い去れるよう、精いっぱいの笑顔と優しい声を努めた。
「本当だよ。オレたちはビャクダイ男爵家の人たちを助けに行く。オルカも一緒にな」
「ぼ、ボクも?」
まさか自分も同行するとは考えていなかった模様。彼は目を見開いた。
オレとしても、心情的には連れて行きたくなかった。だが、現地で顔が利くオルカがいると便利なんだ。
何より、援軍の話をすれば、本人が同行を強く希望することは目に見えていた。無理に抑えて勝手に行動されるよりも、手元に置いておいた方が管理しやすい。
最初こそ理解の及んでいなかったオルカだが、徐々に状況を把握したらしい。瞳をキラキラと輝かせ、勢い良く立ち上がった。
「出立の準備をしてくる!」
「分かった。出発予定時刻は、三時間後の午後一時だ。それまでに荷物をまとめておけよ」
「うん!」
小気味良い返事をし、オルカは食堂から出ていく。
その背中に、昨日までの悲壮感は映っていなかった。彼の心配は、もういらないだろう。
「まったく、世話が焼けますね」
オレが内心で安堵していると、カロンが嘆息した。
どうやら、オルカの慌ただしさに呆れているみたいだった。
彼女の態度を見たオレは、思わず笑声を溢す。
「ふふふ」
「な、何かおかしかったでしょうか?」
「いや、何も」
カロンが動揺しつつ尋ねてくるけど、オレは首を横に振ってシラを切った。
ただ、浮かんだ笑みは消し切れていない。そのせいで、今もカロンは訝しげな視線を向けてきている。
でも、許してほしい。今でこそヤレヤレと肩を竦めているカロンだが、今回の騒動で一番精力的に動いたのは、他でもない彼女なんだから。
カロンはオルカを誰よりも心配し、オレが動くよう説得した。
それだけではない。皆語らないが、部下たちにも何か伝えていたんだと思う。たぶん、『お兄さまは、きっとオルカのために行動を起こします』といった示唆をしたんじゃないかな。
妹がここまで他人を想えるようになって、オレはとても嬉しい。カロンの成長を実感できることが、喜ばしくて堪らなかった。
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