第015話 腹が減っては戦はできぬ

 意識が浮上してくると、俺はなんだか物凄く柔らかいものに包まれて未だかつてない幸福感に満たされている。


「ん……んん……」


 悩まし気な声が聞こえてきて、俺は急にハッとして現実へと帰還を果たした。


 そういえば、俺は昨日何にもない土地にやってきてテントで寝たんだった。


「〜〜!?」


 しかし俺が目を開くと、本来テントが視界に移るはずなのに、そこにあったのは一面の肌色。俺の顔は二つの曲線に挟み込まれていた。


 それになんだか物凄く良い匂いがする。男を惹き付けるその匂いにドキドキしてしまう。


「ん、うーん……」


 追い討ちをかけるように、俺の真上から女性のものと思われる艶かしい声が降ってきた。そして徐々に自分が置かれている状況を理解していく。


「お主は……面白いやつだ……むにゃむにゃ」


 そう。俺は昨日空から落ちてきた女の子、ソフィに頭を抱かれていたのだ。


「のわぁああああああああ!?」


 その瞬間脳が一瞬で覚醒して状況を完全に理解し、俺は転がるようにソフィの腕の中から脱出する。


―バサァッ


 俺はテントの入り口を潜り抜け、気づけばテントから転がり出して外に出ていた。


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」


 俺は先程までの光景を思い出し、息を上げて呆然となる。


 ただ、俺はソフィの腕の中から強引に抜け出してきたにも関わらず、彼女が起きてくることはなかった。


「くかー……すぴー……」


 テントの入り口を開けて中を覗き込むと、ローブのはだけたソフィがスヤスヤと気持ちよさそうに寝ている。


「はぁ……これは慣れそうにないな……」


 ローブの中身は裸。あられもない姿を晒すソフィに、俺はすぐに入り口を締め、ため息を吐いて首を振った。


「うっ」


 改めて顔を上げると、外はすっかりと日が昇っていて、遮るもののないこの場所を太陽は容赦なく照らし付ける。俺はその眩しさに思わずうめき声をあげ、目を細めて庇を作って太陽の光を遮る。


「ひとまず、顔を洗うか……」


 悶々とした気持ちを覚醒させるために泉に向かうと、水底まで見通すことが出来るほどの透明度を誇る水が泉に溜まっていた。


 中心には昨日と同じように水が数メートル程噴き出したままになっていて、溢れてしまう分は俺が作った水路へと流れ出ている。俺は地面に膝をついてその水を手で掬い、口に含んだ。


「やっぱり美味いな……」


 昨日も飲んだ水だが、ダンジョン都市で飲んでいた水と比べるのも烏滸がましいくらいに口当たりが良く、雑味のない水であった。


 それに心なしか、体に活力が溢れてくるような気がする。魔力を多く含んでいる、というのが関係しているのかもしれない。


「さて、今日はどうしたものか」


 俺は今日の予定を考える。


 水はあるが、食べ物がない。昨日持ってきていた食べ物は全部ずぶ濡れになってだめになってしまっていた。


 農作物を育てようにも収穫には何カ月もかかる。なんにせよすぐに食べられる物が何一つない。


「当面の食料の確保が最優先か。そうなると、海か森か山に行く必要がある。その中で食料が一番豊富そうで収穫しやすそうな場所は……森か」


 俺は顔を洗い、森の方を見つめながら呟く。


「我が連れてってやるぞ?」


 俺の後ろから声をかけてくるソフィー。


 振り返ると、立ち上がっているおかげでローブがきちんと機能し、彼女の体を隠してくれている。俺は先程まで自分がローブの中に隠された部分に挟まれていたのかと思うと、顔が熱くなった。


「ソ、ソフィー起きたのか」


 俺は慌てて返事をする。


「うむ、良く寝たぞ。それで、顔が赤いようだが、どうしたのだ?」

「い、いや、なんでもない」


 ソフィの質問に、俺は朝起きた時の光景を思い出しながら首を振った。


 流石にお前の胸に挟まれてドキドキしたなどとは言えない。


「そうか、それでどうする?あの森なら我の背に乗せて連れて行ってやるが」


 俺に問題がないことが分かったソフィが再び問い直す。


 俺としては歩いて行くのに時間がかかりそうだから運んでもらえるのはありがたい話なんだけど、彼女はあまり体調がよくないはずだ。


「でもお前体調悪いんだろ?止めておくよ、無理をさせるのは悪いしな。歩いて行けるんだから、歩いていけばいいし」

「気にするな。あの程度の距離などドラゴンに息を吸う以上に簡単なことだ。無理と言う程のこともない」


 だから彼女に無理をさせたくなくて遠慮したんだが、そのくらい大したことじゃないから乗っていけと宣う。


 そこには微塵も無理をしているという雰囲気はなかった。


「そこまで言うのならお言葉に甘えて連れて行ってもらおうか」

「いいだろう」


 二度も断るのも悪いし、俺がありがたく彼女の提案を受けさせて貰うと、彼女は満足げに頷いた。


「助かる。ありがとう」

「ふふふっ。このくらいお安い御用だ」


 感謝の言葉を述べると、彼女は嬉しそうに笑った。


「わかった。その前に、どれ、我もここの水をいただこうか」

「いくらでも飲んでくれ」


 彼女も喉が渇いたらしく、俺と同じように泉の水で顔を洗った後で、しゃがみこんで水に直接顔を突っ込んでがぶがぶと水を飲んだ。


 こういう所はドラゴンらしいな。


「ぷはーっ。これは凄いぞ!!魔力が溢れ出てくるようだ!!」

「それは良かった」


 満足するまで飲んだソフィは満面の笑みを浮かべる。その表情に俺まで嬉しくなる。


「うむ。この水だけで売り物になるぞ?」

「そんな大げさな。ただの水だろ?」


 ソフィがそんなことを言うが、まさかただの水が売り物になるわけがないだろう。


「はぁ……お主は全くこの水の価値を分かっておらんようだな。まぁいい」


 ソフィになんだか呆れられてしまったようだが、どういうことだろうか。


「それじゃあ、早速森に行くぞ」

「あ、ちょっと待ってくれ」


 そんな俺の疑問への答えはなく、すぐに森に行こうとするソフィ。俺は彼女を制止し、荷物から革袋を取り出して一杯に水を汲み、空の背嚢を背負い、必要な物を装備した。


「悪い。待たせた」


 俺は泉からもテントから別の場所に移動していたソフィの許にやってきた。


「気にするな。それでは少し離れておれ」

「ん?あぁ、そういうことか。分かった」


 俺が声をかけるなり離れるように言うソフィに、一瞬意味が分からなかったが、ドラゴンに姿を変えるのだと理解し、彼女から距離を取る。


「え!?」


 俺が離れたことを確認したソフィは、突然ローブを脱ぎ捨てる。


「あっ」


 思わず顔を逸らすと、ソフィがローブを破かないように配慮してくれたのだと理解した。


『もうよいぞ?』


 彼女の声に、逸らした顔を元に戻すと、一瞬でドラゴンに姿を変えていた。


「改めて見ると、凄く綺麗だな」


 俺はソフィを見上げると、太陽に照らされた青い光沢を放つ黒い彼女は、物凄く綺麗だった。


『な、なぬ!?』

「どうかしたのか?」


 ソフィが焦ったように変な声を出したので、俺は首を傾げて問いかける。


『な、なんでもない。それではアイギスよ、背中に乗るがいい』

「分かった」


 少し焦ったように返事をするソフィ。


 大丈夫ならいいんだけどな。


 俺はソフィーの言葉に従って、何十メートルもあるソフィーの背中に飛び乗った。


『まさか我の背中にこうも容易く飛び乗るとは流石だな』

「それ程でもないぞ?」


 ただ背中に乗っただけなのにやたらと驚愕されてしまったので思わず肩を竦める俺。


『まぁよい。きちんと捕まっていろよ』

「あぁ、分かった」


 ソフィーの返答を受けて俺がしっかりと捕まると、彼女はバサリバサリ羽を動かして空へと飛びたつ。


「おお!!凄い、本当に空を飛んでいる!!」

『私はドラゴンだぞ?私にかかればこの程度出来て当然のことだ』


 地面から飛び上がり、徐々に地面から離れていくのを見て思わず感動してしまうと、ドラゴン形態だというのに俺に対して呆れているのが伝わってくる。


「しょ、しょうがないだろ?俺達人間は飛ぶことなんて出来ないんだし。まさかドラゴンに乗って空を飛ぶ日がくるとは思わなかったんだから」

『確かに人間が空を飛ぶなどと言う体験することは本当に稀かもしれないな』


 ソフィーの指摘に慌てて言い訳したら、思い直したように返事をする彼女。


 人には羽がなくて空を飛べないのは当たり前だ。


『それでは振り落とされないようにきちんと捕まっているのだぞ?』

「わ、わかった」


 俺はソフィーの言葉に同意して頷いた。

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