第16話:人類に幸あれ

 三日後の三舟亭。


 その日、俺は珍しくエイルと二人だけでテーブルを挟んで向かい合っていた。


「トシ~……お腹空いた~……何か作って~……」


 だらけにだらけきったエイルが厨房で働いているトシさんへと言う。


 ずっと気を張っていた反動か、今は液体生物のように机上で蕩けている。


「おう、ちょっと待っとけ」


 乗り気というわけではないものの、了承の返事が戻ってくる。


 こんな奴でも一応は恩人になるんだろう。


「しかし、まさかこんなにあっさりと解決するとはな……」


 閉店することなく変わらず営業を続けている店内を見渡す。


 いつも通り、古ぼけた店内に客の姿は少ない。


 これだけ見れば、とてもじゃないが健全な経営状態とは思えない。


 にも拘らず、どうして閉店の危機を乗り越えたのかと言えば――


 あの時、社長が提案してきたビジネスの話。


 それは『この店を深夜から早朝にかけての営業時間外だけ貸して欲しい』と言うものだった。


 哀伯亭グループはこれまで『若年層向けの大衆酒場』をメインに展開してきたが、新たなブランディング戦略として今度は真逆の『熟年層向けの隠れ家的酒場』を展開したいと考えていたらしい。


 そうして社長自ら街を歩いて物件を探していた最中に発見したのが、この店と例の料理の立て看板。


 もう何十年も食べられていなかった祖母の味を再現する店が、自分の探していた物件の条件と合致する。


 これはまさに運命だと彼は感じたらしい。


 祖母の味を再現出来る料理人を失くすのも惜しいと、変則的な賃貸契約にも拘らず金銭面でかなりの好条件を提示してくれた。


 しかも向こうの傘下に入るわけでもなく、この店はこれまでと何も変わらないまま残る。


 それどころか、古ぼけた店をレトロな小料理屋に改修するための費用を向こうが負担してくれる話も。


 まさにいたれりつくせり。これ以上にない理想的な解決となった。


「あっさりじゃないわよ。私の交渉術の賜物でしょ」

「お前のにはほとほと歓心するよ……いろんな意味でな……」


 エイルは暇な時だけではあるが哀伯亭グループで客引きの仕事をする条件で賃料を引き上げた。


 流石にそこまでしてもらうわけにはと断ろうとしたトシさんも、『人が大勢集まる場所で布教が出来るなんて願ったり叶ったりよ』と言われて押し切られた形だ。


 そうして、まさにWin-Win-Winの誰も損しない形で今回の騒動は幕を下ろした。


「いや、ほんまに……エイルの嬢ちゃんには頭が上がらんわ……」

「でしょでしょ? だから、孤児院の名前も『女神エイル記念育児園』に――」


 軽いツマミを持ってきたトシさんにエイルがまた良からぬ提案をしている。


 今は苦笑いしながら仕事へと戻っているが、この調子だと来週辺りには本当に改名されてそうだ。


 窓の一番目立つ位置にもアビス教の布教用チラシが貼ってあるし、今や一端の信徒と化している。


「でも信者一人を助けるのに随分と手間暇かけて、これじゃリーヴァ教超えなんてまだまだ遠いな」

「いいのいいの、大事なのは縁よ縁」

「縁?」


 こいつらしくない言葉が出てきたので聞き返す。


「そうよ。今回の件だって、トシが救いの女神である私に出会ったのが全ての発端なわけでしょ? それから社長が助けてくれるキッカケになったレシピは貴方があの変態と友達だったから手に入ったし、貴方が頑張って食材を集めてきたのもノアが色々とサービスしたからだし……」


 それは違うと言いたい部分はあるが、話の腰を折らずに黙って聞き続ける。


「更に根本を辿れば貴方が私の使徒になったこととか、貴方がノアを助けた縁にまで繋がるでしょ? つまり、本物の良縁ってのは何もしなくても勝手に結びついちゃうのよ。だから教団ってのは、ただ人が在るべき場所を作ってあげるのが一番なんじゃないかって思ったわけ!」

「……何か悪いもんでも食ったのか? それとも熱でもあるのか?」

「真面目に話してるんだから茶化さないでよ」


 ジトっとした目で睨みつけられる。


 俺は悪くない。急に真面目な話をし始めたこいつが悪い。


「それで……だったらわたしに出来ることってなんだろうって考えたんだけど……これも結局、余計なことはせずに、在るべき場所に在る人たちにこう願ってあげるのが一番なんじゃないかなって……『愚かな人類に幸あれ』って、どう思う?」

「……愚かなは余計だろ、愚かなは」

「そうかしら? じゃあ、『人類に幸あれ』で!」


 何か一つの答えにたどり着いたかのように、清々しい笑顔を見せるエイル。


 その顔を見ていると、かつてどこかで体験した古い記憶が想起される。


 はっきりとは思い出せない靄のかかった残滓のような記憶。


 けれど、それは間違いなく自分にとって大事な思い出だというのは分かった。


「……なあ、俺とお前って昔どこかで会ったことあるか?」


 思い出せそうで思い出せない気持ち悪さが言葉となる。


「はぁ? 何よ、それ……頭の軽そうなナンパ男が使う口説き文句?」


 素足でゴキブリを踏み潰してしまった時のような顔をされる。


「でもまあ……今回は頑張ってくれたし、土下座して頼むなら一晩くらいは考えてあげてもいいけどぉ?」

「いや、そうじゃなくて……本当に昔、会ったことないか?」


 何故か満更でもなさそうにしているニヤケ面を見ながらもう一度尋ねる。


 遠い記憶にある輪郭すら分からない朧気な影とこいつが何故が一致している。


 エイルも俺が冗談ではなく本気で言ってるのだと判断したのか真顔に戻る。


「昔、会ったことなんてあるわけないでしょ。地上に来たのは今回が初めてなんだから」

「そうか……そうだよな。それならただの記憶違いか……」


 まだ何か引っかかるところはあるが、本人がそう否定している以上はありえない。


 それにこんな奴と過去に出会っていたら、いくら昔の事でも忘れるわけがない。


 自分の記憶違いだと断定して、再び浮かび上がった記憶を心の奥底へとしまい込む。


「変なの……あっ、ノアも来たみたい……げっ、あの変態男もいるし……」


 通りに面した窓の外に目を向けると、ノアとテンガの姿があった。


 二人とも準備万端。


 今すぐにでも冒険に出発出来る格好をしている。


「さて、全員揃ったら次は何をするか作戦会議よ! 目指すは信者1億人と白金S級! 止まってる暇はないわよ!」


 さっきの大層な言葉が一気に陳腐化するほどの俗すぎる目標が宣言される。


 どちらの目標も道は見えたがゴールは遥か彼方。


 でも、どうして俺はこんな奴に付いて来てるのか今ようやく分かった気がする。


 こいつの側にいれば、少なくとも退屈とは程遠い人生を送れそうだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る