第17話:アビス教団

「がはっ……」


 衛兵帳が割れた鎧の胸部を苦悶の表情で抑えながら地面に膝を着く。


 その周囲には、既に部下である十人に及ぶ教団兵たちが倒れ伏している。


 勝負は決した。


 この戦いは俺たちの完全勝利だ。


「き、貴様……一体何者だ……」


 苦痛に堪えながら、尚も憎悪の感情を剥き出しに俺を見上げる衛兵長。


 その姿を見て、俺はここが今日一番の決めどころだと確信した。


 眉間に力を入れ、口元を引き絞ってキメ顔を作る。


「……俺か? 俺の名はル――」


 そして、いつか使う時が来るかもしれないと毎晩ベッドの中で考えていたクールな口上を――


「私は上天の万神座が一柱、禍福を司る女神エイルよ!」

「いや、お前が名乗るのかよ」

「そして、我らは『アビス教団』!」

「「ア、アビス教団……?」」


 初めて耳にする名称に、俺と衛兵長の声が完璧な調和を見せた。


「そう! 深淵の凍えを知りながら! それでも尚、正しき弱者を助け、歪んだ強者を挫く正義の教団よ! ちなみに寄付は一口100ガルドから! 入信届はアビスの三丁目四番地まで!」


 今思いついただろ……と言いたくなるような御託が並べられていく。


 俺が格好良く決めるはずだった場面は、瞬く間にエイルの独壇場と化した。


 その全てを持っていくような勢いは、さながらヴェリル砂漠で見られる大砂嵐のようだ。


「そして今、あんたらをボッコボコのケッチョンケチョンにしたこの男は私の右腕にして教団の最高戦力……ルゼル・アクストよ!」


 エイルが右腕をバッと振り上げ、隣に立つ俺を示す。


 よし来た! 今度こそ俺の番だ!


 斧を構え直して、出来得る限りのカッコいい決めポーズを取る。


「そう、俺こそ――」

「更に今日から新たに私の左腕として加わるのが……」

「なあ、せめて一言だけでも何か言わせ――」

「我が教団が誇る聖女の中の聖女!」

「あ、もういいっす……」

「人類を幸福な未来へと導く暁の双丘! ご存じ、ノア・グレイルよ!」

「え!? わ、私!?」


 唐突に名前を呼ばれたノアが、まだ涙の浮かぶ目を丸めて驚く。


「……いいから合わせなさい。悪いようにはしないから」


 ボソっと俺たちだけに聞こえるような声でエイルが呟く。


「え、えーっと……そう! 私は今日からエイル様のとこで働くの! だから、もう追いかけてこないで! 貴方たちの顔も見たくない!」


 かつては同じ神を崇めた者に対して、ノアが完全な決別を意味する言葉をぶつけた。


 そこからは過去の呪縛を断ち切り、自由になりたいという強い意志が明確に感じ取れる。


「き、貴様ら……何をしているか分かっているのか……? 我らが聖女を取り入れようなど……」


 苦痛と憤怒らしき感情で顔を歪める衛兵長の男。


 悔しそうな歯軋りの音が空気を通して伝わってくる。


 しかしエイルはそんな男を高みから見下ろしながら更に嘲る。


「ぷーくすくす……そんな情けない有様で脅したって何も怖くないわよ。今のあんたに比べたら、まだスカイフィッシュの稚魚の方が恐ろしいわね」

「間違いなく、死よりも悲惨な目に遭うぞ! ……我々ではなく、今度は聖騎士の手によってな!」


 衛兵帳の脅し文句を全く意に介することなく、エイルは続けていく。


「ふんっ、聖騎士でも整備士でもエビチリでもなんでもかかってきなさいな! そいつらがうちのルゼルに勝てるもんならね! あーはっはっは!」


 まさに虎の威を借る女狐の高笑い。


 だけど、その信頼感には何故だか悪くない心地よさがあった。


「ふはは……聖騎士の恐ろしさを知らぬからそんな口が聞ける……」


 衛兵帳は尚も、強気な態度を崩さない。


 それはまるで、自分たちが最終的には勝つことを確信しているようにも見える。


「ともかく! あの性悪欲深貧乳のリーヴァとその子飼い共に伝えておきなさい! 『散々見下した私にWSSされて悔しい? 今どんな気持ち?』ってね!」(※WSS=『私が、先に、聖女として見出したのに』の略。ミズガルドの百合小説界において密かな人気の倒錯的シチュエーション)

「なっ……貴様、我らが主までを愚弄するか……!」


 崇める神への誹謗に、男は更に憤怒の色を濃くする。


 その表情にはもはや殺意さえ籠もっている。


 しかし、エイルはそんなことで怖気づく奴じゃない。


 むしろそれが火に油を注ぐ結果にしかならないのは、油が注がれた火を見るよりも明らかだった。


「はっ、愚弄? 今のなんて愚弄の内に入んないわよ! 本当の愚弄ってのは……【ピー】とか【ピー】とか【ピー】みたいなのを言うのよ! ほら、分かったならさっさと全員連れて帰りなさい! いい天気だからってこんなところでいつまでも寝てんじゃないわよ! あんたらはリーヴァとその子分への伝令として生かしてあげてるんだから!」


 尋常じゃなく汚い言葉を吐き散らしながら、男たちに向けて手をシッシッと払うエイル。


 とてもじゃないが女神の所業とは思えない。(一日ぶり九度目)


「くっ……て、撤退だ……一度拠点まで撤退し、本部へ報告……それから作戦を練り直すぞ……!」


 今この場では勝機がないと判断したらしい衛兵長が指示を飛ばす。


 指示を聞いた教団兵たちが苦しそうに呻きながら順番に立ち上がっていく。


 そのまま俺たちに憎悪の視線を向けつつ、動けない仲間に肩を貸してどこかへと消えていった。


「ルゼル!」


 教団兵たちの姿が見えなくなった直後、駆け寄ってきたノアに勢いよく抱きつかれた。


「私……なんて言ったらいいのか……ほんとごめん、ごめんね……」


 俺の胸に顔をうずめながら、子供のように泣きじゃくるノア。


「そこはごめんじゃなくて、ありがとうって言って欲しかったところだけどな」


 また少し戯けながら応える。


 感謝こそされど、謝罪されるようなことなんて何もない。


 困っていた女の子がいたから助けた。


 俺にとってはただそれだけの話だ。


「でも、私のせいでルゼルまであの人たちに……」


 確かに俺たちの存在は間違いなくリーヴァ教内で敵として共有されるはずだ。


 そして、今度は世界最強と名高い聖騎士団がノアを連れ戻しに……俺を殺しにやってくる。


 退路は完全に断たれた。


 少し冷静になると同時に、僅かばかりの後悔と恐怖が心に去来する。


「別に、俺もあいつらがムカついたってだけだよ。それに、約束したろ? 俺がぶっ飛ばしてやるって」

「うん……ほんとに、ありがと……」


 手が背中に回され、柔らかい膨らみが惜しみなくぎゅっと押し付けられる。


 俺の辞書に後悔や恐怖なんて単語はない。


「さて、お楽しみのところ悪いんだけど。今後の話を手早く済ませましょうか」


 エイルがそう言いながら俺たちの方へと歩み寄ってくる。


 仇敵に一通りの罵詈雑言をぶち撒けたからか、その顔にはこれまで見た中で一番の満足げな表情が浮かんでいる。


「ノア、連中はまた貴方を連れ戻しに来るわよ。必ずね」

「うん……」


 蚊の鳴くようなか細い声で答えるノア。


 背中に回された腕には、更にギュっと力が込められる。


 みぞおちの辺りに押し付けられた肉厚には、固さという概念が一片たりとも存在していない。


 きっと、俺はこの瞬間のために生きてきたんだ。


 生と性への感謝の念が、俺という人の形をした器を満たしていく。


 人類に幸あれ。


「だから私とルゼルで貴方のことを守ってあげる」

「まあ、あそこまでやっちまったしな……」


 自分から首を突っ込んでおいて、一度撃退したから終わりというわけにはいかない。


 しばらく、少なくとも連中が諦めて一応の安全が保証されるまでは手助けするべきだ。


「その代わり、貴方には私たちの活動に手を貸して欲しいの。貴方が持つあの力を正しく使えば、きっと愚かな人類を正しい方向に導けるはずよ」

「おい、そういう話は今度でいいだろ。今はようやく落ち着いたところなんだから……」

「ううん、いいの」


 尚も勧誘を行うエイルを窘めようとした言葉がノアに遮られる。


「私、手伝いたい!」


 目元を服の袖で数度拭いてから、ノアがはっきりと宣言した。


 それと同時に俺から身体を離したことに関して、残念だとかそういう気持ちは特に無かった。


 無かった。本当に無かった。無いったら無い。無いっつってんだろ!


「いいのか? こんな胡散臭い女神の手助けなんて……」

「誰が胡散臭いよ。誰が」

「……本当にいいのか? これだぞ、これ」


 迷うことなくエイルを指し示しながら、もう一度意思を確認する。


 こいつとリーヴァ教とどっちがマシかは割と紙一重だ。


「うん! まず、ルゼルってすっごい強かったから守ってもらえるなら心強いし……それに~……」

「な、なんだよ……」


 意味深な表情で見上げられてたじろぐ。


「んふふ……ないしょ~。とにかく! リーヴァ教の人たちから守ってもらえるなら手伝うくらいは全然オッケー!」

「はあ……しかたねーな……」


 あれだけ自由を説いておいて今更拒絶するわけにもいかなかった。


「やった! じゃあ、これからご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします!」


 満面の笑みを浮かべながらノアが大きくお辞儀をする。


 ……かわいい。


「っしゃあ! 聖女ゲットォ! ふふふ……これで教団もかなり形になってきたわね」


 エイルが拳を振り上げ、勝利の雄叫びを上げる。


 女神のやっていい仕草じゃない。(十分ぶり十回目)


 こうしてノアが加わり、俺たち……改め、いつの間に決まったのか『アビス教団』の構成員は三人となった。


 なんと、敵対するリーヴァ教の一千万分の一だ。


「さーて、ノアにはまず何をやってもらおうかしら……これだけの上玉だし、愚かな男どもがガッポガッポ釣れるわよぉ……」

「おい、いきなり何をさせようとしてんだよ……リーヴァ教の連中みたいに、嫌がることを強要したりすんなよ……?」


 さっきの連中よりも何段階か上の悪人面を浮かべている女神を諌める。


 せっかく解放してやったのに、よりあくどいことに加担させるなら苦労が水の泡だ。


「大事な聖女にそんなことをさせるわけないでしょ。私がやるのは、みんなが幸せになれる清く正しい宗教的活動だけ! ていうか、昨日も言ったけど文句があるならあんたもアイディアを出しなさいよ!」

「そういうお前は余計なことを考えずにまずは教義でも考えとけ!」

「教義? そんなものより新しい私のキャッチフレーズを考えたのよ! 『会いに行ける女神様!』ってどう!?」

「何を馬鹿なこと言って――」

「わぁ~……それ、超やばいかもぉ……」


 口に手を当て、大いに感心しているノア。


 ああ、こいつら意外と似たもの同士なのな……。


「ふふん、なかなか見どころがあるわね。だったら貴方のも考えてあげるわ……そうね……。『R教の元聖女Nの衝撃デビュー!』なんてどうかしら?」

「なんかよく分かんないけど、それも良さげ~! ねっ、ルゼルはどう思う?」

「もう好きにしてくれ……」


 まるで互いが互いにとっての水であり魚であるように盛り上がっていく二人。


 今日からこいつらのお目付け役かと考えると頭が痛くなってきた。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆あとがき◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


いつも応援ありがとうございます。

第二章はこれにて終了となります。


「面白かった」「続きが気になる」と思ってくれた人は感想を……とまでは言わないので、★での評価をよろしくお願いします。

今後の執筆の大きなモチベーションになります。


三章までは書き溜めが終わっているので、何事もなければこのまま毎日投稿予定です。

拙作を引き続きよろしくお願いします。

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