第13話:ヘッドハンティング

「「あわわわわ……」」


 今度はエイルと共に、二人で肩を並べて身震いする。


 平原だったものは影も形もなく、今や周囲にはペンペン草の一本も見当たらない。


 そこにはただ、まるでいにしえの戦場跡と見紛うほどの空虚な荒野だけが広がっている。


 確かに俺たちは傷一つ負っていないが、これが単なる聖魔法によるものでないのは明らかだった。


「ん~……でも、またぎゃふんって言わなかったなぁ……。じゃ、もういっか――」

「ぎゃふんぎゃふんぎゃふん!!!! 終わり! 閉会!」


 まだ何かをしようと杖を構えたノアに向かって、エイルが興奮した犬のように叫ぶ。


「えっ!? じゃあ、合格ってこと!? いぇーい! 冒険者だ、冒険者ー!」


 杖を下ろし、全身を目一杯に使って合格の喜びを表現するノア。


 平時であれば、遠慮なく跳ね回るそのおっぱいに釘付けになっていただろう。


 しかし、今はそれから視線を外してでも確認しなければならないことがあった。


「な、なあエイル……一体、どういうことなんだ? 説明してもらえるか……出来れば専門用語は少なめで……」


 周囲の荒野を改めて見回しながら尋ねる。


 こいつはさっき、ノアが起こした現象について理解しているような反応を見せていた。


「……信仰力フィデスよ」


 ポツリと、重たい口調で短い専門用語が返ってくる。


「信仰力?」

「そうよ。前に私が言ったこと覚えてる? 天界では地上の人間から集めた信仰心をエネルギーとして利用してるって話。今のは言うなれば、それを用いた“奇跡”ってわけ。人の使う聖魔法と性質は似てるけど、根本的には全くの別物よ」


 珍しく神妙な表情のまま、大真面目な口調で話し続けるエイル。


 その言葉を頼りに記憶を紐解くと、すぐにあの路地裏でこいつから聞いた話を思い出した。


 天界に住まう神々は地上の人々に知恵と祝福を授け、見返りとして崇め奉られている。


 そして、その信仰心から生じるエネルギーが天界では最も重要な資源の一つであると。


「でも、それって天界の……神様の話じゃないのか? ま、まさかノアもお前の同類ってことなのか?」


 確かに神級のおっぱいを持ってはいる。


 だけど、この短期間で二人の女神と邂逅するなんて流石に考えづらい。


「いえ、それはないわ。あの子は貴方と同じ人間よ。そのくらいは見れば分かるわ」

「だったら、なんでそんな力を持ってるんだよ」

「それが分からないからやばいのよ。信仰力を使って奇跡を起こすことが出来る人間の存在なんて……天界うえの連中が知れば、どう動くか……」

「どのくらいやばい?」

「このくらいね」


 エイルが両手を目一杯に使って宙空に大きな円を描く。


「……もう少し具体的に頼む」

「ウン十万人規模の信仰力があれば、あの街を跡形もなく消し飛ばせるくらい」


 そう言いながらエイルが示したのは、背後にある世界有数の巨大都市だった。


「そんなに」


 冗談みたいな話だけれど、この惨状を体験した身としては信じざるを得なかった。


「マナによる魔法なんかとは比較にすらならない人の身に余る力よ……。でも、ただの人間に信仰力の知覚と制御なんて出来るはずが……もしかしてリーヴァ教の連中が何か……?」


 あのエイルが深刻な表情を崩さない。


 それが事の重大さを最も如実に表している。


「じゃ、じゃあ……リーヴァ教の元聖女ってのも……?」

「この状況を鑑みると事実でしょうね。昨日、あんたが巻き込まれたっていう諍いも、リーヴァの犬どもが逃げ出したあの子を連れ戻そうとしてたってことでしょ。全く、どこの馬鹿よ……特殊浴場の元No.1嬢だなんてとんでもない勘違いをしてたのは……」


 ジトっと心の底から蔑むような目を向けられる。


 一体どこの誰だ。そんな恥ずかしい奴は。


 俺だ。穴があったら入りたい。


「で、でもあの状況だと誰だってそう思うだろ……場所が場所だし……あのおっぱいだし……」

「見苦しい言い訳は後にしなさい」


 おろおろと言い訳を重ねているのを諌められる。


 普段と真逆なこの立場も今は甘んじて受け入れるしかない。


 何故なら俺は話に全くついていけてない周回遅れの勘違い野郎だからだ。


 あの男たちが必死になってノアを連れ戻そうとしていたのかを今更ながら真に理解した。


「今はそれよりも……」


 エイルの視線が再び喜びの舞いを踊っているノアへと向けられる。


「……どうする? どうしよう……」


 情けなさを大鍋で三日間じっくりと煮詰めたような声が漏れ出る。


 今更、とんでもなく厄介な事案を自ら引き入れてしまっていたのだと気づいた。


 知らなかったとはいえ、世界最大級の宗教組織の象徴である聖女の逃亡を幇助していたのだ。


 連中に捕まれば異端者として三日三晩、磔にされた上で最後は火炙りにされてもおかしくない。


「どうするもこうするもないでしょ……ピンチはチャンス! こうなったら、毒食らわば皿までよ!」


 エイルは力強くそう言うと、ノアへと向かって歩き始めた。


 一体何をしようとしているのか、周回遅れの勘違い野郎は黙って見ているしかない。


「エイル様? 怖い顔してどしたの?」


 ズンズンと威勢よく近づいてくるエイルの存在にノアが気づく。


 ここからその表情は見えないが、鬼気迫る表情をしているのが背中からも感じ取れる。


「ノア!」


 青空の下、どこまでも届きそうな澄んだ声が響く。


「ん? 何?」


 名前を呼ばれたノアが首を傾げ、平坦な口調で返答する。


 エイルはそんなノアのすぐ側で立ち止まると、両手でその手を取り――


「私と共に、おろ……迷える人類を導きましょう!」


 俺の時よりも少しばかりマイルドな表現になった決まり文句を発した。


「……え? みちび……?」

「そう! 上天の万神座が一柱にして禍福を司る女神であるこの私には、大いなる天命があるの! それは自らの叡智と加護を以て、地上に存在する全人類を幸福な未来へと導くこと! そんな役目を授けられた私が、ここで貴方と出会ったのはまさに奇跡……いえ、運命よ!」


 ポカンと立ち尽くしているノアに、歯の浮くような台詞をエイルが捲し立てていく。


 奇跡だの運命だのと、まるで道端で女の子をナンパしている頭の軽い男のようだ。


「貴方が持つその力は、私と同じく現世に遍く衆生を幸福へと導くために天から授けられたものに違いないわ!」


 思いついた言葉を端から並べているだけのような台詞がつらつらと紡がれる。


「今ここに、天から使命を授かった二人が会した! となれば、もうやることは一つしかないでしょ!! さあ、共に人類を次のステージへと導きましょう!!」


 外から見ても分かる程にノアの手を強く握りしめるエイル。


 一方のノアはまだ話に全くついていけてないのか、かなり困惑しているのが見て取れる。


「えっと……でも、私……冒険者に……」

「それについては大丈夫。うちは副業OKだから。あのルゼルだって冒険者をやりながら私の使徒として活動してるのよ。スケジュールの融通だっていくらでも利かせてあげるわ」


 充実の就業体制をアピールし続けるエイル。


 まさに毒食らわば皿まで。


 厄介事も全て引っくるめてノアを対抗勢力から引き抜こうとしている。


 ……って、黙って見ている場合じゃない。


 慌てて二人の元へと駆け寄り、何度目になるか分からない耳打ちをする。


「おい……お前、本気でやってんのか?」

「何よ! 今、いいところなんだから邪魔しないでよ!」

「いいところじゃねーよ! もう少し考えて行動しろ! リーヴァ教から聖女を引き抜くなんてしたら、どうなるのか分かってんのか? 下手しなくても三千万人の信者と全面戦争だぞ!?」


 リーヴァ教と言えば、世界最強と名高い聖騎士団を筆頭に大国の軍隊にも匹敵する武力を持った教団だ。


 そんな連中から聖女に改宗を促す邪教徒だと認識されれば、待ち受けているのは破滅しかない。


「わ、分かってるわよ……」

「だったら、ここは一旦落ち着いて今後の処遇についてはもっと現実的な――」

「分かってるけど、私は大事な聖女を取られて悔しがるリーヴァの吠え面が見たくてもう仕方がないのよ……」


 大きく見開かれた目が、ギンッギンに血走っている。


 本気だ。こいつは本気でリーヴァ教に真っ向から喧嘩を売る気だ。


 最高にイカれてやがる。


 これまでも散々イカれた奴だとは思ってきたが、それ以上だ。


「ル、ルゼル……私、どうしたらいいのかな……」

「とりあえず、こいつは無視でいい。一旦街に戻って、今後の事について――」

「考えたところでどうなるっていうのよ。リーヴァ教の追手は絶対にその子を諦めないわよ」

「ぐっ……」


 困り顔で助けを求めてきたノアの手を引いて街に戻ろうとするが、核心を突かれて足が止まる。


「聖女なんてそこらへんにいる見てくれだけの女を拾ってきて適当にでっち上げればいいものを、わざわざ徒党を組んで取り戻しにきてるのよ? それだけ重要な存在ってことじゃないの」


 それは間違いない。


 あれだけ躍起になって連れ戻そうとしてたのには、さっきの力が関係している。


「だからって、リーヴァ教と真っ向からぶつかるなんて命がいくつあっても足りないぞ」

「じゃあどうするのよ。今更ごめんなさいが通用する相手だと思う?」

「それは……」


 また言葉が詰まる。


 エイルの言葉はほとんど正鵠を射ていた。


 逃亡を幇助したのは事実で、謝って済む段階はとっくに超えてしまっている。


 既に顔も見られてる以上、敵対は避けられない。


 それでも、なんとか解決法がないか思案していると――


「衛兵長! あの女の言っていた通りです! いました! ノア様と例の男です!」


 不意に後方、ミズガルドの方角から大きな声が聞こえてきた。


 振り返ると、そこにはまだ遠くではあるが十人ばかりの男たちの姿。


 そいつらは皆、あの路地裏で見た二人組の教団兵と同じ装備を身に着けていた。

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