第3話:楽園
敵対視する女神の圧倒的な信者数という現実に耐えられなかったエイルが倒れてから数時間。
あの後、あいつはまるで幽鬼のように虚ろな表情と足取りで店から出ていった。
多分あのボロ小屋に帰ったんだろう。
心配じゃないと言えば嘘になるが、何日かすれば元の馬鹿に戻るはず。
傷心の者にはしばらく干渉しないでおいてやるのも優しさだ。
それよりも今の俺には遂行しなければならないもっと重要な使命があった。
魔光石が織りなす光を辿り、強い目的意識を持って一歩一歩と夜の第四地区で歩みを進める。
通りから一つ、また一つと裏路地へ入っていく。
そうして辿り着いたのは、怪しげな桃色の光に包まれた区域。
昼間の大通りと同等か、ある意味でそれ以上の活気に満ち溢れるここは通称『
スラム街であるアビスとはまた違った第四地区の裏世界。
向こうが深淵だとすれば、こっちは楽園と呼ぶべきか。
その名が示す通り、生きとし生ける全ての男たちの欲望を満たす桃源郷だ。
有り体に言えば風俗街だが、ただのそれとは一線を画している。
入ってすぐのところには挨拶代わりに獣人やドワーフなどの亜人種の専門店。
少し奥に進めば各国の民族衣装に対応したコスプレ店が並ぶエリア。
裏路地に入れば言葉にするのも憚られるような特殊プレイ専門の店も存在している。
世界広しといえど、ここよりも多くのその手の店が立ち並ぶ場所は存在しないだろう。
「お兄さん! お遊びどうっすか!」
「いい娘いるよ!」
「パネル見学だけならタダでっせ!」
足を踏み入れてからまだ十歩と進んでいないにも拘らず、怒涛の客引きに遭う。
道行く通行人たちは、凶暴な魔物もかくやのギラギラとした殺気を放っている。
下調べで聞いていた以上の場所だ。
意思の弱い奴なら客引きにやられて既に入店してしまっているだろうが、俺のお目当てはもっと奥にある。
ゆっくりと、『通り道なだけでお店には興味ないですよ』風のオーラを発しながら道を進んでいく。
そのまま数分ほど歩き続けると、魔光石の輝きが少し落ち着いた場所へと到着した。
月刊ミズガルドで下調べした通りなら、ここから先が高級店街に当たるらしい。
一般の店とは違う、ハイレベルな嬢たちによるスペシャルなサービスが受けられる店が居並ぶファビュラスなエリア。
何を隠そう、俺は今日ここに童貞を捨てに来たのだ。
どうして急にそんなことを決意したのかと言われれば、それは昨日死にかけたことに起因する。
あの時は何とかギリギリのところで難を逃れたが、今後もそう上手く行くとは限らない。
冒険者は常に死と隣り合わせの職業。
登録した時に覚悟は済ませたつもりだったが、それでもやっぱり童貞のまま死ぬのだけは絶対に嫌だ。
この際、プロが相手でもいいから卒業しておかなければ死んでも死にきれない。
「さあ、行くぞ……」
決意を改め、大事なモノを捨てるための大いなる戦場に身を投じる。
右を見ても左を見ても、遊べば2時間で5万ガルド以上の費用を要する店ばかりだ。
流石は高級店街……。
しかし、今の俺には飛竜を倒して得た大金がある。
その気になれば今から夜明けまで遊んだってお釣りがくる。
金と言う名の全能感に支配されながら通りを歩いていると、ふとある光景が目に入った。
「我ら!」「生まれた日は!」「違えど!」
三人のまだ若い冒険者らしき男たちが円陣を組んで叫んでいる。
「「「脱童貞は同じ日、同じ場所を願わん!」」」
円陣の中央で手が重なる。
あれこそ通称『
新人冒険者たちが成功を願い、今度は潤沢な資金を持ってこの楽園に戻って来ることを誓う儀式だ。
懐かしい光景に胸が打たれる。
俺もちょうど三年前の今頃、一緒に冒険者登録をした二人の仲間とあれをやったのは良い思い出だ。
まあその内一人は既に童貞じゃなかったし、もう一人に至っては半年も音信不通だけどな。
でも、それはつまり今のこれが抜け駆けにはならないってわけだ。
あいつらには悪いが、一足先にこの世の楽園を楽しませてもらうことにするぜ。
そんな言い訳を考えながら歩いていると、遂に目的の場所へと到着した。
「あったぞ。あれが噂に名高い……」
十数mほど先にある白い建物を見据える。
白を基調とした厳かな雰囲気のそれは、『聖レリジオ大教会』と書かれた看板を掲げている。
どこからどう見ても立派なお風呂屋さんだ。
「流石に目の当たりにすると緊張してきたぜ……」
でも大丈夫。
システムは前もって予習済みだ。
まずは中に入って入浴料を支払い、浴槽付きの個室に通される。
個室に入ると、先に入っていた女の子と目があって二人は恋に落ちる。
そこから先は何をしようが自由。
教祖×聖女の背徳的洗礼プレイだって許される。
だって二人は恋人同士なんだから。
いやー……不思議な場所があるもんだなぁ……。
実に合理的なシステムだと感心しながら、入店後のシミュレーションを終える。
後は本番へと挑むだけだ。
さあ、いざ
入り口付近で恭しく待機している神官風のボーイに意気揚々と話かけ……
――スタスタスタ。
……ようとしたけど、怖くなってそのまま店の前を通り過ぎてしまった。
この期に及んで俺の意気地なし……!!
道の端で愕然と膝をついてしまう。
脳内予行演習は完璧だったはずなのに、どうして……。
自分の情けなさに頭を抱えていると、今度はいきなり頭の中に直接響くような声が聞こえてきた。
『分かるぜ坊主……その気持ち……』
な、何だ!? 誰だ!?
その場でキョロキョロと周囲を見回すが、誰かが声をかけてきた様子はない。
ただ、道行く
店に入ることすら満足に出来ない情けない若者をあざ笑っているのか……?
『頑張れ……頑張れ、坊主……』
いや、違う……。これは俺へのエールだ。
この声の正体は、この地に息づく彼らの集合的無意識が生み出したモノだったんだ。
そうか……この人たちも今の俺と同じ道を通ってきたのか……。
『そうだ坊主……俺たちもみんな通ってきた道さ……』
なんだ、俺は一人じゃなかったんだ……。
自分が孤独ではないと知った瞬間、まるで背中から羽が生えたように身体が軽くなった。
こんなに心安らかな気持ちは初めてだ……もう何も怖くない!
再び決意を固め、今度こそ楽園の入り口へ向かって一歩踏み出そうとした時だった。
「――から! ――もん!」
ちょうど真横にある路地の奥から何かが聞こえてきた。
誰だ、こんな時に無粋な奴は……。
「――様! どうか――さい!」
また聞こえてきた。
さっきは女の声で、今度は男の声。
どうやら男女が何かを言い争っているみたいだ。
「ぜ~~~~ったいに……やだ!!」
また続けて、今度ははっきりと何かを拒絶する女の声が聞こえた。
こんな場所での男女の諍いになんて絶対に関わりたくないな……と思いながらも、身体が声の方に引き寄せられてしまう。
野次馬根性か、正義感か。それとも単なるスケベ心からか……。
足音を立てずに近づき、積み上げられた古い木箱の陰から現場をひょっこりと覗き込む。
そこ居たのは腰に武器を携えた衛兵風の男二人と、長細い棒状の物体を持った若い女の子。
「ノア様、どうか自らのご意思でお戻りください。私どもとしても、出来れば手荒な真似をしたくありません」
女の子を追い込むように、壁際へと向かってじりじりと詰め寄る二人組の男たち。
「だから、何回も嫌だって言ってるでしょ! あんなとこには絶対に戻んないって!」
対して女の子は言葉では果敢に抵抗しているが逃げ場は無く、完全に追い詰められてしまっている状況だ。
そして男たちは言葉通りであるなら、これからあの子に手荒な真似をしようとしているらしい。
だから、俺はその光景を見た瞬間――
「おい! テメーら!」
そのまま木箱の陰から飛び出し、迷いなくその間へと割り込んだ。
あーあ、またやっちまったよ……と思いつつも、大した後悔の念は湧いてこなかった。
どうしてかって? それは――
「女の子一人に男二人で寄ってたかって何やってんだ!」
その子のおっぱいがめっちゃ大きかったからだ。(男として、困っている女の子を見過ごすなんて出来なかったからだ。)
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