第46話 旅行の準備は入念にしないとよね
「~♪」
自室のベッドの上で楽しそうに鼻歌混じりで洋服を吟味しているのは、南峯家のご令嬢であり私がお仕えしている主、南峯いのり様である。
彼女が何故こんなにも浮かれているのかと言うと、土曜日から彼女の意中の人である塚田卓也さんと1泊2日の横濱旅行が始まるからです。
と言っても、私も同行しますし、彼女の知人である白縫様も一緒なので、2人きりの旅行ではありません。
というか、そもそも旅行ではありません。
しかしそうは言っても、やはり旅行。嬉しいものは嬉しいようです。
私も、多少は…。いえ、とてもテンションが上がっています。
彼女が眠りについたあと、粛々と支度を進める算段です。
当日は、どんな服を着ていくか悩みますね…。
「…ふふ」
こんなことで悩んでいる自分がおかしくなる。
でも、嫌な気分ではありません。むしろ喜ぶべき変化だと言えます。
いのり様と私は、5年前のあの日から、ずっと日陰を歩いてきたのだから…。
父親とは仲違いし、能力の事を話せないおかげで他の家族とも深く話せず、心がゆっくりと荒んでいったいのり様。
私はそんないのり様のサポートでいっぱいいっぱいでした。
そんな日陰にいた私たちを、陽の当たる場所に強引に引っ張ってくれたのが卓也さんです。
それ以来いのり様やご当主様だけでなく、家全体が明るくなった気がします。
(ちなみに、家の人には長年の父娘のわだかまりが解けたと誤魔化してあります)
ですが、流石にちょっとはっちゃけ過ぎな気もするのです…。
「お嬢様」
「なに?」
「本当にその下着を持っていくのですか…?」
「え、ええ、そうよ。悪い?」
「いえ…」
お嬢さまの手には、すこぶる布面積の小さい黒のショーツがありました。
このような大胆な物をお持ちである事にも驚きましたが、それよりも先ほどの奥様の発言に、私は非常に驚かされました。
お嬢様はその時の発言に影響され、このような物を取り出すことに…。
回想どうぞ。
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『いのり』
『何?お父さん』
『
夕食時に司が、昼間の話題をいのりに振る。
『あ、言うのを忘れていたわ。今度の土日よ』
いのりはそれに対しサラッと返事をした。
だが司は当然引っかかる。
『え、泊まり…?日帰りじゃなくて…?』
『そうよ。何か用事でもあったかしら…?無いわよね、愛』
『ええ、ありません。けど、ご当主様が引っかかるのはそこではないかと』
『…?』
他の理由に全く思い当たるフシがない、といった表情のいのり。
そこにはとぼけているといった意図は感じられなかった。
『…え?分かりませんか?』
『ええ』
このままでは埒があかないので、仕方なく愛が解説することに。
『いくら仲直りに貢献してくれた卓也さんと言えど、いきなり娘と外泊はちょっと…と心配されてるのですよ』
『ウンウン』
愛の解説に完全同意する司。
頷きすぎて首をいわせそうなほどだ。
『でも、別に2人きりじゃないわよ。愛もいるし、白縫って娘も一緒よ』
『白縫…白縫さんとこの娘さんもか?なんでまた…』
『…あ、それは…』
そもそもその白縫を護衛する為の外泊だとは、卓也と外泊すること以上に言えない事情であるため、流石のいのりも言いよどんでしまう。
このことを話してしまえば、流石の司でも全力で阻止しに来ることは明白だ。
いのりは思わずしてしまった失言に、己の迂闊さを反省していた。
愛も助け舟を出そうと、この場を乗り切る言い訳を必死に考えている。
しかし、舟は思わぬところから出港してきた。
『いいじゃないの、お泊まり!』
『…幸子?』
『お母さん』
先ほどまで食事をしながら司たちのやりとりを静かに見ていたいのりの母、
それだけでなく、娘の外泊に賛同するような事を言っている。
『奥様…?』
愛はいのりの母親である幸子が、いのりの味方をしている事に驚いていた。
年頃の娘が、いくら他に人が居るとはいえ男性と泊りで出かけるというのであれば、普通は司のような反応をするものだ。
それが何故か幸子は違っていたのだ。
愛も司も、どういう意図で幸子が"良い"と言ったのか測りかねていると、幸子は話を続けた。
『ねえいのりちゃん。その旅行って、もしかしていのりちゃんがその卓也くんって子を誘ったんじゃないの?』
『…そう、かもしれないわね』
旅行が主目的ではないためハッキリと言い切りはしないものの、流れは幸子の言う通りいのりが強めに押し卓也がしぶしぶ了承したというカタチなので、幸子の問いかけを肯定するいのりだった。
その返答を聞いて、さらに満足げになる幸子だった。
『やっぱり母娘なのね』
『…?どういうこと?』
『私もね、司さんとどうしても結婚したくて、今のいのりちゃんみたいにいーっぱい頑張ったのよ』
『おい…幸子その話は』
昔を思い出すように楽しそうに話す幸子と、触れられたくないのか話を止めようとする司。
いのりと愛は何の話なのだろうと、幸子が続きを話すのを待っていた。
幸子は司の制止を無視し話を続ける。
『私にとって司さんはね、近所に住むお兄ちゃんだったのよ』
『へぇ、じゃあ幼馴染ってやつだったのね』
『そうねぇ。でも8つも歳が離れていたから、やっぱり近所のお兄ちゃんって感覚の方がしっくり来るかしら』
いのりや愛にとっては初耳の、両親の幼い頃の関係。
幸子曰く、幼馴染にありがちな"一緒に登校"や"お互いの部屋で受験勉強"などのイベントは通過しなかったため、幼馴染ではないそうだ。
その理屈にいのりも愛も納得していた。
そして司は、余計な事を言わないかヒヤヒヤしながらも食事を進めるのだった。
『私が小学生の時からちょくちょく遊び相手になってくれたり、遠くの街に連れて行ってくれたりして、面倒を見てくれてたのよ。遠くって言っても今思えば電車で30分くらいのところだったんだけどね、小さい私にとってはちょっとした旅行気分だったわ』
『何かいいわね、そういうの』
『そうですね』
『それでね、好きだなって自覚したのは私が中学生で司さんが大学生から社会人になるくらいのあたりかしら。具体的なエピソードがあったわけじゃないんだけれど、ずっと一緒にいたいなーって』
『…』
3人で昔の幸子のコイバナに盛り上がる様を、司は極力意識しないようにしていた。
本当だったらすぐ止めさせたい気持ちもあるのだが、再びこのように親子で談笑する時間を迎えられたのに水を差すのもどうかと、ギリギリのところで踏ん張っていたのだ。
まだいのりと和解していなかった頃、自分の居ない所では楽しそうにやっていたのかと言うと、決してそうではなく。
全体的に元気が失われていたという事は、愛からの報告や幸子からの相談で知っていた。
なのでこの手の話題を子供にされるのは気恥ずかしいが、なんとか耐えようと1人頑張っている司だった。
『でもね、私が高校3年生に上がったころかしら。もうすぐ大学受験をするって時に転機が訪れたの』
『うんうん』
『司さんが私の志望する大学の卒業生だったから、受験勉強を見てもらうっていう名目で月に何回か部屋に来てもらってたんだけど。ある日ね、私が家族と外で夕食を食べに行った時に、街で知らない女の人と一緒に歩いている司さんを見かけちゃったの』
『ひどいわねお父さん』
『…』
理不尽な非難が司を襲う。
『後から聞いた話だと、会社の同僚の人だったんだって。でもその時はまだ付き合ってなかったらしいの。だけど女の人の方はその時確実に司さんを狙う狩人の目をしてたの。司さんの方も、美人だったし満更でも無さそうな顔だったわ』
『ふーん…』
『…』
理不尽な娘からのジト目が司を襲う。
『私の方は、司さんを部屋に呼ぶためにワザと司さんと同じ大学を志望校にしたり、私の事を意識させるように、部屋に来たらあの手この手を使ってみたんだけど、あんまり効果を感じられなかったのよね』
『…』
司は「8つも年下の娘に誘惑されるか」とツッコミたかったが、結婚している以上説得力は無いと感じ、黙っていた。
『それで焦った私は、ある日司さんに"賭け"を持ちかけたの』
『うんうん』
『…(ゴクリ)』
いのりも愛も幸子の話にすっかり夢中になり、いのりは食事の手がすっかり止まっていた。
『今度の模試で志望校の判定がA以上だったら私のお願いを一つ聞いて、ってね。本当は「大学を合格したら」にしたかったんだけど、そんな悠長なことを言っている時間もないと思ったし。あの時は頑張ったわね…ちょっと無理して志望校を選んじゃったもんだから』
『それで?』
『結果は無事A判定だったわ。それで次に司さんが勉強を見に来てくれた日に結果を見せたの。そしたら素直に褒めてくれて、「何を聞いて欲しいの?」って言うから、私は…』
『黒木さん』
『ハイ、旦那様』
これまで沈黙を貫いてきた司が、同じく静かに部屋の端で待機していた屋敷の世話係である黒木に一言声をかけた。
すると流れるような所作で、座っている幸子を部屋の外に引きずり出そうと動いた。
『ちょちょちょっと待って黒木さん!まだ全部話してないの!』
『すみません奥様、これ以上は』
黒木の物凄い力に抵抗むなしく、幸子は部屋から退場させられてしまいそうになる。
だが幸子も最後の悪あがきに、いのりにメッセージを残そうとした。
『良い、いのりちゃん!待っちゃダメよ!本当に欲しいものは自分で掴むの。卓也くんって子の事は良く知らないけど、歳の差も世間体も立場も気にしないで。自分の心に従いなさい!お母さん、いのりちゃんの選んだ人なら信じるから。だから今度私にも会わせてえええぇぇぇぇぇぇ…』
バタン、と大きな音を立てて扉が閉まる。
南峯家では暴走した幸子を世話係がつまみ出すというのはよくある光景だ。
なので部屋の外の使用人も別段気にする様子はなく、「またか」と思う程度だ。
とはいえ、会おうと思えば当然すぐ会えるので、司は念のため
『いのり、愛。聞くんじゃあないぞ』
と、2人に釘を刺したのだった。
________________________
ということがあり、すっかりやる気になってしまったお嬢様なのでした。
ちなみに、今はネグリジェを手に取り赤面しながらブツブツと唱えています。
普段はピンクのフリフリのパジャマを愛用しているいのり様にとって、その組み合わせはほぼ裸と言っても過言ではないでしょう(?)
ここは私が、主が変態への道を歩む前に止めないといけませんね。
『あの、お嬢様』
『な、なに?愛』
『そんなに恥ずかしいのなら、お止めになった方がよいのでは?』
『は、恥ずかしくなんてな、ないわよ』
少し話し掛けただけでこの動揺ぶり。
やはりまだ早すぎますね。
『お嬢様』
『な、なによ』
『そんなに1人で無理しなくても良いんじゃないでしょうか』
『は、む、無理なんてしてないわよ…』
『卓也さんに見てほしいという気持ちは私も分かります。同じような感情を私も持っておりますから…。でもまだ私たちは会って間もないワケですから、無理してお嬢様らしくない事をしても、卓也さんには響かないじゃないでしょうか』
『…』
『確かに奥様のような力技も時には有効かもしれませんが、それまでの付き合いがあってこそだと思うんです』
『それは、そうよね…』
先ほどの話を聞く限り、付き合いの長さは受験の時で10年以上はあったと思われます。
それに比べ私たちは、まだ会って間もない。同じことをしても、引かれて終わってしまう可能性が高い。
『じっくりと親交を深めて行きましょう』
『うん…わかったわ…』
良かった。
主を会って間もない殿方に半裸で迫る変態にせずに済んで、私も一安心です。
さて、それではそろそろ私も自分の支度をしましょうかね。
まだ2日もありますが、早いに越したことは無いでしょう。
『じゃあ、一緒に卓也くんを落としましょう!愛!』
『……は?』
話が通じてないようで、ガッカリです。
どうしてそのような結論に至るのでしょう。
『愛の言う通り、1人で頑張るのは大変だものね』
『あ、いえ、1人でというのは、卓也さんと一緒に過ごす事でという…』
『愛も、しまってあるセクシーなヤツを持って行きなさい!』
………………は?
『確か一着こんなようなの上下で持っていたわよね。あなたもソレを持って行くのよ。いい?』
『いや、え、なんで知って…誰に、いや私は…』
『つべこべ言わないの。これは命令よ、いい?』
何故お嬢様は知っているのか、誰に聞いたのか。
聞きたい事は色々ありますが、言いたい事はただ一つです。
どうしてこうなった…。
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