第45話 出発前
「遅くなってスミマセンでした」
俺はデスクに戻ると、開口一番同じ課の人に謝罪をした。
理由はもちろん長時間席を離れてしまったことについてだ。
繁忙期では無いとはいえ、いち社員が取っていい休憩時間をゆうに越えてしまっていた事は間違いない。
なので指摘される前に申し訳ないという気持ちを見せた。しかし
「ああ、社長から聞いてるからいいよ。大変だったねぇ」
すでに社長から根回しされていたようで、みんな気にしてる様子は無い。
むしろ憐れまれてしまった。何て説明したんだ…?
「あ、あと広報の篠田さんから1時間くらい前に内線があったよ」
「ありがとうございます」
俺は着席すると篠田に折り返す前にメールを立ち上げた。
未読のメールが何件か来ており、その中にやはり篠田からのメールもあった。
内線を折り返してほしい時は必ず代理で出た人間に折り返しを頼むが、今みたいに内線があった報告だけの時は"すぐの折り返しを要求していない"時だ。
「えーなになに…」
誰にも聞こえないような声で呟きながら篠田からのメールを開くと、
そこには奇妙な文面が並んでいた。
====================
Sub:内線折り返し不要
お疲れ
手が空いたら話がしたいんだけど、M2(第2ミーティングルーム)に来れない?
来るときは事前に時間をメールして。
よろしく。
====================
相変わらずぶっきらぼうな文面に加え、何がしたいのか分からない内容がつづられていた。
用事くらい書けよと言いたかったがボヤいても仕方がないので、とりあえず『16時にM2に行く』と返信し、業務に戻った。
そして、遅れない為に俺は急いで業務に取り掛かった。
_____________________________
「お疲れー」
「あ、お疲れ」
16時になり約束の場所に行くと、既に篠田はいた。
しかし、何か様子がおかしい。いや、様子というか…。
「なぁ」
「な、なに…?」
「なんでヘッドセット付けてるのか、聞いてもいいか…?」
そう、篠田は何故かヘッドセットを装着して俺を迎えたのだった。
そこまで本格的ではないが、ヘッドホンに口元までマイクを下ろしてくるタイプのヘッドセットだ。
広報の仕事でビデオ通話をしているところをたまに見るので、ヘッドセットを着けている姿を見るのは違和感はない。
が、何故に今なんだ…?
「…気にしないで」
どうやら、理由は教えてくれないようだ。
まあいいか。
「あっそ、別にいいけど…。ほれ」
「っと…これって」
俺は持っていた2つの飲み物の片方を篠田に渡し、残りの缶コーヒーの方のプルタブを開けて飲み始めた。
「好きだろ、それ」
「好きだけど、コンビニじゃないと売ってないじゃない…コレ」
「まあ、ついでだついで。なんか愚痴りたいことでもあんだろ?口が渇くと思ってな」
「…」
俺は適当なイスに腰かけると、篠田の反応を待つことにした。
それにしても…
「隣の会議室、騒がしいな。誰が使ってるんだ」
女子の声がキャーキャーと聞こえてくる。
オフィスビル3階の会議室・応接室エリアは、社員が使用しているグループウェアの設備予約から誰でも部屋を押さえることが出来る。
お昼ご飯を食べても良いし、今みたいにちょっとした雑談に使用しても問題は無い。
急きょ重要な打合せが入ったら交代してくれと頼まれる場合もあるが、基本的には早い者勝ちだ。
ただし、当然だが外部の人間や役員などが使用している場合もあるので、あまり大きな声で話したりするのはNGだ。
その認識は全社員で共有している。ハズなんだが…。
「あー…隣、五月蠅かった?ちょっと声が大きかったわねぇ。盛り上がっちゃったのかしらねぇ…」
「ああ、まあ今日はお客も来てないみたいだしいいんだけど…あれ?静かになったな」
「よかったよかったーあはは」
「…?」
なんだこのぎこちない篠田は。ソワソワしているし。
なんかあったのか?差し迫った事情が…。
「どうしたんだよ、今日は」
「あー…その。あのね…」
「ああ」
「お昼の事なんだけどサ…」
昼…と言えば、女子会をやっていたんだったな。
「旨かったか?
「あ、うん。スゴイ美味しかったよ」
「そりゃよかったな。今度夏の新メニューが出るらしいぞ。行ってみるといいよ」
「うん。それで、なんだけど…お昼休みに見たんだ…」
「…?見たって、何が?」
いつもの3倍くらいの遅さで進んでいく俺たちの会話。
スピードというより、何かこう…遠回りしているような感覚。
俺はいいが、普段ハキハキ喋る篠田がこの遅さだったら我慢できないだろうに。
今日はその篠田がえらくハッキリしない態度だ。
余程の悩みがあるんじゃないかと勘ぐってしまう。
「見たのよ…アンタが女の子と二本橋の方に歩いていくのを…」
「…」
あー…それね。確かにボナペティートの前を通ったよ…うん。
まさか少し前を通ったところを目撃されていたとは思わなかった。
「あー、実は社長のお客さんの娘さんをね、ちょっと接待でね」
「ふんふん…南峯財閥のお偉いさんをね…」
「あれ、知ってたのか?」
「え!?ええ、ちょっとね、それでその娘さんとドコ行ってたのよ」
「宝来だけど…」
「はぁ!?アンタ、社長の娘さんをあそこに連れて行ったの!?」
まあ、そうなるよな。
どう考えたって、財閥令嬢をもてなす店じゃあない。
それは宝来に行った事のある篠田から見たら当然の反応だった。
「私以外の女の人をあそこに連れて行くなんて信じられない…!」
「は…?」
VIPゲストの娘さんを汚い店に連れて行ったから怒ってるんじゃないんかい。
「コホン…いえ、なんでもないわ。それより、本当にただ娘さんを接待しただけなの?」
「…というと?」
「手、繋いでたじゃない」
厳密には手は繋いでいない。
最初は腕を組んでいて、街に出てからはいのりが俺の袖を引いていただけだ。
遠くからだとそう見えていたのか。
「ちゃうねん」
「なにがよ?」
「初めて来る街だったから、はぐれないようにね」
「はぐれるほど混雑してないじゃない」
「そう、だったかな?」
「そうよ」
一体どうして俺は詰められているんだろう。
百歩譲って、若い女の子に手を出すヤバイ趣味の男だと思われるのはいい。
だが、あまり深入りされて能力の事に触れられるのはマズイ。
篠田にまで危険が及んでしまう恐れがある。それはなんとしても避けたい。
どう躱すか…。
「いや、ホント篠田が思っているような事は何もないよ。娘さんの付き人も一緒だったし」
「あ、ええ…そうね」
篠田が少しだが怯むのを感じた。
恐らく篠田は愛も目撃しており、この後追及するつもりだったんだろう。
先にこちらからそのカードを切ってしまえば、予定が狂い勢いは止まる。
本当に誤解なんだけどな……泣けるぜ。
「何を勘違いしているのかは知らないが、娘さんは高校1年生だし、お付きの人とも何もないって」
「…本当かしら」
「そうだよ。それに、俺のタイプはもっとスタイル抜群で一緒にスポーツをしてくれるような年の近い女性だからな」
「!?」
コレは本心ではなく、遠回しに篠田を褒めている。
これで怒りの炎が鎮火してくれればいいのだが…?
チラリと篠田の表情を見る。
「確かに、アンタのタイプじゃないわね…」
(消えてたー)
俺は満更でもない表情の篠田を見て内心ほっとした。
これ以上2人についてあらぬ疑いを持たれて、(無いとは思うが)調べるなんて展開になったら面倒だ。
なのでここで何としてもこの話は終わりにしたかった。
そして、その目的は達せられたように思う。
「そういえばさ、次の3連休って、どっか行くの?」
「え、ああ。そうだな」
「全部?」
「あー、少なくとも土日は出かけるな」
「そう…」
唐突に休日の予定を聞いてきた篠田は、俺の何とも言えない曖昧な返事に考え込む。
もちろん俺は本当の事は言えないので、ぼかすしかない。
・タイプじゃないけどあの2人と泊りで出かける⇒死
・護衛の任務を受ける事にしました⇒死
言えるワケない。どっちみちヤバイのだから。
「もしかして、実家に帰るとか?」
今度はどう躱そうかと思案していたところ、向こうから思わぬ助け舟が。
確かに実家なら、連休というシチュを活かしつつ聞こえもいい。
それいただきだ。
「ああ、よくわかったな」
「やっぱり。じゃあさ、あたしも一緒に…」
「ん…?」
「ってアホかぁ!」
篠田は急にヘッドセットを床に叩きつけると、部屋を飛び出していく。
それとほぼ同時に、隣の会議室からもバタバタと人が飛び出していく音が聞こえた。
会議室に一人取り残される俺。
「…何だったんだよ」
俺は篠田の置いて行ったヘッドセットや飲み物を回収し、机を整える。
そして部屋に備え付けられたアルコールとペーパーナプキンで全体をサッと拭くと、部屋を出た。
会議室の使用後は必ず原状復帰と簡単な掃除をすることになっている。
しないと総務部からキツイお叱りを受けることになっているのだ。
さらに、念のため隣の部屋も確認する事にした。
もし隣の会議室の使用者が使ったまま全員出て行っており、運悪く総務が通りがかったらコトだ。
自分には被害がないかもしれないが、誰かが叱られるのを見るのもな。
「あら?」
「星野さん」
隣の会議室には社長室の星野さんが、俺と同じく部屋の原状復帰をしていた。
近くには5人分の飲み物と、ヘッドセットが何組か置かれていた。そういうことか。
「…手伝いますよ」
「あら、助かるわぁ」
星野さんはポワポワとした様子で俺の提案を受け入れた。
俺は飲み物の処理を星野さんにお願いして、その間にテーブルを正しい位置に動かしていった。
そして、2人揃って拭き掃除をしておしまいという段階に差し掛かったところで、星野さんが俺に話し掛けてきた。
「塚田くんって、悪い人ねぇ」
「そうですか?盗み聞きよりかはマシだと思いますけどね」
「そうかもしれないわねぇ」
篠田のおかしな様子と残された道具から察するに、星野さん達が隣の部屋の篠田を遠隔操作し色々とやっていたのだろう。
そして最後に篠田を怒らせてしまい、この企画は終わった。
みんな、ノリがいいなぁ。
「怒ってる?」
「いえ、別に。楽しそうだなって」
「ふふ…」
可笑しそうに笑う星野さん。
その笑顔は、流石わが社の癒し系と言われるだけのことはある。
とても元気になる、眩しい笑顔だった。
俺よりも歳は1つ上だが、少なくとも俺の居る間に浮いた話は出てきていなかった。
こんなに美人で優しいのに、不思議だ…。
ちなみに営業部を始めとする様々な部署の人がアタックしたが、みな悉く撃沈しているそうだ。
誰が言い始めたか、裏では『撃墜王』などというあだ名で呼んでいる人もいるとか。
失礼過ぎる…。
「ねぇ、塚田くん」
「はい?」
俺が星野さんに関する逸話を回想していると、またしても声をかけられた。
「誰とは言わないけど、女の子を泣かせちゃダメよ」
「…そうですね」
きっと星野さんは篠田におせっかいを焼いている。
だから篠田を後押しするよう動いているのだろう。
だが俺は、先ほどの出来事で今までの世界と異世界の生活を両立させることの難しさを思い知った。
言えないことが多すぎる。
言えない話題に行かないようにかなり手前から秘密にしなくてはならない。
これで今まで通りの関係を維持できるのだろうか。
相手を思えばこそ、本当なら離れた方が良いのだろう。
(俺は、ワガママかな…)
平穏な日常を取り戻しつつも俺と関わろうとするいのりと、果たして何が違うのだろうと少し反省した。
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