第34話 雨降って(中編)
『本日、アメリカ第4位の投資銀行であるハーマンブラザーズが、事実上の経営破たんとなりました』
6年前。
テレビからは、アメリカのとある投資銀行が倒産したというニュースが飛び込んで来た。
それは、父から代々続く財閥の責任ある立場を引き継いだ司にとって困難な試練の始まりを知らせていた。
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予兆はあった。
ハーマンブラザーズ倒産の前年に、アメリカの5大投資銀行に数えられる銀行の傘下企業が、ある金融商品に多額の投資をし、その失敗により倒産していた。
その金融商品とは、低所得者向け住宅ローン、通称サブプライムローンだ。
当時アメリカは、住宅の価値が年々上昇を続けているという状況にあった。
そこで銀行は、本来であれば審査の通らないような低所得者層にも高金利で住宅ローンを組ませていった。
何故銀行が回収できなくなる可能性の高い低所得者に融資をしていたのかというと、担保として住宅を押さえていたからだった。
年々価値の上がる住宅が担保であれば、仮に返済が不可能になっても銀行は回収した住宅を売却する事で利益を得ることが出来る仕組みだ。
さらに銀行はその債権(お金を返してもらう権利)を投資銀行に売却し、投資銀行はそれを他の金融商品と抱き合わせたりして証券化し、世界中の投資家に売っていた。
やはり本来であればハイリスクハイリターンのこの商品だが、住宅価値の高騰に加え格付け会社の高評価が後押しし、ローリスクハイリターンの商品に早変わりをした。
しかしこの美味しい話は、住宅価格が上がり続けることが前提だ。
1年前から住宅価格は停滞していき、同時にローンの払いが3か月以上滞る案件が続出。
証券としての価値が一気に低下した。
先に倒産した投資銀行と同様、この商品に多額の投資をしていたハーマンブラザーズも次第に業績が悪化した。
他の銀行への売却の話なども持ち上がったが実現には至らず、政府支援の話も頓挫。
かくして、5000億ドルという多額の負債を抱えハーマンブラザーズは倒産したのだった。
「社長、そろそろ役員会議のお時間です」
「…ああ」
秘書が私を呼びに来たので、重い腰を上げ会議に向かう。
会議の内容は、これからの南峯グループの方針についてだ。
わが社に限らず日本企業は今回の金融商品に積極投資をしているワケでは無かったので、"直接的な"ダメージは被っていなかった。
バブルを経験していたおかげで、日本は今回の不動産バブルには慎重になっていたのが功を奏したと言える。
しかし国際社会故に、主要国の経済危機は世界中に大きく波及してしまった。
例えばアメリカ経済の崩壊により"円"を買う動きが活発化し、急激な円高となった。
それにより輸出業は利益が大きく減少。
また製造業も、工場などをコストのかかる国内から海外に移転していっている。
そうした産業の空洞化で国内の中小企業は需要を失い、倒産する企業が相次いだ。
連鎖倒産やリストラにより、日本経済は大きく低迷した。
初めは対岸の火事といった受け止め方をしていた世間も、間接的な影響でたちまち不況の渦の中に入っていった。
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「以上が、この四半期の推移となります。次に…」
「…」
本社ビルにある大会議室には本部やグループ子会社の幹部連中が勢ぞろいし、ハーマン倒産後の各社の様々な報告を繰り返していた。
当然景気の良い報告などは一切なく、「軽傷だった」が最も良い報告と言える有様だ。
特に貿易関係のダメージは深刻だった。
先ほど報告をしていた担当者は今も顔面蒼白といった様子で俯いている。
しかも、対応に追われここ何か月かロクに睡眠も取れていないのだろう。
目の下には大きなクマが出来ている。
それ以外の分野の担当をしている者も、同じく日々の対応と悪い報告の連続でみな憔悴しきった顔をしている。
ふと手元の会議書類に目をやる。
決算直後の役員会議時よりも多く分厚い書類の中の一つを選びめくる。
あるページに「人員整理リスト」という見出しが出てきた。
既に先ほど担当者から直接聞いたので、内容は把握していた。
私が社長に就任する前に出向していた子会社の、非常に良くしてくれていた人たちの名前がリストに記載されていたことも、当然把握していた。
「それでは社長、どうぞ」
進行役が私の順番を指示したので席を立つと、会議参加者たちを一度見る。
「此度は、このような未曽有の経済危機により甚大な被害を受けたセクションもありこの何か月か、非常に大変な思いをしてきたことだろう。それでも何とか持ち堪えてこれたのは、皆の尽力あっての事だと感じている。ありがとう」
私はまず初めに、皆に感謝の意を伝えた。
「今回の件で、皆が責任を感じる必要は一切ない。国際社会の弊害とも言うべきか、我々ないし日本の努力だけでは避けられぬ事態だったと思う。しかし、今後我々が泣くか笑うかは、間違いなく我々の力にかかっている」
次に自分の担当部門・担当会社の成績不振に気落ちしている社員を励ましつつも、全員を鼓舞するように大げさに語り掛ける。
「この不況の波を乗り切るための方針を考えた。皆の忌憚ない意見を聞かせてほしい」
人員整理などせずとも会社が存続・躍進できればと願い、皆で知恵を出し合った。
そしてそこからの1年は多忙を極めた。
私だけでなく、全社員がそうだっただろう。
父から社長を継いでからはあまり家で過ごす時間を取れなかったが、住宅ローン問題以降はさらに機会が減ってしまった。
国内支社や海外拠点を飛び回り、会社で一晩過ごす事もしょっちゅうあった。
子宝に恵まれ、家には妻と6人の子供たちがいるが、寂しい思いをさせた事だろう。
子供たちは皆優秀で、勉強・スポーツ・芸術など様々な分野で良い成績を収めていた。
時間に余裕があった3番目の子までは、しっかり褒めてコミュニケーションを取っていたのだが。
下の子三人は特に構ってやれる時間が少なかったな…
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『南峯司は経営の天才である』
『南峯司は血も涙もない鬼経営者だ』
5年前。
当時の司に対する世間の評価は、大きく分けてこの2つだっただろう。
結論から言うと、司が打ち立てた経営方針・戦略は成功した。
この大不況においても黒字を維持できた数少ない企業と言える。
まだ世界は不況のさなかにあり、南峯グループも浮かれている状況ではなかったが、各メディアはここぞとばかりに司の商才を称えた。
そこには、気の滅入るニュースばかりでは良くないので少しでも明るい話題を提供したいというメディアの意図も介在している。
司の取った戦略は見事と言えるものであったし、そこに疑いの余地はない。
それでもグループ企業全てが無事、軽傷というわけにはいかなかった。
そのためグループ内では、人員整理が決行されてしまった。
『この人でなし』
『お前には人の心が無いのか』
『南峯司は人の心が分からない』
これらは、司が直接言われたことや、週刊誌の記事の中に出てきた言葉である。
全てのメディアが司の経営手腕を称えていたわけではなく、中には批判的な事を書く雑誌も存在した。
当時日本中の企業では、非正規社員を中心に雇用契約解除をするという動きがみられた。
手っ取り早いコスト削減をするためだ。
南峯グループも、いくつかの子会社で非正規社員の雇用契約解除を余儀なくされた。
しかし先述の通りこの事は南峯グループに限った話ではなく、どこの企業も行っている。
それでも週刊誌の記事にされてしまうのは、"良い方”の記事で司が目立っていた為、暗い内容の記事は一層世間の目を惹くであろうという出版社の戦略だった。
記者はわざわざ昔司が出向していたという子会社を調べ上げ、そこで契約解除された社員に聞き込みをし、司と親しくしていた社員のインタビューを記事にした。
『当時非常に良くしていたのに、こんなに簡単に切られるなんて…』という感じの記事に、良い関係エピソードや、現在どれほど困窮しているか、といった話が添えられていた。
どこまでが本当でどこまでが嘘かは読者には分からないが、司はこれが自分の世話になった社員の話だという事がすぐに分かった。
しかしグループの長という立場上、大勢を助けるための仕方ない決断だった。
司は心を鬼にして、グループの人員整理を進めたのだった。
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『ありがとう。君の能力は確かに本物だね。ここまで正確に分かるなんて大したもんだ』
『えへへー』
ああ、これはきっと罰だーーー
人の心が無い 人の心が分からないとまで言われ、世話になった人も切り捨てる…
そんな鬼のような心を持つ私への神様が与えた罰なんだーーー
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