二章第7話

 村田は何も言わず、テレビを指さした。

「これの答えが分かるか?」

 そこに映っているテレビを見ると、白い小さな球が映し出されていた。問題は何の卵かだった。

「卵のう?」

「何のだ?」

「セアカゴケグモかな?」

「そうだな」

 一般的には難しい問題だなと思いながら見ていたら答えは“蜘蛛の卵”だった。蔵之介は納得が行かず、海も納得がいってないのかその場で何度か跳ねてくるくると歩き回った。


 蔵之介が話をはぐらかされたと気づいたのは寝る直前のことだった。まあいいかとそのまま眠りについた。


 次の日、蔵之介はいつも通り目を覚ますと、みそ汁が出来上がりごはんが焚けていた。

「村田さんもう起きたのかな?」

 みそ汁の鍋の蓋を開けるとわかめと豆腐といちょう切りの大根が入っている。

「あとはおかずか」

 と蔵之介は冷蔵庫を開いた。


 それから蔵之介と村田と海の奇妙な生活が始まった。

 蔵之介は海のご飯を買ってきて、海の与え自由に過ごさせていた。しかし村田は蓋が厳重に閉まるゲージを買ってきて、海に入るよう指示した。

「なんで急に入れるの?」

「居れてるゲージを置いてないと、毒蜘蛛の放し飼いがバレた時問題になる。置いておけば何かあった時言い訳ができるだろう」

 理由としてはずっと入っていろ、ということではないようだった。海は仕方なく一度中に入って見せるが、すぐに壁をよじ登って出てきた。そしてまた入って中にある木に穴の空いた小屋に入って行ってそのまましばらく出てこなかった。

 どうやら部屋としては気に入ったらしい。各自部屋を持ち、平凡な生活が続いた。しかし蔵之介の心は何かかけたようなそんな感覚が胸の中を事あるごとによぎっていた。

 何か大切なものなくしてしまったような、喪失感。それは両親のことではない。どこかに帰る場所があるような、帰りたい場所があるような気がしていた。それでも今の生活は平和で何の問題もない。村田との生活もそれなりに楽しかった。この生活がこのまま続けばいい、そうすれば喪失感はきっとなくる。そう思っていた。


 しかし二週間程経ち、突然海が居なくなった。部屋の中を探し回ったがどこにもいなかった。蔵之介は心配になり、外にも探しに向かった。近所の公園や、近くの山へと続く茂みを捜し歩いた。歩き回っていつの間にか暗くなっていていることに気付き。これ以上遅くなると村田さんに心配をかけると思い、とぼとぼと歩いて家に向かった。


 家に帰ると、村田は帰宅していて出迎えてくれた。帰っても海は居なくて蔵之介はへこんでテーブルに突っ伏した。

「海どこ行ったんだろう?」

「そのうち帰ってくるだろ」

 村田は焼いた魚とご飯とみそ汁に昨日の残り物の煮物を並べた。

「うん」

 蔵之介はそれを食べて風呂に入り眠りについた。しかしぐっすり眠れず夜中に目が覚めた。


 リビングに向かい、カーテンを開ける。すると目の前の高さの窓に海が張り付いていた。

「海」

 蔵之介は慌てて窓を開けた。

 すると海はぴょんと部屋の中に飛び込んだ。

「どこに行ってたんだよ、心配したんだよ」

 海は体の向きを蔵之介に向けた。よく見ると背中に白い小さい蜘蛛を乗せていた。眠っているのか白い蜘蛛は動かなかった。

「何? その蜘蛛」

 蔵之介が触ろうとするが、海はぴょんぴょんとその場で跳ねた。すると背中の蜘蛛はころりと背中から落ち、床に転がった。

「アズチグモかな?」

 突然のことに白い蜘蛛は飛び上がり、その場でくるくる辺りを走り回った。海と、蔵之介の存在に気付くと、白い蜘蛛は突然糸を吐き出した。その糸は宙を舞って白い蜘蛛にかかるとそれはふくらみ、人間のサイズほどになった。

「え、なになになに!?」

 蔵之介は驚いて尻もちをつき後ずさる。

 その蜘蛛が糸を払いのけると、そこからは小柄な少年が現れた。白い着物のような服を着て、膝をつき頭を下げた。

「蔵之介様! どうかお戻りください」

 その少年は震えた声で言って、荒く肩で呼吸をしていた。泣いているのか鼻を啜った。

「な、なに?」

 蔵之介は海と少年を交互に見た。海は歩いて、テーブルによじ登った。

「蔵之介様、何もわからず混乱されていることでしょう。説明致します」

 少年は顔を上げると、両目から涙を流していた。


 少年は説明しようとするが泣きじゃくって、何を言っているのか分からなかった。蔵之介はティッシュを持ってきて少年の鼻をかんでやる。

「ゆっくりでいいから、落ち着いて」

 蔵之介が言うと少年は頷き涙をぬぐった。

「取り乱してしまいすみません。蔵之介様の顔を見たら安心してしまって」

 見覚えのない少年だが、どうやら蔵之介のことを知っているようだった。


「それで、君は?」

「はい、私はゼノスと申します。蜘蛛の世界から、蔵之介様が生贄に差し出された世界から来ました。蔵之介様はこちらでの生活はまったく覚えていらっしゃらないかと思いますが」

 少年はゼノスと名乗り、正座で姿勢をただした。

「うーん、生贄に差し出されたのは聞いたけど、何があったかは覚えてないんだ。その前のことも」

 蔵之介がいうと、ゼノスは両手を膝の上でぎゅっと握った。

「簡潔にお話しすると、蔵之介様は我が国の王、ビアンカ様との子供を授かりました。その後蔵之介様の記憶をビアンカ様が消し人間の世界へとお戻しになりました。当時の蔵之介様は心を痛め病んでしまわれて、そうするしかたかったんです。ビアンカ様は蔵之介様と離れ大変悲しみました。

 しかし、国民にはそんな悲しみなど関係なく生贄を解放したことに怒り、王を王座から叩き落とし、王の座は崩れました。今は囚われ吊るしあげられ奴隷以下の扱いで、日々鞭うたれ苦痛と血を味わい、死ぬことも許されておりません」

 ゼノスは涙を流し再び頭を下げた。

「……蔵之介様がお戻りになれば少なからずビアンカ様は解放されます。どうかお戻りください」

 ゼノスの声は震えていた。

 多分これが最後の望みだと思い来たのだろう。しかし蔵之介は困ったように頭を掻いた。


「それって、俺に戻ってビアンカって人の代りになれってこと?」

 蔵之介が聞くと、ゼノスはピクリと体を震わせた。

「そんなことは……、そんなことにはならないと思います。ビアンカ様が蔵之介様をお守りします」

 ゼノスは震えながら言った。どうなるかなんて考えていなかったのだろう。ただこのゼノスはビアンカを救いたいと思って来ただけだ。


「俺はその世界で心を病んだってことだよね? だとしらた俺が戻ったら同じ状態になるんじゃないの? 何があったか全然覚えてないけど、そんなところに戻ろうとは思えないんだけど」

 蔵之介の言葉にゼノスは何も言い返せず頭を下げたままだった。

 生贄になった。体の中をいじられた。そのことが頭をよぎりお腹に触れる。途中から聞いたため詳しくは聞けなかったが内臓が負傷しているとのことだった。何かがそこにあった形跡があると。

 ゼノスはハッとして、懐から白いものを差し出した。

「こちらをお使いください」

 蔵之介は差し出された物を見た。それはマフラーの様で白く輝いている。蜘蛛ということは蜘蛛の糸で作られているのだろうか?

「これはなに?」

「以前ビアンカ様が蔵之介様の為に治癒糸で編まれたマフラーです。そちらをお腹にまけば体内への治癒力が高まり違和感が減るかと思います」

 蔵之介は、綺麗に光るそのマフラーに惹かれるように手を伸ばした。治癒力を信じていたわけではない。

 しかしその手を急に掴まれた。掴む腕の先を見ると、村田だった。

「やめとけ」

 蔵之介は手を引いた。村田はそのマフラーを掴むとゼノスに投げ返した。

「もう生贄の役割は終わったんだろ。王がどうなろうと蔵之介には関係ない。手放したのは王だそれを蒸し返すな」

 ゼノスは投げ返されたマフラーを抱え、何者かと村田を見ていた。

「貴方は……?」

 ゼノスはマフラーをぎゅっと握りしめる。

「どうだっていいだろさっさと帰れ」

 村田はゼノスの腕を掴むとリビングの窓を開け、ベランダへ放り出した。

「これ以上巻き込むな」

 そう言い放つと、窓をぴしゃりと閉め、鍵をかけカーテンを閉める。村田は蔵之介の方へ振り返った。

「忘れてもう寝ろ」

 村田は蔵之介の頭をくしゃくしゃと撫で、横を歩き通り過ぎた。

「何か知ってるの? あのマフラーは……俺は戻らなくていいの?」

「さっきは戻ろうとは思わないって言ってただろ、ほっとけ」

 蔵之介はそれを聞いて、うつむいた。

「それは言ったけど」

 確かに言ったがゼノスは泣いていて、ビアンカを助けようとしている。

「俺が戻ることで助けられるなら戻った方がいいんじゃないの?」

 蔵之介は罪悪感を感じ、聞くと村田は背を向けたまま答えた。

「さっきの治癒糸は効果が高い。触れれば破損した脳も回復しただろう。お前の記憶を取り戻させ、あいつは無理やり引き込もうとしてたんだ。そんな奴を信じられるのか?」

 破損した脳。それは記憶を無くした部分のことだろう。蔵之介は答えが出せず、何も言えなかった。

「ビアンカって誰なの?」

 ビアンカという名前を呼ぶと胸が熱くなるのを感じた。


 一部始終を見ていた海はぴょんとテーブルから降り蔵之介の元へ向かう。

 しかしそこを村田に捕まれた。

 手の中でもがくが、村田は海をゲージにいれ蓋を閉めた。

 海は怒ったように中で糸を吐き出し飛び回った。しかし村田はふんと鼻を鳴らし

「しばらくそこでおとなしくしていろ」

 とゲージから離れた。

「俺はもう寝る。余計なことは考えるな。お前はここで暮してた方が幸せだ」


 村田に言われるが、蔵之介は胸の中でもやもやと何かが渦巻いていた。

 ビアンカが鞭うたれている? どんな人かもわからないが気になって仕方がなかった。布団に入って頭まで布団にもぐりこんだ。

 俺は本当に戻らなくて良いのかな?

 何一つ思い出せない記憶だが、一つだけ淡いイメージが残っていた。白い髪の人が立っていて、蔵之介に手を差し伸べる。蔵之介はその手を取ると引かれ抱きしめられ、その腕の中はとても幸せで暖かかった。今ここでの暮らしよりもそれは満たされた。


 蔵之介は目を覚ますと陽が昇ってカーテンからいつも通り光が漏れていた。

 起き上がりベッドから出てキッチンに行くと、海が来てから毎日用意されていたごはんとみそ汁が用意されていなかった。

 蔵之介は海のゲージに行くと、海は寝ぼけているのかひっくり返って足を時折ぴくぴく動かしていた。

 ゲージの蓋を開けると、海はそれに気づき壁をよじ登ってゲージがから飛び出した。そして嬉しそうに蔵之介の肩に乗り走り回っていた。

「食事の用意してたのは海だったんだね。でもどうやって準備してたの? 海も人になれるの?」

 蔵之介が聞くと肩から飛び降りて窓の方へ走っていった。


 蔵之介は後を追い、カーテンを開けるとベランダの隅に少年がいた。横になって丸まり、マフラーを抱きしめ寝ている。

「これどうしよう」

 蔵之介がつぶやくと後ろから村田が近寄ってきた。

「しつこい奴だな。仕事に行くとき連れてくから構わなくていい」

 と村田は蔵之介に見せないようカーテンを閉めた。



 朝食のパンを食べながら蔵之介は村田に聞いた。昨日の夜のことでどうしても気になった。

「村田さんって、もしかして蜘蛛なの?」

 村田は口に含んだパンを噛み黙って飲み込んだ。

「昔の話だ。もう人間だよ」

 村田は再び食パンをかじりサクサクと音を立てた。

「俺は記憶を取り戻さない方が良いのかな? ずっと白い髪の男の人と一緒にいた記憶が頭をよぎるんだ。多分これはイメージじゃなくて本当にあったことなんじゃないかと思う。その人といる時、俺はすごい幸せだった気がするんだ」

 村田はパンを食べ終え、牛乳を飲み干すと立ち上がった。

「俺は仕事に行く。お前も学校に行けよ。お前は人間でいろ」

 村田は仕事用のカバンを持ち、ベランダのゼノスを抱き上げた。ゼノスは起きることなくすやすやと眠っていた。「呑気な奴だな」と村田は抱え、海に一緒に来るように言った。

 海は村田の体に飛び移り、肩まで登りスーツの襟の中に隠れた。

 

「じゃあ行ってくる」

 村田はいつもの出勤時間より早めだが、家を出ていった。

 蔵之介は部屋に一人残され、もやもやとした不安に狩られた。

 本当に思い出さなくていいのか? 今思い出さないと一生思い出せない気がする。あの少年が持っていたマフラーに触れれば全てを思い出せるかもしれない。けど、蔵之介の心が病みそれを忘れさせるために記憶を消し、人間の世界に戻された。そんな記憶を取り戻して良いのだろうか? そんな心の葛藤が繰り返され、体が動かなかった。

 窓に近付きカーテンを全部開けた。窓を開けるとベランダにはキラキラ光る物が落ちていた。

 蔵之介はそれに気付きしゃがんだ。これは昨日の治癒糸? 蔵之介はそれに触れようか悩みしばらく眺めていた。

 意を決してその意図に手を伸ばそうとすると、目の前に突然一人の男が飛び降りてきた。

「見つけた、生贄だ」

 男が飛び降りた勢いで輝く糸が舞った。蔵之介の伸ばしていた手にその糸が触れる。その瞬間蔵之介の脳裏にいろんな情報が解き放たれた。「すまない蔵之介、すぐ楽になるから」そう言ったビアンカの最後に聞いた言葉が頭の中に響きそれに続くようにいろんな言葉が溢れ出した。それは一瞬のこと。


 すぐに男にとびかかられ、蔵之介は部屋の中へと押し倒された。


「い、嫌だ」

 蔵之介は恐怖の表情を浮かべ涙を流した。

 それと同時にベランダの窓が割れ、男は後ろから蹴り飛ばされ部屋の中に転がりテーブルや椅子をなぎ倒した。

「お前ら……まだついてきてたのか」

蔵之介が見るとそこには白い髪の子供が六人蔵之介を守るように並んでいた。


その一人が振り返る。

「ママ! 早く逃げて!」

 蔵之介はそれを聞くと驚き目を見開いた。

「ママ?」

 蔵之介がつぶやくと、蔵之介の体は糸にくるまれ窓の外に引っ張られた。体はそのまま上空へと引っ張られ雲にも届きそうな位置まで蔵之介は舞い上がった。

「え? ちょっとおおおお!!!」

 そのまま少し落下して蜘蛛の網に落ちた。そこで軽く体がはねる。

「ママ、どう? 僕こんなに高くまで登れるようになったよ、すごい?」

 無邪気に先ほど見た六人に似た子供が自慢げに言って見せた。

「す、すごいけど、怖いから降ろして!!!」

「本当! やったー!」

 子供はよろこんで蜘蛛の網の上でジャンプすると網が揺れた。

「お、お、お願いだから揺らさないで!」

 それでも夢中で子供は飛び跳ね続ける。蔵之介は目をぎゅっと閉じて、必死に網にしがみついた。

「お願いだからママのいうこと聞いて……」

 蔵之介が泣きながら言うと、子供はそれに気づいておとなしく蔵之介の隣に座り糸をほどいた。蔵之介は身を縮め座り、やっとの思いで体を起こした。

「ママ、会いたかった」

 そして、子供は蔵之介の胸に抱きついた。蔵之介は戸惑うが、鼓動が高鳴った。この子は間違いなくビアンカとの子供だ。先ほど包まれた糸も、ビアンカの物に近い。蔵之介は子供を抱きしめ頭を優しくなでた。

 

「蔵之介!?」

 地上から海の声が聞こえた。見ると地上で海は人の姿で立っていた。

「ひっ」

 その高さに蔵之介は思わず目を瞑った。

「そうだ、ママは高いところが恐いんだっけ?」

「そ、そう。こ、怖いんだ。下してくれる?」

「うん」

 子供はそういうと蔵之介の体を糸でぐるぐる巻いた。

「あの、まって! このパターンは駄目……」

 蔵之介が言い終わる前に子供は蔵之介を巣の外へ落とした。そこから糸が伝い子供は少しずつ糸を伸ばして下していく。

「だから、これは、こわいやつだよ!!!」

 蔵之介は叫び吊るされた糸を見る。どう見ても糸の編み方が甘い。所々細くなり今にも千切れそうだった。

 それを伝えようとした瞬間ぶちぶちと蔵之介をつっていた糸が千切れた。

「だから駄目だって!!!!!」

 蔵之介が叫ぶが子供は何が起きたのか分からない様子で蔵之介が落下するのを眺めていた。

「ママー」

 呑気な声が聞こえるが蔵之介はもうどうすることもできない。

 もう嫌だ……。


 蔵之介がそう思っていると、体は何者かに受け止められた。

 目を開くと、海が蔵之介の体を抱え近くの屋根の上に飛び降りた。

「海……恐かった……」

 蔵之介は目に涙を浮かべ言った。

「俺もだ、ヒヤッとした」

 海はそういって、屋根から飛び降りた。地面に蔵之介を下し、体についた糸をほどいた。

 蔵之介は先ほど自分がいた場所を確認しようと頭を上げると、そこには蜘蛛の巣から落ちそうになっている子供の姿が見えた。

「あ、待って! 止まって!」

 蔵之介が叫ぶが、子供は蜘蛛の巣から落下した。

 海はすぐに飛んで子供を受け止め、屋根へと降り、塀、地面へと降りた。

 蔵之介はすぐに駆け寄り、子供の頭を撫た。

「よかった無事で」

「もう、自分で着地で来たよー」

 子供は不満げに言う。蔵之介は子供を海から受け取り抱きしめた。蔵之介に抱きしめられ、子供も蔵之介に抱きついた。

「でもちょっと恐かったかも」

 そう言って、蔵之介に抱きつき甘えるように顔をこすりつけた。


 アパートに戻ると、部屋の中は乱れ、割れた窓ガラスが散乱していた。

 そこには縛られ意識のない蜘蛛と、村田、そして六人の子供たちがいた。

 子供たちは村田の前で半べそをかいて泣いていた。

 村田の足元でゼノスはまだ寝ていた。


 子供たちは蔵之介を見るや否や、「ママ!!」と一斉に叫んで蔵之介に駆け寄った。

 蔵之介は一人抱きしめた状態でかがむと、その一人は降りて蔵之介の後ろに回った。

 その隙間に我先にと入り込むように六人が縋りついてきた。

 蔵之介はまとめて抱きしめ、一人ひとり頭を撫でた。

「この子達、俺の子供なの?」

「ああ、だろうな。でも困ったな……。こんな所に来るなんて」

 海が言ってゼノスに近付き起こそうとゆすった。

「生贄を取り戻そうとするのは、身内だけじゃないってことか。人間界に生贄を求めた蜘蛛たちが来たら大変なことになる」

 村田は困ったように眉を寄せ、腕を組んだ。

 そしてどこかに電話をかけていた。


 蔵之介は自分に縋って泣く子供たちを見て、正直戸惑っていた。しかし子供の暖かさに触れ、ビアンカの暖かさを鮮明に思い出せた。

「海」

「ん?」

 海はなかなか起きないゼノスを持ち上げた。

「俺、全部思い出したよ」

 蔵之介が言うと、ゼノスはびくりと体を震わせ目を覚ます。

「ビアンカの所に帰りたい。俺を連れて行って」

 蔵之介の言葉に覚醒したゼノスは何度か目をぱちぱちと瞬かせ、言葉を理解すると涙を溢れさせた。





 村田は電話で話していた会話を止め、電話を切った。

「村田さん、俺たちを前連れて行って貰った森のまで連れて行ってくれませんか?」

 村田はため息をついた。その男は蔵之介が生贄になる時森の入口まで蔵之介を運んだ、巨体の男だった。


「良いのか? 記憶が戻っても向こうに戻る必要はない。言ったら多分もう戻ってこれないぞ。それで死ぬまで子供を産まされる」

 村田が言って、蔵之介はうつむいた。泣きべそをかいた子供たちが蔵之介に抱き着いたり蔵之介を見上げたりしていた。

「ビアンカとの子供なら、産みたい」

「生贄は王だけじゃない、王が許可をすれば他の奴とも。海ともゼノスとも性交することになるかもしれないんだぞ。その二人ならまだしも、顔も知らない、どんなやつかも分からない男に抱かれる。それでいいのか?」


「それは……」

 蔵之介は言い淀む。確かにそれは嫌だ。嫌だけど。

「それは俺がビアンカに話して説得します」

「お前のせいで鞭うたれてるのに、これ以上いざこざは起こしたくないはずだ。国民の声に負ける可能性が高い」

「それでも、俺は説得します! ビアンカなら分かってくれると思うから」


 今までになく真剣な蔵之介に村田も圧倒され、口を閉じた。そして頷いた。

「分かった、連れて行こう。でもその前に話を聞かせてくれ。何があってここに戻ってきたのか」


 村田が言うとゼノスは

「そんなことしてる場合じゃありません!」

 と言い放った。

「ビアンカ様は今も苦しんでて」

「ゼノス」

 蔵之介がゼノスを呼ぶとゼノスは黙った。

「村田さんは俺を預かってくれて、いろいろ世話をしてくれたんだ。だから話そう」


「待て」

 そこまで黙っていた海が口を開いた。

「俺は戻るのは反対だ。記憶を消したのはビアンカだ。あいつはお前を見捨てたんだ、戻る必要はない」

「うん、海にも聞いて欲しいんだ。俺が見たこと。海は誤解してるみたいだから」

 冷静に話す蔵之介を見て海も少し驚いた。「誤解」その言葉のが意味するところが全く想像できない。海は考えしぶしぶ頷いた。



 ゼノスはうつむき手をもじもじさせた。ビアンカが心配でたまらないのだろう。蔵之介も急ぎたい気持ちはあったが、村田さんへの感謝の気持ちもある。それにこんな前例のないことは何があったかも想像できないのだろう。蜘蛛の世界の事情を知っているなら話しても問題もないはずだ。



 蔵之介は思い出しながら話し始めた。














「蔵之介! 蔵之介!」

 ビアンカの呼ぶ声が部屋に響き続ける。蔵之介の肩をゆするが蔵之介の目はうつろで、起きているのか寝ているのかも分からない。ビアンカはそっと蔵之介をベッドに戻し抱きしめた。

「心音では意識はあるはずなんだ」

 ビアンカは焦った様子で蔵之介の頬に手を当てた。


「心が耐え切れなかったのかもしれないな」

 ヴィンター師がひげを撫でながら言った。

「体の方は問題なさそうだ。ただ、人間の男はそもそも子供を産むための母体にはならない運命だ。それなの子供を沢山産んだんだ。説明があったにしても、実際体験するのとは全く違うものだからな。

 さらに言えば蔵之介は人間でいえばまだ半分子供だろう。心がついて来ない上、言葉もつたない。ビアンカにその気持ちを話すこともでき無かった。そして心への神経を途絶えさせたんだろう」

 ヴィンター師の言葉に、ビアンカは目から涙をこぼした。


 それに気づき、ピーもゼノスも驚いていた。しかし海だけは違った。怒りを露にし体を震わせるした。

「だから大丈夫かって聞いただろ。それをなんだよ! 信じろって言ったのはお前だろ!」

 海がビアンカを怒鳴りつけ、海はビアンカの胸ぐらを掴んだ。

「勝手に子供相手に子供作って、何考えてるんだよ! 子供を守るのが大人の役割だろ! こんなことしてまともじゃない! しかも愛してる相手を、大丈夫だって曖昧な言葉で騙してこんな状態に追い込むなんていかれてるとしか思えない! ちょっと考えれば分かることだろ!」

 ビアンカに言い迫る海の肩をピーが掴み少し引いた。海はピーにちらっと目を向けるが、すぐにビアンカに目を戻した。

「すまない……」

 ビアンカの頬には涙が伝っていた。

「愛する気持ちを止められなかった。蔵之介を前にすると胸が熱くなり心も痛んだ。どうなるかも考えられなかったんだ……」

 ビアンカは唇を振るわせた。

「愛は人を狂わせるなんてよく言ったもんだな」

 海はため息をつき、ビアンカの襟を突き放すように押し離した。


「ピーはなぜ止めなかった? お前なら冷静になれただろ」

「私はビアンカ王の味方です。ビアンカ王が望むことを可能な限りかなえるのが役割です」

 海はため息をつく。

「だとしたらゼノスの返事も同じだな」

 ゼノスは顔をそらし手を後ろに回した。

 それ以前にゼノスは二人が何をしているのか理解していなかっただろう、海にそこへの期待は眼中になかった。


「海、起きたことだ。問題はこれからどうするかだろう」

 ヴィンター師は蔵之介に歩み寄り頬を撫でた。「ん?」と蔵之介の頬を何度か撫で何かを探っていた。


「頬の傷がまだ治ってないな。これはどうやって受けた傷だ?」

 ビアンカはそれを聞いて袖で涙をぬぐった。

「生贄をかけた戦いの時に糸でつけられた傷です」

 ヴィンター師は「うーん」とのどを鳴らした。

「そうなると、中に糸が残っているのかもしれないな。よく調べずに治癒糸を張ったのか?」


 ビアンカは言葉を返せず、顔を赤くした。

「すみません、戦っていて……」

「蔵之介を前にして浮かれてたか。それほど傷は深くはないだろう」

 ヴィンター師はそう言うと左手で頬を撫で傷を探った。

「ここだな」

 と場所を定め、右手で細い糸を堅くとがらせ、蔵之介の頬に刺した。


 蔵之介は一瞬眉を寄せるが、すぐに表情は和らいだ。ヴィンター師が糸を引くと先に別の糸が絡み一緒に引き出された。

 そして再び頬を確認する。

「これで大丈夫だろう。また治癒糸を張ってやりなさい」


 ビアンカは蔵之介の頬に治癒糸を張った。その手は震えていた。

「ビアンカ、怯えるな。この世界で蔵之介を守ってやれるのはお前だけだ、自分で連れてきたんだろう最後まで面倒はみなさい」

「しかし」

 ビアンカは戸惑ったように瞳を震わせた。


 海はこんな顔もするのかとビアンカを見ていた。だからと言って許そうという気は毛頭ない。


「しかしも何もない、お前は努力して王になった。これからに何を望む?」

「蔵之介と共に居たいんです。しかし、僕は」

「自信がないか? 王になれば何でもできるんじゃなかったのか? 子供の頃からはしゃいでよく言ってただろう。お前なら何でもできる。そして王になった。望むことをしなさい」

 ヴィンター師はそう言うと部屋のドアを開け出ていった。彼の言葉は明確にビアンカの心に刺さるものだった。それは優しくもあり、今のビアンカには鋭く突き刺すものでもあった。


 海はどうしたものかと考え腰に手を当てた。しかし引っかかる点がありビアンカを睨みつけるように見た。

「なんとなく想像はしてたけど、蔵之介をお前が連れてきたってどういうことだ?」

 海が聞いて返答を待つが、ビアンカは何も言わなかった。


「それは私が説明しましょう」

 ピーが言って、ビアンカにはベッドに座っているよう促した。



 ピーは海の方へ向き直る。

「海、貴方は蔵之介様の見張り役を依頼されてましたね」

「ああ、人間界に居たら知り合い伝で変な依頼が来て。いい値だったし、監視程度で良いならって依頼を受けた」

 海が言って、ゼノスは驚いた顔をした。ゼノスは理解しきれず、二人を交互に見た。

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