39 まるで、己の身で償わされるかのように
すでに日が暮れた時刻にもかかわらず、珖璉は禎宇とともに殺された男が住んでいた宦官用の住居へ向かっていた。
鈴花のそばには、今は朔をつかせている。男が殺されたのは陽動の可能性もある。何より、殺されかけた恐怖に怯える鈴花を、一人になどできるわけがない。
胸の中では、行き場のない怒りと苛立ちが炎のように渦巻いている。
男が殺されたのは、牢番がほんの少し目を離した隙だった。もちろん牢番は不審者に気を配っていたし、人の出入りはなかった。
だが、男は牢番が気づいた時には、牢の中で首を絞められて殺されていた。
まるで、鈴花を殺しそこなったことを己の身で償わされるかのように。
牢の中に遺留品はなし。おそらく、格子付きの窓から忍び込んだ《縛蟲》に絞め殺されたと思われる。
禁呪使いにつながる手がかりとなる宮女殺しの犯人を、ようやく捕らえたというのに、取り調べもせぬ間に殺されるとは……。
これほど禁呪使いの動きが速いとは、珖璉も予想していなかった。鈴花を放っておけなかったとはいえ、珖璉の失態だ。
牢へ引っ立てる際、男が宮女殺しの犯人だと自白を禎宇がとったものの、肝心の禁呪使いについての情報は、男が口をつぐんだため何も得られていない。
これから尋問し、禁呪使いの正体を暴こうという矢先の口封じには、
禎宇とともに死んだ男の部屋を調べに来たのは、何か手がかりが残っていないかと
男の所属は後宮内の工芸などに携わる
日も暮れてから突然やってきた珖璉を、宦官である掌工長は驚いた顔で出迎えた。
事情を告げられた白髪頭の掌工長は、「そんな、まさか……!?」と驚愕に目を見開きながらも、珖璉の要望に応じて案内を買って出た。
「あの者は実直で腕のよい職人で……。人殺しなどをするとは……」
「掌工長。信じたい気持ちはわかるが、
珖璉の問いに、掌工長は情けなさそうにかぶりを振る。
「わたしには……。同室の者なら、何か知っているやもしれません」
掌工長がいつくも並んだ宦官用の居室の一つを開ける。中にいた同僚の宦官は、珖璉の姿を見るなり、「ひぇっ」と悲鳴を上げて平伏した。
「そうかしこまらずともよい。おぬしに尋ねたいことがある」
「お、俺でわかることでしたらなんなりと……っ!」
ぽぅ、と珖璉に見惚れる同僚は
殺された男は、ここ二か月ほど、「きりのいいところまで仕上げたいから」とよく掌工の作業場に一人で泊まっていたこと。里帰りして以来、ずっと様子がおかしかったことなどを、問われるまでもなく話す。
「なるほど。一人で作業していたのなら、夜更けに抜け出しても見咎められんな……。その作業場というのはどこだ?」
同僚が話している間、禎宇が男が使っていた場所を
「ご、ご案内いたします!」
勢いよく立ち上がった同僚が先に立って歩き出す。
居室から少し離れたところにある作業場が連なる棟は、すでに明かりが落とされて暗かった。禎宇が持つ灯籠の明かりがぼんやりと辺りを照らす。
遠くに『昇龍の儀』のために宮女達によって飾られた灯籠の明かりが見えるが、宦官しか使わないこの場所までは光も届かない。
そういえば鈴花が光蟲の灯籠が美しいと褒めそやしていたなと思い出すだけで、今すぐ私室へ駆け戻りたい衝動に駆られる。
鈴花が襲われてすぐ、私室の前には警備兵を配置させることに決めた。加えて朔がついているなら、大丈夫だと頭ではわかっていても、襲われた時のことを思い出して恐怖に震えているのではないかと思うと、居ても立っても居られなくなる。
「ここでございます」
同僚が端に近い作業場の鍵を開ける。珖璉が喚んだ光蟲が雑然とした室内を照らした。いくつもの木工細工が置かれた部屋からは、木の香りが漂ってくる。
「あいつが使っていたのは右手のほうで……」
心得たように捜索を始める禎宇を横目で確認しながら、珖璉は同僚の宦官を振り返った。
「里帰り以降、様子がおかしかったと申したな。理由を知っているのか?」
珖璉の問いに、同僚が気の毒そうに顔をしかめる。
「それが……。あいつから聞いた話では、四ヶ月前の里帰りは久々の長い休みだったんで、《宦吏蟲》を外してもらって帰ったそうなんですが……」
珖璉の顔を見上げた宦官が、顔を赤らめ恥ずかしそうにもじもじする。
大の男にそんな仕草をされても不気味なだけだが、幸か不幸か男女問わずそんな反応をされるのには慣れている。珖璉は黙して続きを待った。
「その、《宦吏蟲》を長く入れてたせいか、外しても男として役に立たなくなってたそうで……。そのせいで、年季が明けたら一緒になろうと約束していた
空恐ろしいと言いたげに宦官が首をすくめる。
《宦吏蟲》を抜けば男としての機能を取り戻すが、体質か長期間のせいか、まれに、抜いても男の機能が戻らない者が出るという話は、珖璉も聞いたことがある。
「なるほどな……」
宮女を乱暴し、首を絞めて殺したのは、許嫁に捨てられた腹いせからか。それとも後宮を混乱に陥れたかったからか。
死んだ男に確かめることはできないが、動機が見えた気がする。
むろん、だからといって鈴花や他の宮女を襲った罪が軽くなるわけではないが。
《宦吏蟲》を入れねばならぬ後宮勤めを選んだのは男自身だ。男の機能を失ったからといって、その怒りや絶望を他の者に転嫁するなど、言語道断極まる。
だが、男以上に
「その話は、他の者も知っておるのか?」
「あいつと親しかった宦官達は知っております。俺達にとっちゃあ他人事とは思えませんから……」
確かに宦官達にとっては身につまされる話に違いない。おそらく、宦官達の間では密やかにかなり広まっていただろう。
知る者が限られていれれば、そこから禁呪使いにつながらないかと期待したが、その線を辿るのは難しそうだ。
いや、噂を知っていたということは、禁呪使いは男である可能性が高まったと見るべきか。
と、作業場を探索していた禎宇が、難しい顔で珖璉を振り返る。
「調べましたが、宮女を乱暴した際に使ったと思われる道具や、黒幕につながりそうなものは見当たりません。それらしいものは何も……」
「何一つとしてか?」
思わず声がきつくなる。
おかしい。犯人の男は己が捕まって殺されるとは思ってもいなかったはずだ。少し捜索すれば、暴行に使った道具なり、禁呪使いに与えられた呪具なりが見つかると思っていたが、まさか何も見つからないとは。
「これは鈴――」
言いかけて、鈴花が《見気の瞳》を使えなくなっていたことを思い出す。
同時に、なぜ禁呪使いが手足となる男が捕まるやもしれぬ危険を冒してまで、鈴花を排除しようとしたのか得心する。
鈴花ならば、一目見ただけで、禁呪に関する物の有無やどれが呪具なのか判別できただろう。
禁呪使いが鈴花を危険視した理由が、嫌というほどわかる。
そして、鈴花が生き残ったと知った禁呪使いは――まさか、《見気の瞳》を使えなくなっているとは思わず、今後も鈴花を狙うに違いない。
また鈴花が危険な目に遭うやも知れぬと考えるだけで、狂暴な感情が胸の中で荒れ狂う。
「禎宇、そこまででよい。後は警備兵達にしらみ潰しに捜させる。ひとまず戻るぞ」
急いで泂淵に手紙を送らねば。泂淵ならば、《見気の瞳》を取り戻す方策を知っているかもしれない。
どうにも後手に回らせられている感が
胸の奥を
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