第140話 目覚めのキス

 朝か。いつの間にか寝てしまったんだな。クーデター騒動と感謝祭、そして、ナターシャとの夜のデートで思った以上に疲れていたのかもしれない。


 目をゆっくり開ける前に、俺のほほに柔らかいものが当たった。


「えっ?」

 気の抜けた声が思わずでてしまう。


 目が覚めてくると、いろいろな感触が腕にはある。少しだけ固いものと、それを上回る柔らかいもの。ナターシャの体だ。


 頬にあった柔らかな感触は、リップ音とともに少しずつ離れていく。


 彼女のなだらかな髪が少しだけチクチクした。いつもはちゃんと整えているのに、寝起きだからか乱れている。その美しい髪の中から、ナターシャの微笑が浮かび上がる。


 ナターシャは、俺の腕の中に包まれていた。彼女の柔らかな肢体から、体温が俺に伝わってくる。

 彼女の甘い香りとともに、その温もりを感じる。


 心が満たされるほど幸せな目覚めだった。


「おはようございます、せんぱい」

 ナターシャは、いつも以上に甘く柔らかな声だった。


「ああ、おはよう」

 俺もその天使のような声に返事をする。


「ゆっくり寝ていたから、いたずらしちゃいました」

 照れ隠しをしている彼女の顔は、真っ赤になってうつむいている。


「目が覚めてよかったよ」


「どうしてですか?」


「いたずら好きな後輩の恥ずかしがっているところを見ることができたからかな?」


「いじわるですね」


「そうか?」


「そうですよ、先輩のバーカ」


 そして、ナターシャは俺の胸に顔をうずめた。より彼女の体が、存在が俺の身近になっていく。


「布団の外は、まだ寒いですね」

 手が外気に触れる。

 雪が降っているわけでもないのに、凍てつく冷気に襲われる。そうだな、もう感謝祭の日だからな。


「今何時だ?」

「たぶん、7時くらいです」

「今日の用事は、なにかあったっけ?」

「なにもありませんよ。ずっと、ふたりきりです」


 ナターシャは甘えるように、俺の体を強く抱き着いてくる。俺もそれにこたえた。


「あと少しだけこうしていたいな」

「私もです」


 そして、俺たちは笑いあった。


「実はですね、先輩と再会した当日なんですが、酔いつぶれた先輩を私は部屋まで運びましたよね?」

「ああ」


「あの時も、ちょっとだけいたずらしちゃったんですよ。気づいていましたか?」

「えっ!?」


「やっぱり、気がついていませんでしたね」

「なにをしたんだよ?」


「秘密です!」

 笑いながら、ナターシャは俺の唇に人差し指をゆっくりと優しく当てた。


 こうして、感謝祭2日目の朝は過ぎていく。


 ※


「先輩、行きたいところがあるんです」

 俺たちは、何時間もベッドで添い寝を続けていた。


「いいよ、ナターシャが行きたいところならどこでも」


「ありがとうございます。先輩にとってはつまらないところかもしれませんよ?」


「ナターシャが一緒にいてくれるんだろう? それなら、どこでも楽しいよ」


「いつからそんなに、口説き文句がうまくなったんですか……」


「ナターシャと一緒にいると、自然と口から出ちゃうんだよな」


「もう!!」


 俺たちの手はずっと繋がれている。


 ※


 外には雪が降ってきた。

 俺たちはミラルの郊外のある場所に来ていた。


 草原は雪化粧されていき、純白の世界が俺たちの目の前に広がっていく。


「降ってきちゃいましたね」

「ああ、冬だからな」


 彼女は、言葉少なめに、前を向いて歩いていく。それは、何かしらの覚悟を決めた冒険者の表情だった。


「まさか、感謝祭の日に、この街に来ることになるなんて、なんか運命を感じてしまうんですよね」

「そういえば、ナターシャは、マッシリア王国出身だもんな」


「はい。一応、この土地での正式な立場は、伯爵令嬢ナターシャですからね」

 そう言って、自嘲気味に彼女は笑った。

 貴族階級出身のエリートなんだよな、俺の後輩は……


 そして、その伯爵令嬢が、進む先にある場所に、俺は気がつかないわけがなかった。

 彼女にとっては、この地上で最も大事な場所だろうな。


「ここです」

 彼女は、目的の場所に着いて立ち止まった。


「お母さんの眠っている場所か……」


「はい、母のお墓です。先輩を母に紹介したかったんです」


 ナターシャの生みの母親は、彼女が幼い時に亡くなったと聞いている。

 

 ロストワという名前だったんだな。


 ナターシャは、母親が亡くなって、ずっと塞ぎこんでいた。父親すら彼女の心を溶かすことができないほど、強固な檻の中に入ってしまった。


 それほど、大事な人だったんだよな。

 

 ナターシャは、用意しておいた花を墓標に添えて、手を合わせる。

 俺も一緒に手を合わせた。


 彼女は、母親の前で何を考えているんだろう。

 俺は、一度も会うことができなかった女性に、ただひたすら感謝した。今まで、彼女が、俺のことをどんなに笑顔にしてくれたのか――支えてくれたのかを伝えたかった。


 伝わっただろうか?

 伝わったらいいな。


「ありがとうございます。先輩!」

「もういいのか?」


「はい、いっぱい母に自慢しちゃいました。これが、私の自慢の先輩だよって。ちょっとは、安心させることができたらいいんですが……」


「伝わっているよ、きっと!」


「はい!!」


 そして、俺たちの手は再び繋がれる。


「この後はどうする?」

「もうひとつ、行きたいところがあるんですよ」

「どこ? 近い?」


「はい、近いです! というよりも、なんですけどね」


「えっ!?」


「私の家族に、挨拶してください! センパイ?」

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