過去に学び、未来を見据え
オリヴィアが毒を盛られていた事実を知ったレオンが、またしても発狂して、件の罪人は公爵家で裁くから返せとルカを相手に騒いだことも、今では遠い日のことのようである。
毒。と言っても。
それはすぐに致死となるような猛毒ではなかった。
食欲を抑える作用があって、市井では体型維持のためにと常備薬として使用している女性も多くいるのだとか。
つまりダニエルが最も手に入れやすい毒であって。
ダニエルは市井の女から手に入れたそれを、ある日件の侍女に大量に手渡した。
ところがダニエルは、そんな薬を渡した覚えもなければ、オリヴィアに盛れと言った覚えもないと、最後まで侍女の証言を否定している。
そして侍女のことさえ、そんな女は覚えていないと言う始末だ。
それがどうも自己保身のための嘘ではないようだったから、聖剣院の調査官たちもしばし混乱したものである。
保身のための嘘であった方が尋問は進めやすい。
そのうちに彼らはこれもダニエルの性質と理解した。
ダニエルの関係者として聴取する人間の幅を広げていくと、ダニエルの発言には常に一貫性がなく、同じ相手への発言さえもころころと変わっていた事実が判明したからだ。
伯爵邸内でも、オリヴィアに毒を盛るよう言ったかと思えば、やはり辞めろと言ってみたり。
嫁いだ娘にはもう関わらないと宣言したと思えば、やはり毒を盛って来いと言ってみたり、それを辞めろと言ってみたり。
ダニエルは発言だけでなく、態度にも一貫性のない男だった。
怒鳴り散らした直後には、ご機嫌を取るようなことをして。
人を褒めた同じ口で、その者を汚い言葉で罵るのだ。
こんな男に誰が真面な聴取を出来ようか。
それでダニエルの引き起こした数多の問題の調査は、他者の証言や証拠をいつも以上に積み重ねて事実を明らかにする必要が生じ、調査には多くの時間が掛かる運びとなったのである。
しかしそんなダニエルにも、ひとつだけ一貫した言動を示すときがあった。
オリヴィアを目にしたときだ。
それも先代伯爵が亡くなった後に限る話だが、ダニエルはオリヴィアを見れば、必ずこれを罵り、そして手を上げた。
彼がそうしなかったのは、いや、そう出来なかったのは、他貴族の目があった場合となる。
どうしてそこまで、ダニエルはオリヴィアを嫌っていたのだろう。
気分屋のダニエルであれば、時にはオリヴィアに擦り寄って甘い言葉を囁くくらいのことをしていてもおかしくはなかったはずだ。
その方が、自身の地位も確固たるものになっていただろう。
聖剣院では、これに関してあらゆる理由が並べ立てられた。
先代伯爵を苦手としていたから。
伯爵家を乗っ取るために邪魔だったから。
よく教育された貴族らしい娘だったから。
身分の高い公爵夫人となることが許せなかったから。
等々、専門家たちもダニエルの精神を熱心に分析していたが、ダニエルが最後に示した行動によって、ある一つの結論が導かれることになった。
それは公爵領の管理棟の一室において、ダニエルが見せた最後の言動である。
あの壊れ方。あの怯え様。
ダニエルは単に兄によく似たオリヴィアが怖かっただけではないか。
そして当然、オリヴィアは前妻にも似た部分を持っている。
どちらも故意ではなかったかもしれないが、ダニエルが両者を殺してしまったことは事実。
ダニエルは罪の意識を確かに持っていたのだろう。
だからオリヴィアには、いつも二人の死者の亡霊を重ねてしまった。
それは恐ろしいことだったに違いない。
死者があの世から蘇り、自分を恨んで復讐に来たように見えたであろうから。
怖いから、大声で罵った。
怖いから、力いっぱい殴り付けた。
怖いから、遠ざけた。
そして怖いから、遠くで消えて欲しい。
今度こそ目のまえではなく。
自分には関係のないところで。
どうか勝手に消えてくれ。見えないところで。そうだ、誰かに。
けれども自分は関わりたくないから。勝手にやってくれ。
もはやダニエルには、爵位云々についてもどうでも良かったのではないか。
今ではそう言われるようになっている。
すべては恐怖を回避するためだけに──。
そんな結論が導かれたあとのこと。
ダニエルに関する一連の調査報告書がまとめられ、王城に提出されると、それを模写したものが、聖剣院そして公爵家に保管されることとなった。
防ぐことが出来たはずの問題は、聖剣院や公爵家の汚点だ。
その恥を包み隠さず残すこともまた、ある種の償いである。
いつまでも過去に学び、二度と同じ類の問題を引き起こさないために。
それはこの国の未来のために。
聖剣院は今日も、厳しく貴族や王都に目を光らせて。
領地を拡大した公爵領は、善悪を合わせもって忙しく回っている。
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