日常①
「知っての通り誰かのせいで目に見えて屑が増えているのが現状だ」
じりじりと照り付ける夏の日差しを受けながら黒猫先生はそう切り出した。
黒い毛が暑くないのだろうかと思ったが、とりあえず威吹は黙って耳を傾ける。
ちなみに罪悪感は微塵もない。
「君らも治安の悪さは肌で感じていると思う」
だが、威吹のクラスに限って言えば現世出身の脱落者はゼロだ。
夜が深まるにつれ糞になっていく帝都の治安にうんざりはしていても切羽詰っては居ない。
対岸の火事と見ているから? 否、それは違う。
過小にも過剰にも見ることなく、在るがままを受け止めているからだ。
三ヶ月も教室の中で爆弾と過ごして来たのだ。そりゃあ肝も据わる。
「とは言え、だ。君らも入学したての……そう、あの頃のおめでたい雛鳥とは違う。
こんな情勢でも気をつけていれば、それなりにやっていけるであろう知恵と力をつけた。
事件に巻き込まれたとしてもだ。よっぽど凶悪な手合いか。どうしようもない数か。
そのどちらかでなければ、君らが己の能力を過不足なく発揮出来れば十分切り抜けられる」
生徒たちがざわつく。
黒猫先生からこうも直接的に褒められるとは思ってもみなかったからだ。
「だが、その過不足なくと言うのが曲者だ」
「…………どんな状況でも冷静になれるような度胸を、と言うことですか?」
「まあそれもそうだが、そこらはあまり心配していない」
だって、と黒猫先生が隣に立つ威吹を見つめる。
「麻痺してるだろ」
「まあそれは……はい」
「普通の人間っぽい見た目で普段は真面目に学生やってるのが逆に怖い」
「露骨に悪意を剥き出しにして笑ってる化け物のが、まだマシです」
「悪意もなく戦争を起こすような奴と同じ教室で授業受ける方が恐ろしいわ」
「GW明けに発表された要人が大量に殺害された事件の犯人ってマジ?」
「まだ核ミサイルの隣で生活する方が楽」
威吹はムッと顔を顰め、反論した。
酷い誤解であると。
「元総理やら大臣やらを殺したのは俺じゃないよ。俺がやったのは拉致と殺人教唆だから」
十分こえーよ!! と生徒らが叫ぶ。
先の一件で彼らも色々擦り切れてしまったのだろう。
威吹に対しての扱いが割りと雑になっている。
天災相手にビクビクしながら精神をすり減らすのも馬鹿らしいので、その対応は正解だ。
「話が脱線したな。私が危惧しているのは諸君らの優しさ。
もっと言うなら暴力を振るうことへの抵抗感だ。
現状、相手を殺す気で攻撃出来る者が誰一人として居ないのは由々しき問題だ」
「教師がそれを危惧するのはどうかと思います」
「現世なら炎上待ったなしですよ」
「ここは幻想世界だから問題ない」
黒猫先生はバッサリ切り捨てた。
「現世出身の者はまだ分かる。いやまあ、二人ほど例外は居るがな。ゴホン!
現代社会において命のやり取りは遠いものであるし、そもそも法で禁じられているからな。
当初は授業の模擬戦ですら上手く攻撃出来ていない者らが殆どだったのもしょうがない。
だが幻想世界で生まれ育った者らまでと言うのはな。
いや、入学式の段階で分かってはいたぞ? 君らの甘さはな」
先生としては戦技の授業を繰り返している内に甘さが取れると思っていたのだろう。
幻想世界で生まれ育った者らがまず先を行く。
そしてそれに釣られて現世出身の生徒も……と言うのが理想だったのかもしれない。
「殺す気で悪意を向けてくる相手に対して、その甘さは致命的だ。
今日の授業ではそこらを詰めて行こうと思っている――と言うわけで改めてゲストの紹介だ」
「どうも、狗藤威吹です」
以前と同じように授業の手伝いを頼まれたので即快諾。
丁度、良い暇潰しを探していたので渡りに船だった。
「えーっと……私たちに狗藤さんの殺気をぶつけて生存本能を刺激してとかそう言うあれですか?」
「惜しい。それは今期最後の授業で行うつもりだ」
生徒らの顔がどんよりと曇る。
夏休み直前にそんなことさせられると予告されればそりゃ気も滅入る。
例外は無音ぐらいだ。
授業が始まった当初から暑さで項垂れていて話などまるで聞いていない。
まだ夏毛に生え変わっていないのだろうか?
「今回の授業は初歩の初歩。
全力で――殺意を以って攻撃すると言うことを君らの身体に覚えさせることが目的だ。
些かのんびりし過ぎではないかと思わなくもないが……まあ、よしとしておこう」
その説明を聞き、皆も察したのだろう。
どんよりと雲っていた顔が盛大に引き攣っている。
「と言うわけで、だ。君らにはこれから一人ずつ、私が良いと言うまで狗藤に攻撃を叩き込んでもらう」
「生徒をサンドバッグに使うってどうなんですか!?」
悲鳴染みた抗議が上がる。
威吹としては見過ごせなかった。
黒猫先生は生徒のためを思って授業しているのだ。
決して冷酷非情の猫ではないのだと知ってもらいたかった。
「まあ待ちなよ。良いかい? 俺をサンドバッグに使うってのは配慮でもあるんだよ?
何なら死刑囚あたりをテキトーに拉致って教材に使い、殺しを覚えさせることだって出来たんだからね。
でもそれじゃ流石にキツイだろうと、俺をサンドバッグに使うことに決めたんだ」
まず第一に殺す気で攻撃しても死なない――否、殺せないのが威吹だ。
第二に器用に耐久力を下げられること。
死にはしないが耐久力を下げれば容易く威吹を肉片にできるので擬似的に殺しを感じられること。
第三に見た目は本当に普通の人間だと言うこと。
普通の人間の姿をした相手を殺すつもりで攻撃すると言うのは精神的にクるものがある。
中身が威吹なのでと言う場合は変化を使って無垢な幼子になるのも良いだろう。
威吹は懇々と皆を諭すが、
「いや引くわ。普通に引くわ。発想がサイコ過ぎる」
「俺ら子供を殺す疑似体験とかもさせられるの……?」
「ちょっと……あの……吐き気が込み上げてきました……」
説明を聞いた段階でテンションはもうドン底。
だが悲しいかな、授業はまだ始まってすらいないのだ。
「全部説明されてしまったな……まあ良い。
では早速、試し割りならぬ試し殺しを始めようか――麻宮!!」
「わぅ……?」
名を呼ばれた無音が億劫そうに顔を上げる。
「まずは手本を見せてやれ」
「手本って……何のですか……?」
本格的に暑さで駄目になっているようだ。いつもの元気が欠片もない。
威吹は小さく溜め息を吐き、無音周辺の気温を調節してやる。
するとしなっとしていた毛が逆立ち、見る見る内に活力を取り戻していった。
「無音、ちょっと本気で俺を攻撃してみてよ」
「え、何で!? おれ別に攻撃する理由がないよ!!」
「良いから早く。今度、美味しい肉ご馳走してあげるから」
「ホント!? じゃあやる!!」
ボン! と白煙が上がり無音がその姿を変化させる。
以前、威吹の殺気にあてられて際に見せた凶悪な化け犬のそれだ。
とは言え、以前のように理性は失っていない。
あれから授業で鍛えられたので今はある程度制御が出来ているらしい。
「グルァ!!!!」
地を蹴り弾丸のように突撃。
目にも留まらぬ速さですれ違いざまに威吹の上半身を喰らってみせた。
「……ンペッ! 威吹、これで良いのかな?」
比較的人間の時のそれに近いテンションで無音が問う。
威吹は下半身の断面から妖気を立ち上らせ、OKと描き意を伝える。
「気持ち悪ッ!!」
「一瞬で再生したら怖さが分からないからゆっくりやってんだろうけど……」
「あー、駄目だわ。これもうしばらく肉食べられないな俺」
最悪の絵面ゆえ、当然不評だった。
だが黒猫先生的には満足のご様子でパチパチと無音に拍手を送っている。
「実に見事な手際だ。以降、麻宮は参加しなくて良い。隅で力の制御を練習していろ」
「分かりました……でもその前に口の中が汚れてるんで漱いできます」
うむと頷き無音を見送った黒猫先生は生徒たちを見渡し、告げる。
「次は君らの番だ。出席番号順にしようかとも思ったが、まずは希望を募ろう」
やりたい者は居るか? 居るわけがない。
誰もがお前が先に行けと牽制し合っている。
押し付け合いが何時までも続くかと思われたが一人の男子生徒が意を決したように手を挙げた。
彼の名前は工藤響。
おばあちゃん子でバイトで貯めたお金でおばあちゃんに温泉旅行をプレゼントするような良い子である。
ちなみにこの工藤くん。
苗字の読みが同じで下の名前も似たようなものだから、威吹と間違われかなり苦労していたりする。
「じゃ、じゃあ俺から良いですか?」
「……ふむ、まあ良いだろう」
再生を終えた威吹は変化で優しそうな老婆に姿を変え、工藤の前に立った。
瞬間、彼の表情が盛大に引き攣る。
「お、おばあ……ちゃん……?」
再度、彼のプロフィールを紹介しよう。
工藤響、十六歳。血液型はA。星座はおうし座。特徴――“おばあちゃん子”。
「ちなみに今日の授業にあたって君らの親類や親しい友人。
恋人や好いている異性についてリサーチし、その資料を狗藤に渡してある」
黒猫先生の言葉に一瞬、重い沈黙が訪れるが……。
「ふざけんなお前! プライバシーの侵害やぞ!!」
「訴えるよ! そして勝つよ!?」
「外道! 貴様こそが悪魔だ!!」
「何でそう的確に人が傷付くことをするの!?」
「教育委員会! 教育委員会は何をやってるんだ!!」
飛び交う怒号。
しかし、黒猫先生はガンスルー。前足で顔を欠いて欠伸までこいている。
「…………ふぅ、ふぅ……大丈夫、大丈夫……あれはおばあちゃんじゃない……おばあちゃんじゃない……」
よし! と両手で頬を叩き気合を入れ直す工藤。
もう、かなり哀れな状態だった。
「先生、全力でやって良いんですよね?」
「ああ」
「でも先生、全力の一撃を放つとなると溜めが必要なんですけど」
「構わん。今は実戦でどうこう考える必要はないからな」
「そうですか。では……!!」
ガン! と胸の前で両拳を突き合わせる。
するとどうだ? 彼の肉体から蒸気のように白光が立ち上り始めるではないか。
「――――へえ」
威吹(おばあちゃん)が好奇を露にする。
そう言えば工藤の行いがどれほどのものか理解出来るだろう。
「…………物心ついた時から、俺は人よりも力が強かった。
逆上がりしようとして鉄棒がへし折れたりと……もう訳が分からなかったよ。
ミオスタチン関連筋肉肥大とかじゃないぜ? 医学的には異常なしだ」
見れば分かる。
肥大していたのは筋肉ではない“気”だ。
「体内で生成されている気の量。それに加えて地脈とも繋がってるのかな?」
「御名答。先天的に繋がってるらしくて、切り離すのは不可能なんだよ」
「こっちに来るまで、さぞや苦労したんだろうね」
壊した物とそれに伴う金銭の損失。
いや、失ったのは単純な金銭だけではない。
人間関係にも支障をきたしたはずだ。
それでも工藤の瞳は腐っていない――強い男だ。
「ああ……中二の冬には遂に日常生活を送るのも困難になってさ。
そんな時、政府の人間に俺の異常が発覚したんだ。
オカルト的な施術が必要で何とその額一回二百万。
大体一年ごとに受けなきゃ効果を失くすんだが……なあ?」
よほど裕福な家庭でなければ現実的ではない。
だから彼はこちらの世界で制御を学ぶことにしたのだろう。
「そんなだからさ。俺、全力ってものを出したことがないんだ。
だから……ちょっと不謹慎だけど、俺、今、ワクワクしてる」
「ンフフフ、そりゃあ良かった。クラスメイトの助けになれるなら俺も嬉しいよ」
だからさあ、おいで――ひーくん。
工藤の祖母の口調を真似てそう言ってやる。
心は乱れているようだが、何とか平静を保とうとしているらしい。
そう言うところがまた……威吹を昂ぶらせた。
「正真正銘の全力だ。コイツを撃てばキッカリ二時間、俺は“指一本動かせなくなる”」
そう告げた瞬間、一部の生徒が叫ぶ。
「野郎……天才か……!?」
「そうか、その手があったか!!」
高められた気が右手に収束する。
「ごめん、おばあちゃん……! でも、これ一回だけだから……!!」
硬く目を瞑り工藤は右手を突き出した。
その手の平から放たれた波動は威吹の全身を消し飛ばし、尚も直進。
黒猫先生が張った結界に激突。
数秒ほど拮抗するが、皹を刻んだところで霧散。
仮に結界がなければ校舎を破壊し、その進路上数百メートルは更地になっていたことだろう。
「良い一撃だった。でも、目を瞑るのは頂けないな。しっかり見届けないと」
倒れ伏し動かない工藤に再生を終えた威吹が語り掛ける。
「…………そうかよ……まあ、覚えとく……」
「ああ、次に順番が回って来た時はそこら辺、気にしてみると良い」
「生憎、今日はもうガス欠さ。時間経過以外では回復なんて――――」
「そりゃ良かった。得意なんだ“
は? と間抜けな声を漏らす工藤に逆行の波動を浴びせる。
彼の状態は授業が始まった時点に巻き戻された。
つまりはまあ――次も遠慮なくやれると言うことだ。
「一つ、言い忘れていたな。ガス欠覚悟の全力攻撃だろうと躊躇する必要はないぞ。
狗藤が時間を巻き戻してくれるからな。今回の授業に関しては消耗を気にしなくて良い」
喜べ、と黒猫先生が笑う。
最悪だ、と生徒たちが打ちひしがれる。
この日、多感な少年少女らはまた一つ心に傷を負うのであった。
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