狐と山本

 京都で出来た友達と宴会してるから今日も帰れない。

 そう息子から連絡を受けた詩乃は飲み屋街の屋台でおでんをつついていた。


「大将、卵と大根。それと蛸足にロールキャベツもお願いできるかな?」

「あいよ」


 グイっと熱燗を呷る。

 夏も間近に迫った六月下旬。

 熱燗におでんってどうなのよ? と思うかもしれないが、こんな時期だからこそ美味しいのだ。

 熱いものを沢山食べて飲んで沢山汗をかく。術は使わない。

 その後、銭湯で汗を流し、ようやっと術を解禁。

 周囲の気温を少し涼しい程度に調節して散歩がてら遠回りをして家に帰る。

 それが詩乃の今夜の予定だったのだが……。


「私が来た!!」


 屋台の暖簾をバサ! っと捲りポーズを決めるグラマラスな長身の女性。

 かなりの美人だが騙されてはいけない。

 コイツは元々男だったのだから。


「おかえりはあちらだよ」


 つれない態度だが別に嫌っているわけではない。

 単純に今日はそう言う気分ではないだけだ。

 しかし、女は詩乃のことなどお構いなしに隣の席へと腰掛けた。


「大将、まずは練り物中心にテキトーに頼む。それと白飯。飲み物はオレンジジュースで」

「あいよ」


 力づくで……と言うのはなしだ。

 その手のやり方はあまり好きではないし、

 そこまでの労力を払ってまで追い出すぐらいなら付き合った方がコスト的にまだマシだ。

 詩乃は溜め息混じりに女を見つめ、口を開く。


「それで? 山本さんは一体何をしに来たのかな?」


 山本五郎左衛門、言わずと知れた大妖怪。

 そして変態だ。

 詩乃の――九尾の狐のスタンス的にはどうでも良い相手に分類されている。

 いやまあ、彼女にとっては大概の相手が嫌いかどうでも良いなのだが。


「このタイミングなら一つしかないだろう?」

「いや、私はぶっちゃけどうでも良いし」


 今回の件で関心を抱いているのは、めいっぱい楽しんでいるであろう威吹のことだけ。

 現地に居る知り合いに記録を頼んでいるので今から楽しみで楽しみでしょうがない。


「つれないな……友達だろう?」

「私ぃ、異性間の友情って信じてないタイプなのでー」

「同性だろ」

「いや異性でしょ」

「違う、私は女だ。よしんばかつて男であったとしてもだ」

「アウトじゃん」

「いやセーフだ。そもそも私らのようなモノにとって性別などあってないようなものではないか」


 まあ、一理ある。

 老いず朽ちず果てず。

 単体で完結した生命体にとって性別など重要な要素ではない。


「あってないようなものだけど、スタンダードで雌雄があるならそれが全てでしょ」


 九尾は生まれながらに女であると言う自覚を持っている。

 変化で男に化けることもあるし、その時は男として振舞っている。

 が、根幹にあるのはあくまで女。外面と内面を装いはしても、根っこを変えるつもりは更々ない。


「しかも女になった動機が酷い。変態じゃん」

「いや待て。私はノータッチな健全な淑女だよ。と言うか性癖云々を語るなら君のが酷い」

「私はノーマルだよ」


「蟇盆とか炮烙とかアブノーマルの極みじゃないか。

私の性癖は他人に迷惑をかけない性癖だが君の性癖は違う。国を傾けるレベルで迷惑な性癖だ」


「あれは性癖じゃないよ。単なる趣味」

「そっちのが酷いわ。性癖ならまだ、抗えぬ悲しき性とも言えるけど趣味はない」

「いや、あんなんで濡れたり勃ったりする方が酷いと思う」


 などと熱い性癖トークを繰り広げていると、


「お客さん方。一応ここ、飲食店なんで」

「「あ、すいません」」


 素直に謝罪する大妖怪二匹。

 勝手気ままが常とは言え、申し訳ないと思った時ぐらいは素直に謝れるのだ。


「怒られちゃったじゃない」

「私のせいなのか……?」


 ガジガジと蛸足を齧る。

 齧って気付く。これ、ただの蛸ではない。妖怪蛸だ。

 養殖でもしているのだろうか? 店主のこだわりを感じる……。


「ま、それはさておき」


 すっと目を細める詩乃。

 その視線は山本の顔――正確には顔の右半分に注がれていた。

 普段ならば端整な顔はしかし、今は見るも無惨なことになっている。

 黒く焼け爛れ呪詛の光が血管のようにドクドクと脈打つ様は、かなりグロテスクだ。


「何したの?」


 呪詛の七割は威吹のものだ。

 残る三割の方は誰だか分からないが、まあ察しはつく。

 恐らくは威吹と戦っていた誰かだろう。


「邪魔してはいけないと遠巻きに見物していたら不興を買ってしまったらしい」


 そう言いながらも山本は酷く嬉しそうだ。


「良い空気に水を差すようなイヤらしい視線でもしてたんでしょ……で、それわざと受けたの?」


 威吹は強い。

 幻想世界にやって来た頃と比べれば雲泥の差だ。

 大妖怪クラスを除けば力で勝る者はまず居ないだろう。

 とは言え、山本に呪詛を植え付けられるほどの実力ではない。

 となると山本自身が甘んじて受け入れたと考えるべきだろう。


「謝罪の気持ちでね」

「ああそう。でもそれ、火に油を注ぐようなものだと思うけどね」

「うん。何故か更に不機嫌になってたよ」


 山本に悪意はない。

 本当に申し訳ないと思ったから誠意を見せたのだろう。

 だが威吹と、そして威吹と戦っている誰かさんからすれば腹立だしいことこの上なかったはずだ。

 威吹はともかく誰かさんについても分かるの? 分かるのだ。

 未だ残留する威吹の妖気の中に喜色が香っている。山本に対するものではない。

 となればダンスパートナーを務めていた誰かさんに向けられたものと考えるのが自然だ。

 感じる喜びは一方通行のそれではない。誰かさんと威吹は気が合うのだろう。

 ならば当然、怒りを抱く部分も重なっているのが道理だ。


「ただまあ、私としては嬉しかったんだがね。

無抵抗を貫いたとしても生半なことでは私に呪詛を通せはしない。

君の息子も、その相手をしていた腹ペコくんも……ああ、実に将来有望だ」


 そっと焼け爛れた部分を撫でる山本。

 撫でた手に呪詛が移ったので、詩乃は即座にその手を切り捨てた。


「何をする」

「それ利き手でしょ。ばっちい手でものを食べるとか許されざるよ」

「む……それは道理だな」


 すまないと謝罪しつつ山本は生え変わった手で箸を持ちおでんを摘まみ始めた。

 注文が来てから結構放置していたが未だおでんはホッカホカだ。

 器に刻まれた保温術式から店主の気遣いが窺える。


「…………正直、予想外だった」

「何が?」

「若手組、若獅子会――それらはいずれ崩すために私と神野が積み上げたジェンガだ」


 しかし、と唇を吊り上げる。


「“早過ぎる”。そうなるようレールは敷いていたが、終点に辿り着くのはまだまだ先だった」

「どれぐらいだって読んでたの?」

「千年。私も神野もあと千年はかかると思っていた」

「千年とはまた気が長……いや、妥当かな」


 化け物の変化は緩やかだ。

 現状に対する不満が爆発するまでには相応の時間がかかっただろう。


「君の息子――威吹くんは容易に私たちの予想を覆してくれたよ」

「偶然の積み重ねだと思うけどね」


 威吹が蒼覇と面識を持っていなければ。

 蒼覇たちが威吹に接触しなければ。

 東西双方の組織がもっと早くに手打ちの段階に持っていけていたのならば。

 起こさずに済む要素は幾つもあった。


「そうかね? 例え今回のフラグを見逃していたとしても彼ならば……と私は思うよ」

「うちの子を随分と買ってくれてるね」

「それはもう。人間の大妖怪――実に興味深い存在だ」


 性的な色は窺えない。

 仮にチラつかせていれば詩乃はその瞬間にアポカリプスナウも辞さないつもりだった。


「私や君。他の大妖怪たちをOracleにかけたとして……さて、天職は何になるのかな?」

「私なら……そうだね。お嫁さんとか?」

「え」


 詩乃の目はマジだった。


「もしくはお母さん?」

「……」


 詩乃の目はとても澄んでいた。


「……………………………………兎に角だ。

私も含めて天性の素養が大妖怪だと診断される者がどれだけ居るだろうか?

試したことはないが、彼の他には存在しないのではなかろうか。

人間の妖怪と言うオンリーワンの種族に加え、ナンバーワンの素養。注目するなと言う方が無茶な話だ」


 天職妖怪と診断される人間はそこまで多くはないが、そこそこ存在する。

 しかし彼らは人間の妖怪ではない。

 先祖返りのようなもので、種族も先祖のそれに準じる。

 威吹もまた鬼や天狗、妖狐になりはするがそれらはあくまで枝葉。

 本質は人間の妖怪だ。

 そして人間の妖怪は今のところ、威吹一人だけの種族である。

 仮に威吹が子を成したとしても、その子孫が人間の妖怪になる可能性は低いだろう。


「おっと、剣呑な目をしないでくれ。別段、彼を害する気はないよ。むしろその逆だ。

威吹くんが何かを望んでいるのなら積極的に助力したいとさえ考えている。

これは私だけではない。神野も同意見だ。アイツも威吹くんを……ちょっと待て。

覗いていたのは神野も同じなのに何故私だけ呪詛を飛ばされたんだ?

気付いていなかった? いや彼らに限ってそんなことはないだろう……」


 神妙な顔で悩み始める山本だが、その疑問は考えるまでもなく解決出来る。


「あなたが気持ち悪かったからでしょ。視線がねちっこかったとかそんな感じ」

「君の冗談は辛口過ぎて――――」


「いや、冗談じゃなくて。多分、神野とあなた。

二人で威吹に会いに行ったら神野とは和気藹々と話してるけどあなたは無視されると思うよ」


 容姿は整っているし、言動も頓狂なものではない。

 だがどうにも視線が変態的と言うか……気持ち悪いのだ。

 悪意はないのだろうが、兎に角気持ち悪い。

 威吹と誰かさんが山本を標的にしたのもそのせいだろうと詩乃は見ている。


「………………そう言えば日本政府の人間が私に接触して来てね」


 話を逸らされた。

 表情を見るに割りとマジでショックだったらしい。


「威吹くんの殺害を依頼されたよ」

「へえ、それはそれは」

「今回の件を重く見てのことだろうが……愚かだね」


 幻想世界日本の治安はこれから酷いものになるだろう。

 こちらに居る人間にも危険が及ぶし、それ以外の面でも良いことはない。

 だが本質を見るならば、むしろ威吹は人間に与したと言っても過言ではないのだ。

 なのに抹殺を依頼するとは、愚かとしか言いようがない。


「九尾、君はどうするんだい?」

「どうとも」

「おや」


 意外そうな顔をするが……心外にもほどがある。

 それほどまでに自分が間抜けだとでも言いたいのか?


「威吹の排除が国家としての方針ならばまあ、もう一度国を傾けるのも悪くない」


 威吹を護るためではない。

 仮に日本と言う国を敵に回しても威吹なら独力で何とかするだろう。

 では何故? 答えは単純。気に入らないからだ。


「でも違うでしょ?」


 よく思い出して欲しい。山本は“日本政府の人間”としか言っていないのだ。

 山本に接触して来たのは非主流派の人間だろう。

 主流派の意見はまず間違いなく別だ。

 主流派――権力の本流に乗るのは賢い者の特権だ。

 賢い者は威吹の行動が長期的に見れば人間に利するものであったことを見抜いているだろう。


「九尾の狐相手にこの手の言葉遊びは通じない、か。

まあうん、そうだよ。最大野党を影で操る御老人からの依頼だ。

そして依頼は当然、断った。だって私には威吹くんを排する理由がないからね」


「だろうね」

「しかし……」

「言いたいことは分かるよ。これまで以上に人間のこちら側への干渉が強まるって言いたいんでしょ?」


 これもまた、どうでも良い話だ。

 威吹と出会う前ならば人間を誑かして場を引っ掻き回して遊んでいただろうが、生憎今は愛することで忙しい。


「ああでも、威吹は喜ぶかな? そう言う意味では感謝してあげても良いかな」

「やれやれ……これが恋愛脳と言うものか」

「うるさいなあ」


 と、その時である。


「あー! ここに居た! んもう、何やってんですか山本さん!!」


 年若い男の子の声。

 聞き覚えのあるそれに視線をやると、


「あ、詩乃さん――いえ、玉藻御前様も一緒だったんですね」


 亮が居た。

 山田亮、威吹の親友にして人の道を外れ愛する女と白夜の道行きを選んだ少年。

 少し、驚きだった。

 あのバイタリティなら、生き残る目もあるだろうとは思っていた。

 だがこうも早くこちらに逃れられるとは思っていなかった。


「そうかしこまらないでも良いよ? 可愛い息子の大事なお友達だもん」

「アハハ、じゃあ詩乃さんってことで。その節は本当にお世話になりました」

「どういたしまして。でも、私は威吹に付き合っただけだから気にしなくて良いよ」


 それより、どう言う道筋を通って幻想世界まで逃れたのか。

 それが気になる。


「ああ……今月の頭に日本で国際会議があってですね。

米の国の大統領が羽田を訪れるのに合わせてイチバチで突っ込んだんです。

で、殺される前に空港に侵入して威吹の首飾りを使って空港そのものを爆発物に変化させたんですよ」


「あらあらまあまあ」


 執拗な追っ手。

 見つからない協力者。

 亮たちとしても詰みかけていたのだろう。

 だから一か八かの賭けに出た。


「事が事だけに僕の策が成った時点で刺客は動けませんでした」

「だろうね」


 下手な動きを見せれば空港が爆破されるかもしれない。

 お役人の命を受けて動いている者らからすれば堪ったものではないだろう。


「そして時間もない。何せ飛行機はもう到着してましたからね」

「幻想世界への道を開くか開かないか。二択を突きつけたわけだ」


 上に判断を仰ぐことはさせない。

 今直ぐこの場で判断しろ。

 信じる信じないの水掛け論による時間稼ぎもなしだ。

 空港を変化させた時点で結末は二つに一つしかないのだから。


「はい、それでまあ無事こっちに辿り着けました」

「おめでとう。雪菜さんはお元気?」

「ええ、こっちでの生活を楽しんでますよ」

「それは良かった」


 嘘ではない。

 だって亮が生きていると知れば威吹はきっと喜ぶから。


「…………亮くん、君、彼女と面識があったのかい?」


 これまで黙っていた山本が口を開く。

 そう言えば、山本さんと呼んでいたがどう言う関係性なのか。


「亮くん、この変態とはどう言うご関係で?」


「へんた……いや、現世ほどではありませんがこっちでも僕らは狙われてましてね。

政府の人間や、その息のかかった妖怪とかに。

その関係で揉めてる時に山本さんが僕らを保護してくださったんです」


 それで今は秘書的な仕事をしているのだと言う。

 人品はともかく、山本の下に居るのならば亮も雪菜も安全だろう。

 手を出そうとするのはよほどの馬鹿だけだ。


「なるほど。まあ、元気そうで良かったよ。威吹にはもう?」

「いえ、まだです。と言うか、しばらくは顔を合わせるつもりはありません」


 すっ、と詩乃の目が細まる。

 しかし亮はそれに怖じることもなくこう続けた。


「……こっちで威吹のことを知りましたし、昨日も遠目でとは言えずっと見てました。

心も力も、僕とは遠く遠く離れた存在なんだなって痛感しました。

少しはその差を埋めなきゃ、以前のような関係には戻れませんからね」


 だから今はまだ会えないと照れ臭そうに締め括った。

 それを聞き、詩乃も態度を和らげる。


「そう言う理由なら威吹も喜ぶと思うよ。頑張ってね、亮くん」

「ええ、それで……」

「大丈夫。秘密にしておくから」


 そしてついでにおまけだ。

 亮が首から提げている力を使い果たした首飾りに手を当て、力を注ぎ込む。

 それなりに力を込めたので好き放題使っても百年は保つだろう。


「君が雪菜さんと一緒に生きて威吹に会いに来ることを期待してるよ」

「……ありがとうございます!!」


 そんな心温まる会話を横で聞いていた山本がポツリと呟く。


「…………何だろう、この疎外感。芥子が染みたのかな……ちょっと泣きそうだ…………」

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