日本の夜更け
僕が幻想世界行きを許されたのは七月に入り日めくりカレンダーを十捲った頃だった。
後、十日もすればあちらの学院でも夏休みに入る。
そんな時期に新しいコミュニティに加わると言うのは中々にハードモードだと思う。
まだ五月――GW明けとかならば良かった。
入学から一月、まだ完全にクラスの空気とかも固まってなかっただろうしね。
でも夏休み前ともなれば……もう粗方、落ち着いた頃だろう。
「きっと友達同士で夏休みの予定をキャッキャと話し合ってるんだ」
参るね。
気まずいね。
いやまあ、暦の通りに入学出来なかったのは僕のせいなんだけどさ。
お爺様の定めた水準に達することが出来ていれば僕も四月に相馬高等学院に入学出来ていたはずなのだから。
「非才の身が恨めしいよ」
ぼやきつつ、列車を降りる。時刻は午前零時を少し過ぎたあたり。
幻想世界行きの最終に乗り込んだからこんな時間になってしまったのだ。
明日の始発と言う手もあったのだけど、気が急いたのだと思う。
別に、早く着いたところで意味なんてないのにね。
古い煉瓦造りの駅構内を歩き、改札へ向かう。
「お客さん、現世から?」
「ええ、それが?」
「また物好きな……いや、よほど腕に自信があるのかな?」
駅員は呆れたように笑いながら切符を切った。
どう言うことかと問い詰めようと思ったが……止めた。
そろそろ仕事を終えて帰れるのだ、無駄に時間を取らせてしまうのは忍びない。
軽く頭を下げて駅を出る僕だが――――。
「!?」
駅を出た瞬間、耳をつんざく轟音が響いた。
何だと考えるよりも先に襲って来た強風に巻かれ僕は空に舞い上がる。
冷静になんてなれない。
だが、風の符を起動しどうにかこうにか爆風を軽減させ東京駅の屋根に着地。
改めて全体を見渡し……言葉を失った。
どうして気付かなかったのか。
駅には防音の結界でも張り巡らされていたのかもしれない。
いや、それはどうでも良い。
今考えるべきは星も見えない暗い夜空で殺し合う異形の群れについてだ。
「……帝都は治安が良いんじゃなかったの?」
幻想世界は人ならざる者の領域。
神々が積極的に統治している国を除けば大概は無法地帯だと聞く。
そして不幸なことに幻想世界における日本において神々は消極的だ。
高天原におわす彼らの多くは日ノ本の民に対し、さして関心を持ってはいない。
いや、先に関心を失ったのはこちらなので文句は言えないのだが。
それはさておき神々のやる気が殆どないので日本は無法地帯に近い。
が、帝都を始とする現実でも大都市と称される幾つかの領域は秩序立ったものであると聞いていた。
日ノ本産の怪物である妖怪。
その中でも神々とだってやり合えるような大妖怪が統治に協力しているからだ。
いやまあ、それはそれで大妖怪の気分次第で崩れる砂上の楼閣なんだけどさ。
兎に角だ。ここ帝都は幻想世界日本において屈指の治安を誇るはずなのに、何だこの惨状は?
「天狗ポリスって治安維持組織もあると聞いていたのに……」
ポリスっぽい天狗など、どこにも居やしない。
居るのはイカレタ時代にウェルカムしてる無法者ばかり。
これは、これはまずいかもしれない。
僕を迎えに来てくれるご先祖様については何も心配は要らないだろう。
日本史上屈指の術師だからね。
だが非才且つ非力な人間の僕にとってこの状況は最悪だ。
降り立つと同時に気配遮断と認識阻害の符を使ったが絶対ではない。
必死こいて術を込めたとは言え、所詮は非才の身。
誰も彼も欺けるような領域には達していない。
加えて時間制限もある。符の効力は十分が限界。
「それまでにどう動くかを決めなきゃだけど」
困ったことに、今はもう空だけではなく地上でも戦いが勃発している。
と言うか、ドンドン数が増えていってるよねこれ?
なのに天狗ポリスはやって来ない。
ワンチャン、まだ到着していないと言う可能性に賭けてたが……うん、無理だ。
どう言う理由でかは分からない。だが、天狗ポリスがこの事態を収束することはないだろう。
「なら今僕が成すべきは……」
時間稼ぎ。
ご先祖様が迎えに来てくれるまで生き延びることだ。
ご先祖様と合流出来たのであれば妖怪たちなど物の数ではない。
戦って蹴散らすことも、戦わずして場を離脱することも出来よう。
問題はご先祖様が時間にルーズらしいと言うこと。
更に言えば物忘れしがちなタイプでもあるらしいと言うことだ。
結局は運頼み、神頼み――ああいや、後者は無理か。
「僕も大概信心のない人間だし……!?」
ギョロリと、目が合った。
満身創痍の一匹の化け物。
それは確かに僕を見ていた。
恐怖と緊張で身体が一瞬、強張る。
人間にとっては、僕にとってはほんの一瞬だった。
だがその一瞬でそいつは僕の眼前へとやって来た。
「へへへ、良いもん見ーっけ」
「は、はは……ず、随分お辛そうですね? よろしければ癒しの術を使いましょうか?」
「嬉しいことを言ってくれる。だが、要らねえよ」
「…………何故?」
「――――お前を喰えば良いだけだもん」
人間は回復アイテムってか? ふざけるな!
怒りのままに仕掛けると見せ掛けて逃げ出そうとするが、
「ガッ……!?」
頭を掴まれ屋根に叩き付けられた。
痛い、鼻が折れた、多分、前歯も何本か。
(い、いやだ……ぼくは、死にたくない……!!)
僕の人生はマイナスだ。もうゼロに戻すことさえ出来やしない。
それでも、それでも――――!
(姉さん……!!)
そこであれ? と首を傾げる。
何かが、何かがおかしい。
「ああ……! 美味い美味い美味い! やっぱ人間は脳味噌が一番うめえんだよ!!」
ん、んん?
先ほどまで僕を喰おうとしていた妖怪の楽しそうな声が響き渡る。
コイツは一体何を言ってるんだ?
僕は頭を開かれて脳味噌をちゅーちゅーされてたりなんかしないぞ?
顔を抑えながら恐る恐る立ち上がり、振り返ってみると……。
「え、スイカ? 何で?」
糞でけえスイカに一心不乱に貪りつく血塗れの異形。
「……まずいな。人間を喰って回復しやがった」
「ええ、迂闊には手を出せないわね」
対立していると思わしき異形たちがスイカをシャクシャクする妖怪を見て険しい顔をしている。
え? 何これ? どうなってるの?
ちょっともう、シュール過ぎて意味が分からない。
僕が混乱していると、
「おにーさん! ほら、こっちこっち!!」
明るい声が聞こえた。
声のする方向に視線を向けると相馬高等学院の女子制服を纏った少女が手招きをしているのが見えた。
(これは……どうするべきか……)
屋根の片隅に立つ少女を観察する。
日に焼けた肌。パッチリとしたお目目。
少しの癖のある黒髪ショート。
胸はあまり大きくない――否、小さいがお尻――と言うよりお尻を含めて太股とか下半身の肉付きは割りと良い。
スカートの下から見えるスパッツがとてもグッドだと思う。
顔立ちは特別、秀でていると言うわけではない。だが可愛い。
クラスで密かに人気が出るタイプだと見た。
こう、何て言うの? 俺だけはアイツの可愛さに気付いてるよ的な。
男子との距離も近いんじゃないかな?
ついでに言うと、きっと彼女は陸上部だ。いや、陸上部であって欲しい。
百歩譲ってもバスケ部だな。バレー部は駄目だ。
(正直、かなり好みだけどこう言う状況で軽率な行動は……馬鹿な!?)
気付けば彼女の下へ向かって歩き出していた。
僕のリビドーがそうさせたのだ。
糞! 歯止めが利かない思春期の情動め!!
「早く駅ん中入るよ、あそこは安全だから」
手を引かれ、駅校舎に連れ込まれる。
ちょっとドキドキした。
「ふぅ……ったく、こんな時間に出歩くなんて正気? 腕に自信があるなら分かるけどさあ」
駅の中に入ると喧騒は途端に消えた。
やはり特殊な結界がここを護っているらしい。
まあ、あちらとこちらを繋ぐ唯一の正式な道なので当然か。
それはさておき、だ。
彼女の言葉から推察するに、あのようなことは日常茶飯事なのだろうか?
「? 知らないの?」
「うん、さっきこっちに着いたばかりだし」
「いやでも、向こうでも注意喚起はされたでしょ?」
ふるふると首を横に振る。
薄々、そうじゃないかとは思ってたんだ。
こちら側の日本で、最近何か大きな異変があったのだろう。
その結果、治安が糞ほど悪くなった。
そしてお爺様は意図的にその情報をシャットアウトしていた。
僕の中にある知識がアップデートされないようにしていた。
何故か、なんて考えるまでもない。
これもお爺様の課した試練だ。
そしてそれは同時に優しさでもある。
だがまあ、今は置いておこう。それにお爺様が何を考えていようと僕の選択が揺らぐことはないのだから。
「詳しい事情を聞く前に……僕は安倍高明。君の名前を聞かせてもらっても?」
「ああうん、うちは響。加藤響だよ」
「加藤さんか……さっきはありがとう、お陰で助かったよ」
「どういたしまして。ま、ちょっと騙くらかしてやっただけだから気にしないで良いよ」
ピョコン、と頭の上に獣の耳。お尻からは愛らしい尻尾。
あーダメダメ。えっちすぎます。
不意打ちで性癖に攻撃を仕掛けるのはレギュレーション違反ですよお嬢さん。
と言うか、そうか。彼女は妖狐だったのか。
にしてもやべーなオイ。
僕を喰おうとした化け物だけならともかく、奴を認識してる連中も全員幻にかかってたじゃん。
「……ひょっとして九尾?」
「アハハ! なわけないじゃん。あのお狐様は戯れでもうちらとはダンチだから」
九尾、怖いなあ。
「それで……本題なんだけど今、こっちで何が起こってるの?」
僕の知る限りにおいて、帝都は屈指の治安を誇る都市だ。
夜間だから多少の危険はあるだろう。
だがああも大々的に妖怪が暴れ回るような例はなかったはずだ。
一体、何が起きていると言うのか。
「戦争だよ戦争。先月の下旬にさ、西と東で大規模な戦争があったの」
「戦争……」
そんな大きな出来事、普通は耳に入っていてもおかしくはない。
やはりお爺様がと、僕は確信を強める。
「そのせいで燻ってた色々な火種に連鎖的に火が点いちゃったの。
結果、あちこちで争いが絶えなくなったって感じ?
まあでも、帝都はマシだよ。昼間なら天狗ポリスが警戒してて人間を護ってくれてるし」
でも夜はねー、と苦笑する加藤さん。
言いたいことは分かる。
これはリソースの問題だ。
夜は妖怪の時間だ。その時間帯に人員を派遣するのはねえ。
昼間と違って簡単に退かないだろうし、そうなれば天狗ポリスも少なくはない被害を受ける。
そうなれば昼間の治安維持にも支障が出るだろう。
だから、スパッと夜は――正確に言うなら零時以降から朝までを切り捨てたと言うわけだ。
「帝都以外の場所は?」
聞くのも怖いが、僕の目的からして聞かないわけにもいかないのだ。
「世紀末、もしくは戦国時代」
「……だ、大都市も?」
「うん。大都市も。まあさっきも言ったけど帝都はマシだけどね」
最悪だ。
「でも、何で戦争なんて……」
六百年前。
表裏の世界がマジで終末五秒前になりかけた大戦争を忘れたのか?
軽挙が過ぎるだろう。
「狗藤威吹って妖怪が居るんだけどさあ」
「!」
「知ってんの?」
「逆に知らない方がどうかしてると思うよ」
Oracleに大妖怪の素養を見出された初の人間。知らないわけがない。
オカルトに関わろうとしないお爺様ですら、積極的にその情報を集めていたのだから。
それはさておき、ここでその名前が出ると言うことは……。
「主犯は狗藤威吹。動機だけど……長々と説明するのも面倒だから端的に一言で――愉快犯」
最悪だ……。
「あの……現世……日本政府がどう対応してるかとか知ってるかな?」
「常識の範囲でなら」
教えてくださいと頭を下げると加藤さんは笑顔で頷いてくれた。
はー、止めて欲しいなそう言うの。僕はチョロいんだから。
「政府は結構な数の人員を送り込んでるみたいだね。
人間寄りの妖怪と手を組んで、どうにかこうにか元の秩序を取り戻そうとしてる」
うわぁ……。
「まあでも、そう簡単にはいかないだろうね。
人間の在り方に寄り過ぎた妖怪を嫌ってる連中や、特に思想はないけど火事を眺めるのが好きな愉快犯。
加えて秩序が壊れたことで雪崩れ込んで来た外国の人外や野心を持った人間も居るしね。
何とかしなきゃいけない相手が多過ぎるから、生半なことでは元の形には戻せないと思う」
地獄かな?
「安倍くんはどうするの? 知らずに来たのなら帰った方が良いと思うけど……。
ああ、ちなみに帰るなら駅の中に設置されてる臨時大使館に行かなきゃ駄目だよ」
臨時大使館……そんなのもあるのか。
まあでも、訪ねる必要はない。
どんな酷い有様であろうと、僕はこの世界に留まる理由があるから。
「へえ……それは嬉しいかも」
!? 嘘だろオイ、僕は何時の間にフラグを!?
「安倍くん、相馬でしょ? うちも相馬なんだけどさ。
こんなことになって人もそこそこ減っちゃってさあ。寂しかったんだよね。
だから現世から来た人が残ってくれるのは大歓迎!!」
屈託のない笑顔にキュンキュンするけど……そうか、フラグじゃなかったのか……。
と言うか“そこそこ”なのね。
自分の意思でこちらに残留しているのだとしたら、
そいつらはこっちの世界で上手くやってける資質があるのだろう。
ま、それはともかく事情は大体理解した。
改めて加藤さんに感謝を伝えると、彼女は良いって良いってと笑ってくれた。
見た目通りのさっぱりとした性格が、これまた堪らない。
こう言う子に限って恋愛絡みだとすっごく乙女チックになるんだよね。
はー! 下心ゲージが際限なく貯まってくのを感じるよ。
(僕にはやるべきことがあるけど、それを成すためにも日々の潤いは必要不可欠)
とりあえず学年とクラスを聞こう。
少し緊張しながら口を開こうとすると、
「あ、見つけましたよぅ。わ……姫様、何でこんなとこに居るんです?」
「鬼灯! ごめんごめん。現世から来た人間の男の子が困ってるみたいだったからさ」
うぉ、これまた美人さん。
「ごめんね安倍くん、待ち合わせしてた子が来ちゃったみたいだから」
「ううん、気にしないで。色々お世話になったのにロクなお返しも出来なくてアレだけど……」
「だから良いってば! それじゃ、うちはこれで。学校で会えたら声かけてよ!!」
じゃねー! と加藤さんは元気良く去って行った。
和みつつ、思う。
「……ご先祖様、まだ?」
これ駅で一晩明かさなきゃいけない系?
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