ヤング妖怪大戦争⑩

 東の化け物たちが京の都に攻め入ってから半日近い時が流れた夕刻。

 逢魔が揚々と跋扈し始める宵の口。

 されど、市内で戦闘を行っている化け物はたった“二人”だけになっていた。

 全滅した? 否、たかだか半日程度で誰も彼もくたばるほど妖怪は軟ではない。

 暴れ過ぎて小休憩? 否、先にも述べたがこれからが化け物の時間だ。

 では何故? 答えを明かそう。

 誰もが誰も、戦いを止めて魅入っていたのだ。


 ――――とある二人の戦いに。


 西も東も、思想も関係ない。

 一人、また一人と膨れ上がる妖気に誘われ誰もが清水寺跡地に導かれた。

 さながら誘蛾灯に集る羽虫の如くに。


「ンフハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」

「ダァハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」


 ゲタゲタと哄笑を上げながら殴り――否、貪り合う二人の化け物。

 食べることは生きること。

 そこには美も醜も、善も悪もない。

 だが生きるためではなく、正しからざる欲望に走ればその限りではない。

 この二人はただただ醜悪であった。


「…………何つー戦いだよ」


 ポツリと呟いた誰かの一言は、皆の総意でもあった。

 その醜悪さもさることながら、二人の戦いが齎す影響が凄まじい。

 京都市内全域を覆い尽くす妖気の乱気流。

 その気など欠片もないだろうに、それは容赦なく何もかもを蹂躙していく。

 ここに集まった化け物たちもそう。

 弱い奴はとっくに巻き込まれて死に絶えた。

 そして今、生き残っている者らも安泰ではない。

 台風の目のような場所に陣取り、護りの姿勢を取って見守っているが……。


「まただ、また妖気が膨れ上がった」


 二人は加速度的に強く、大きくなり続けている。

 ここまで残った実力者たちだ。

 そう簡単には沈みはしないが、いずれは耐えられなくなる。

 それは当人らも理解していた。

 市内からの脱出に賭ける――それが多分、一番賢い選択だ。

 しかし、彼らは動けなかった。

 最後まで見届けねばならない……いや、見届けたいと思ってしまったから。

 それはきっと、化け物の本能なのだろう。

 だから、威吹を害悪と断じた者たちですら静観の構えを解かない。


「これ、どっちが勝つんだ?」

「わかんねーよ」


 狗藤威吹と安浦真。

 片やOracleに大妖怪の素質を見出された日本を代表する大妖怪三匹の血を引くサラブレッド。

 片や若獅子会の頭を務める西の若手代表。

 前者はこれでもかと、後者もそれなりに名は知れ渡っていた。

 だが実際に戦っている場面を目撃した者は少ない。

 この場に居る殆どの者が知らなかったのだ、彼らの本当の実力を。

 だから、分からない。どちらが勝つかなどと聞かれても答えようがない。

 目に映る両者の戦いは拮抗しているように見える。

 だがそれは真実なのか。

 あまりに大きな力ゆえ、測ることさえ出来ないのだ。


「……怖いな」


 そう呟いたのは嬉々として戦争に参加していた一人の化け物だった。

 彼は、自由気ままに振舞うことこそが化け物の正しい在り方だと思っていたし、その通りに生きてきた。

 だが、威吹と真の戦いを見ていて……揺らいだ。

 それは、いつか何か、取り返しのつかない結末を齎すのではと。


「恥ずかしいな……」


 そう呟いたのは秩序を乱す威吹を殺すため戦争に参加していた一人の化け物だった。

 彼女は、化け物もまた変わるべきだと信じていた。

 人間との交わりが避けられないのならば協調し、共に歩むべきだと。

 だが、威吹と真の戦いを見ていて……揺らいだ。

 それは、魚が空を飛ぼうとするような滑稽な行いなのではなかろうかと。


 威吹も真も自分たちを眺めている有象無象など眼中にもない。

 まだ飛び交う瓦礫の方が注意を引いているだろう。

 その存在を認識しているかさえ怪しいぐらいだ。

 だと言うのに、言葉もなく、ただ戦っているだけで二人は良くも悪くも多くの者に影響を与えていた。


「あ」


 戦いが、新たな段階へと至った。

 これまで二人は手足や身体に口を出して相手を喰らっていたが、元々備わっている口を使ってはいなかった。

 だが、今、彼らは同時に互いの肩口へと噛み付いたのだ。

 それが何を意味するのかを正確に説明出来る者は居ない。

 だが、何かが変わったことだけは皆、理解していた。


「っかぁー……! 格別やのう、これまでより美味く感じるわ!!」

「同感。ゲテモノ趣味はなかったんだけど、母さんの手料理より病みつきになりそうだ」

「誰がゲテモノやねん」

「自分の姿をした食べ物を想像してご覧? 美食に思えるかい?」

「……思えへんなあ」


 戦いを中断し往年の友が如く親しげに語らう二人。

 これで終わり? そんなまさか。

 見ろ、その瞳に宿る愛情友情殺意入り混じるヘドロのような感情は微塵も揺らいでいない。

 では何故か、ギャラリーが首を傾げていると二人は同時にある方向を見つめた。


「ッッ……」


 二人の視線の先に居る化け物らが身を固くする。

 何か不興を買ってしまったのかと。


「趣味が悪いよ」

「糞覗き魔が」


 一際強い妖気が発せられる。

 それは直接向けられたわけではないギャラリーたちに死を覚悟させるほど濃密なものだった。


「……チッ、おい真」

「……おう、わざと受けよったで。気に入らんわ」


 ようやっと、有象無象たちも理解した。

 何者かが遠くから二人の戦いを覗き見ていたこと。

 それが二人の不興を買ったこと。

 報復として何かをしたこと。

 だが、それは思うような結果ではなかったこと。

 そして、自分たちはやはり眼中にないのだと言うこと。


「ちぃと萎えたが……変態は後回しや」

「ああ、仕切り直しと行こう」


 言って、二人は再度喰らい合いを始める。

 ものの数分で不機嫌顔は失せ、その顔には快楽だけが散りばめられていた。


「「ギャハハハハハハハハハハハハハ!!!!」」


 殴り喰らう。

 蹴り喰らう。

 噛み喰らう。

 獣性のままに行われていたのならば。

 怒りや憎しみのような負の感情に起因していたのならば。

 この戦いもまだ見れるものになっていただろう。

 だが双方が明確な理性の下に好意を抱きながら行われているとなると話は別だ。

 善良で敬虔な人間がこの光景を見ていたのなら、嘆きのあまり死んでしまってもおかしくはない。

 それほどに醜悪で劣悪で、しかし抗い難い背徳の美があった。

 有象無象の二人を見つめる視線には陶酔のような色が滲み始めていた。


「……ん?」


 変化が訪れたのは日が落ち、月が真上に昇って数時間が経った頃。

 とぷん、と器から液体が零れるように威吹の身体から“闇”が噴き出し始めたのだ。

 妖気か? いや違う。妖気は感じられない。

 純粋な闇。そうとしか言い様がなかった。


「お、おい! お前……大丈夫かよ?」

「う、うぅぅ……っっ」


 顕著に変化を見せたのは、人間寄りの化け物たちだった。

 皆、一様に顔面蒼白でガタガタと恐怖に震えていた。

 彼ら自身にも理由は分からない。

 ただただ、恐ろしいのだ。あの闇が。

 仮に、仮にあれに触れてしまえば……そう考えると震えが止まらなかった。

 この時ばかりは、溢れ出た闇を喰らい結果的に拡散を防いでいる真が救世主か何かに見えた。


「そろそろ胃酸がせり上がってきたんじゃない?」

「まだまだ余裕じゃボケ」

「どうかな? もう食べられないよ……って言う準備はしといた方が良いと思うけどね」

「仮にそうでも、そないベタな台詞吐くかいや。もし言うなら……」

「なら?」

「ハラァ……いっぱいだ――やな」

「それだとうちの母親がラスボスになるんだけど」


 次に変化が訪れたのはもう少しで今日が終わると言った頃。

 月光に照らされる真の顔色が明らかに悪くなっていた。

 対する威吹はその真逆。明らかに当初よりも精気が漲っている。


「腹でも下した?」


 威吹がそうせせら笑うと、


「アホ抜かせ。俺の腸内環境は何時でもオールグリーンや」


 真が鼻を鳴らす。

 だが、それが強がりであることは誰の目にも明白だった。


「ッ」


 ふら、と足がぐらつき真が後ろに倒れそうになる。

 威吹は軽薄な笑みを浮かべたまま、右拳に全ての妖気を集束し――――。


「――――メインディッシュだ」


 おあがり。

 言葉と共に胸元の大口へ叩き込まれた拳。

 しかし、これまでのように欠損し再生すると言う行程が挟まれることはなかった。

 威吹が傷一つない拳を軽く振るうと、口の消えた胸元にピキリと亀裂が刻まれる。

 亀裂は堰を切ったように全身に広がり、やがて大きな光を放って爆ぜた。

 見守っていた化け物らは皆、悉く極光に目を焼かれ視界を奪われていたが、やがて光が晴れ……。


「何か言うことは?」


 地に背を預け天を仰ぐ満身創痍の真。

 両の足で地を踏みしめ見下ろす傷一つない威吹。

 どちらが勝ったかなど語るまでもないだろう。


「恥ずかしいけど、まあええわ――――俺の負けやもうたべられないよ


 敗北宣言。

 しかし、その顔はこの上なく晴れ晴れとしていた。


「そんで、ごちそうさん……堪能させてもろたわ」

「ンフフフ、そりゃ良かった」


 笑い返し、威吹はドカっと真の隣に腰を下ろした。


「あぁぁぁああああああ……スッキリしたァ!! 何だろこの爽快感!?」


 クタクタになるまで身体を酷使し、泥のように眠った後の朝のような。

 三日目にして遂に便秘が終わった時のような。

 慢性的な頭痛が突然晴れて頭の中がクリアになった時のような。

 新しいパンツをはいたばかりの正月元旦の朝のような。

 そんな、えも言われぬ解放感と爽快感に威吹は酔い痴れていた。


「まあ、そらそうやろ」

「ん?」


 威吹はそう言えば、と戦いを始める前のことを思い出す。


「おどれ、短期間でアホほど成長を繰り返したやろ?」

「ん? あー……そう、だね。うん、ここ数ヶ月で成長期を繰り返したよ」


 酒呑との戦いで。

 リタとの戦いで。

 望まぬ暴走の結果で。

 そして真との戦いでも、だ。


 戦いが始まる前。

 その段階では威吹と真に大して差はなかった。

 強いて言うなら真が少しばかり上回っていた程度だろう。

 だが、威吹は戦いの中で成長した。壁を破り続けた。

 真では喰らい尽くせぬほどに膨れ上がり、結果、彼は敗れたのだ。

 真は指摘する、その成長こそが原因であると。


「普通、妖怪は短期間にポンポン成長する生き物やないねん」


 妖怪は原則不老の生き物だ。

 人間と違って時の束縛が無いに等しいから、その成長も緩やかになる。

 強くなればなるほど十年、百年、千年と更なる力をつけるために要する時間は増えていく。


「時間がかかるっちゅーことは、それだけ力を馴染ませる時間を多く取れるっちゅーことでもある」

「つまり……」

「おう、おどれは急激な成長を繰り返したせいで心身に澱みが生じとったんや」


 だが、それは澱は全て出し切った。

 同格の相手と長時間、全力で戦い続けることで無理矢理デトックスしたのだ。


「ありがとうって言うべき?」

「それ言うなら俺も腹いっぱいにしてもろてありがとう言わなあかんな」

「なら、お互いありがとうってことで」

「せやな。ありがとさん」


 からからと笑う。

 殺す殺さないなんて問答を重ねるつもりは、どちらにもない。

 だって相手が目障りで殺し合っていたわけではないから。

 満足出来たのならば敗者の生死なぞ、どうでも良いのだ。


「それよりおどれ、どないするねん」

「何が?」

「いや……今気付いたんやけど、仰山モブどもが集まっとるぞ」

「ああ」


 威吹と真の戦いは終わった。

 だが、戦争が終わったわけではない。

 続けるのか、止めるのか。真はそう聞いているのだ。


「もう良いかな。続けたってどうせ白けるだけだろうし」


 この戦争に参加している者の中で、真以上に楽しませてくれる者は居ない。

 ならばダラダラ続けて良い気分を台無しにするのも馬鹿らしい。

 威吹はぐるっと自分たちを見つめる化け物らを見渡し、告げる。


「戦争は終わりだ」


 勝手に戦争を始め、勝手に戦争を終わらせる。

 頭から終わりまで威吹は自分勝手だった。

 しかし、彼にはそのワガママを貫けるだけの意思と力がある。

 ゆえに、


「文句があるなら今かかって来い。ちゃちゃっと終わらせてやるから」


 誰もが戦争終結を受け入れざるを得なかった。


「威吹、この後の予定は?」

「帝都に戻って打ち上げするつもりだけど……どうかした?」

「それなら俺の店来いや。ぎょうさん食わせてもらった礼や、今度は俺が奢ったるで」

「マジ? じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」


 こうして戦争は終わりを迎えた。

 それは縺れ合い、身動きが取れなかった現状が崩れ落ちたと言うことでもある。


「おう、美味いホルモン焼き食わせたるさかい楽しみにしとけや」

「ホルモンかあ……良いねえ」


 この国は変わるだろう、良い意味でも、悪い意味でも……。

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