休みが明けて

 柔らかな陽光が目蓋の裏に差し、青々しい藺草の匂いが鼻を擽る。

 目を開けると視界には味のある木目の天井――――


「……ああそうか、帰って来たんだっけ」


 寝ぼけ眼を擦りながら、のそりと立ち上がり、よたよたと部屋を出て行く。

 こんな状態で階段を下りるのは些か危なっかしいが、生憎と威吹は化け物だ。

 階段を転げ落ちた程度では目覚ましにもなりはしない。


「おはよう威吹、ご飯出来てるよ」

「んー……おはよー……」


 リビングに入ると笑顔の詩乃が威吹を迎える。

 ロックの姿は見えないので、彼はまだオネムなのだろう。

 学校も宿題もあるが未来の大妖怪と違って、化けペンギンは自由なのだ。


「ンフフフ、いつもよりぼんやりさんだね」

「んー」


 返事をしているのかしていないのか、

 曖昧な唸り声を上げながら威吹は食卓に着き置かれていたお茶を飲み干す。


「ッッ……ふぅ」


 冷たくて少し苦味の強いお茶は、見事に眠気を追い払ってくれた。


「やっぱあれだなあ、寝ても寝足りないや」

「第一次が終わったと思ったら直ぐに第二次成長期が来ちゃったねえ」

「うん。悪いことではないんだけどなあ」


 リタとの戦いが終わって三日経った今、

 彼女との戦いにより新たな領域へ至ったことで威吹はまたしても成長期を迎えていた。

 今回は以前よりも空腹と眠気が酷く、中々に大変だった。


「ンフフフ、それならしばらく学校はお休みして母さんと一緒にお家でのんびりする?」

「連休明けにズル休みとか学校舐め過ぎだろ」


 キツクはあるが、誤魔化せないほどではない。

 日常生活を送る分にはまあ、何とかなるだろうというのが威吹の見立てだった。


「今回も尻尾見れば分かるかな?」


 鬼や天狗は強くなっても外見的変化が乏しい。

 気持ち、羽根の艶が良くなったかなあ? とか、

 気持ち、筋肉のキレが増したかなあ? とかその程度だ。

 勿論、力はしっかりついているのだが外見に変化は表れない。

 が、妖狐は違う。妖狐は尻尾の数がそのまま力を示すバロメーターになっているからだ。


「うん、五本になれば一旦は終わりかな。

それにしても鬼や天狗と違って妖狐は分かり易くて素晴らしいよね。ね? ね?」


「はいはい」


 あしらいつつ、食事に手をつける。

 今朝は山と積まれたおにぎりにお揚げの味噌汁、

 大根の浅漬けに鰤の照り焼きと中々にご機嫌な献立であった。

 照り焼きは普段なら朝から食べるには少々……という感じだが今は違う。

 何なら朝からステーキを食べても良い程度には餓えまくっているので、丁度良い。


「お肉はお昼に回してあるから、それまでは我慢してね?」

「ふぉーふぁい」


 口の中に放り込んだおにぎりをゆっくりと噛み解していく。

 少し固めの米から滲む甘味と塩気がたまらなく美味い。


(具は……あさりのしぐれ煮か……うんめえ)


 七割ほどを喉の奥に追いやったところでお茶だ。

 残る三割をお茶で流し込む。

 米と茶――合わないわけがないだろう。


「ん……この浅漬け……柚子使ってる?」

「うん、爽やかで良い感じでしょ?」

「最高」


 噛めば噛むほど瑞々しい食感だけでも十分だが、そこに柚子の風味が加わり爽やかさ倍増。

 口の中をリセットするには打ってつけだ。


「あ、そうだ。学校行く時、お友達へのお土産忘れちゃ駄目だよ?」

「あー……そういや、買ったんだっけ。部屋に置きっぱだったわ」


 無音は正確な住所は知らないが、まず間違いなく都内住まいだ。

 だから京都土産を貰っても問題はないだろう。

 しかし、百望はどうか。

 もし京都出身だったら地元の土産を渡されることになる。

 と、そこまで考えて威吹は気付く。


「……大丈夫か」


 例え地元の土産であろうとも”友人”から貰ったというだけで喜んでくれるはずだ。

 だって百望はそういう人種ボッチだから。


「お友達に対して何か失礼なこと考えてない?」

「ない」


 これは単なる事実なのだから。


「そう言えば……」

「どうかしたの?」

「いや、今更ながらに気付いたんだけどさ。紅覇、大丈夫なのかな」


 威吹は紅覇のことを殆ど知らない。

 どこに住んでいるか、親――酒呑ではなく母親はどんな人物なのかなどまるで知らない。


「もし母親と一緒に暮らしてるとしたらだよ? 一人息子が一人娘になって帰って来たわけじゃん?」


 自分が親の立場だったら驚くとかそういうレベルではない。


「私なら卒倒ものだよ」

「だよなあ。アイツ、どうするんだろ」


 大江山を降りた後、元の姿に化けることもなく紅覇は零號の姿のままで居た。

 ひょっとして、このまま行くつもりなのだろうか?

 そこらも顔を合わせた時に聞いておこうと威吹は心のメモに書き記す。


「……――ふぅ、ごちそうさま」

「はい、お粗末様でした」


 喋っている間も食べる手は止めず、三十分ほどで数十人前はあろう朝食を平らげる。

 それでも腹八分目なのだから成長期というやつは実に厄介だ。

 威吹は食後に出された熱いお茶を飲み干すと、身支度を整えるべくリビングを後にした。


(久しぶりの学校か……連休明けは毎度、妙にワクワクするよな)


 まあ、毎度特に何があるわけでもないのだが。


「おっと、お土産お土産」


 机の上に置いていた手の平サイズの小袋を二つ、鞄の中に放り込む。

 お土産にしてはセコくない? 否、そんなことはない。

 持ち運びのために小さく変化させているだけで、中には結構な量のお土産が入っているのだ。

 お菓子だったりお茶の葉だったり、しば漬けや千枚漬けなどの漬物類だったりとそれはもう沢山。

 他に忘れ物がないか軽く部屋を見渡し、何もないことを確認すると威吹は部屋を出て行く。


「威吹、お弁当」

「ん、ありがと」


 階段の下で待ち受けていた詩乃から弁当を受け取り鞄の中へ。

 これもまた普通の弁当箱のように見えるが容量が違う。

 中には成長期の威吹のために朝早くから作られた料理がたんまりと入っている。


「いってきます」

「はい、いってらっしゃい」


 家を出たところで一度立ち止まり、空を見上げる。

 初夏の日差しが燦々と輝く雲一つない青空。


「……」


 空の向こうに、何時かの思い出を見た。

 親友二人と肩を並べて笑っていた美しい記憶。

 ほんの少し、目の奥が熱くなったような気がした。

 威吹は感傷を振り払うように息を吐き出し、淀みない足取りで歩き出す。


「にしてもさあ、漫画みたいだよね。偉い人が影で悪いことやってたとか」

「それな。元総理まで性犯罪者だったとか……」


 ちらほら学生の陰が見えて来たところで、そんな会話が耳に入ってきた。

 どうやら彼らは現世出身の学生らしく、

 当然、GWの最終日に日本を震撼させた大事件のことについても知っているようだ。


(しかしまあ、思い切ったことをしたもんだよ)


 御堂三代を始めとする生贄にされた者らのことが公になるのは威吹も分かっていた。

 だが、まさか彼らの罪まで白日の下に晒されるとは思ってもみなかった。


(防衛大臣を筆頭として、与党と深い関わりのある連中も居たのになあ)


 思い出すのはあの緊急会見。

 事が事だけに下手な人間に公表させられなかったのだろう。

 石動総理が自らの口で”ほぼ”全ての真実を明かした時は度肝を抜かれたものだ。

 ちなみに、ほぼと言うのは明かされなかった点も幾つかあるからだ。

 一つは神秘関連について――これはまあ、当然である。

 もう一つは犯人について。

 自分と亮の名が出ることはなかった。

 犯人については目下、調査中と言っていたがあの様子だとこの先も明かされることはないだろう。


(大方、後々スケープゴートを立てて事件を終息に向かわせるんだろうな)


 実際、明かしても信じてもらえるかという問題もある。

 仮に二人の存在を明かしたとして、どうやって犯行を行ったと言うのか。

 高校一年生の子供が社会的地位のある人間をどうやって拉致し、

 どうやって殺害し、どうやって今に至るまで逃げ果せられる。


(かと言って、無罪放免ってわけでもない)


 威吹はともかく亮。

 亮が犯人の一人であることは公表されていないが、秘密裏に処分するのは確定らしい。

 裏の事情を知る者らに示す面子というものがあるので当然だ。


(最初は俺の報復を恐れてなのか、初動がちと鈍かったみたいだけど……)


 手を出すつもりがないと確信したのか。

 今はもう、初動の鈍さは消え失せている。


(個人の執念が勝るか、国家の威信が勝るか……さあ、どうなるんだろうね)


 友人として通すべき義理は通した。

 よっぽど興味を惹かれる何かが起きるか、

 あちらから手を出すようなことがなければ威吹は傍観者の姿勢を崩しはしないだろう。


「わー! 威吹だ威吹だー! おはよー威吹! おはよーおはよー!!」


 校門を潜ったところで、底抜けに明るい声が響き渡った。


「無音か、おはよう。連休はどうだった?」

「めんどくさかった!!」

「ああそう……」


 事務所関連で何かあると言っていたので、それ絡みだろう。


「あ、そうだ! おれ威吹にお土産あるんだ! 教室行ったら渡すね!!」

「へえ……そりゃ奇遇。俺も無音と雨宮に土産買ってきたんだ」

「ホント!? 嬉しい! あ、でも今渡さないでね! 教室で渡して!!」

「はいはい」


 教室に向かうと、連休明けだからか。

 クラスメイトらは妙にテンションが高かったり低かったりと、落ち着かない空気だ。


(雨宮は……うん、今日も寝た振りか)


 既に百望は登校していたが、威吹や無音が居ないからだろう。

 机に突っ伏して時間が過ぎるのを待っているようだ。

 威吹は苦笑しつつ、百望の傍まで近寄りポンと肩を叩く。


「おはよ、雨宮」

「!? い、威吹か……もう、びっくりさせないでよ」

「ごめんごめん」

「おれもいるよ!!」

「あっそ」


 変わらぬセメント対応に苦笑しつつ、威吹は鞄の中から小袋を取り出し二人に手渡す。


「わ! ありがと威吹ー!!」

「? これ、何かしら?」

「京都で遊んで来たからそのお土産。小さく変化させてあるけど、取り出したら普通の大きさに戻るから」


 威吹がそう言うと、百望は酷く複雑な顔になった。


「…………こともなげに言ってくれるわね。

私が魔法で同じようなことをしようと思ったらどれだけ大変か……まあ、良いけど」


 口ではぶつくさ言っているが、その口元が緩んでいるのを威吹は見逃さなかった。

 本当は友人からお土産を貰いとても嬉しいのだろう。

 だが、恥ずかしいから必死にそれを押し殺そうとしている。

 でも、


(隠し切れてねえ……)


 最初は口元が緩んでいただけだが、ドンドン喜びが顔面を侵食し始めている。

 つん、と目の奥が熱くなる威吹であった。


「ねね! 威吹威吹!」

「ん?」

「おれからもお返しするね!!」


 言うや無音は自身の鞄の中から色紙を取り出し、それを威吹に差し出した。


「これは……おぉ!?」


 それは威吹が贔屓にしているロックバンドのサイン色紙だった。

 メンバー四人の名前と、それぞれのメッセージ。

 そして狗藤威吹くんへという宛名まで記された完璧なサイン色紙だ。


「おま……おま……無音! 無音! これどうしたのよ!?」

「へへ、前からちょっと付き合いがあってさ! 向こうで会う機会があったから頼んどいたんだ!!」

「ま、マジでか……うわぁ……超嬉しい、ホントありがとう」


 威吹は即座に劣化を留める術と外的な刺激を防ぐ結界をサイン色紙に施した。

 酒呑童子の本気パンチでも、一発二発は耐えられるだろう。


「ぐ、ぐぎぎぎぎ……! な、何よそれ! 当て付け!?

お返しの一つも出来ない私に対する当て付け!? わ、私だって……うう……ごめんなさい……」


「いや、別に良いから。お返しとか期待して土産渡したわけじゃないし」


 打ちひしがれる百望をどうどうと宥め、一息。

 話題は連休中、何をしていたかというものへと移っていった。


「おれはねー。事務所と色々話し合ったり、

今度出す予定のベストアルバムのメッセージ考えたりあんま休めなかったよ。

あ、でもでも! 向こうの友達とご飯食べに行ったりはしたよ!!」


「そうかそうか。それは良かったなあ。百望は?」

「私? 私は連休中、ずっと実家で引き篭もってたわ」


 堂々と不毛なことを言ってのける百望に思わず苦笑してしまう。


「あっちは良いわよね。何もしなくてもご飯が出て来るし、お風呂も入れてくれる。

洗濯だってしなくて良いし掃除だってそう。

夜になっても何を警戒する必要もないし……つくづく、楽園なんだって思い知らされるわ」


「「お、おう」」


 特別、語気が強いわけではない。

 しかし、これでもかと情感たっぷりの言葉にエンジョイ勢二人は思わず後ずさってしまう。


「というか、そういう威吹は? 京都で観光した以外で何かないの?」

「んー……そうだなあ」


 強いて言うなら、


「略取・誘拐、逮捕・監禁、殺人教唆・幇助とか……まあ、色々してたよ」

「「……」」


 要素だけを並べ立てると、どうしようもない凶悪犯だった。

 いや、実際言い訳のしようもない凶悪犯なのだが。


「…………あの、一つ良いかしら?」

「何だい?」

「GWの終わりに、日本を震撼させるような大きいニュースがあったの知ってる?」

「ああ、知ってる知ってる。それが?」


 ニヤニヤと笑いながら続きを促す。


「ひょっとして――いや良い。何も聞きたくない。

朝っぱらから胃もたれどころか胃が破裂するような話題は聞きたくないんだから!」


「まあ、お察しの通り……」

「だから聞きたくないつってんでしょ!?」

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