そうだ、京都で殺ろう⑦

 最早、打つ手はない。

 ゲームオーバー、完全に詰んでいる。

 ならば後は粛々と死を受け入れるだけ。

 望む望まないは関係ない。それ以外に道がないのだから、ジタバタしても意味はない。


(なのに……)


 頭が痛い。

 心臓がうるさいくらいに拍動している。

 目の奥が熱い。

 手足が震える。


 意味が分からない。

 死以外の結末を望めないのだから大人しくそれを受け入れろ。

 事ここに至って、何が出来るわけでもないだろう。

 ひょっとして、これが死の恐怖というものなのか?


(……違う)


 よくは分からないが、それは違う。

 死を恐れる生物の本能に起因する生理現象などではない。

 そんな真っ当なものではないような気がする。

 ならば、ならばこれは何だ。今我が身を襲う不調は一体何なんだ。

 そして、


「あなたは……私に、何を求めている……?」

「おや? おやおやおやぁ?」


 ぼやける視界の中で、威吹が裂けるような笑みを浮かべる。


「すっとぼけちゃってさぁ。いや、忘れてるんならその質問は当然だと思うよ?

でも、違うだろ。君は覚えている。だから、そんな顔をしている」


 ニタニタと笑いながら、嬲るように言葉をかけてくる。


「う……く……何を考えている狗藤威吹!?」

「うるさいなあ」

「リタ! こ奴の言葉には耳を貸すな!!」


 師の命。従うことに疑いはない。

 だけど、聞くなと言われても言葉が勝手に入ってくるのだ。

 これはきっと、耳を塞いでも意味はない。


「もうアンタにゃ何も期待してないんだから黙ってなよ」

「むぐ……!?」


 口を塞がれた挙句、上唇と下唇の間の接合部を綺麗さっぱり消されてしまう。

 これでもう、大西は口を出すことが出来ない。

 うんうんと唸る大西を無視し、威吹は言う。


「あの夜のこと、忘れちゃいないんだろ?」

「……」

「顔を見れば分かる。忘れたくても忘れられなかったんだろ?」


 一転、慈しむような手つきで威吹の両手がリタの頬に触れる。


「整合性の欠片もない妄言だと、何度も何度も切って捨てようとした」


 分かる、分かるよと威吹は頷く。


「味方どころか潜在的な抹殺対象の言葉なんか覚えてたってリソースの無駄だもんな」


 その通りだ、と頷きそうになるのを堪える。

 堪える? 何故、堪えた? 何のために?

 リタの胸中でグルグルと疑問が渦を巻き始める。


「これまで君はきっと、簡単に色々なことを忘れられた。

でも、俺の言葉は忘れられなかった。だから、考えてみよう。

俺の言葉の意味ではなく、何故、忘れることが出来なかったのかを」


 言われるまでもない。

 何故忘れられないかについても幾度となく考えた。


「分からないのかい? こんなに簡単なことなのに?」

「……あなたは、答えを、知っている?」

「むー! むー!!」


 師の存在すら今は遠く、ただただ威吹の声だけが聞こえる。

 まるで世界で自分と彼しか居なくなってしまったかのように。


「勿論。忘れようとして、でも忘れられない。それは何故か」


 手のかかる子供を見るような優しい瞳で威吹は答えを告げた。


「必要だからだよ」

「え」


「理性は不要と判断し、忘却を推奨した。

でも、心のどこかで俺の言葉が大切なものだと思ったから無意識に忘却を否定したんだ」


 師を殺せという威吹の言葉に必要性を見出した? 自分が? そんな馬鹿な。

 あり得ないと首を振るリタに、威吹は更に問いを重ねる。


「リタ、君は何のために生きているんだい?」


 決まっている。


「護国がため」


 国の安寧を乱す化け物を討滅する。

 それが自らの存在意義であり、そこに私心は一切ない。

 護国に殉ずるとは自らを捨てることだと師は言っていた。


「じゃあ次の質問だ。君は何故、今日、俺に襲撃をかけた?」


 決まっている。


「護国がため」


 国の禍になる。

 師がそう判断したから討滅に赴いたのだ。


「なるほど。まあそうだね。否定は出来ない。むしろ正しい。

俺がやったことを考えると、そりゃあ殺しにも来るさ。むしろそうしない方がおかしい。

うんうん……君が護国のために生きているのはよーく分かった」


 と、そこで威吹が小首を傾げる。


「ところで、護国がためって言うのは大西さんも同じなのかな?」

「無論」

「言い切ったねえ。でもあれ? あれれー? おっかしーぞー?」


 あざとい子供のようなリアクションを取る威吹。

 もしもリタが情緒豊かであれば確実にツッコミを入れていたことだろう。


「何がおかしいと言うの?」

「何がって――――あの爺、本気で俺を殺そうとしてなかったじゃん」

「……は?」


 何を言っているのだこの男は。

 本気で殺そうとしていなかった? そんなはずはない。

 こうして万策尽きて進退窮まっているのが良い証拠ではないか。

 怪訝な目をするリタに威吹はこう続ける。


「俺という存在が日本という国にとって害悪なのは明白だ。他ならぬ俺が保証する。

だからこそリタちゃんは御国のために俺を滅ぼそうと必死になって戦ったわけじゃん?

でもさあ、リタちゃんは必死だったけどぉ……爺は違ったよねえ?

や、後方で指示出してただけとかそういうことじゃないよ? それも立派な戦いだし。

でもぉ、でもぉ! 必死で――本気でやってたかって言ったら間違いなくそれは否だ」


「何を根拠に……」

「他ならぬ君が根拠さ」


 は? と間抜けな声を出てしまう。

 自分が根拠? 何を言っている、意味が分からない。


「怪異殺しがその能力を十全に発揮出来ていたのなら、だ。

こうも容易く俺が詰みにまで持っていけるわけがない」


「それは――――」

「自分の不足であり爺は関係ないって? いやいや、リタちゃんは何も悪くないよ」


 威吹が言いたいことを悟ったのだろう。

 大西がこれまで以上の抵抗を見せるが……まあ、無駄である。

 威吹の拘束から逃れ得る力など彼にはありはしないのだから。


「俺の大妖怪と君の怪異殺し。対極に位置する関係ではあるが共通項も存在する」


 狗藤威吹とリタ。

 共にOracleによって特別な素養を見出された二人。

 片や大妖怪、片や怪異殺し。

 どちらも努力では到底辿り着けぬ領域にあるものだ。

 理外の領域に、一端であろうと触れているからこそ分かるものがある。

 そう語る威吹の言葉には論理性など欠片もありはしないが、

 それでもリタはどうしてか不思議な説得力を覚えていた。


「俺や君の力には“ココ”が大きく影響してるんだ」


 威吹は何時かのようにトントン、と自身の胸を指で叩いてみせた。


「ねえリタちゃん、俺を標的にしたわけだし俺についての情報も多少は勉強してるよね?」

「……一応は」


「なら知ってると思うけどさ。俺が神秘について触れたのは一年ちょっと前のことだ。

でも、特に何もしなかった。大妖怪になるための努力なんかは一切してない。

人外化する方法を模索したりだとかそういうことは全然やってない。

大妖怪として生きるのなら、どんな在り方が一番しっくり来るかなってのを考えてたぐらいだ」


 知っている。

 政府が狗藤威吹の存在を把握し接触を図った直ぐ後、師はその情報を察知していた。

 察知し、選りすぐった監視を狗藤威吹の周辺に配していたから。

 彼らの報告によれば狗藤威吹は普通に日常生活を送っていたと言う。

 だから、何もしていないというのは正しいのだろう。


「で、幻想世界に行ってからもそう。

一度だけ俺がどんなもんか見たいってことで酒呑が外部から力を励起させたがそれだけ。

その後も一般人と何ら変わりない普通の生活をしてたよ俺は。

実際に自分の意思で力を使ったのは入学の日だ。まだ一ヶ月ぐらいしか経っていない」


 なのに、と威吹は口元を歪める。


「俺は幼い頃から何もかもを犠牲にしてきた君よりも強い――今の段階ではね」

「それは、あなたが……」

「人外の存在だから? そもそものステータスが違うって? 馬鹿言っちゃいけないよ」


 これが単なる退魔師であればその通りだろう。

 しかし、リタは違う。

 怪異殺しという理外の領域へと至る者だ。

 そんなリタ相手に人間、非人間などという瑣末事は関係ない。

 いやむしろ、非人間相手の方が力を発揮出来るはずだと威吹は指摘する。


「だってそうでしょ? 君は怪異殺し。俺は大妖怪。相性的には圧倒的にそっちが有利じゃん」

「……」


「さあ、何で鍛錬のタの字も知らない俺はここまでの力を得られたんだ?

何で誰に教えられるでもなく鬼や妖狐、天狗の力を平然と使いこなせるんだ?

答えはさっき言った通りさ。心、心なんだよリタちゃん。

決して揺るがぬ化け物としての在り方を己に定めたから力を手に入れることが出来た」


 そんな理不尽なことが、と思う。

 だが一方で大妖怪へと至る者とはそういうものなんだなとも思えてしまう。


「努力なんて言葉を鼻で嗤う、理不尽且つ異質な存在――それが俺たちなんだ」


 そこで威吹はリタから視線を外し大西を見つめる。

 リタも釣られて大西を見ると、彼は酷く狼狽していた。


「この爺もそこらは知っていたはずだ。いや、知ってなきゃおかしい。

例え最初は知らなかったとしても君を鍛え上げたのはコイツなんだろう?

だったら気付くはずだ。よほどの馬鹿でもない限りはね」


 威吹の目が問うている。

 君の師匠はよほどの馬鹿なのか、と。

 リタは何も言わない、言えない。


「ね? 分かったでしょ? コイツが本気じゃなかったってさ」

「……な、何か理由が……」

「そうだね、あったのかもしれないね」


 でも、と威吹は嗤う。


「君はそれに“納得”していない」

「そんなことは……」

「あるだろ」


 これ以上、威吹の言葉に付き合うべきではない。

 そう思う。思うのだが、


(どうすれば良い?)


 何が出来る? この状況で?


「だって、納得してるなら小揺るぎもせず死を受け入れるでしょ?

でも違う。君は今、揺れに揺れている。今もそう。ほら」


 威吹が自身の毛髪を引き抜き、姿見に変化させる。

 鏡面に映る己の姿を見てリタは――――


「ね?」

「う、あ……」


 一歩、また一歩と退く。

 しかし威吹は逃がしてくれない。

 一歩、また一歩と距離を詰め――優しくリタを抱き締めた。


「自分にはまだ出来ることがあるのだと君は知っている。

それをしないまま死ぬのが嫌なんだろ? 恥じることはない、当然の感情さ。

力の限りに生き足掻くことを否定されれば誰だって反発する。

死を強いる者を憎んだからとて、誰が責められる? 誰も、誰も責められやしない」


 優しい、優しい声色だ。

 何もかもを抱き締めてくれるような慈しみに満ちた声色だ。

 しかし、彼は聖なる者ではない。悪なる者だ。


「憎いだろ? 俺が。憎いだろ? 自分の弱さが」

「わ、私は」

「憎いならどうする? どうすれば憎しみは消える?」


 彼は慈しみの業を嘲笑い、貧しく乏しい人々、心の挫けた人々を死に追いやる者。

 彼は呪うことを好み祝福を拒む者。

 呪いよ我に在れ、祝福よ我から遠ざかれ。

 悪しき夢の具現が放つ言葉は水のように腑へ、油のように骨髄へ染み渡っていく。


「そうだ! 俺だ! 俺を殺すしかない!!

お前に終わりを強いる悪い悪い化け物を退治しなきゃ憎しみの炎は消えやしない!!

だが……嗚呼! 悲しいかな、今のお前には力がない。

どれだけ憎しみを燃やしても、その炎が俺を傷付けることはない。

ならばどうする? どうすれば良い? どうすれば俺を殺せるんだ怪異殺しィ!?」


 そして遂には、


「――――強く、なる」


 旧き自分を縊る帯へと変わった。


「正解だ」


 ゆらゆらと焦点の合わぬ瞳が揺れる。

 カタカタと刀を握る手が震える。

 ふらりふらりと頼りない足取りで動き出す。


「――ぷはっ! 待て! 奴の言葉に耳を貸すな! リタ! 聞け、聞くのだ! リタ!!」


 ズン、ズン、と身体が重みを増していく。

 が、それとは裏腹に心は軽くなっていく。

 何故か、などとはもう考えもしなかった。


「力を」


 刃が大西の胸を貫いた。


「ガッ……!?」


 即座に刃を抜き、返す刀で首を刎ねる。


「あぁ」


 宙を舞う首を見た瞬間、自分の中で何かが変わった。

 縛り付けていた鎖を断ち切ったような。

 或いは蛹を突き破り空へと飛び出したような。

 或いは砂漠のど真ん中に一人、いきなり放り出されたような。


「――――やった」


 場違いなほどに明るい声が響き渡る。


「やった、やった」


 威吹だ。


「やっちゃった」


 童女のような花咲く笑顔で繰り返す。

 やった、やったと。


「……」


 リタは静かに崩れ落ちた大西の屍から視線を外し、威吹を見る。

 そして、これまでの彼女からは到底想像も出来ない柔らかな笑みを浮かべ、


「ありがとう」


 感謝の言葉と共に首を刎ねた。

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