そうだ、京都で殺ろう②

 京都に到着したのは午後二時を半ばほど過ぎた頃だった。

 蛤御門に向かう紅覇とは駅前で別れ、

 威吹と詩乃は近くの喫茶店でこれからの予定について話し合っていた。


「俺としてはやっぱ伏見稲荷とか天満宮の有名どころは抑えておきたいわけ」

「天満宮は梅の花が咲く季節が一番なんだけどねえ」


 化け物二匹が神社仏閣について語っているというのは中々にシュールな光景だ。

 彼らは自分たちの会話がおかしいことに気付かないのだろうか。


「母さんは何か希望ある?」

「そうだねえ……五月なのにこっちは結構暑いし、貴船の川床で涼を感じたいかな」

「あー……良いっすねえ」

「でしょ?」


 川面のすぐ上に用意された床の上で料理を楽しみつつ、

 流れる涼風と岩を打つ水の音に耳を傾ける――実に雅だ。


「欲を言うなら夏のが良いけど……」

「今年の夏にまた京都に来れば良いじゃない」

「それもそうか」


 GWが終わる前々日まで京都に滞在する予定だが、

 それでも期間中に行きたいところを全て回りきれるわけがない。

 ならばそれも含めて夏休みに回そう。

 期せずして夏の予定が埋まったが、悪くはない。

 威吹は抹茶ラテを啜りながらうんうんと何度も頷いた。


「あ、そうだ。私や酔っ払い、チャラ天狗縁の場所を回りたいって言ってたけど」

「全然下調べとかしてないし諸々まとめて母さんに任せるよ」


 大江山と鞍馬山には行くが、何もそこだけが縁の場所というわけではないだろう。

 ネットで検索すれば幾らでも見つかるだろうが、

 人が残した情報よりも当時から生きている人外に聞く方が良いに決まっている。


「今は何でもない住宅街だけど、かつてここでは……みたいな感じで解説したりすれば良いのかな?」

「うん、そんな感じでよろしく」


 幻を見せるのが上手い化け狐の中でも最上位に位置する九尾の狐だ。

 それこそ、当時の景色を幻で見せるぐらいは当然やってのけるだろう。

 さぞかし楽しい観光になるだろうと威吹は胸を躍らせる。


「了解了解。昔のことだから思い出しながらになるけど、期待に応えられるよう頑張るよ」

「楽しみにしてる」


 小さく笑い、皿の上にあった抹茶のパウンドケーキを口の中に放り込む。

 楽しみだ、実に楽しみなのだが先にやっておかねばならないことがある。


(折角、警告してやったのに)


 監視の任に就いていた二百余名。

 誰一人として欠けることなく、京都まで着いて来てしまった。


(上の命令に逆らえないって言うなら、まだ酌量の余地はあったんだが)


 そうでないことは知っている。

 監視員の一人を魅了で骨抜きにし、情報を引き抜いたからだ。

 曰く、少しでも身に危険が及びそうであれば即座に退け。

 彼らは皆、そう命令を受けている。

 だから威吹も少しばかり負い目があるしと、警告を送ってやったのだ。


 なのにそれを無視した。使命感か? 義務感か? 否、そうではない。


(――――俺を舐めてるからだ)


 大妖怪の血を引き、自らも大妖怪への道が約束されている。

 それでもまだ子供、神秘の側に足を踏み入れてたかだか二ヶ月程度。

 そんな油断が、慢心が、侮りが、伝わってくるのだ。

 面白くない。実に面白くない。

 舐められていることも、観光の邪魔をされることも。


(こりゃ、ちょっと灸を据えてやらねばなるまいよ)


 監視をつけられたのは自業自得で、少しは負い目もある。

 が、それはちょっとしたことで忘れてしまう程度のものだ。

 酷いって? 当たり前だろう。

 化け物に殊勝な態度を期待するなんて笑い話にもなりゃしない。


 威吹は抑え付けていた妖狐の血を励起させる。

 ミックスはなし、純度百パーセントの妖狐形態だ。


「母さん、ちょっと新聞取って来るね」

「はいはーい」


 店内にある新聞を取りに行くと言って席を立ち――力を解放。

 瞬間、


「きゃぁあああああああああああああ!!?」


 絹を裂くような詩乃の悲鳴が響き渡った。

 店内に居た客らが一斉に悲鳴が聞こえた方を見やり彼らは硬直した。


(まあ、無理もないよな)


 真昼間から公共の場でサラリーマン風の男が、

 半裸で少女に襲い掛かっているのを見せ付けられたのだ。

 そりゃ一瞬、思考も停止する。


「は、離して! いや……いや! 誰か助けて!!!!」

「へ、へへへ……い、良いだろ? なあ、なあ!!」


 威吹もまた周囲に合わせ一瞬、唖然としてから詩乃の下へと駆け出した。


「人のツレに何してやがる!!!!」


 後ろから思いっきり殴り付けると男はもんどりうって倒れた。

 そして間髪入れずに精神干渉を解除。

 増幅させていた色欲やら何やらを正常値に戻してやる。


「え……あ、あれ? 何で……お、俺……」

「この変態野郎! 誰か警察! 警察呼んでください!!」


 倒れた男に馬乗りになって、胸倉を引っ掴む。

 男はようやく状況を把握したらしい。


「お、お前……! ま、まさか俺に……?!」


 威吹は再度、力を発露し今度は一般人の行動を誘導する。

 店内の客はスマホを取り出し、次々に強姦魔の写真を撮り始めた。


「ち、違う! 待て、待ってくれ!! これは……これ、は……」


 言えるはずがない。言えるわけがない。

 神秘とは原則、秘匿されねばならないものだから。


「言い訳してんじゃねえ!」

〈人の警告を無視するからこうなるんだ。一つ賢くなったねえ〉


 男にだけ聞こえるように副音声の術(命名、威吹)を使い、告げる。

 すると男の表情はみるみる内に愉快なものへと変わっていった。

 だが、この程度で止まるつもりはない。


「う……こ、コイツ!?」


 男の身体を操り、自分を殴らせ馬乗り状態を解除させる。


「あ……こ、これは……く、糞……!!」


 男は何をされたか理解しつつも、混乱から逃亡を図った。

 予想通りの行動だ。

 だが、店内には他の客も居る。

 一部の勇敢な客が男を取り押さえんと飛び掛った。


「は、離せ! 違う! 俺じゃない! 俺は悪くないんだ!!」

「ガタガタ言ってんじゃないわよこの変態!」

「おい、誰か縛る物くれ!」


 店内を怒号が飛び交う。

 一般人の麗らかな午後を邪魔したのは申し訳ないが、


(埋め合わせはさせてもらうからさ)


 監視を行っている二百余名から奪い取った運気を店内に居る人間に分け与える。

 永続的にではないが、一週間は目に見えて運気が向上することだろう。


「い、威吹! だ、大丈夫……?」

「あ、ああ……そっちこそ……ごめんね、俺が席を離れたばっかりに」

「ううん、威吹は悪くないよ」

「……ホント、ごめん」


 微かに震える詩乃の手を取り、強く抱き締める。

 傍から見れば突然、犯罪に巻き込まれた可哀想なカップルにしか見えないだろう。

 まあ、中身はとんだマッチポンパーなわけだが。


(さぁて……他の皆さんはどうするのかな?)


 監視をしているのだ。

 当然、一連の出来事も見たはずだろう。

 一般人じゃないから同僚の凶行の理由についても察しがつくはず。

 退くのならばそれで良し。退かぬのなら――もっと過激な遊びをするのも吝かではない。

 と内心ほくそ笑むが、


「あ……威吹、警察が来たみたいだよ……」

〈あらら、逃げちゃったみたいだね。監視の人たち〉


 彼らの行動は迅速だった。

 油断や慢心を捨て、認識を改め、即座に撤退の一手を打ったのだ。


「……みたいだな」

〈これでゆっくり観光出来るけど……何か、肩透かしだなあ〉


 それから威吹は通報を受け駆け付けた警察に事情を説明。

 男は警察に連れて行かれたが、どうせ直ぐに解放されることだろう。


「ンフフフ、初めての共同作業だね♥」

「いやまあ……そうだけど、これそんな色っぽいあれじゃないでしょ」


 店を出た二人は姿を変え、何食わぬ顔でバスを待っていた。

 これから一条戻橋へ向かうためだ。


「にしても威吹、やるじゃない」

「はい?」

「上手い嫌がらせを思いついたなってこと」

「???」


 首を傾げる威吹をよそに詩乃は楽しげに語り始めた。


「私を――女を襲わせるってさ。

今回の事件の発端である御堂先生たちのそれを真似たんでしょ?

事情を知るお役人さんたちは胃が痛いだろうねえ。

先生たちがそうしたように“なかった”ことにするのか。

それとも厳正な処罰を受けさせるのか。どちらを選ぶのかと二択を突きつけられたわけだし」


 裏に携われる貴重な人員だ、出来ることなら前者を選びたいだろう。

 しかし、そうなると不安の種を残してしまう。

 かと言って後者を選ぶのも難しい。

 自分は何も悪くないのに上は護ってくれなかった。

 現場の人間にそんな不信感を抱かせるのは、よろしくない。


 どちらを選ぶんだろうねえ、と楽しげに笑う詩乃だが……。


「…………俺、そこまで深く考えてやったわけじゃないよ?」

「え」

「母さんを襲わせたのは即興で上手く盛り上げてくれるだろうって思ったからだし」


 詩乃が言うような底意地の悪い問いを投げたつもりは毛頭ない。

 が、詩乃を含めて他の人間は違ったのだろう。


「でもそうか、監視の人らもそう勘違いしたからこそ迅速に行動したわけね」


 御堂三代と同じことをしたせいで、またあのような事件が起きるかも。

 そう考えたのだろう。

 威吹からすれば勘違いも甚だしいのだが、気持ちは分からないでもない。


 御堂らを攫ったのは、あくまで呼び寄せた悪霊との契約のためだ。

 それ以上でも以下でもない。義憤とかそういう感情は欠片もありゃしない。

 しかし、第三者の目にそう映るかどうかはまた別の話だ。

 自らの罪を消すために多くの人間を不幸にした権力者への怒りが。

 そう受け取られても不思議ではない。

 何せ生贄にされた者らの殆どが、その手の人間ばかりだったのだから。


「いやあ、別に俺は気にしないんだけどねえ」


 今回のことを揉み消されたとしても、だ。

 そうか、そうか、つまりきみはそんなやつなんだな。

 などと言って政府に対して何かアクションを起こす気などありはしない。

 そもそもからして、今回の事件が起きたのは亮が関わっていたからだ。

 仮に亮とは無関係の状態で御堂らの悪事を知ったとしても、ふーんで流していただろう。


「でも……化け物が義憤に駆られてとか普通、あり得ないでしょ」

「生まれも育ちも人間だったってところに引き摺られるのは無理ないと思うよ」

「そこか。やっぱりそこは大きいか」


 まあ実際、人間としての価値観を捨てたわけではないので正しいと言えば正しいのだが……。

 でも、普通の人間が力を手に入れたとしてもだ。

 世直しだとかそういうことのために力を振るうのは少数派ではなかろうか?


「……ま、どうでも良いか」


 折角、監視が消えて伸び伸びと観光が出来るようになったのだ。

 些事にかまけて全力で楽しめないのは、あまりにも勿体なさ過ぎる。

 威吹は気持ちを切り替え、これから向かう一条戻橋の話題を切り出した。


「一条戻橋って、茨木童子縁の場所なんだっけ?」


「そうそう。アイツが酔っ払いの仇を討とうと渡辺綱に喧嘩を売ったけど、

あっさり返り討ちにされて腕ぶった斬られた場所だよ。

その場面は私も直接見てるから、幻術で再現してあげられるから期待してて」


「ほう……ってあれ? 母さん、直接見てたの?」


 酒呑童子らを討伐した源頼光の没年が千二十一年。

 玉藻御前が取り入った鳥羽上皇の生年が千百三年。

 酒呑童子と九尾の狐が活動していた時期には開きがあるはずだ。

 なのに何故、と威吹は首を傾げる。


「ああ、朝廷で遊び始める前から京都には居たんだよ。

と言っても特に何をするでもなくプーやってたんだけどね?」


 プーやってる方が世の中的には安泰である。


「そんな時、妖怪のネットワークみたいなのがあってさ。

茨木の奴が酔っ払いの仇を討つべく渡辺綱を嵌めるって聞いて見物しに行ったの。

そしたらまあ、見事に腕ぶった斬られて逃げてやんのアイツ」


 当時を思い出したのか詩乃はプークスクスと笑っている。


「へえ……ところでさ。遠目にしか見たことないけど茨木童子ってどんな奴なの?」


 今のところ判明している情報から総合するに――苦労人、いやさ苦労鬼。

 奔放な酒呑のケツを拭う役回りで、

 野球チームのキャプテンをしているということぐらいしか知らない。


「逃げの神、かな」

「逃げの神て……」


 もうちょっと何かないのか。

 分類的には大妖怪だろうに、逃げの神て……と顔を引き攣らせる威吹に詩乃は言う。


「いやホント、アイツの逃げテクは半端ないよ。

基本的に逃げに徹っせられたら私でもどうしようもなかったし。

本人も俺は化け物界隈の盗塁王とか嘯いてるぐらいだからね」


 あの逃げ足は本当にヤバイと詩乃は何度も頷く。


「もっと性格とかそういうアレを聞かせてよ」


「性格って言われても……取り立てて何か変わったところがあるわけじゃないし。

強いて言うなら上にも下にも頭を悩ませられてる中間管理職のオッサン……かな?」


「悲し過ぎて涙出そう」

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