幕の合間の暗躍者達
「…………ふぅ」
内閣総理大臣、石動正宗はソファに背を預け深々と息を吐き出した。
早朝から続く激務の中、許された一時の休息。
この時間でしっかり体力を回復させねばと正宗はネクタイを緩め、ぐてっと身体を放り出す。
「狗藤威吹……まったく、恐ろしい少年だよ」
威吹の予想通り、政府は決して無能ではなかった。
御堂新太郎並びに御堂修二の失踪が判明するや政府は即座に動いた。
状況から神秘サイドの住人が関わっているのは確実。
専門の人員を派遣し、瞬く間に真実を丸裸にしてみせた。
そのお陰で政府上層部はてんてこまいだ。
元総理と現職防衛大臣の殺害もそうだが、他に攫われ殺された連中も問題だった。
全員が全員そうというわけではないが、
御堂新太郎と御堂修二の悪い遊び仲間の殆どが社会的地位の高い人間になっていた。
御堂修哉とその遊び仲間もそう。本人は糞の役にも立たずとも、その親は別。
屑の親も大体は屑、馬鹿な子供が可愛くてしょうがないのか大層騒いでいる。
今はまだ生死については公表していないが、いつまでも隠し通せはしない。
事が公になれば決して小さくはない混乱が社会全体を襲うだろう。
「我々は“大妖怪”というものを軽んじ過ぎていたのかな? どう思う、神崎くん」
デスクの上で自分の代わりに書類を捌く男に視線をやると
男――神崎
「そういう面もないとは言えませんが、単純に狗藤さんが規格外なだけでしょう」
例えOracleが大妖怪を天職だと導き出したとしてもだ。
狗藤威吹は十五年、人間として生きてきた普通の少年だった。
幻想世界に行って二ヶ月程度でこうなると予想する方が難しいと神崎は言う。
「まあ、そこも見通しが甘いと言われればそこまでの話ですが」
「うむ、そうだな」
Oracleが太鼓判を押したのに甘く見過ぎだと言われれば否定の言葉もない。
「何にせよ、これからしばらくは家に帰れそうもありませんね……」
うんざりとした顔の神崎。
まあ、気持ちは分かる。
内閣調査室神秘部門の長を務める神崎は今回の一件で、
世界の裏を知る者から酷い突き上げを食らった。
そしてそれはこれから更に苛烈なものになっていくだろう。
「君も運が悪いな」
威吹に裏の事情を説明し、大妖怪になるよう促したのは神崎だ。
しかし、その決断をしたのは当時の神秘部門主幹であり神崎本人ではない。
今でこそ諸々の事情が重なって主幹の椅子を押し付けられてしまったが、
当時は一職員に過ぎず神秘部門の意思決定に携われるような立場ではなかった。
にも関わらずそのことも槍玉に挙げられお前のせいでとんでもないことになったと責められている。
運や間が悪過ぎる。
「……そういう星の下に生まれたと考えるしかないでしょう」
「神崎くん、君は今回の一件について思うところはないのかい?」
「無いと言えば嘘になりますが個人的には……正直、スカっとしてる部分もありますよ」
威吹の行いは決して正義に起因するものではない。
極めて個人的な事情によるものだ。
それでも胸糞悪い連中が一掃されたのは良い気分だと神崎は笑った。
「というか総理、折角掴めた休息の時間なんですからお喋りしてないで」
「ああうむ、そうだな」
神秘部門の主幹と内密で打ち合わせを。
そんな名目で掴み取った貴重な時間だ。
今も頑張ってくれている神崎のためにもしっかり休まねば。
静かに目を閉じようとするが、それを阻むように内線がけたたましい音を立て始めた。
起き上がろうとする正宗だが神崎がそれを手で制し受話器を手に取った。
「神秘部門の神崎だ。総理は今現在手が離せ……面会?
後にしろ。今は重要な案件を――火急の? 一体……? 誰だそいつは?
何? 知らない? そんな者を通し……少し待て」
神崎は受話器の通話口を手で押さえ、正宗に問うた。
「総理、大西
首相官邸に入って来られるということは相応の権限はあるのでしょうが……。
総理に会わせろ、名を出せば分かると言い張るばかりで自らの立場を明かそうとしないようで」
知り合いですか? と問われ、正宗は苦い顔で頷く。
「……とりあえず、通すように伝えてくれ」
「……分かりました」
神崎が電話で正宗の意向を伝えると、数分と経たず大西は執務室へと乗り込んで来た。
「総理、事態はもう把握していましょう」
「挨拶もなしに本題へ、か。随分と余裕がないね大西さん」
「要らぬ問答を重ねるつもりはありませぬ」
仮にも総理大臣への態度ではない。
が、不快そうにしているのは神崎だけで正宗は気にも留めていないようだ。
「以前、御伝えした儂の危惧と“計画”の必要性はしかと理解して頂けたでしょう」
「御堂先生が死んで後ろ盾が居なくなったから私を訪ねて来た、か」
「浅ましい勘違いは止めて頂こう。儂はただ、この国を護りたいだけなのです」
詰め寄る大西を正宗は鼻で笑い飛ばす。
「護国のため。そんな言葉で非道外道を誤魔化せる時代はとうに終わったよ」
「綺麗事で国は成り立ちませぬ」
「それは正しい。だが、綺麗事なくして国が成り立たぬのも事実。私たちは畜生ではないのだからね」
「甘い! 此度の蛮行でどれほどの被害を被ったと思っている!!」
「先生を含め殺されたのは体制側でありながら法に背を向けた者ばかり。
法治国家の根本を否定するような振る舞いをした者が死んだところでどうしたと言うのかね」
確かに彼らの死が公になれば大きな混乱が起こるだろう。
だが、現段階では無辜の人間に被害は及んでいない。
今の現段階で被害を被ったのは殺された者たちだけ。
「私がすべきは屑どものせいで迷惑を被りかねない無辜の民草を護ることであり、
あなたのような犯罪者の戯言に付き合うことではないと思うのだが……どうだろうか?」
正宗の言葉を受け大西は露骨に不快感を示す。
「大義を知らぬ若造が……!!」
「道理を弁えぬ御老人よりはマシだと思っているよ」
売り言葉に買い言葉。
両者の主張が交わらないのは明白だ。
しかし、それでも尚、大西は言葉を重ねる。
「些事にかまけ、大義を見誤るなと言っておるのだ!!
良いか? 今直ぐ儂に内調神秘部門主幹の椅子を渡せ。
そして全霊で計画の後押しをしろ。それがこの日ノ本の――――」
「神崎くん、大西さんはお帰りのようだ」
大西を通したのはスタンスを示すため。
そしてそれはもう済んだ。
これ以上、老人の戯言に付き合っても時間の無駄である。
正宗の言を受けた神崎は立ち上がり、眼光鋭く大西を睨み付けた。
「…………後悔するぞ」
そう吐き捨て、大西は執務室を出て行った。
「はぁ……まったく、面倒な御仁だ。さっさと権限も取り上げておかんとな」
「総理」
「ん? ああ、すまないね。だが私もあの御老人の素性を詳しく知っているわけではないんだ」
知っているのは御堂新太郎と組んである計画を推し進めていたということだけ。
一応、調べてはみたのだが大西孝通は偽名で戸籍などの公の記録は全て偽造。
大西がどこの誰なのかはまるで分からなかった。
「何年か前に先生に呼ばれて面識を持ったんだが……正直ね」
その時もそう。挨拶もロクにせぬまま自分を神秘部門の主幹にしろと要求してきた。
透けて見える過激思想と背景の不透明さから断りはしたが、
お陰で以降は御堂新太郎の嫌がらせに苦労させられたと正宗は肩を竦める。
「ちなみに、その計画とは?」
「ふむ……そうだね。君には知らせておくべきだろう」
御堂新太郎という後ろ盾兼首輪がなくなった今、何をするか分からない。
神秘部門の長である神崎にぐらいは伝えておくべきだろう。
「護国兵団計画“
「退魔傀儡、ですか」
「うむ。退魔などと銘打っているが実質、対神秘を主眼に置いた軍事計画だな」
計画の要となるのはOracleによって“怪異殺し”なる適性を見出されたリタという少女だ。
そのような職業はとんと聞いたことはないが、恐らくは退魔師などの上位互換と思われる。
妖怪のハイエンドである大妖怪と似たようなものだろう。
「大雑把に説明するなら退魔傀儡というのは怪異殺しの少女の量産だ」
「クローン、ですか? しかし……」
当然、完全に再現することは出来ないだろう。
クローン程度で完璧に同じ資質を真似られるなら苦労はしない。
「だからそこは数で補うらしい。既に一定の成果は上がっているらしくてね。
単純なクローンでも凡百の退魔師とは比べ物にならない能力を備えているそうだ」
だが、大西はそれで満足しているわけではないらしい。
能力面でも、思想面でも改善の余地はあるなどと謳っていた。
「クローンの質を上げるためにはオリジナルをより洗練させるべし。
肉体改造、精神改造、無茶無謀な鍛錬――非道外道のオンパレードさ」
退魔傀儡、などと銘打たれているようにクローンたちに自己というものは存在しない。
だって邪魔だから。
命あらば臆せず国のために命を捨てられる兵隊を大西は求めているのだ。
「とは言え、オリジナルの少女には多少の自己は残っているようだがね。
貴重な資質ゆえ使い捨てにするわけにはいかないということだろう」
兵隊に自己は要らない。
だが指揮官がそれでは困る。
ある程度の判断能力を備えていなければ使い物にならない。
「オリジナルは主戦力であると同時に退魔傀儡たちの統率者としての役割を担うらしい」
とはいえ、だ。
先にも述べたが残っている自己はあくまで多少。
尽忠報国の士とすべく徹底的な洗脳教育が施されていると聞く。
「……あの老人は、何故このような計画を立てたのでしょうか?
護国のため、その言葉に嘘はないように思えます。
しかし、ここまで過激なことをする必要はあるのか……腑に落ちません」
計画が露呈した場合、非難は免れない。
現状でも危ない橋を渡っているようだし、何故そこまで。
神崎の疑問は尤もだ。正宗自身も同じ疑問を抱き、それを問うたことがある。
「彼はOracleによって妖怪が天職だとされた人間を過剰なまでに危険視しているようだ」
ただの妖怪なら良い。
ただの大妖怪なら良い。
だが、駄目だ。
人間としての性質を持つ妖怪は駄目だ。
人間としての性質を持つ大妖怪など以ての外だ。
そう語る恐怖と使命感が綯い交ぜになった大西の表情は今も忘れられない。
「何故そこまで……と思う。
彼も危険性を訴えるのであればそこをしっかり説明するべきだろうに」
それもせず一方的に要求するだけ。
頑迷で視野狭窄、独善的で他人に理解を求めるのではなく理解を強いる。
大西は大義を口にしながらあらゆる意味で大義を成すための資質が欠けていた。
正直、あれは人の上に立たせて良いような人間ではない。
「それよりも、だ。このままではよろしくないな」
自分が後ろ盾になることを断った程度で大西は諦めまい。
となると、次は別の有力者に接近するはずだ。
自分と対立する派閥の人間に、協力しそうなのが幾人か居る。
これまでは御堂新太郎の庇護下に居たので手は出せなかったが、
最早後ろ盾はない、これ以上過激な行いを看過し続ける気はない。
「神崎くん、何か案は……」
「手を打つなんてとんでもない。このまま放置するべきでしょう」
「…………何を馬鹿な」
一瞬、呆気に取られるが直ぐに否定の言葉を返す。
「だってあんな楽しそうな玩具――――あの子が喜ばないわけがないもの」
神崎の顔に裂けるような笑みが浮かぶ。
「………………君は、何者だ?」
「ンフフフ」
神崎の声と鈴を鳴らしたような愛らしい少女の声が重なる。
どうしようもない悪寒を感じる、今直ぐこの場を離れるべきだ。
理性が叫ぶ、しかし身体が動かない。指一本動かせない。
そんな正宗を嘲笑うかのように“ナニカ”は成人男性から少女へと姿を変える。
「九尾の、狐……」
「はい、どうも。うちの子がお世話になってます♪」
何故、ここに。
そんな疑問が伝わったのか、九尾の狐は何でもないことのように答える。
「いやほら、こういう大騒ぎの時は中心に居た方が色々見られるでしょ?
お陰で……ンフフフ、たーっくさん! えらーい人たちの醜態を拝めたよ」
一体何時から神崎と入れ替わっていたのか。
いやそもそも彼は無事なのか。
それらについても九尾は答えてくれた。
「入れ替わってたのは朝からで、神崎さんは無事だよ。
ある意味恋のキューピッドな神崎さんに手を出すつもりは毛頭ないから安心して?」
安心して? と言われてはいそうですかと頷けるはずがない。
苦い顔をする正宗が面白かったのか、九尾はクスクスと笑っている。
「にしても……前に桃園の闘技場に居たあの子がねえ」
「?」
「リタ――利他。言霊で縛るとはホント、徹底してるよあのお爺さん」
「……大西孝通と面識が?」
「一方的に、だけどね。ああでも、威吹は違うかな。互いの顔は見てるはず」
どういうことだ?
いやそれより、
「君についての情報もある程度は持っている。
愛しい男、愛しい我が子に降り掛かる火の粉を看過するのかね?」
もしくは大西と、その手駒程度で威吹はどうにか出来るはずがないと確信しているのか。
正宗の言葉に九尾はまさか! と大仰なリアクションを取ってみせた。
「あの子の命に届き得る可能性は十分以上にあるよ」
「ならば……」
「私たちはそういう存在だから、かな?
後はまあ、さっきも言ったけど我が子から玩具を取り上げるのはね?
あのお爺さんには威吹もさして興味はないだろうけど、リタちゃんのことは気になってるみたいだし」
特別、物騒なことは言っていない。
なのに、どうしてか背中を冷たい汗が伝うのは止められなかった。
「ああそうそう。フォローするわけじゃないけどお爺さんの“危惧”は正しいよ」
「? 何を……」
意味が分からない。
しかし、九尾は素直に答えを教えてくれる気はないようだ。
「ンフフフ、総理大臣様だからしょうがないと言えばしょうがないけどね。
そもそもからして化け物と接する機会もないだろうし。
でも、同時にあなたの危惧も正しい。倫理道徳とかそういうことじゃないよ?
下手に計画が上手く行けば危ない奴らの興味を引いてしまうかもって考えてるんでしょ?」
それは正しい。
自分は平穏を好む奇特な化け物だが、
気分で生きているおっかない連中にとっては暇潰しの良い的。
そして実際に楽しんでしまえばもう最悪。
人間はもっと面白いことをしてくれるんじゃないかと積極的に絡み始める。
九尾はそう断言した。
「でも心配しないで。威吹はリタちゃんで楽しんでも、それ以上はないから。
カツアゲする不良みたいにジャンプしろよって人間社会を刺激したりはしないよ。
だから安心して? あなたにとっての邪魔者は威吹がきっと排除してくれる」
九尾がニタリと嗤う。
「そう――――御堂先生たちのようにね♪」
「何を言っているのだね?」
正宗の言葉を無視し九尾は朗々と語る。
「威吹は気付いてなかったみたいだけどね。私の目と鼻は誤魔化せない。
微かに痕跡があった。亮くんがお化け林の彼女の下まで誘導された痕跡がね。
本人に自覚はないし事実、雪菜ちゃんに惚れたのもその後の行動も完全に本人の意思によるもの。
でも、彼の人柄と威吹の性格をある程度知っていればこういう展開は想定内だったはず」
頭の天辺まで愛に溺れてしまえば後の流れはスムーズだ。
GWに威吹が帰省して来たのなら今回のルートに。
仮に今回帰省しなかったとしても問題はない。
亮は確実に死ぬ。そして次、帰省した際、威吹は確実にそれを知る。
そして不可解な死について調べ雪菜の存在と彼女の背景について行き当たるだろう。
するとどうなる?
簡単だ、今回亮に喰われた者らを威吹は手ずから殺して回るだろう。
義憤や憤怒ではなく、弔いの花の代わりとして――詩乃は断言した。
「とはいえ、この策が成る可能性は決して高くない。むしろ低いよね。
雪菜ちゃんと出会わせても惚れなきゃ意味がないし、
惚れても狂気的なまでに愛が深まらなきゃ何も起きないもん」
喜悦に歪む碧眼が正宗を射抜く。
「でも、御堂先生を失脚させるための謀の一つとして混ぜておいて損はない。
メインプランは他にも色々あったみたいだけど……穴馬、当たっちゃったねえ。
それも御堂先生だけじゃなく、邪魔になりそうなのがゴッソリと――いやあ、持ってる男は違うなあ」
凄い凄い!
九尾は花のかんばせを綻ばせながら正宗を褒め称えた。
「……――九尾の狐の真価は強大な力ではなく、その明晰な頭脳。
誰が言ったか知らないが、なるほど確かにその通りのようだ。
この道の大先輩……いやさ、レジェンドを前にすれば私などまだまだひよっこか」
「謙遜することはないと思うけどね。いや、お世辞でも何でもなくね?
私も威吹もあなたみたいな人は好きだよ。うん、ある種の清々しさを感じるぐらいにね」
九尾は自分の本性を見抜いているようだ。
そんな素振りを見せたつもりはないが……まあ、考えるだけ無駄か。
その洞察力は人のそれとは一線を画している。
人の枠に当て嵌めようという方が間違いだ。
「おっと、そろそろ威吹がお風呂に入る時間だし帰らなきゃ」
見るべきものは見た。或いは十分に楽しめたということか。
何にせよ、九尾が帰ってくれるのはありがたい。
「それじゃ総理。これからも小さな成功をコツコツ積み重ねるために頑張ってね?」
バイバイ、と小さく手を振り九尾は煙のように消え去った。
残された正宗は天井を仰ぎ、深々と溜め息を吐いてこうぼやく。
「…………全然、休憩出来なかったな」
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