白夜行⑦

 出掛けにはもう、空模様は怪しかったが遂に降り出してしまった。

 しとしと降り注ぐ涙雨の中、威吹は切り株に腰掛け、ぼんやりと虚空を見つめている。


「……」


 つい、と黒い水溜り――刑場へと続くゲートに視線を向けるが変化はない。

 まだ中では儀式が行われているのだろう。

 当然と言えば当然か。まだ一時間も経っていないのだ。

 二百人強の人間を喰らい尽くすには全然時間が足りない。


「……ふぅ、暇だ」


 念には念を入れてと紅覇まで連れて来たが、やはり万が一は万が一だったらしい。

 襲撃者なぞ影も形もなく、結局手持ち無沙汰な時間が続いていた。

 確実を期すためにと念入りに偽装を行ったが、これなら少しは手を抜いて良かったかも。

 そんなことを考えていると紅覇が自分をチラチラと見ていることに気付く。


「どうかした?」

「あ……いえ、その……」

「?」


 言い淀む紅覇。

 意味が分からず首を傾げる威吹に詩乃が気を遣ってるんだよと言った。


「は?」

「威吹にとって今回の件は色々と辛いことばっかりだったんじゃないかって」

「ああ……そういう」


 そういう気持ちがないと言えば嘘になる。

 威吹が友との訣別に寂寥を感じているのは事実だ。

 だが、同時にこれは当然の帰結だとも考えている。

 自分は選んだ、亮も選んだ――けど、潤は選ばなかった。

 歩いている者が立ち止まっている者よりも先に進んでしまうのは自然なことだろう。

 だから、この別れもそういうものなのだ。


「そう、なのですか? では御友人が道を外れ化け物に成り果てることも……」

「亮が選んだことだからね」


 思うところはない。

 潤が選ばなかったように、亮も選ばないことを選べたのだ。

 だが亮は選んだ。欲した。地獄の道行きであろうとも、そこに可能性があるならばと。

 これはそれだけの話だ。


「だからまあ、紅覇も気を遣わなくて良いよ」

「……分かりました。では、質問、よろしいでしょうか?

「どーぞ」


 どうせ暇なのだし幾らでも答えてあげよう。

 無論、自分に分かることであればだが。


「我が君の御友人……山田さんでしたか?」

「うん、山田亮。亮がどうかした?」

「彼はその、何か特別な背景を持つ人間なのでしょうか?」


 幽霊と懇ろになっているという特別な背景はある。

 が、紅覇が言いたいのはそういうことではないのだろう。


「何もないよ」


 普通の、どこにでも居る有り触れた十五歳の少年だ。

 生まれも、育ちも、特筆すべき点は何もない。

 それでも強いて一つ挙げるなら、やたらと朝顔を育てるのが上手かったぐらいか。

 威吹は何時かの夏を思い出し、苦笑する。


「ならば何故、彼はあのような凶行に及べたのでしょう?

我々化け物はまだ良い。同族を喰らうことにも、人を喰らうことにも忌避感はありません。

しかし、人間にとっては……有り触れた少年にとっては違うでしょう?

喰うことはおろか、殺すという行為ですら多大な嫌悪を伴うはず。

それが善良な少年であるならば尚更だ。心が邪悪に染まったわけでもないのに何故彼は……」


 紅覇の脳裏には迷わず歩き出した亮の姿が浮かんでいるのだろう。

 心底、理解し難いという表情をしている。


「ふむ」


 その疑問に対する答えとなれば、ああ、一つしかない。


「愛じゃよ紅覇。愛じゃ」

「愛、ですか?」


 自分は愛を知らない。

 これまでの人生で愛の実感を得たことがないから。

 しかし、愛が齎す狂気は知っている。

 歴史を紐解けば、はいて捨てるほどに転がっているから。


「愛する人のためなら何だって出来る――人間の世じゃ実に陳腐な台詞だ」


 だがその台詞は何故、陳腐化したのか。

 多くの創作で似たような台詞が使われ過ぎたからか?

 勿論、そういう理由もあるのだろう。

 だが、こうも考えられないか?

 愛する人のためなら何だって出来る。

 誰に言われるまでもない、当然のことだと無意識に理解しているから。

 陳腐なものに思えてしまうのではなかろうか。


「そこの邪フォックスに惚れた男どもが正にそれじゃないか」

「あ……」

「邪フォックスて……酷いなあ」


 殷の紂王などは特にそれが顕著だろう。

 女の歓心を買うために、どれほどの愚行を重ねたのか。


「亮も、そうだったんだろうなぁ」

「……人とは、心に我々とはまた違う魔を飼っているのですね」


 愛に限らず強い感情は人を狂わせる。

 狂い、狂い果て、際限なく堕ちていく。


「学べたかい?」

「少し」

「それは何より。まあ、歴史を紐解けばこの手の事例には事欠かないから調べてみると良い」


 会話が途切れ、沈黙の帳が降りる。

 雨音と、木々のざわめきだけが響く夜の中、威吹はじっと時を待つ。

 一時間か、二時間か――いや、もっとかかるかもしれない。

 何にせよ、トコトンまで付き合おう。

 肩入れすると決めたのだから何があろうとも儀式が終わるまでは無条件の味方で居続ける。


 長丁場を覚悟していた威吹だが、それはあっさりと裏切られることとなった。


「……待たせたかな?」

「いや……そうでもないさ。俺はもっとかかると思ってたからね」


 手も口も、全身を血で濡らした亮と雪菜が姿を現す。

 途中で儀式を止めた――のはあり得ない。

 威吹の目に映る二人は完全に怪異へと成り果てていた。

 もし途中でギブアップしていたのであれば、亮は人のままだし雪菜は幽霊のまま。

 ゆえに儀式を完遂したことに疑いはない。


(げに恐ろしきは人の執念……ってか)


 無我夢中で喰らったのだろう。

 身体が張り裂けようとも、必死で喰らい続けたのだろう。

 二人の夢を叶えるために。


「生まれ変わった気分はどうだい?」

「そう……だね。少し、戸惑ってる」


 手をグーパーさせながら苦笑気味に答えた。


「人ならざる者に成り果てたって実感はある。

上手く言えないんだけど、僕はもう人間じゃないんだなってのが……分かる。

ただ、何て言うのかな。少し拍子抜けしてるのかもしれない」


 糧となった魂が精神に影響を及ぼし不安定になる。

 人の肉を喰らって得た新たな身体はもっとおぞましいものに。

 そんな不安があったのだと亮は言う。


「失礼な奴だな。見た目も心もそのままだって言ったじゃないか」

「でもほら、やっぱり不安じゃん?」

「まったく……お姉さんはどうだい? 久しぶりに生身の身体を得たわけだけど」


 霊体でも亮と触れ合えてはいたが、あれは特異な事例だ。

 愛し合う二人だからこそ触れ合えただけ。

 基本的には何にも触れられず、味や匂いも感じられないのが幽霊である。


「感動してる。土の匂い、雨の匂い。

生きていた時は何とも思わなかったのに……今はこんなにも胸が震えてる」


「そうか。そりゃ良かった」


 パチンと指を鳴らし、二人の身体を清め、動き易い服装に変化させる。

 突然のことに驚く二人に向け威吹は言う。


「夜明けと同時に偽装を解除する。

木っ端の連中はともかく御堂らが居なくなったことは直ぐに露呈するだろう。

神秘についての事柄を扱う政府お抱えの連中も無能じゃない。

俺が拉致ったこと、何故拉致したかも一日と経たずに看破するはずだ」


 が、直接自分に干渉してくる可能性は低い。

 討伐隊のようなものが派遣されるとしても戦力を整えてからだ。

 そうなると、危ないのは亮と雪菜だ。

 政府にも面子というものがある。

 政府は二人を討伐せんと執拗に付け狙うだろう。


「覚悟の上だよ。元総理と現職の防衛大臣に手を出してタダで済むとは思ってない」

「結構。それでこそだ」


 威吹は琥珀色の結晶が嵌った首飾りとアタッシュケースを二人に放り投げる。


「これは……何かしら?」

「首飾りの方には俺の力を込めてある」


 十回程度だが、念じれば高度な変化の術を行使出来る。

 ケースの方は金だ。数千万円ほど詰め込んである。

 勿論、威吹の金ではない。行きがけの駄賃にと拉致ついでに奪ってきたものだ。


「手厚いアフターサービスだね」

「そうでもないさ。正直、その二つがあっても多少生存率が上がるぐらいだと思うよ」


 さあ、そろそろ本題に入ろう。


「外国に高飛びしても無駄だ。安全を確保するにはこの世界から抜け出すしかない」

「この、世界?」

「幻想世界――神秘が柱となる、現実とは異なる世界が存在するのさ」


 そこに辿り着くことが出来たのなら、まあ一先ずは安心だろう。

 あちらにも政府の息はかかっているが、その影響力は限定的だ。

 帝都などの大都市に近付かない限りは、そうそう危険なことにはなるまい。


「どうやって行けば良いのかは……教えてくれないのよね?」

「うん。俺が肩入れするのはここまでだよ。言っただろう? 一度だけだって」


 未来を、可能性を与えた時点でそれはもう終わりだ。

 現実世界ではもう二度と、助力をするつもりはない。


「怖いかい? 恐ろしいかい? 不安かい?」

「……そうだね。怖いし恐ろしいし不安だよ」


 言いながらも、亮の顔は酷く穏やかだった。


「でも、諦めていた二人一緒の未来が見えたんだ。何てことはないさ」

「亮さん……そうね、私も同じ気持ちよ」


 お暑いこってと威吹が笑っていると、


「ねえ威吹」

「ん?」

「一つだけ、一つだけ訂正して良いかな」


 訂正? はて、何のことか。

 威吹は首を傾げつつ、どうぞと先を促す。


「君は言ったね。蝋燭の灯りほどの光もない無明の夜に沈む覚悟はあるのかと」

「ああ、そうだね」

「でもそれは違うよ」

「どうして?」

「確かに僕らはもう二度と、お天道様の下を歩くことは出来ないかもしれない」


 けど、と亮は雪菜を抱き寄せる。


「光は“ここ”にある」

「なるほど」


 二人はもう星にも月にもなれない。

 ましてや太陽などと、おこがましいにもほどがある。

 だが、


「偽日になり互いを照らし、温め合うか……確かに無明の夜ではないな」


 結構! と威吹は豪快に笑う。


「ならば進むと良い」


 二人、手に手を取り合ってどこまでも。


「――――白夜の道往きに幸多からんことを祈っているよ」

「ありがとう威吹、僕の親友ともだち。またいつかどこかで」


 亮と雪菜は一度も振り返ることなく、去って行った。


「…………我が君、彼らは幸福を掴むことが出来るのでしょうか?」

「さて、どうだろうね」


 むしろその可能性は低いだろう。

 だが、零ではない。

 零ではないのならば、或いは――――。


「それはさておき、俺らもそろそろ帰ろうか」


 クシャ、と左手で何かを潰すような仕草を取る。

 すると黒い水溜りが動きに呼応するかの如くひしゃげて消え去った。


「…………作るのには苦労したけど、壊すのは一瞬か」


 何だかなあとぼやきながらゆっくりと歩き出す。

 すると、少し遅れて隣に並んだ詩乃が底意地の悪い笑みを浮かべ、こう言った。


「何か一段落ぅ、みたいな空気になってるけど、まだ終わってないよね?」

「…………分かってるよ」


 認識阻害の術を纏い、溜め息を一つ。

 そして迷うことなく、ある方向を見据え飛び立った。


「……一緒に来るのね」

「ご、御迷惑でしたか?」

「いや、紅覇は良いよ。そもそも、呼んだの俺だし」

「大丈夫。邪魔はしないから。存在を消して見守るだけにするから良いでしょ?」

「はぁ……好きにすれば良い」


 一気に速度を上げ、数分ほどで、とある一軒家に辿り着く。

 透過の術を用いて壁をすり抜け、二階にある部屋へ侵入した。

 そこで威吹を迎えたのは、


「……お、お前……」

「こんばんは、潤」


 目の下にある深い隈、拭っても拭い切れない疲労の色。

 昨夜からこっち、ずっと自分と亮を探し続けていたせいだ。

 威吹は当然、知っていた。

 知った上で、決して自分と亮に辿り着けぬよう惑わせていた。邪魔をされないために。


「亮は道を外れ人ならざるモノへと成り果てたよ」

「ッッ……!」

「そして旅立った。もう、潤と会うことはないだろうね」

「威吹……何で、何で……俺か、俺が悪いのか? お、俺があの幽霊を殺さなかったから……」


 ふるふると首を振る。


「潤は悪くないよ。善悪に照らし合わせるなら俺と亮は悪そのものだもん」

「……」

「まあ、正しかろうが間違っていようがもう事は終わったんだけどね」

「…………なら、お前は何しに来たんだよ」

「最後の義理を通しに来たのさ」


 既に終わった事を伝えるのがまず一つ。

 もう一つは、


「また君に選択を提示しよう。今度は覚悟云々じゃない、受けるか受けないかの二択だ」


 ピン、と指を立てる。


「一つ、このまま記憶を消して日常に戻るか。

一つ、記憶は消さず傷を抱えたまま生きていくか」


 潤のことだ、自分や亮のことを忘れられはしまい。

 下手をすれば一生、後悔を抱えながら生きていきかねない。

 だがそれは意味のないことだ。

 交わらぬ道の先に行ってしまった者たちのために心を痛める必要がどこにある?


「さあ、どうする?」

「…………ろ」

「?」

「……消せるわけ……ないだろ……!! 大切な、大切な友達なんだぞ……!?」


 その記憶を簡単に捨ててしまうなんて出来るものか。

 潤は零れる涙を拭うこともなく、意思を示した。


「そっか」


 なら、話は終わりだ。


「ま、待てよ!」


 背を向けた友に手を伸ばす潤、しかしその手は届かない。

 虚空を掴んだ指が頼りなく崩れ落ちる。


「――――さようなら」


 改めて別れの言葉を告げ、家を飛び出し空高く舞い上がる。

 高く、高く、天まで届けと空を駆け上がる。

 そうして雲を突き抜けたところで、威吹はふっと力を抜いて宙に寝転がった。


「はあ」


 溜め息と共に目を閉じる。

 どうにも、人間の比率が強くなっている気がする。

 現実世界に居る影響か。

 人外になる以前から付き合いのあった友と色々あったからか。

 感傷的な気分が拭えない。


「ん?」


 ふと隣に気配を感じ、目を開くと詩乃が隣に座っていた。


「ねえ、今夜、私はどうして威吹に着いて来たと思う?」

「さあ」


 分からないし、興味もない。

 だが、詩乃はそんな威吹を無視し、謳うように言葉を紡ぐ。


「愛ゆえに道を外れた恋人たちを愛でたかったから?」


 違う。


「踏み躙る側から踏み躙られる側へと堕ちた豚どもを玩弄したかったから?」


 これも違う。


「友を止められず無力に打ちひしがれる少年を嗤いたかったから?」


 そうじゃない。


「どれも違う。私がここに来たのはね」


 金色の瞳が威吹を射抜く。


「――――威吹のその“表情かお”が見たかったから♥」


 花咲くような笑顔で告げられた理由。

 呆れも怒りも通り越して思わず感心してしまうほど詩乃らしい理由である。


「……ホント、良い趣味してるよ」

「ンフフフ♪ ありがと」

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