トライアングラー⑥

 突発的に始まった酒呑童子VS威吹の親子決戦から一週間後……。


「はい、アーン♥」


 敗北の傷跡癒えぬ威吹は、詩乃に介護されながら生活を送っていた。

 渋い顔で匙の雑炊を啜る威吹。

 身体の中は未だグチャグチャで固形物はアウトなのだ。


「……」

「美味しい?」

「……うん」


 味は美味い。

 毎食毎食、流動食を食べさせられているが未だ飽きが来ないほど詩乃の腕は確かだ。

 レパートリーもさることながら、アレンジがまた絶妙なのだ。

 食生活に不満はない。身体を拭かれたりするのもまあ良い。

 添い寝なんかも許容はしてる。

 では何故威吹の機嫌が悪いのか。

 それは、


「もう、いい加減に割り切ったら? お母さんだって三度も人間に負けてるんだしさ」


 敗北を未だ引き摺っているからだ。


「いやでも、あれはねえよ」


 思い起こすのは一週間前。

 当初こそ、それなりに渡り合えていたがそもそもの地力が違い過ぎる。

 戦いの中で急成長していた威吹だが、それでも追い付けない。

 流れは当然、酒呑に傾いていく。


 ――――最早、死は免れない。


 だが、頭を下げて許しを乞うつもりは更々なかった。

 ここで死ぬ、それも良いだろう。

 だがタダで死ぬのはつまらない、芸がない。

 当人に自覚はないが死を覚悟した瞬間、

 威吹はまだ足を踏み入れてはならない領域へと至りかけた。

 そのタイミングで、


『俺の負けだ』


 酒呑がまさかの両手を挙げての敗北宣言。

 一瞬、威吹は何を言っているか分からなかった。

 唖然とする彼に向け酒呑はこう言った。


『ガキ相手にここまでムキになった時点で……なあ? どっちが惨めかなんて一目瞭然だ』


 恥ずかしいから俺は退散させてもらう。

 そう一方的に言い残し、酒呑は去って行った。

 残された威吹はキッカリ十分、停止した。

 そして再起動を果たした瞬間、怒りのあまり意識を失った。


「勝ちを”譲られた”のがそんなに不満?」

「負けるよりも無様で、惨めだろうが」

「そうだねえ」


 でもさ、と詩乃が厭らしい笑顔を浮かべる。


「悪いのは威吹だよね?」


 弱い威吹が悪いのだ。


「弱いから負け方も選べない」


 何もかもを好きに選べるのが強者の特権。

 我を通せず選ぶことすら出来ないのは弱者の罪過だ。


「でも大丈夫」


 一転、慈母の如き笑みで威吹の頭を胸に抱く。

 あやすように髪を撫でる指先が酷く艶かしい。


「”弱くても良いんだよ”私が護ってあげるから……ね?」

「……」

「大丈夫。心配しない? お母さんはね、威吹のためなら誰よりも強くなれるんだから」

「……」

「嘘じゃない、ホント。ずっとずーっと威吹を護ってあげ――――」

「てい」


 ピースサインを作り、それを思い切り詩乃の目に突き刺す。


「あ゛あ゛ぁああああああ! 目がぁああああああああああああああああああああああ!?」

「母さん、アンタ、ホント性格悪いよな」


 目を抑えて転げ回る詩乃に向け、そう吐き捨てる。

 仮に、先の甘言に乗っていたのであればその通りになっただろう。

 だがそれは本命ではない。

 詩乃は威吹が甘言を許容出来ないことを知っていた。

 知っていたのに何故? 威吹の苦い顔を見るためだ。

 反吐が出そうな甘い言葉をかけられるだけの無様を晒した。

 だから甘んじて耳を傾けるかもしれない。

 そんな威吹の心を見透かした上で、愉しんでいたのだ。


「悪いのは弱い俺? んなもん言われるまでもない」


 機嫌が悪かったのも勝利を譲った酒呑への憤りではない。

 自らの弱さに対する憤りだ。

 あんな終わり方にしか出来ない自分にどうしようもなく苛立っていたのだ。


「アンタもそれぐらいは分かってるだろうに……一々穿り返して……」


 自覚を促す。

 或いは目を逸らしているので向けさせる。

 そういうポジティブな意図あってのことならば良い。

 が、詩乃は単に忸怩たる思いをしている威吹の顔が見たかっただけだ。

 性格が悪いとしか言い様がない。


「ンフフフ、愛する殿方の困った顔を見たい。乙女のいじましい心を酌んで欲しいなあ」

「乙女ってアンタ……面の皮厚過ぎだろ」


 匙を奪い取った威吹は辟易とした表情で残りの雑炊を流し込んだ。


「ふぃー……ご馳走様」

「はい、お粗末様――って、どうしたの? トイレ?」

「いや、散歩に出かける。流石に一週間も家に籠もりっ放しだとね」


 インドア派というわけでもないが最低限の外出がないのも気が滅入る。


「ローック! 着替え頼む!!」


 パンパン! と手を叩くと三分ほどで着替えを持ったロックがやって来た。

 軽く頭を撫でてやり、着流しを受け取りそれに着替える。


「じゃ、行くか」

「クワ!!」

「ああ、ちょっと待って」

「ん?」


 忘れ物、そう言って詩乃が投げ渡して来たのは蒼窮と常夜だった。

 二振りは担い手が弱っていると理解しているのだろう。

 ”じゃれつき”が些か酷かったものの”小突いて”やると直ぐに黙り込んだ。


「外に出るのなら持っておいきなさいな」

「……散歩に行くだけなんだが?」


 普段も差してはいるが、あれはドレスコードだ。

 学院の男子生徒の大半がやっているからそれに合わせているだけ。

 たかだか散歩に行くのにこれは必要ない。


 しかし、詩乃はクスリと笑ってこう言った。


「名ばかりが先行して中身が伴っていない弱くて愛らしい威吹だもの。

今の有様をどこかから聞き付けた悪い奴に襲われるかもしれないでしょ?

だから護ってもらいなさいな。その子たちは威吹のことが大好きだから、きっと護ってくれるわ」


「好きも嫌いもないだろう」


 蒼窮と常夜は意思ある器物と言えなくもない。

 が、どちらも一つの念を除きその他一切を削ぎ落としてあるのだ。

 好き嫌いなどが生じるとはとても思えない。


「まだまだ青いね。祈りも嘆きも聞き届けてくれる者が居てこそ、だよ。

誰にも届かぬ叫びほど虚しいものはない。

あの日、あの場所で、威吹はその子たちを見つけた。声無き声を拾い上げてね。

私にはそれがどんなものかを見抜く目はあっても、声を拾うことは出来なかった」


 だからその二振りは威吹を愛しているのだと詩乃は妖しげに笑った。


「……よく分からんが、長々と問答を重ねる気分でもないし持ってくよ」

「うん、そうしなさいな」


 ふらふらと、少し覚束ない足取りで家を後にする。

 行くあてなどありはしない。

 風に乗って鼻を擽る桜の香りに導かれるままカランコロンと下駄を鳴らす。


「そろそろ桜も散る頃か……一度ぐらいは、じっくり拝んでおくべきだったかなあ」

「クワー?」

「ああ、そうだね。今からでも遅くはないか」

「クァクァクァ」

「うん、休憩がてら桜でも眺めようか」


 小高い丘の上で足を止め、柵に身体を預け桜の並木を見つめる。

 満開とは言い難いが、中々にどうして見応えがあった。


「――――失礼」

「おや」


 ぼんやり桜を眺めていると思いもよらぬ者が姿を現した、紅覇だ。


「弱った俺を殺しに来たのかい?」

「クワ!?」


 冗談を真に受け臨戦態勢に入ったロックを宥めつつ、紅覇の顔を見る。

 覇気には欠けるが憑き物が取れたような表情だ。


「…………そうするほどの気概を今の私は……いや、以前もあったのかは怪しいな」


 威吹が顎で自身の隣を指すと、紅覇は大人しくそれに従い右隣に並んだ。

 左にペンギン、右に鬼、中央に座す自分はキメラ――とんだブレーメンである。


「随分と自虐的だが諦めたか」

「と言うより、折れたかな」


 苦笑気味に紅覇は言った。


「途中で、化け狐の手で家に帰された」

「らしいね」

「君に言われた通りお腹いっぱい食べて、熱い風呂に入って、泥のように眠った」

「それで?」

「目覚めた後、布団から出ずにぼんやりと考え事に耽っていた」

「何を考えてた?」

「自分のこと、酒呑様のこと、君のこと……色々さ」


 色々。

 言葉にすればシンプルだが紅覇にとっては酷く複雑だったはずだ。

 威吹としては月単位で塞ぎ込むだろうと見ていただけに、

 たかだか一週間で出歩けるようになったのは正直意外だった。


「私は、酒呑様のためなら――父のためなら命すら惜しくないと思っていた」

「それは……何と言うか、共感は出来ないかなあ」


 化け物としても、人間としても。

 威吹にとって家族とはある意味、UMAのようなものだ。

 元家族は物心ついた時にはもう終わっていて、同じ家に居るだけの他人だった。

 他人の癖に家族の振りをするのが苦痛で苦痛でしょうがなかった。


(まあ、向こうも同じだったろうけど)


 父であることも夫であることも、母であることも妻であることも、苦痛だったはずだ。

 それを世間体という名の楔で無理矢理繋ぎ合せていたのだから救いようがない。


「だが、あの時の……何の感慨も無く、蟲でも潰すように私を殺そうとした酒呑様の顔。

それを思い出すとね、酒呑様のために死ねると思っていた自分が分からなくなったんだ」


「そりゃまあ、あんな仕打ち受けて心揺れなかったら頭おかしいと思う」


 威吹自身、酒呑に含むところは一切ない。

 紅覇への仕打ちも、自身に勝ちを譲ったこともそう。

 後者に関して憤りを抱いているのは、あくまで己であり酒呑ではない。

 が、好悪は別にして客観的に見た場合酒呑が糞だとも思っている。


「私は霧の中に居た。そんな時、思い浮かんだのが……君だった」

「……俺?」


 何故そこで俺? 威吹が首を傾げる。


「酒呑様のためにはもう死ねない」


 でも、と言葉を区切り、


「――――君のためなら、私は死ねる」

「ちょっと意味が分からないですね」


 殺したいほど憎く疎ましいと思っていた相手だろう。

 そんな奴のために死ねるとは……ははーん、さてはお前マゾだな?

 と思ったがそういう空気ではないので口には出さなかった。


「好きだと、言ってくれたじゃないか」


 ギョっとして横を見ると紅覇はどこか熱に浮かされたような表情をしていた。


「健気に頑張っている姿が好きだと。君は言ってくれた」

「いやまあ……はい」

「あの時は気付かなかった。でも、振り返ってみて分かったんだ」

「何が?」

「あの瞬間、私は報われたんだよ」


 全部が全部ではない。

 酒呑に認めてもらえなかったのだから何もかもが報われたとは言えないだろう。

 それでも、これまでの自分が幾らか報われたのだ。

 酒呑にこそ想いは届かなかったけれど、今日までの自分が無駄ではなかったと。

 そう肯定されたような気がしたのだと紅覇は言う。


「や、別に俺はそこまで……」

「考えてのことじゃないんだろう? 分かっているよ」

「なら何で」

「些細な切っ掛け一つで変われる。変わることが出来る。それが人間なんじゃないか?」


 それはまあ、その通りだと頷く。


「つまりはそういうことさ。私は化け物としては落第の半端者。

だから君の何気ない一言が私の胸を強く打った――これはそういう話なんだよ」


「…………大丈夫? 何か詐欺とかに引っ掛かってない?」


 紅覇のチョロさに不安を覚える威吹であった。

 ド失礼なリアクションをされた紅覇だが苦笑するだけで気にはしていないようだ。


「君は、君が思う以上に魅力的な男だよ。だから、その言葉も心に響くのさ」

「何これ? 俺、口説かれてんの?」

「でなくば、君の友人らも君に”ついで”のように殺されることを受け入れられるものか」


 妄執を捨てた今だからこそ、威吹の魅力がよく分かる。

 そう言って紅覇は笑った。


「なあ、威吹」

「な、何や」


 若干身構える威吹。

 ヤマなしオチなし如何わしいな展開に警戒しているのだろう。


「女狐――君の母に私はこう言われた。長じても茨木殿の大幅な劣化品にしかなれぬと」

「あの、何かごめんね? うちの母親、毒婦だからさ」

「良いよ今は気にしていないからな」

「あ、そう? すいませんね、話の腰折っちゃって」


 続きをどうぞと促す。


「酒呑童子様を目指しても、行き着く先は茨木殿の劣化品。

ならば、目指すところを変えればどうか。

茨木殿のような偉大な化け物を支える”右腕”を目指せば……どうだろう?

肩を並べられるかは分からないが、大幅な劣化品とまではならないのではなかろうか」


 背を預けていた柵から離れ、紅覇は威吹の真正面に立った。


「――――あなたに傅かせて欲しい。どうか、どうか」


 片膝を突き、こうべを垂れる紅覇に威吹は戸惑いながらも答える。


「えーっと……子分ってこと? 別に良いけど……」


 威吹は左隣で大人しくしていたロックを抱き上げ、紅覇に見せ付ける。


「俺の第一の子分、コイツだぞ。ペンギンの後輩になるけど良いの?」

「クワ!!」

「ぺ、ペットではなかったのか……いや、それでも構わない」

「そう? んじゃまあ、好きにすれば?」

「我が君に心からの感謝を」


 ちょっと散歩に出ただけで妙なことになった。

 もやもやとした気分を払拭するように再度、桜の鑑賞に戻ろうとしたところで気付く。

 周辺に”夜の匂い”が漂っている。


「「「みーつけたぁ♪」」」


 とぷん、とぷんと桜の樹の影から三人の男が姿を現す。

 胸元が大きく開いた黒のスーツに身を包んだ彼らは皆、判で押したように同じ顔をしていた。


「何だアンタら、コピー&ペーストか? 経費削減か?」

「「「誰がコピペだぶっ殺すぞ!?」」」


 濃密な夜の気配に加え、妙な親近感。

 十中八九、吸血鬼だ。

 金髪紅眼という特徴や彫りの深い顔立ちを見るにこの国の吸血鬼ではなさそうだ。


「俺たちは悪名高きブラッド三兄弟! 長兄のアイン!!」

「次兄、ツヴァイ!!」

「末弟、ドライ!!」

「安直な苗字とやっつけじみた名前――うーん、これは厳しい」

「「「殺されてえのか!? いや、殺すつもりで来たんだけどさ!!」」」


 中々に愉快な奴らのようだ。


「が、何も知らず殺されるのは可哀想だし冥土の土産に理由を聞かせてやろう!!」

「いや、別に良いです」


 別に興味もないし。


「この国で影響力を強めたいんだが、いきなり大物を狙うのは普通に怖い!!」

「正直者か」

「だがここで貴様と言う名ばかりが先行している好物件を知った俺たち!!」

「ああうん」

「万全の状態なら迷ったが、都合の良いことに今は満身創痍!!」

「正直者か」


 清々しいほどの屑だ。

 呆れを通り越して感心すら抱いてしまうほどに爽やかな屑どもである。


「来てるぜ、ビッグウェーブが!!」

「乗るしかない、このビッグウェーブに!!

「ひと夏のサクセスに付き合ってもらうぜ!!」

「いや、まだ春なんですけど」


 だがまあ、やると言うのなら逃げるつもりはない。

 真っ向から踏み潰してくれよう。

 コキコキと首を鳴らす威吹を紅覇が手で制する。


「我が君、この程度の相手にあなたが動く必要はない」

「いや、言うて指名されてんの俺だし」

「だとしてもです。ここは私が――――」


 紅覇の言葉よりも早く”それら”は動いた。


「あ」

「「ぎゃァあああああああああああああああああああああ!!!?!」」


 鞘から飛び出した蒼窮と常夜がザクー! と次男と三男に突き刺さったのだ。


「つ、ツヴァイ! ドラァアアアアアアアアアアアアアイ!!」


 蒼炎と黒炎に包まれ灰になった弟たちを見て絶叫する長男。


「あの……何かごめん、カッコ良く決めようとしてたのに」

「……いえ、御気になさらず」


 この後、残った長男は紅覇が迅速に処理致しました。

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