トライアングラー④

「攫われたわね」

「攫われちゃったね」


 木々が鬱蒼と生い茂る瘴気に満ちた森の最奥に百望と無音は居た。

 二人は共に拘束されていて殆ど身動きが取れない状態だ。


「女の私はともかく男のアンタはもっとしっかりなさいよ」

「そう言われてもなあ。ほら、僕、アイドルだし」

「今は休業中じゃない」

「というか、僕らどうやって拉致されたの? 君と一緒に校門を出ようとしたところから記憶ないんだけど」

「私に聞かないで。まあ、何されたか分からないぐらい彼我の実力差は隔たってるってことなんでしょ」


 拘束されたまま暢気にお喋りをする二人。

 危機感がない、というよりは事ここに至っては何も出来ぬと理解しているからだ。


(そもそも、私たちは何だって誘拐されたのかしら?)


 理由のない悪意に因るものならば分かる。

 しかし、自分たちを攫った者にそのつもりはなさそうだ。

 それどころか配下が妙な真似をしないように目を光らせている。


(あの”先輩”とは接点だって何もないし)


 少し離れた場所にある切り株に座る先輩――伊吹紅覇を見やる。

 どこか緊張した面持ちの彼を百望は知っている。無音も知っている。

 だがそれは一方的に知っているだけで面識があるわけではない。

 どういう理由なのかと頭を悩ませていると、


「あのぉ、先輩。僕ら、どうして誘拐されたんでしょう?」


 無音が突っ込んだ。

 犬形態ではないのにこの空気の読めなさ……いや違うか。

 この場においては果断と評するべきだろう。

 百望は内心で無音の評価を引き上げていた。


「…………君らには申し訳ないことをしたと思っている」


 これまでだんまりだった紅覇が口を開いた。

 言葉に嘘は感じない、恐らくは本当に申し訳ないと思っているのだろう。


「だが確実に奴を誘き寄せるためには必要な処置だったんだ」

「「奴?」」


 などと、つい二人で首を傾げるが言われずとも分かっていた。

 交友関係に乏しい自分だ。

 誘拐して誰かを誘き寄せようなどと言うのなら、考えられるのは二人。師匠と威吹だ。

 しかし師匠は当然のことながら無音とは面識がない。

 となれば考えられるのは一人、共通の友人である狗藤威吹だけだ。


 威吹を呼び出すために自分たちを攫ったと言うのなら、


「馬鹿だなあ」

「下手打ったとしか言いようがないわね」


 ハッキリ言って失敗だ。


「…………奴が来れば君らは解放する。妙な小細工は弄さない方が良い」


 こちらの発言を聞いて何やら深読みしたらしい。

 だが残念ながら言葉を弄して逃げ出すなんてつもりは更々なかった。


「普通に果たし状を送り付けるべきだったわね」

「だね、そしたら確実に来ただろうに」


 威吹を呼び出すためだと言うのなら、自分たちを攫ったのは悪手だ。

 特別大切に想われているから後が怖い……なんて意味ではない。

 現段階でそこまでの関係を育めたと思うほど、自惚れてはいない。


「どういうことだ?」

「こんなアホなことして良くて無視……悪くて……ああ、これ私たちも死ぬかもしれないわね」

「だねえ。いやはや、困った困った」


 こちらの会話に困惑する紅覇。

 しかし、そこで困惑するのが百望からすれば理解出来なかった。

 何だその反応は、まるで自分と同じ人間のようではないか……と。


「先輩がどうして威吹に執着しているのか。その理由は知らないし、知る気もないわ」


 でも、これだけは言える。


「あなたは彼を読み違えている。人がましい物差しで測るべきではないわ」


 でなくば致命的な陥穽となる。


「威吹は、先輩が思う以上に恐ろしい男よ」


 狗藤威吹。普段はまあ、ちょっと消極的な普通の男の子と言えよう。

 性格も悪くはない。

 無音のせいで妙な注目を集め追い詰められた自分を気遣ってくれるぐらいには良い人だ。


(今日だってそう)


 無音との関係を少しでも改善するためだろう。

 間に入って色々と骨を折ってくれた。

 良い人だ、良い友人だ。


 ――――しかし同時に危険極まる”化け物”でもある。


(現代社会で、Oracleが大妖怪が天職だと導き出すような人間だもの)


 理の鎖から解き放たれた超高位存在の一つである大妖怪。

 そんなものになれる時点で”真っ当”ではない。

 それに、天職だというレベルで適性があるのだ。危険でないはずがないだろう。


(政府の人間が世界の安定のためにと熱心に大妖怪になることを勧めて来たらしいけど……)


 それは嘘だ。

 いや、そういう理由もないわけではないのだろう。

 だが本命は違う。

 威吹を幻想世界に追いやりたかったのだ。


 下手に人間社会で暮らさせ、ふとした切っ掛けで大妖怪として花開いたとしよう。

 どれほどの災禍が巻き起こるか予測もつかない。

 それゆえ政府は大妖怪になることを強く勧め現実世界からの退去を促したのだ。

 ただ、下手に威吹の意思を捻じ曲げてはいけない。

 政府の対応が頑なで、強引なものであったなら不測の事態が起きていた可能性は高い。

 それゆえなるべく穏便に、あくまで自分の意思で選んだという形になるよう努力した。


(まあ、退去を促したと言っても戻ることは止められないんだけどね)


 強制力は一切ないし、これからも振るえはしないだろう。

 今の、化け物としての在り方を身に着けた威吹にそんなことをすればどうなるか。

 東京が火の海に包まれる程度で済めば良いというのが百望の感想だった。


(でもまあ、政府のやり方も間違いではないわ)


 現段階で威吹は政府に悪感情は抱いていない。むしろ義理を感じている。

 このまま大妖怪になれば……多少は、安心出来るはず。

 理外の存在ゆえ、確実な保証などは欠片もないが少しはマシだろう。


(それはさておき、こっちはやっぱりピンと来ていなさそうね)


 紅覇を見るが渋い顔をしているだけで、言いたいことは何一つ伝わっていないように見える。


「…………君は、あの男の友人なのだろう?」


「ええ、威吹は私にとって初めてにして唯一の友達よ。

分かってるわ、馬鹿にしてるんでしょ? だからアンタみたいな陽の者は嫌いなのよ!!」


 ぺっ! と唾を吐き捨てる。

 人質に利用されたことはどうでも良い。

 しかし、皆の人気者みたいなタイプは反吐が出るほど嫌いだった。


「雨宮さん、君は被害妄想が酷過ぎると思うよ」

「いいえ違うわ。奴のような人種は善意という名の上から目線でこっちの気持ちなんて考えずに……!!」


 沸々と蘇る昔日のトラウマ。

 それに待ったをかけたのは紅覇であった。


「ならば何故、君はあの男の友をやっている? 損得か?」

「な、わけないでしょう。失礼な奴ね」


 損得を求めて関係を結ぶのであれば、もっと人を選ぶ。

 少なくとも威吹だけはあり得ないと百望は断言する。


「私を私のまま受け入れてくれる――だから友人をしているのよ」


 手を引き日向に連れ出そうとするわけでもない。

 変われと叱咤するわけでもない。

 陰気な自分を疎んじるわけでもない。

 等身大の、在るがままの己を受け止めてくれる。

 それは何にも変え難い悦びだ。


「?」

「ま、分からないでしょうね。理解を求める気もないけれど」


 と、その時だ。


「ああ、来たみたいだね」


 無音は空を見上げていた。

 百望と紅覇も釣られるように視線を上にやり――”それ”を見つける。


「何だあれは、黒い光の、龍……?」


 遥か上空から地上へ向けて迫るその姿に呆然と呟く紅覇。

 紅覇はあれが何か分かっていないようだが百望は違った。

 その手の分野に詳しい魔女だからこそ分かる。

 あれは怨念だ。怨念が龍の形を取っているのだ。


「ぁ」


 地上まで数百メートルと行った距離まで近付いたところで、

 昔映画で見た怪獣の何倍も大きい龍の身体が爆ぜた。

 爆ぜたそれは大元よりも小さい無数の黒龍へと変わり雨のように地上へと降り注いだ。


「ぐ……ぉ……うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」


 真っ先に動いたのは紅覇だった。

 一瞬の後に起こる惨状が脳裏をよぎったのだろう。

 紅覇は己の妖気を全開にし、百望や無音を守護するための障壁を展開した。

 だが、それだけでは足りない。

 修めた無数の術の中から護りに分類されるものを次々と発動させている。


(……先輩、魔法も使えたのね)


 絨毯爆撃を必死に耐えている紅覇に対し、百望は暢気だった。

 まあ、何も出来ないよう拘束されているから仕方のないことなのだが。


「ねえ、雨宮さん。これ、先輩の護りが貫かれたら……」

「私とアンタも死ぬわね」

「ああ……やっぱり……うん、容赦ないなあ」

「先輩がこうするのを分かってやったんでしょうけどね」

「でも耐えられなくて僕らが死んだら……」

「墓前に花ぐらいは供えてくれるんじゃない?」


 護りを展開する紅覇の全身から血が噴き出しているのが見えた。

 口は半開きで身体はガクガクと震えている。どう見ても限界が近い。

 死ぬのは怖い。死ぬのは嫌だ。

 それでも、威吹と友達になった時からこういう終わり方は想定していた。

 なので百望は取り乱すこともなく冷静で居られた。


 そんな風に死を覚悟する百望であったが、幸運なことにその時は訪れなかった。

 紅覇が見事、暴虐の嵐を凌いでのけたのだ。


「はぁ……はぁ……はぁ……ッ!!」


 膝を突き、息を荒げる紅覇。

 全身傷だらけで再生能力がまるで追いついていない。


「貴様……ッッ!!!」


 紅覇が上空を睨み付ける。

 その視線の先では緋色の刃を右手に携えた威吹が薄笑いを浮かべていた。

 あれだ、先ほどの攻撃はあの刀によって成されたのだと百望は一目で看破した。


(うわあ……うわあ……やばいやばい、何あれ……)


 血のように赤い刃に纏わりつく黒い靄。

 靄は漏れ出した怨念の表層部分だ。

 だが、その表層部分ですら尋常ではない。今にも自分や無音を取り殺さんと蠢いている。

 こちらに害が及んでいないのは威吹が制御しているからだろう。


「おう、おう、おう。どうしたよ先輩? そんな怖い顔をして」


 刀を鞘に納めながら揶揄うように威吹は問うた。


「……貴様は……貴様は自らの友、諸共に私を葬ろうしたのか……!!」

「いんや? そんなつもりは更々無いよ?」


 だって、と威吹が笑う。


「アンタが護ると確信していたからな」

「ねえ威吹、護ろうとはしても先輩が耐えられなかったら僕ら死んでたんだけど」

「その時はまあ、ごめんなさいだな」


 悪意は一切ない。

 だが自分も無音も威吹がそういう男であることを知っていたのでショックはなかった。


「いやね、俺だって普通にそっちの用意した舞台に上がっても良かったんだがなあ」


 威吹は呆れたように紅覇を見ている。


「先輩があんまりにも白ける真似をしてくれるもんだからさ。馬鹿らしくなってな」

「……成るほど、人質を取った報復というわけか」

「違うよ。だからアンタは”ズレ”てるんだ」


 威吹は懐から取り出した手紙を百望らに向けて放り投げた。

 二人はそれを受け取り、中身を覗き込んで……ああ、と納得したような表情を浮かべる。


「徒党を組むのはまだ良い。

カッコ悪くはあるが、どうしても俺を殺したいなら幾らでも数を揃えれば良いさ。

人質も良い。これもまあ、情けなくはあるけどな。

それでも数だけじゃ不安で確実に俺を殺すために必要な手だってんなら納得は出来る」


 理不尽だ。実に理不尽だ。

 威吹からすれば一方的な因縁で理不尽だとしか言い様がないだろう。

 徒党を組まれるのも人質を取られるの理不尽極まる。

 だが、威吹はその理不尽を良しとした。

 どうしても俺の存在が許容出来ぬと。

 何が何でも殺してやりたいと言うのなら、そのために必要なことをすれば良いと。


「なのに――――”これ”は何だ?」


 焦土となった森を見渡す。


「結界を張り巡らせ一方向からしか入れないようにする。

その上でここ……最奥に至るまでに手下を配置していた。

俺を少しでも消耗させるためだってのは分かる。

まあ、ここまでは良いよ。ここまではな。

最終的に一対一で俺を嬲り殺したかったってんなら悪くない仕掛けだ」


 ボロボロになって、ようやく友が待つ最奥へ辿り着く。

 しかし、人質を救う手立てはなく一方的に嬲り殺しにされる。

 理不尽且つ救いのない、実に化け物らしいやり方だと百望は思う。


「でも違うだろ。アンタは人質を解放するつもりだった」

「……それがどうした?」

「いや使えよ、何のために人質を取ったんだよ」


 確実に威吹を呼び出すため?

 そう考える時点で紅覇はズレているのだ。

 化け物ではない、人間の自分にすら分かる。


(威吹は酒呑童子との比べあいを真正面から受けるようなアホなのよ?)


 無防備にその拳を喰らうほどに、イカレタ男なのだぞ。

 果し合いがしたいと言えば、まず逃げることはなかったはずだ。


「俺を殺すために利用するでもない。玩具として使うでもない」


 何のために攫ったのだと威吹は呆れている。


「何て言うのかな、アンタ、諸々中途半端なんだよ」


 はぁぁぁ……と深々溜め息を吐く威吹を見て百望は確信した。

 これから紅覇は間違いなく酷い目に遭うだろうと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る