トライアングラー②

 昼休みが終わると、威吹は他の生徒よりも一足早く学院を後にした。

 かったるいからサボりますぅ、などという理由ではない。

 五時間目、六時間目が戦技――いわゆる戦い方を教える授業であったからだ。

 その手の授業については既に単位を取得しているし、

 教師からも迷惑だから混ざるなとのお達しが出ているので素直に学院を出たわけだ。


「さて……これから三時間近く、どうするか」


 家に帰ってゴロゴロするという選択肢もある。

 だが、それをすると今の体調ではグッスリ夜まで寝てしまいかねない。

 そうなると約束を果たせなくなるので家に帰るのは却下。


「約束を破ると、面倒なことになりそうだしなあ……」


 昼休みのことだ。

 百望を宥める際、なし崩し的に放課後一緒に遊びに行くことを約束させられてしまったのである。

 あの喜びようを見るに約束を反故にすれば面倒なことになる。威吹には確信があった。


「……讃岐屋にでも行ってみるか」


 以前足を運んだ時も色々見て回ったが全部を回ったわけではないし、

 何より有名人と一緒だったからあまり落ち着いて店を見ることも出来なかった。

 今は自分一人だし、ゆっくり見られるだろう。

 そうと決まれば即行動。

 威吹はタクシー(と言っても馬車だが)を呼び止め讃岐屋へと向かった。


(飛んでも良かったが……うん、やっぱ風情を感じたいしね)


 馬車に乗って大正帝都の街並みを眺める。

 現実世界では味わえない趣に威吹は珍しく上機嫌になっていた。


「お客さん、見たとこ学生のようだけど……大丈夫なのかい?」


 学生服で乗り込んだせいだろう、御者に不審がられてしまった。

 どうやら彼は普通の人間のようだが、さてどんな経緯でここに居るのか。

 見た感じ、百望のような特別な力を元々備えていた人間には見えないが……。

 御者に限らず、普通の人らしき方々は一体どんな理由で幻想世界に辿り着いたのか。

 不思議に思いつつ御者の懸念を解消するべく威吹は口を開く。


「ああ。午後の授業の単位は既に取得してあるからな、何の問題もない」

「そうかい? それなら良いんだが」

「それより御者さん。讃岐屋でこれは見とけってものはあるかい?」


 話しかけられたしこれ幸いとばかりに質問を投げる。

 この手の職種に就いている者に聞けば、ハズレはないだろう。


「讃岐屋かい? そうだねえ……色々あるが、五階の飲食店街。

あそこに入ってる九十九屋のオムライスは一度は食べてみるべきだね。

後は、Enchanteって洋菓子屋もおススメだ。あそこのエクレアは絶品だよぉ」


「へえ」


 昼食を食べたばかりだが、調子が戻り切っていないせいか空腹は収まっていない。

 ならば百望を案内するための下見として、足を運んでみるのも悪くはない。


(戦技の授業で腹を空かせてるだろうしな)


 自分は一度も出たことはないが、相当ハードな授業だと聞く。

 昼に肉をしこたま喰っていても空腹になるはずだ。


「他にも学生さんなら装飾品を扱ってる金剛堂に行くべきかね。

何のかんのと物騒だからねえ。タリスマンの一つや二つは持っておくべきだよ」


「ああ……」


 確かにそういう物も必要かもしれない。

 だが、一番身近に居る毒婦(レベル99)に通用するだろうか? いやしない。

 九尾の狐相手にも効果が出るような物を百貨店に入っている店で扱っているとは思えない。

 そういう物が欲しければ職人、或いは専門店に行くべきだろう。


「おじさんもねえ……昔はこう、人に言えない感じでバリバリやってたんだけどさ」

「はあ」

「こっちの世界来てポッキリ折れちゃったよ」


 哀愁を漂わせる背中に何と声をかければ良いか分からなかった。


「おっと、おじさんのことはどうでも良いんだ。

他には……そうそう、これは確実に会えるってわけじゃないんだけどね。

讃岐屋の社長さんを一回ぐらいは見ておきたいよねえ」


「社長さん?」


 わざわざ人を挙げるとは……名物社長的なあれなのだろうか?


「ハッハッハ、それは会ってみてのお楽しみだ。前情報なしの方が感動も大きいだろうし」

「はあ」

「おっと、そうこうしてる内に着いちゃったね」

「ありがとうございます」


 代金を支払い馬車を降りる。

 御者のおじさんは笑顔でこちらを見送ってくれた。


(…………何か、久しぶりに普通の人と普通のコミュニケーションを取った気がする)


 胸に去来した寂しさを振り払うように讃岐屋に入り一直線でエレベーターへ向かう。

 お口の中は既にオムライスの口になっているのだ。


 しかし、


「あの、お客様。少々よろしいでしょうか?」


 エレベーターを待っていると店員の一人が話しかけてきた。

 無視するのも申し訳ないので、小さく頷きを返す。


「そちらのお腰の物。ひょっとして当店でお買い上げに?」

「え? ああはい、ちょっと前に」

「やはり! その、大変申し訳ないのですが少しお時間を頂いてもよろしいでしょうか?」

「えっと、それはどういう……」


 ひょっとして何か問題のある品だったのだろうか?

 そんな威吹の不安を感じ取ったのか、店員は安心してくださいと微笑む。


「お客様の素晴らしい目利きを知った当店の社長が是非、お客様にお会いしたいとのことで」

「社長さんが……?」


 というか目利き?

 はてな顔を浮かべつつも、悪いことでないならと頷きを返す。


「ありがとうございます! では、こちらに」


 店員に連れられてエレベーターに乗り込む。


(……いきなり御者のオッサンが言ってた社長に会えるとは運が良いな)


 さっきは少し不安があったものの、悪いことではないのなら社長に会えるのは運が良い。

 話の種にもなるだろうしと威吹は胸を弾ませる。


「社長、例の”試し”に気付かれたお客様をお連れ致しました」


 店員が社長室の外からそう語り掛けると、中からお通ししてという女の声が返ってきた。


「それではお客様」

「え? ああ、はい」


 扉を開き、すっと横にずれる店員。

 威吹は小さく頭を下げて社長室の中へと踏み込んだ。

 そして中に入り社長の姿を認識した瞬間、驚愕が威吹を襲う。


(これ、は……)


 一言で表現するのならば”お姫様”。

 ただ、西洋のそれではない。日本の姫君だ。

 足元近くまで伸びる濡れ羽色の長い御髪、儚げな面貌、憂いを帯びた優しげな瞳。

 ハッキリ言って、威吹は見蕩れていた。


(母さんとはまた違う絶世の美女だ)


 詩乃のそれは美女という下地に特定個人が好む要素を散りばめ突き詰めていったもの。

 対して目の前の彼女はそういう”媚”は一切ない。

 お前の好みなど知ったことではないと真正面から自分の魅力をぶつけてきている。

 どちらが優れているというわけではないが、彼女もまた傾国を成せる女であるのは間違いないだろう。


「はじめましてお客様、わたくし、讃岐屋の長を務めております”かぐや”に御座います」

「こ、これはご丁寧に。俺は狗藤威吹と――――え、かぐや?」


 絵に描いたような和の姫君で、名前が”かぐや”。

 威吹の脳裏には日本人なら誰でも知っている御伽噺の主役が浮かんでいた。

 いやまさか、でも……そんな困惑が彼女にも伝わったのだろう。


「威吹様のご想像通りかと」

「うぇ?! か、かぐや姫ェ!?」


 今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。

 そんな一文から始まるメジャー極まる古典作品”竹取物語”。

 その主役にして多くの男から求愛を受けるヒロイン――かぐや姫。

 それが目の前に居るとなれば、そりゃ驚きもする。


「あの、その……何と言えば良いのか……」


 月に帰ったんとちゃうんか、とか。

 そもそも人間なのか? とか。

 色々と疑問はあるのだが、あのかぐや姫が目の前に居るのだ。

 感動と戸惑いだけで胸がいっぱいだった。


「ふふふ、どうかそう緊張なさらないでくださいまし」


 ささ、と勧められるがまま来客用のソファに腰を下ろす。


(御者さんの言う通りだったな。確かに前情報なしの方が感動は大きい)


 目の前に緑茶と茶菓子が置かれた。

 威吹は頭を下げつつも、本題を切り出す。


「あの、何で俺を?」

「その疑問にお答えする前に、よろしいでしょうか?」

「? ええ、どうぞ」

「威吹様は何故、その二振りをお選びになったので?」


 かぐや姫の視線が座る際、ソファに立てかけた二本の軍刀に注がれる。


「聞けば酒呑童子様や玉藻御前様と御一緒だったそうで。

わざわざワゴンの中から。それも量産品を選ばずとも名刀、妖刀、より取り見取りだったのでは?」


「それは……まあ、そうでしょうね」


 頼めば一番高い物でも買ってもらえただろう。

 それぐらいには、あの二人は自分に甘い。


「刀剣の類に興味がなかったから、テキトーに済ませようとワゴンから選んだのですか?」

「いや、それは違います」


 あの二振りに惹かれるものがあったから選んだのだ。

 ただ、何故惹かれたのかと聞かれると返答に窮する。


「何かこう……感じ入るものがあって……」


 駄目だ、やはり上手く言葉に出来ない。

 しかし、かぐやにとってはそれで十分だったらしい。


「ふふ、意地悪をしてごめんなさい」

「え」


「威吹様が偶然、それを手に取られたのかどうかを確認したかったのです。

私の懸念は無用のものでした。

威吹様は確かに、その鋭い感性を以ってその二振りをお選びになられたのですね」


 うんうん、と嬉しそうに頷くかぐや。

 しかし、威吹からすれば一体何のことだかまるで分からない。


「威吹様がお感じになられた通り、それらは特別な刀に御座います」

「……なら、何でワゴンなんかに?」


「どれだけ素晴らしい物であろうと、その価値が分からねば意味はありません。

物の価値が分からぬ者に使われれば道具も不憫に御座いましょう?

ゆえに、客商売としてはよろしくはありませんが……お客様の目を試しているのですよ」


 軍刀だけではない。

 讃岐屋のあちこちに、この手の”試し”が仕込まれている。

 そしてその試しを乗り越えて価値を見出した客には特別な便宜を。

 具体的には特別な品を揃えてある区画への立ち入り許可証を発行しているのだと言う。


「ちなみに酒呑童子様は、酒精関連で。

玉藻御前様はこのカラクリ自体を見抜いておられたので許可証をお渡ししております」


「おぉぅ……納得だわ」


 酒関連では詩乃にも太鼓判を押される酒呑童子だ。

 得意分野であれば突破は容易いだろう。

 詩乃に関しては言わずもがな。

 観察眼、審美眼、共に優れているのは疑いようもない。


「というわけで、どうぞお納めくださいまし」


 かぐやが差し出したのは一粒の真珠だった。


「えっと、これが許可証?」

「はい。ささ」


 言われるがまま受け取ると、手に取った瞬間、真珠が肌に溶けるように消えてしまう。

 どういうことかとかぐやを見ると彼女はご安心をと告げる。


「身体に害はありませぬ。ちょっとした印に御座いますれば」

「印?」

「ええ、それを所持されているのならば店内にある特別な入り口もその姿を見せましょう」

「はあ」


 生返事をする威吹を見てかぐやはクスリと笑った。


「気が向いた時にでも足を御運びくださいまし」

「えっと、ありがとうございます」

「いえいえ――では、そろそろ本題に入りましょうか」

「本題?」

「ええ、その二振りの由来について聞いて頂きたいのですが……よろしいでしょうか?


 教えてくれるというのならば断る理由はどこにもなかった。

 威吹が頷くと、かぐやは嬉しそうに感謝の言葉を述べ語り始めた。


「それらはOracleと同じ思想の下に創られた刃なのですよ」

「Oracle……ってことは、神秘と現実の融合ってことですか?」


 かぐやは大きく頷き、


「時は昭和、世界が二つに分かたれようとする寸前の第二次大戦前夜にそれは始まりました」


 語り部のような口調でその来歴を話し始めた。


「若い御方はあの時代の都合の良い妄想に痴れる愚か者が多かったと思っているかもしれません。

しかし、そんなことはありません。当然、冷静な者らも居ました。

どうしたって勝てない、それでも戦争の流れは止められない。

ならば少しでもマシな終着点を――そう冷静に考え”狂った”者らはある計画を立案したのです」


 その瞳に妖しい輝きが宿る。

 十中八九、ロクでもない話なのだろうと思った。

 かぐやはクスリと笑い、軽く手を振るった。

 するとひとりでに軍刀の一本が浮かび上がり、二人の間に置かれた。


「封を解きます」


 かぐやはそっと柄を撫でてみせた。

 瞬間、柄を撫でた指がボロボロに焼け焦げてしまう。

 だがそれを気にする様子も見せず、抜いてくださいと威吹に促した。

 威吹は言われるがまま刀を手に取るが、


「ッッ……!?」


 度を越えて清浄な気が威吹の心身を陵辱した。

 だが、耐えられぬほどではない。

 深く呼吸をして、傷付いた身体に力を巡らせていく。

 そうこうしていると刀が手に馴染んだのか苦痛や不快感は消え去った。


「先ほどOracleと同じ思想の下に創られたと言いましたね。まず現実の要素は……」

「量産品、ってことでしょう?」


 大量生産――それは人類の叡智を象徴する概念だろう。

 神秘と現実の融合、その片翼としては申し分ない。

 かぐやは一言、ご明察と言って頷いた。


「ではもう片方の翼。神秘を構成するものは何か。それは――――生贄です」

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