トライアングラー①

「あー……」


 降り注ぐ日差しを浴びながら散漫な動きで弁当を口に運ぶ。

 いつもはこれでもかと美味しく感じるそれも、今日に限っては味がよく分からない。


「…………ちょっと威吹、あなた朝からそんな調子だけど大丈夫なの?」


 屋上で一緒に昼食を摂っていた百望が心配そうにこちらを覗き込んでくる。

 気遣ってくれるのは嬉しいのだが、


(だったら……それ、どうにかして欲しいんだけど……)


 学校での昼食と言ったら何を思い浮かべるだろう?

 給食? お母さんの手作り弁当?

 学食でランチセットを頼むのも悪くない。

 食欲があまりない日は購買の菓子パンで済ますこともあるかも。

 兎に角、選択肢は無数にあると思う


 でも――――焼肉はない。


 焼肉定食とかならまだ分かる。

 だが、七輪を持ち込み網の上でガッツリ肉を焼くのはあり得ないだろう。

 これが無音だったら速攻でツッコミを入れられた。

 しかし下手人は百望。今、ミノを焼いている百望だ。

 ボッチでコミュ障ということ以外は割りと常識人な百望の突然の暴挙。

 威吹はどう突っ込めば良いのか分からなかった。


「具合が悪いなら保健室に行った方が……」

「いや……大丈夫。ちょっと、寝不足なだけだから」

「寝不足? 威吹、夜更かししたの? 何やってたの? やっぱり散歩!? おれもさー、きのうはさー」


 骨を齧っていた無音が話に入ってくる。

 犬の姿をしているとはいえ、人間として骨を齧る己に何か疑問を抱かないのだろうか。


「や……散歩じゃなくて……ちょっと、母さんや酒呑と夜遊びしてたんだよ……」


 具体的には登校の一時間ぐらい前まで桃園ではしゃいでいた。

 いや、正確に言うならはしゃぐ大人たちに付き合わされていた。


「…………妖怪の体力でも疲れが取れないって、一体何してたのよ」

「え? ああ……いや、そこまで激しいことはしてないよ。飲み食いしてただけだもん」

「じゃあ何で」

「妖怪の血を使い過ぎて、そっちに偏ったからだと思う」


 酒呑童子が言っていたように妖怪の本番は夜なのだ。

 本番が夜ということは朝、昼は寝ている時間ということでもある。

 今の威吹は夜行性の生き物が日の下で活動をしているようなものなのだ。


「いやでも、コイツは普通に日中活動してるんだけど」

「ふぁふ?」


 ガジガジと骨を齧る無音に冷たい視線を向ける百望。

 だが、無音と威吹では事情が違うのだ。


「無音は自由自在に妖怪化出来るぐらいには血を制御してる。

でも、それだけだ。あくまで妖怪化出来るだけ。

でも、俺の場合は多分違う。俺の方が化け物の領域に近しいんだと思う」


 そのせいで人間に戻った後も、化け物としての特性が色濃く表れているのだ。


「じゃあ純血の妖怪は? クラスにも何人か居るけど……」


「生まれた時から人に近しい暮らしをしてるからそっちに適応して変化したんだろうよ。

だから俺もこの状態でしばらく昼に活動して夜に眠る生活してりゃ身体を馴染ませられると思う」


「……妖怪も、色々大変なのね」

「人間に比べるとそうでもないさ」


 人間としての価値観。

 化け物としての価値観。

 その両方を備えるがゆえに人間の苦労がよく分かるのだ。


「それより……あの、聞いて良いのか分からないんだけど……雨宮は何で焼肉食ってるの?」

「え? ああ……ちょっと、その……修行で……」


 恥ずかしそうに俯く百望だが、肉を焼く手は止まっていない。


「新しい魔法を覚えるために……その、お肉を沢山食べる必要があるのよ……」

「肉喰って覚えんの!?」

「そ、その魔法が特別なだけだから! 他はこんなことしなくても良いんだから!!」

「だ、だよね。いや、魔女のイメージが面白いことになるとこだったよ」

「……まあ、この魔法にしても本来のやり方は魔女っぽいんだけど」


 少し青い顔をする百望を見て威吹は察する。


(……肉、血、内臓……ああ、そういう……)


 昼食時に考えることではないと頭を振り、グロテスクな思考を外に追い出す。


「ねえねえモモちゃん! おれさ、ずっと気になってたんだけど!!」

「馴れ馴れしくモモちゃんとか言うな!!」

「?? 何でモモちゃん、おれに対して刺々しいの?」

「アンタのその陽キャオーラが私を傷付けてることに気付きなさいよ!!」


 どう考えても被害妄想である。


「…………とりあえずアレだ。無音、雨宮と普通にコミュりたいなら人間に戻れ」

「人間になったら仲良しになれる?」

「なれるかは分からないけど、まあ今よりはマシになると思うよ」


「ハン! あり得ないわ! 見なさい威吹、この男の生粋の陽キャっぷりを!!

私みたいな苔むした岩の下でジメジメやってるのがお似合いな女とはねえ! アッハッハ!!」


 そこまで自分を卑下しなくても良いだろうに。

 少し呆れながらも無音を促し人間の姿に戻らせると、


「……………………は?」


 予想通りのリアクションが返ってきた。

 馬鹿犬がいきなり憂い顔の美少年になるだけでも驚きなのに、

 その美少年が国民的アイドルだと知ればそりゃ、は? と言いたくなる。


「え? は? え? なん……は? 麻宮静? 麻宮静ナンデ!?」


「あー……その、色々悪かったね、雨宮さん。

どうも犬の状態で居ると、知能が下がるみたいでさ。

その、改めてこれまでの非礼を詫びさせて欲しい――本当にごめん」


 バツが悪そうな顔で頭を下げる無音。

 馬鹿犬形態でのアレやコレやがフィードバックしてしまったのだろう。


「それと、誤解を解いておきたいんだけど……僕は別に生粋の陽キャではないよ。

いや、テレビの向こうではキャラ作ってたけどね。

むしろ素の性格は割りと陰気な方じゃないかな? うん」


「え、えぇぇ……何これぇ……」


 怒りは完全に霧散し、困惑一色。

 目の前にアイドルが居ることも、

 そのアイドルがテレビでよく知るそれとは違う顔を見せていることも受け止めきれていないらしい。


「馬鹿になりたくて、何も考えずに色々楽しみたいから犬になってるからね、僕。

現実逃避と言われたら……うん、返す言葉もないんじゃないかなあ」


「い、陰キャだわ……迸る陰のオーラを感じる……!!」


 ひぃいい! と慄く百望。

 明るくても暗くてもリアクションが過剰な女である。


「どうだ雨宮、素がこれだと分かったら少しは付き合い易いんじゃないか?」

「え……それはまあ……ええ、多少は……」

「ほら、無音もさ。何か聞きたいことあったんだろ? 今なら聞けるぞ」

「え? ああ……良いのかな?」

「べ、別に良いけど……」

「そう? それならお言葉に甘えさせてもらおうかな。や、魔法ってどんなものがあるのかなって」


 自分を挟んで会話を始める二人を見て威吹は小さく息を吐く。


(これで多少はマシになるだろう)


 どういう理由かは本人にも分からないが無音も百望も威吹に懐いている。

 特に何もなければ最低三年はこの関係が続くのだ。

 一々ギスギス(と言っても一方通行だが)されたら堪ったものではない。

 だが今日ここで無音の素を知り犬の姿を取っている理由を多少なりとも知ることが出来れば、

 百望の無音に対する当たりも少しは弱くなるかもしれない。

 そういう意図もあり変化を解除させたのだ。

 そして多分、無音(人間形態)もそれは察している。。

 なので少しばかり過剰に陰気な自分を演出しているように見える。


(やれやれ、世話のかかる……って何だ?)


 何やら校庭の方が騒がしい。

 気になった威吹が下を覗き込むと赤毛の男子生徒が沢山の女子に囲まれていた。


(確か……伊吹……伊吹……紅覇、だっけか?)


 讃岐屋で酒呑童子に挨拶をしていた少年だ。

 同じ学校だったのかと少し驚きつつ、その様子を観察しているとあることに気付く。


(でもあれ? 眼帯なんかつけてたっけ?)


 一度しか会ったことはないが、その時には眼帯をつけていなかった気がする。

 怪我でもしたのか。

 もしくは思春期特有の病を患ってしまったのか。

 少しばかり失礼なことを考えていると、


「伊吹先輩がどうかしたの?」

「ん? 無音、知り合い?」

「知り合いって言うか……」

「威吹、それは流石に」


 二人が呆れたような顔をする。

 ひょっとして有名人なのか? そう問えばひょっとしなくてもそうだと二人が頷く。


「伊吹紅覇。容姿端麗、成績優秀、その上性格も良い完璧超人。

入学当初から際立ってたみたいで……まあ、見ての通りの人気者ね。

私のような人間とは決して相容れない、陽の者よ」


 吐き捨てるような言葉。

 しかし、紅覇は妖怪なのでどちらかと言えば陰の存在ではなかろうか?


「陽の者かはともかく……彼、凄いみたいだよ?

僕もクラスの子から話を聞いただけだから詳しくは知らないけど、

何でも彼、現代で最も大妖怪に近い存在だと目されているとかいないとか」


「大妖怪ぃ……?」


 怪訝そうな表情を浮かべる。

 威吹の目に映る紅覇はとてもそのような男には見えないからだ。


「あら、嫉妬? 自分以外にも大妖怪の器を持つ男が居るから嫉妬してるの?」

「嫉妬じゃないけど……」


 大妖怪を含む高位存在はただ力が強ければ至れるというものではない。

 大妖怪に比肩する力を持つ者は居るし、紅覇も力だけならばいずれはそこに至るだろう。

 だが根本的に必要なものが欠けているように思う。

 まあ、それが何かは威吹自身、よく分かっていないのだが。


「って言うか何で君、そんな嬉しそうなの?」

「威吹がこちら側に堕ちてくれないかなって」


 理由が糞だった。


「まあでも身近に二匹も大妖怪が居る威吹の見解だからね。

実際、先輩には何かが足りないのかもしれない」


「いやでも、伊吹紅覇も威吹と同じで高名な大妖怪の血を継いでるのよ?」

「親が大妖怪だからって子供もそうなるとは限らないんじゃないかな」


 聞き逃せない発言があった。


「……大妖怪の血?」

「ええ、それが誰かは分かってないけどそういう噂も流れてるわ」

「威吹、どうかしたのかい?」


 たらりと汗が頬を伝う。


(酒呑童子に対する子犬のような態度……伊吹って苗字……)


 紅覇のあの態度は単に大妖怪たる酒呑童子を尊敬しているからだと思っていた。

 無論、それもあるのだろう。

 だが、それだけではなかったとしたら?

 バラバラだったピースが一つ、また一つと嵌っていく。

 そしてパズルが出来上がったその時、威吹の胸に去来した感情は――――


(あ、アイツ……アイツ、最低だな……)


 紅覇の不憫さに目頭が熱くなる威吹であった。


(あれ? ちょっと待てよ……もしそうならあの人……)


 威吹の顔が苦いものへと変わっていく。


「ど、どうしたのよ?」

「いや……ちょっとね……親の尻拭いをさせられそうな予感がひしひしと……」


 昨夜聞いた自分を狙っている何者か。

 それもひょっとしたら……いや、恐らくはそうなのだろう。

 妙なところでネタバレを喰らってしまったと威吹は渋い顔をする。


(でもまあ)


 何時仕掛けてくるのか。

 それを日々のささやかな楽しみにするのはそう悪いことではないのかもしれない。

 そう胸を弾ませていると、眼下で女子に囲まれていた紅覇が上を向いた。

 一瞬、ほんの一瞬だが確かに視線が交差した。


「いやはや」


 随分と恨まれているらしい。

 たった一瞬であろうも十分それが分かった。


「ところで、二人とも先輩について詳しいみたいだけど何処でそんな情報を?」

「クラスメイトからだけど?」

「まあ、お前はね」


 犬形態だと随分人懐っこいし、クラスメイトも無音を可愛がっている。

 だからまあ、不思議ではない。

 だが百望は?


「やっぱり魔女のネットワーク的な?」

「いや、私も普通にクラスメイトからだけど」


 そんなはずはない。

 百望が会話出来る同級生なんて自分たちぐらいのはずだから。


「威吹は馬鹿ね。会話をしなくても情報ぐらいは手に入るわよ」


 フフン、と胸を張る百望……もうこの段階で嫌な予感がしていた。


「休み時間に寝たふりしながらクラスの会話に耳を傾けるなんて常識でしょ?」


 そんな悲しい常識は威吹も無音も知らない。


「威吹が居ない時は大体、そうやって情報収集に勤しんでるんだから」


 苦いものが喉奥から込み上げてくる。

 悲しいボッチの性はどうしてこうも心に引っかき傷を作るのか。


「…………威吹、僕もう何か辛いから元に戻って良いかな」

「もうちょっとそのままでお願い。一人だと胸が痛い」


 無音だけ楽になるなんて許せない。

 辛いことも一緒に、それが友達というものだろう?


「……威吹って割と畜生だよね」

「そらまあ、妖怪ですし」

「? 何を男二人で内緒話をしてるのよ。何? 疎外感? 私に疎外感を与えたいの?」

「「滅相も御座いません」」

「ほら! 息ピッタリ! 何よ、肉喰ってる女はお呼びじゃないってこと!?」


 そして始まる面倒な被害妄想。

 これを宥めるために威吹と無音は残りの昼休みを丸々費やすことになるのであった。

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