第38話 閑話 女風呂にて


 少女二人が連れ立って風呂場へと赴くと、脱衣所はガランと空いていて、浴場にもほとんど人はいないようだった。


「……」


 コメオさんの指示に従って、とりあえず二人で連れ立ってきたは良いものの、チセはこのギンコという小さな妖狐に全く心を開いていなかった。配信サイトでサムネを良く見るので、何となく存在は知っていたが、特にファンという訳でもない。


 そして何より、コメオさんと近しい間柄、というので、何となく気に食わない存在だった。


 別に、チセとてコメオさんにそういう恋心みたいな感情で接近したわけではなかったが、それでも憧れの人だったし、先ほど思った以上に初心でかわいいところを知ってしまったので、その分だけこの幼女然とした女が気に食わなかったのだ。


 というか、親との関係に口出ししてこないで欲しい、と思っている。反抗期は複雑なのだ。


「さて……せっかく風呂に来たのだし、禍根は湯に流してしまおう。風呂場でまで言い争うのはバカバカしいというものじゃ」


 違うか? ととっくに服を脱いで体の全面だけを手ぬぐいで隠す妖狐が、同意を求めてくる。その様は、寸胴もかくや、というような体型の癖に、何故か色っぽさがあった。チセはさらに気に食わなくて、眉をひそめ「先行ってていいです。私は好きに入ります」と突っぱねた。


「……のう、小娘よ」


 ずい、と妖狐が近寄ってくる。チセは「な、何ですか」とたじろぎながらも強がって返す。


 彼女は、笑顔で言った。


「単刀直入に言うが、コメオに手を出したら殺すぞ?」


「……はい?」


 態度について何か言われるのだとばかり思っていたから、それ以外のことであると気づくのに一秒。そしてその内容が敵意に満ちたものであること気づくのに、チセはさらに一秒を要した。


「え、えっと……」


「コメオはお前に才能を見出し、そしてそれ故に庇護の対象であると認識したようじゃが、それとこれとは全く別の話。コメオは儂のもので、儂はコメオのものじゃ。それをどうこうしようとするならば、儂はお前を全力で排除する」


「……な、何ですか、いきなり……。気持ち悪いこと言わないで下さ」


「周りを見ろ」


「は? ……えっ」


 チセは肌寒い風を感じ、妖狐の言う通り周囲を見渡すと、すでにそこは脱衣所などではなかった。社。神社の境内のような場所で、二人はタオル一枚というひどく心細い姿で立っていた。


「えっ、あっ、えっ?」


「案ずるな。ここは実在の場所ではない、儂の領域じゃ。尻尾が五つに増えてから、自らの領域を作ることが出来るようになった。この広さが一つの地域に至るようになると、九尾、天狐、すなわち稲荷神に並ぶ狐の神にいたるということになる」


「……神、に……?」


「道半ば、という事よ。だが、この程度なら造作もなくなった。さて、では話を戻そうか、小娘」


 妖狐の背後から、野太い尻尾が何本も広がった。それは一本一本が、まるで大樹のように大きくチセを包み込んでしまう。


「コメオはな、四つ前の前世で、儂を守り抜き、その果てに死んでしまった少年であった。亜人黎明期。この世が旧世界から現世界に移行する、社会の動乱期のことじゃ。少年は儂の火の加護を懸命に使い、戦い、そして道半ばで倒れてしまった」


「……」


 先ほど話していた妙な言葉は、こういう事だったんですね、とチセは唇を引き締めた。そして、続く言葉で戦慄する。


「三つ前の前世で、儂とコメオはようやく結ばれた。亜人に対して、社会が安定し始めたころじゃ。慎ましく二人で暮らした。争いなどのない、平穏な日々であった。だが、コメオはどこか寂しげにこの世を去った。それが何故なのか、あの時は分からぬままだった」


「―――も、もしかして」


 チセは、恐ろしい予感に言葉を漏らす。


「二つ前の前世で、コメオは儂の反対を振り切って警官になった。当時の警官は非常に危険な職種でな。裁判などが存在せず、精神魔法での略式の判決をもって逮捕、あるいは処刑するという命のかかった生活じゃった。だが、奴は生き生きとしていたよ。そして、若くして儂は奴を失った」


「……全部、ですか……? 今のコメオさんから、5回の人生、丸々全部あなたが寄り添ったと……」


「一つ前の前世、正真正銘の前世じゃな。奴は現れ始めたダンジョンに、今のような復活手段もなく身を投じた。儂はもちろん止めた。儂とその危険な道のどちらが大事かと問うた。そしてコメオは儂を捨てた。初めてコメオとの関係性が破綻した時じゃったよ。苦しくて、胸が張り裂けるかと思うた」


 結局奴は、生涯独身で大往生じゃ。儂を差し置き、満足して死におった。妖狐は切なげに笑う。


「そして今世。儂はあらかじめ様々な手を打った。死を否定する技術を開発し、一般に流通させ、ダンジョンという『単なる死の危険』に満ちた場所を無力化しない形で政府に保存するように働きかけた。コメオには危険が必要じゃ。危険なしではコメオは幸せになれぬ。しかし、死んでしまうような危険は儂の心の臓が持たぬ。故に儂は、


 チセは、その言葉の重みに、何も言えない。妖狐は、目を細めて続ける。


「分かるか、小娘。儂はな、嫉妬に狂ってお前を殺すなどといっているのではない。冷静に、その程度なら出来てしまうし、そうしない理由がない故に、だけよ。儂は長年生きているのもあって、実のところ金も地位もある。小娘程度をのも、それほど労苦ではないのじゃ」


 チセは、沈黙ののち、言葉を投げかける。


「それはつまり、あなたが深く愛するコメオさんを横取りしようとする邪魔な泥棒猫は、余力で潰せてしまうから、その余力で潰されないように振舞え、という脅しですか?」


 妖狐の顔が陰になって分からなくなる。だが、その瞳だけは、爛々と光をたたえ、鋭くチセを見つめていた。


「伝わっていなかったようじゃな。これはじゃ。親切で、こうすればこうなる、と行動とその結果を教えているにすぎぬ。だから手を引け、などという要求ではない。雷雲の下で高い木の下に居ると雷に打たれかねない、といったような法則を教えているだけよ」


 分かったか? と問われ、チセは僅かな逡巡の後頷いた。脅しではなく、要求でもない。ただ法則めいた予告であるという事への、理解確認に対しての首肯だった。


 妖狐はそれに僅かに口端を持ち上げて、チセを包んでいた尻尾を解いた。周囲が脱衣所に戻る。


「では、女二人で温泉としゃれ込もうではないか。儂は今告げた一線さえ守られるのであれば、他は大目に見る。コメオが育てると言った以上、譲らぬじゃろ。であれば、可能な限り仲良くしておくのか適切というものではないか?」


 けろっと軽やかな笑みを浮かべて、幼い外見の妖狐はチセに笑いかけてきた。チセはそれに、「その、一つ質問をして良いですか……?」と小さく手を挙げる。


「……いいぞ。存分に答えよう」


「あの、まず、現在の世の中って死んだらリスポーンできますよね? 殺すだけでは排除できないんじゃないですか……? あと、コメオさんもそうですけど、死んでも動じない人っていますよね?」


「小娘、それは、手を出すという宣戦布告か?」


 妖狐の雰囲気がまた剣呑になる。チセは素で首を横に振って否定を示し、補足を始める。


「コメオさんがギンコ……さん? の大事な人なのは分かったので、私も好んで横恋慕なんてことは考えません。けど、その、脅しですかって聞いたじゃないですか。つまりその、脅しにするには弱くないですか? このご時世ですよ? って感じたというか」


「……」


「……あの、ギンコさん?」


 妖狐―――ギンコは、張り詰めていた雰囲気を弛緩させ、それから考えるように頬に人差し指を当てた。しばらく沈黙した後で「ようやく分かった。確かにこれは放置すれば不幸になるタイプの才能じゃな」と呟いてから、チセの手を取ってくる。


「えっ、あっ、あの、ギンコさん?」


「よい。気にするな。ひとまず、共に湯で温まろう。話はそれからよ」


「あ、は、はい……」


 言われて、二人揃って大浴場に入った。それからたっぷり小一時間、二人は姦しく話に興じ、お互いへの理解を深めるのだった。

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