グリム童話集①

 西洋人の一人娘が煙のように消えたことは、洋の東西を問わず横浜中の話題になった。

 すぐに警察の捜査がはじまると、巷では攘夷派の残党の仕業ではないかと噂された。

 心配した娘の両親がエクソシストにも依頼すると、退魔ではないと難色を示しつつ引き受けた。

 娘はおろかエクソシストも姿を消して、未だに見つかっていない。


 コンコとリュウも依頼を受けて、ふたりが消えた娘の部屋へとやって来た。机も椅子もベッドも小さく、娘がまだ幼いことがよくわかる。

「ここは2階の突き当りで、扉はひとつだ。窓は子供には高く、大人には狭すぎる。本当に煙のように消えたのだな」

 壁には家族で撮った写真があった。確かに幼い娘が写っている。

 白と黒と陰影だけで、何となく色がわかるのが不思議だ。この娘は金髪碧眼で、着ているドレスは桃色だろう。まるで人形のようである。


 その隣では、本が開いてあった。

 西洋文字の文章なので、何がなんだかわからなそうだが、緻密な挿絵を見ているうちに、おとぎ話だと気付かされた。

 日本の錦絵とは違い、引っかき傷のような線をいくつも重ねて陰影をつけ、色彩があるように見せている。

 例えば、この木の実は丸くて赤い。

 あれ? なんだ、色が塗ってあるじゃないか。

 コンコはその実を手に取った。

「……あれ?」

 辺りを見回すと、挿絵の世界の中だった。

 ぽつんと木が生える草原のど真ん中で、ひとりぼっち。

 コンコは絶叫せずにはいられなかった。


 大草原のどこを見ても、リュウはおろか人影すらもない。仕方なく、遠くに見える石壁に囲まれた街を目指していった。

 門をくぐると居留地のような街並みで、誰も彼もが洋装である。人も馬車もせわしなく往来する石壁の街は、活力がぐらぐら煮える鍋のようだ。


 急に肩を掴まれたので、振り返ると顔を歪めて「うげっ」と言った。

 警部と士官が仁王立ちして怒っていたのだ。

 ふたりともドレス姿である。

「遅いじゃないのよ! コンデレラ!」

「支度を手伝うように言ったでしょう!?」

 妙な名前と裏返った声に困惑していると、春風楼の主人がやって来た。やはりドレス姿である。

「こんな愚図は放っておきなさい。王子様の花嫁探し舞踏会に遅れるわよ」

 ツンとすましてツカツカ立ち去る3人を見て、コンコは益々混乱した。とりあえず春風楼の主人は似合っている。


 呆然と立ち尽くしていると、白いたっぷりした服を着た巫女がやって来た。

「おお、可哀想なコンデレラ。私が魔法を掛けてあげましょう」

 巫女が御幣を振って呪文を唱えると、蛍のような光が舞って服は空色のドレスになった。

「わぁ! 可愛い!」

「12時には消える魔法よ、時計の鐘の音には気をつけて。さぁ、これに乗って王子様の舞踏会に行ってらっしゃい」

「お嬢ちゃん、お城までお連れしやすぜ!!」

 お迎えは馬車ではなく、人力車だった。席には朧車が乗っており、あんぐりと口を開けていた。ぬらぬらした舌に座れ、ということらしい。

「……いや、僕は歩いて行くよ」


 すると突然景色は真っ暗闇となり、本をめくる音を聞きながら下へ下へと落ちていった。


 パラパラパラパラパラ……。


 ドスン!!


 尻餅をついて「痛た……」と腰をさすっていると、極彩色のドレスに変わったことに気付いた。

 辺りを見回すと、深い森の中である。

 森の奥から楽しそうな歌声が聞こえ、そのうち水虎、たぬお、狐火、化け狸、かまいたち、犬神のきょうだいが仲良く列を成してやって来た。

 水虎がキリリと尋ねてきた。

「稲雪姫、こんなところで何をやっている」

「さぁ……何だろうね」

 たぬおがデレデレしながら手を引いた。

「稲雪姫さん、私たちのお家で遊びましょうぅ」

 狐火とかまいたちにチラリと目をやったコンコは、不安そうな顔をした。

「あやかしが一緒なのは、ちょっと……」


「稲雪姫が困っているじゃないのよ! シッ! シッ!」

 困っているところへ、黒い服に身を包んだ百合が来て、水虎たちを追いやった。何故か助かった気がしない。

 百合は木の実を籠から取って、コンコにスッと差し出した。

「私の可愛い稲雪姫、この林檎をお食べなさい」

 口角を吊り上げ不敵な笑みを浮かべる百合に、コンコは引きつった笑顔を返した。

「僕、お腹いっぱいなんだ……」

 再び周囲が暗転し、コンコは奈落の底へと落ちていった。


 パラパラパラパラパラ……。


 バフッ!!


 尻餅をつくかと思ったが、落ちたのはふかふかのベッドの上だった。丸太を組んだ小さな家で、窓の外には木立しか見えない。

 扉が開くと、探している娘が赤い頭巾を被って入ってきた。

「はじめまして。私、アンヌよ。宜しくね」

 娘がいた! 言葉が通じている!

 目を丸くするコンコを無視し、アンヌがベッドに腰掛けた。

「おコンさん、どうしてお耳が大きいの?」

「えっ? だって、この方がよく聞こえるよ」

「おコンさん、どうして尻尾が生えているの?」

「尻尾がないと、真っ直ぐ歩けないよ」

「おコンさん、どうして男でも女でもないの?」

「大きなお世話だー!!」

 コンコが叫ぶと壁の丸太が下から1本ずつ落ちていき、ついに床も窓もベッドも、コンコもアンヌも一緒になって、闇の中へと落ちていった。


 パラパラパラパラパラ……。


 ドスン!!


 今度こそ尻餅をついた。アンヌの方はストンと華麗に降り立った。

「慣れているんだね、痛た……」

「楽しくて何周もしたわ!」

 歯を食いしばって尻をさするコンコに、スッと手が差し伸べられた。

「お嬢様、お怪我はありませんか?」

 見上げると洋装のリュウがいた。今までに見たことがない、そして金輪際見ることがないだろう爽やかな微笑みをたたえていた。

 輝く笑顔から目を逸らし、リュウに手を引かれて立ち上がると、リュウのエスコートでダンスがはじまった。

「あれはコンデレラ! キィィィィィ!!」

 悔しそうにハンカチを咥える警部、士官、春風楼主人の声だ。もちろん3人ともドレスである。

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