延遼館①

 陸蒸気の三等車で浮かない顔をするリュウを、コンコが横目で心配そうに見つめていた。


「今、朝鮮は難しいときだ。ツテはあるが、首を縦に振るかはわからない。まぁ、とにかく聞いてみるよ」

 困り顔の高島に封じたプルガサリを託すと、次の仕事が相談された。

「それで申し訳ないが、次の仕事は東京なのだ」

「…東…京…」

「浜離宮の延遼館だ。政府が西洋の要人を迎える接待所なのだが、婦人が倒れる事態が起きているそうだ」


 不平士族から西洋人を守る迎賓館で、新政府のために働くのだ。

 元彰義隊士には避けたい仕事だろう、コンコは断ろうと口を開いた。

 リュウは、それより先に期待を裏切った。


 新橋停車場に降り立ったリュウは、東京の景色を眺めるだけで一歩も動こうとしなかった。

 明治8年、元隊士・小川興郷おきさとの願いによって彰義隊士の墓が上野の山に建立されたが、風当たりはまだまだ強い。

「リュウ。まだ早いけど、行きたいところはないの?」

「そうだなぁ。コンコは、あんパン食べたくないか? 木村屋という店だ、評判だぞ?」

 小さく頷くコンコの頭を、リュウがそっと撫でて微笑んだ。

 かつての仲間を墓前で弔える日が早く来ればと願いつつ、ふたり並んで銀座へ向かった。


 浜離宮は甲府徳川家下屋敷、将軍家別邸を経て幕末には幕府海軍伝習屯所になった。榎本武揚たけあきが五稜郭を目指した船は、幕府海軍の船だった。

 上野の山から逃げ切れたなら、リュウもその船に乗っていたのかも知れない。


 明治政府が樹立すると、ここにあった寺社風で木骨石造の建物を改装して明治2年、外国人接待所として使用することとなった。

 これが延遼館である。

 かの有名な鹿鳴館は、建設開始が明治13年で完成するのは明治16年。今は明治9年だから、影も形もない。


 リュウはタキシード。身体にまとわりつく洋装に慣れない上、刀を背中に忍ばせているので身動きが取りづらく、眉をひそめている。

 コンコは赤いドレスを身にまとう。可愛らしい服を着れて、嬉しそうである。

「参りましょう、お嬢様」

「いざ参らん、延遼館へ!!」

 コンコがビシッと指を差したので、リュウは顔を歪めてそっと耳打ちをした。

「コンコ、言葉遣いが変だ。真面目にやれ」

「リュウこそ、僕をお嬢様なんて言うから……」


 今回はコンコが高島の令嬢で、リュウが従者という設定なのだ。小屋のような家に住むふたりにとって雲の上のような世界なので、振る舞い方がわからず調子が狂ってしまう。

 また、いつかのように上野で見たと言われてはたまらないが、妙な視線は感じない。洋装で誤魔化せているのか、前線にはいなかったのか、そのどちらかだろう。


 令嬢コンコと従者リュウが緊張をわずかに解くと、贅を尽くして着飾った日本人の夫婦がやって来た。

「どちらのお嬢様かしら?」

「横浜から参りました、高島コンコお嬢様です」

「紺子ちゃんと仰るの。可愛いわねぇ、おいくつなの?」

「僕!? さんびゃ…むぐ」

「お嬢様、ご冗談が過ぎますよ」

 コンコは嘘が言えないのかと、リュウは苦笑いするばかりである。


 晩餐会の席で西洋人が「東京の夜空は美しい」と言ったらしく、月明かりの下で舞踏会が催されることになった。

 聞いたことのない西洋の音楽が演奏されると、西洋人の男女が互いの手の平を合わせて踊りはじめた。

 日本人も続くが、見様見真似の手本である。

 背筋が伸びて手足が長い西洋人の踊りを、猫背ガニ股で手足が短い日本人がやったところで格好がつかない。

 そんな様子を西洋人はチラチラと見て、扇子の下でクスクスと笑っている。


 真似事ばかりの日本人も情けないが、嘲笑する西洋人は許せないと、リュウは怒りに震えるのをこらえて奥歯を噛み締めた。

「西洋人め、馬鹿にしおって」

 するとコンコがリュウの手を取った。

「リュウ、僕と踊って見返そうよ」

 そのままふたりは舞踏会の中央に飛び出すと、楽団は驚きのあまり演奏を中断してしまった。


 月下で向き合う令嬢と従者に注目が集まった。

「コンコ、俺は踊りを知らないぞ」

「大丈夫、僕に合わせて」

 するとコンコは扇子を広げて膝を折った。

 音楽が奏でられると立ち上がり、リュウの手を取り高く掲げ、その場で回りはじめたのだ。

 パッと手を離すと、名残惜しそうに手を伸ばし足を滑らせ、リュウの胸へと帰ってくる。


 これは巫女舞だ!


 つないだ手の向きで、次はどう動くのかリュウに指示がなされる。ただそれだけで動けるのは、互いの信頼関係がなせる技であった。

 次第にリュウから動けるようになると、コンコは笑顔を見せて踊り続けた。

 演奏と舞が同時に終わると、ふたりに拍手の嵐が降り注いだ。

「なぁんだ、踊れるじゃない」

「面目躍如を果たせたな」


 ひとりの老人がふたりの前に歩み出ると、拍手はようやく鳴り止んだ。

「素晴らしい踊りでした、同じ日本人として感謝します。そこで、お嬢様に贈り物をしたいのですが……」

 それは小さな赤い靴だった。

「わぁ! 可愛い〜!」

と、コンコはひと目で気に入って、さっそく足に合わせてみた。

「凄い! あつらえたようにピッタリだ!」

「運命でございましょうか、それとも靴がお嬢様を選んだのか。これは不思議な靴でして、足ではなく人を選ぶのです」


 老人の妙な発言を聞いて、リュウの眉がピクリと跳ねた。

 しかし、リュウの手はコンコにさらわれた。

「リュウ! この靴で踊りたい!」

 ブンチャカブンチャカかき鳴らされる音楽に、老人の姿はかき消されていった。

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