20.ジェラシーの花弁 ー祭りのあとー

 キラキラ光るイルミネーションに彩られたパレードフロート。決められたルートを巡りながら、夢のような音楽を奏で、機械仕掛けの人形がダンスを繰り広げている。

 わすれられて捨てられた遊園地の、多分本来の姿を残したアトラクション。

 メリーゴーランドやコーヒーカップでくるくる回って、コースターで屋内をめぐる。

 お姫様のようにエスコートされて、フジコはパレードを見る。

そして、隣には着飾った奈落のネザアスが、騎士のように控えてくれている。

 全てに祝福されているような気分。

 こんな奈落の果てに堕とされてきたのに。まるで夢のように幸せ。

 キラキラの中で眠りにつくと、夢の中まできらきらしている気がした。


 しかし。それなのに。


 不意にフジコは、何もない白い部屋に立っていた。

 お姫様の姿のまま。でも、ここは実験室のような無機質さだった。

(ここ、どこ?)

 怖いところに紛れ込んでしまったのかもしれない。

 フジコはネザアスの姿を探すが、あたりに見当たらない。

「ネザアスさん、どこ?」

 白い部屋を手探りで探すと、白い扉が手に触れる。それを開けると、真っ白な回廊が続いている。

(こわい)

「ネザアスさん、スワロちゃん、どこ!」

 フジコは、ドレスの裾をあげて廊下を走る。どんどん不安な気持ちが募ってくる。

 と、不意に、向こうで誰かが泣くような声がした。

 啜り泣くような悲しい声。それも、女の声。しかし、聞き覚えがある。

 こんなところで、女の泣き声を聞くのは怖い。けれど、確かめなくてはと足をすすめる。

白い世界では、色のあるものは極端に目立った。

 最初に黒い色が見えて、それから涼やかな水色が見えた。

 黒い色は、背の高い男の服の色だ。

 その視線の先の真っ白な部屋で、淡い水色に桜の模様の裾の長いワンピースを着た少女が座って泣いていた。

「何をしているんだ?」

 声をかけられて少女が顔を上げる。

「なにも」

 少女はそっけなく答える。

「見ているの。お花を」

 彼女の腕の下には、金魚鉢くらいの水槽がある。そのなかで、黒い花がふわふわ揺れていた。水にたゆたうそれは、少しずつ溶けている。

「それ、綺麗だな」

 軍服、黒い軍服だが、上層の上級将校のそれを着た男が、ふと目を細めた。それは彼が美しいものを見た時に、自然と出る仕草だった。

 その男は、奈落のネザアスだ。

 そして、涙する少女は、間違いなくヤヨイの魔女だった。あの、人魚姫だ。

 フジコは不安な気持ちになった。そして、もやりと不快な感情が押し寄せるのを感じる。

 これは夢だ。

 しかし、この会話と映像の一部は、おそらくネザアス本人かそばにいたスワロの記憶に基づいている。

 あの彼の表情は、紛れもなく本物だ。

 その風景がちょっと揺らぐ。

「どうして泣いている?」

 ネザアスは尋ねる。

「私は哀しいの」

 答える人魚姫は、少女らしさを残したまま少し大人の気配を見せていた。

「何故?」

「私が人魚姫だから」

 少女は言う。

「あのひとは、私ではない魔女を愛している。私がこんなにも愛しているのに」

「それはかわいそうに」

 ネザアスが同情したように優しい声になる。

「私は消えるしかないの」

「消えるなんかいうなよ。かわいそうに。あんなやつ忘れてしまえ」

 ネザアスが、涙を拭うべくそっと手を伸ばす。

「泣くな。お姫様」

 人魚姫が彼を見て目を瞬かせる。奈落のネザアスが、ほんの少し微笑む。

 フジコにはわかっているのだ。

 ネザアスは、少年にも少女にも優しい。けれど、彼は、おそらく美しいものに対して憧れがあるのだ。

 何故か、わかっているのだ。ネザアスは、きっと、彼女を好きになってしまう。

「泣くな。おれが……」

 あの黒い花を綺麗だな、と言った時と同じ目で美しい人魚姫を見ている。だから、きっと彼は……。

「守ってやるから」

「だめ!」

 フジコは思わず叫んだ。

「だめ! ネザアスさん、ダメ!」

 フジコは必死に叫ぶ。

 あの人魚姫の魔女の能力は、黒物質の破壊だ。あの涙に触れると、黒物質は水槽の中の黒い花のように溶けてしまう。

 黒騎士だって、きっと。

「だめ! 触っちゃダメ!」

 フジコの声はネザアスには届かない。

「それに触ると、ネザアスさんは溶けちゃう!」

 ネザアスの指先が、優しく彼女の目元を拭う。そう見えた瞬間、ネザアスの左手が指先からどろりと溶けた。

 ネザアスが驚愕の表情で左手を見やる。

「ごめんなさい」

 人魚姫が泣きながら謝る。

「ごめんなさい。あなたのこと、好きだったわ。でも、あなたに死んでもらわなければ、あの人は私を愛してくれないの」

 ネザアスは驚いたまま、体が真っ黒に変化していく。そして、そのまま服を残して、液体のように弾けて溶けていった。

「あなたのこと、好きだったわ」

 残されたものは、あの黒い花に似ている。



 はっと目が覚めると、キラキラしたシャンデリアで飾られた低い天井が見えていた。

窓には目隠しのカーテンが貼られ、外の光を遮っている。

 ここは、メリーゴーランドの馬車の中だ。ふかふかの椅子の上で眠っていたらしく、上からは毛布がかけてある。

「あれ?」

 そういえば、はしゃいで乗り物に乗って、パレードを見ていて。

 それでふわっと眠くなった。

 しょうがねえな。

 そんな風なネザアスの声が聞こえて、彼に抱き抱えられてここで寝かしつけられたのだと思う。

「おやすみ。ウィステリア。良い夢を」

 奈落のネザアスの声が、まだ残っている。

 だというのに彼の姿がない。

 カーテンを開くと、イルミネーションなどの電源が落とされて、屋内はしんとしていた。

 祭りが終わった後みたいに、急に寂しい空気になり、夢の世界は魔法が解けたように現実の廃墟に戻されている。

 正確な時間がわからないが、おそらく、まだ夜の時間。

 馬車の外に出ると、そこはしんとしていた。てっきりその辺で毛布をかぶって寝ているのだと思った奈落のネザアスは、あたりに気配もさせていない。スワロすらいないのだ。

「ネザアスさん、どこにいっちゃったんだろう」

 さっきの夢が気になって、フジコは不安になる。

 フジコは暗い屋内を見回るが、ネザアスがいる気配がない。

「外、かな?」

 フジコは先ほどの夢を思い出すと急に不安になって、衝動的に外に出た。

 真っ暗な外には、星が煌めくばかり。壊れた建物が雑然と並んで、不安な心が大きくなる。

「ネザアスさん……、どこだろう」

 そろそろと歩き回りながら、彼の気配を探る。と、不意に目の前に黒い気配があった。

「ネザアスさ……」

 と声をかけかけて、フジコは立ち止まる。

 黒い気配。しかし、それは友好的なそれではない。黒く、重たい、悪意のあるもの。異形の姿は泥の獣だ。

(あ、これ、あたし……食べられちゃう)

 ぐぱあ、と獣の頭が花のように弾けてひらき、呆然とするフジコを食べようと襲い掛かる。

 その時後ろから声が聞こえた。

「ウィステリア! 伏せろ!」

 我にかえり、声に従ってフジコが頭を下げると、その上を飛び越えるようにしてネザアスの剣が光った。

 泥の獣の悲鳴と共に、その泥やチリが飛び交う。

「大丈夫か!」

 まだ軍服姿のネザアスが、片マントを翻しながらとどめを刺す。泥の獣は形を保てなくなり溶けていった。

「はー、さ、流石に焦ったぜ」

 ため息をついたネザアスの言葉に、ぴぴー、とスワロが同意する。

「大丈夫みたいだな」

 へたり込んでいるフジコに、剣を収めたネザアスが手をかして引き起こす。

「ウィス、迂闊に外に出たらダメだろ」

 ネザアスがやや叱るような口調でいった。

「おれが守れたからよかったが。おれは確かにお前を守ってやるけど、危ないこともあるんだから、夜は気をつけろよ?」

 守る。そう言われて、不意にフジコにもんやりした感情が宿る。

「ネザアスさんは、誰にでも守るって言うんだ!」

 礼を言うより先にそんな言葉が飛び出た。

「ど、どうした?」

 ネザアスが驚いて、目を瞬かせる。

「なんでもない」

「な、なんでもないって? お、お前、おかしいぜ? なあ、何が?」

 ネザアスは、スワロに意見を聞くようなそぶりを見せるが、どうも有効な解答が得られないらしい。気まずい。

「あ、あの、おれ、その辺。まだなんかいるかもしれねえから、外で、警戒してるから」

 沈黙に耐えかねて、動揺しつつ、ネザアスがそう言う。

「あの馬車の中で、おとなしく寝てろよ? な?」

 そういうと、ネザアスはそろそろと向こうの建物のほうに向かっていった。

 フジコはしばらくそこに立ち尽くして、睨むように彼を見ていた。



 夜の空気が冷え冷えと染みる。

 とぼとぼとネザアスのあとを追いかけて、フジコは壊れた建物のテラスに座っていたネザアスを見つけた。彼はあくびをしつつ、夜の空を見上げている。

 フジコは、すこし迷ってから声をかけた。

「あのね、ネザアスさん」

「ん?」

 きょとんとしてネザアスは振り返る。

「あれ、お前、まだ戻ってなかったのか?」

「ごめんなさい」

「何で謝る?」

「助けてもらって嬉しかったし、お礼言いたかったのに。なんであたし、あんな態度とったんだろ」

 ごめんなさい、ともう一度謝ると、ネザアスはふとふふんと笑った。

「何もそこまで謝るようなことしてねえだろ。ほら、そんなとこいないで、ここ座れ」

 勧められるまま隣に座る。

「ほら、寒いだろ。風邪ひくぜ」

 そう言ってネザアスが、自分の右側のマントを肩にかけてくれる。

「流石に夜は冷えるよな」

「うん」

「でも、星が綺麗だぜ。おれは自分がこうだから、綺麗なものが好きだ。綺麗なものっていいよな」

(知ってる)

 フジコは少し胸が痛い。

「あたし、今日すごく楽しかったのに、なんでだろう。なんで、こんなにイライラしたり、悲しかったりするんだろ」

 ぼんやりフジコがつぶやく。

「反動かな」

「はんどう?」

「ん。急に楽しいことしたからな。目一杯楽しかったから、疲れちまったのかも」

「そうかな」

「そうさ」

 ふとネザアスは言った。

「奈落に慣れてきたとはいえ、ここって普通の人間にとって、本当はそんないい場所じゃねえからさ。慣れてきて、逆にこころが追いつかなくなることってあるんじゃねえかな」

「そうかな」

「ああ。だって、そうだろう。お前、本当はこんな場所に来るような娘じゃねえんだから」

 ネザアスはちょっと寂しげな顔をする。

「おれはこういう奴だから、こんなとこの番人しててもいいけど、お前は本当はちゃんとしたとこのお嬢さんだろ。魔女にされなきゃ、こんなところで命のやり取りしなくてよかった」

「ううん。あたし、ちゃんとしたとこのお嬢さんじゃない」

 フジコは言った。

「あたしの、元になったひと、フジコ01はとても悪い女の人だったの。外見だけは綺麗だけど、アバズレだって、そんなふうに施設の人たち言ってた。歌がうまくて魔女の素質はあったけど、施設の男の人を何人もたぶらかした後、その一人と脱走したの。その後どうなったかわからない。殺されたのかもしれない。だから、お前も大人になるとアバズレになるんだって、あたし言われてた。外見は綺麗になれるかもしれないけど、悪い女になるんだって。あたし、そんなふうになりたくないって思った」

 フジコは袖をぎゅっと握る。

「それで、アバズレになるんだったら、魔女に向かないって、パパとママのところに預けられた。あの二人は、とてもお上品で、良い影響があるかもって。それでかわからないけれど、結局、適性があるって言われて、もう一度引き戻されたの」

 でも、とフジコは目を伏せる。

「あたし、やっぱり、あのひととおなじなの。だから、きっと、ネザアスさんが水槽の花を綺麗だって褒めてたからって、あの子に妬けちゃったんだ」

「あの子って? ああ、もしかして、奈落に来たことのある、あのヤヨイの娘か?」

「うん」

 フジコは目を伏せる。

「ネザアスさんが、あの子のこと褒めてたの、夢で見ちゃったから」

 ふふっとネザアスは笑う。

「そりゃ、あの娘は綺麗な娘だとは思うし、何となく不憫だと思うけどな。それにあの娘の作る花も綺麗だ。それに、おれはな、多分ああいう娘に対して庇護欲が掻き立てられるように作られてはいる。実際、可愛いとは思うよ。おれは恋愛感情とかうまく働かねえんで、わからないが、もしかしたらああいう娘が成長したのが、タイプとかいうやつかもな」

 ネザアスは素直に認める。

「お前は流石に鋭いなあ。有能な魔女の証拠だよ。だが、おれ、そんなに長いことあの娘といたわけじゃねえし、それにおれは、その……」

 ネザアスはほおに手を当てたまま、困ったように苦笑する。

「なあ、ウィス。信用ねえと思うけど、おれ、誰かれにでも守るとかいってるわけじゃねえんだぞ」

 ネザアスは言った。

「大体おれ、一応、上層の騎士だからな。守るって言ったが最後、それなりの機能が働く。誰にでも軽々しく言わねえよ。それに、お前だって、ちゃんとしたレディだろ? あの娘に引けを取ったりしない。アバズレなんかじゃねえよ」

 フジコが目を向けると、ネザアスはちょっと体を傾けて左手でフジコの頭を軽く撫でる。

「おれ、前も言ったけど、決められた既定路線守るとかって好きじゃねえんだよな。元があるとかないとか、別に気にしなくて良いだろ。お前はお前なんだし、なりたい大人になれば良い話だ」

「うん」

「お前は、おれからみても、可愛いお上品な淑女レディだよ」

「うん」

 フジコは目を潤ませて、思わずぎゅっとネザアスの右袖を掴む。

「おれに言われてもって感じかもしれねえが、自信持てよ。な?」

「ありがとう。……ネザアスさんは、強いんだね」

 しみじみとフジコがいうと、ネザアスは笑う。

「そりゃ強いぜ。おれは強くなきゃ意味がねえからな。でも、ま、おれの元になったやつは、きっと遊びの部分が多いやつなんだ。強ければあとは、なんでも許されそうだしさー。ドレイクと違って、それに救われてるかもな」

 ふとネザアスがあくびをした

「さて、屋内に戻って二度寝しようぜ。やっぱり、お前の声を聞くとちゃんと眠くなる。別に昼に寝てたから、たいして困ってなかったが、夜に寝られるって良いことだぜ」

「うん」

 フジコはそう答えて、立ち上がる。

 秋の夜は長い。まだもう少し朝までありそうだ。

 今度は、楽しい夢の続きを見よう。

 そうささやくように、スワロがそっと肩に乗って、ぴ、と鳴く。

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