track.25 狼をさがす少女

 彼女は確かに“フェンリル”と言った。

 僕はこの異国の美少女の無邪気な囁きに、ゾゾゾっと背中に悪寒が走ったのだ。



 「あはは……それってブリティッシュ・ジョーク? フェンリルって北欧神話に出てくる狼か何かだっけ?」



 僕は全力ではぐらかそうとした。直感として、霧島のことを言ってるのかと思ったからだ。

 何故ノエルが霧島の正体のことを知ってるんだ? いや、臭いとか言ってるぞ? 彼女も普通の人間じゃないとでも言うのか?

 本当に可愛い女の子には要注意だ。ノエルは天真爛漫な微笑みを浮かべながら詰寄って来る。



 「うふふ……そうよ、私、フェンリルをさがしに日本に来たの。アズマ、何か知ってるんでしょ?」

 「残念だけど、日本狼ってのは絶滅してるんだ。日本に狼なんていないと思うよ……」



 僕が惚けると、ノエルは更に訝しみながら僕の顔を覗き込んだ。



 「ふーん、そうかー。……まあ、今はそれでいいわ。さあ、一緒に帰りましょ!」

 「ああ……うん」



 これは上手く誤魔化せたのか? わからない。とにかくこのことを早く霧島に伝えないと、面倒な事になりそうだ。

 だがしかし、霧島は携帯を持っていなかった……。



 「えーと、ノエルの家はどの辺にあるのかな?」

 「すぐ近くにマンションを借りているの。よかったら、アフタヌーンティーでもしてく? いい茶葉があるのよ」

 「え……ええ?」

 「うふふ……ジョークよ。アズマって反応が素直で面白いのね。そういうところ好きよ」



 この人を手玉に取るような感じは、何だか毘奈に似ていた。しかもあいつみたいに、だいぶ勘も良さそうだ。

 しかし、改めて見ると、とんでもなく綺麗な子だよな。まるで、絵本に出てくる妖精みたいだ。

 僕はうっかり口を滑らせないよう注意しながらも、ついつい彼女の顔をチラ見してしまう。



 「なーに、アズマ? 君も私のことが気になるの?」



 僕は唇を震わせながら、全力で首を横に振って否定して見せた。

 何だこれ? これが世に言うハニートラップってやつなのか? 僕は色々な意味で心臓ばくばくだった。



 「アズマ、なんか裏から変な声がしてくるよ……」



 調度そんな時だった。住宅街の路地裏から、あまり穏やかじゃない女の声が聴こえてきたのにノエルが気付いたんだ。



 「あんたさ、皇海に行ったからって、調子に乗ってるんじゃないの?」

 「あたしらが声かけてやったのに、無視するとか、ずいぶん偉くなったじゃん」

 「中学んときさ、真面に喋れないあんたのこと、散々面倒見てあげたじゃーん」

 「わ……わた……し……は!」



 路地裏を覗いてみると、何やら近くのギャル高のケバい女子三人組が、うちの学園の子に因縁をつけているようだ。

 そして、このブツ切れ調子で喋る、通訳が必要じゃないかと思えるくらいコミュ症でおさげの女の子は、もうあいつしかいなかった。



 「私は……もう、中学の頃の……私じゃないんです!!」



 赤石 光は、明らかに彼女の事をせせら笑う悪辣な女子たちに、彼女なりのノーを突き付けていた。

 霧島が変わっていくように、赤石だって自分を変えようと必死に戦っているってことだ。



 「ああ? あんた何イキってんの? 光のくせに」

 「やっぱ、皇海行ったからって、あたしらのこと下に見てんだよ」

 「そうだよね、マジムカツク。こいつやっちゃう?」



 しかし、いくら赤石一人が頑張ったところで、多勢に無勢。元いじめられっ子にできることなんて限界がある。

 いよいよ実力行使にでようとするケバ女三人組に、赤石は震えながらも、決して卑屈な態度は取らなかった。

 僕は柄にもなく赤石の頑張りに心打たれたのか、彼女のもとに向かって歩き出していた。まあ、他人じゃないし、無視するわけにもいかないからね。



 「おーい! 赤石、何やってんの? 知合いか?」

 「な……那木……さん!?」



 おそらく、あまり期待していなかった間抜け面の僕の登場に、赤石は何とも言えない表情を浮かべた。

 対するケバ女さんたちは、僕なんかには全く動じていない様子だ。



 「あーん? 何このモブ男子、光の知り合いなの?」

 「あんたさー、あたしらに手を出すとね、あとで酷い目に遭うよ!」

 「何しろ、あたしらは五竜高と繋がってんだからさ」



 何やら挑発的なケバ女さんたち。はったりかどうかは分からんが、また五竜高なんかとは絡みたくはないものだ。

 仕方ないから、ここはこっちのはったりで帰ってもらうしかないよね。



 「別に何でもいいけどさ、その子には手を出さない方がいいぜ?」

 「ああ? 一体こいつが何だって言うんだよ!」

 「知らないと思うから、教えてやるよ。その子は霧島 摩利香のダチなんだぜ?」

 「……!?」



 僕がしたり顔をしてその名前を出した途端、ケバ女さんたちは顔を引きつらせてたじろいだ。



 「き……霧島 摩利香って、あの三頭会を潰したっていう……?」

 「あはは……まさか、こいつが霧島 摩利香のダチなわけ……」

 「デタラメに決まってるでしょ!」


 

 まあ、今や霧島 摩利香の名前はビッグネームになり過ぎているからね。簡単には信じてもらえない。

 なんだかんだで、彼女たちの疑念を取り去ったのは、赤石の必死の訴えだったんだ。



 「ちょっと……那木さん! マリちゃんの名前、勝手に出さないで下さい!」


 

 望まずも、赤石のこの発言によって、ケバ女さんたちの顔色は一気に青ざめたんだ。



 「マリちゃん……って、マジで!?」

 「しかも今、那木さんって言ってなかった?」

 「こ……こいつが、あの『皇海の狂犬』!? そんな風には全く見えないのに!」



 僕としては全く本意ではなかったが、ここまで来ればこっちのもんだ。

 ケバ女たちはドミノ倒し式に恐怖を増幅させていく。



 「や……やだなーひかりー、そんな怒んないでよ。冗談だってば!」

 「そ……そうだよ! 久しぶりに会ったから、ちょっと揶揄っただけだよ!」

 「そういうことだからさ……あんたも誤解しないでよね……あははは」



 そんなことを口走りながら、彼女たちは逃げるようにそそくさと去って行った。

 赤石はというと、僕に助けられてしまって複雑な表情を浮かべている。



 「よー、赤石大丈夫だったか?」

 「……あ……ありがとう……ございます……」



 何だか不服そうだが、助けたことには変わりない。

 僕のことをあまりよく思っていない赤石も、これで少しは見直してくれるかも……。



 「ところで那木さん……後ろにいる、そのやたら綺麗な異国の方は一体どなた……ですか?」

 「……あ」



 ノエルのことをすっかり忘れていた。訝しむ赤石に指摘され、僕は慌てて後ろを振り返った。

 するとどうだ? あの絵本に出てくるような妖精が、無邪気に微笑みながら僕の腕を掴んだんだ。



 「ふーん、アズマって強くて優しいのね。ますます気に入っちゃった!」

 「ののの……ノエル!?」

 


 唐突に僕の腕にすがりついた思わせぶりなノエル。赤石の不信感は増すばかりだ。



 「へー、マリちゃんとヒナちゃんだけじゃ飽き足らず、そんな外国の人にまで……那木さんて、随分とお盛んなんですね?」

 「いや、これはだな! 赤石!」



 やたら饒舌になった赤石は、僕に対してまるで大腸菌でも見るみたいな蔑んだ目を向けていた。

 そうなんだ。赤石を助けたのは良かったが、今このシチュエーションって、考えられ得る限り最悪の組み合わせなんじゃないのか?

 僕はこの後、赤石のあらぬ誤解を解くのにだいぶ苦労させられたのだった。

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