track.18 月夜に目覚める獣

 「き……霧島? なんでここに!?」

 「ね……姉さん!」



 突然現れた霧島 摩利香の得体の知れない威圧感に、さっきまで余裕の表情であった三島は眉をひそめる。周囲のヤンキーはそれ以上に動揺を隠せない。



 「てめーが、霧島か? 一体どんなゴリラ女が来るのかと思ってたが、ずいぶんと小さくていい女じゃねーか……の割に、何だ? この違和感は……」

 「み……見た目はちーせーのに、バケモンにでも睨まれてるみてーだ!!」

 「な……なんだ、足が竦む……」

 「気味わりーよ! 吐き気がする……逃げてー」



 そんな三島たちの反応など意に介さず、霧島は高水さんに抱き支えられている僕の元へ歩み寄った。そして、傷ついた僕の頬を優しく撫でながら囁く。



 「様子がおかしいと思って、那木君の匂いを辿って来たけど、まさかこんなことになっていたとはね……」

 「す、すまねー、姉さん! あたしらが姉さんの名前を借りたばかりに!!」

 「違うわ……全ては私のせい、私が自分の立場を弁えず、那木君や天城さんの好意に甘えてしまったからよ。だからいいの……責任は私がとるわ」

 


 霧島は穏やかな表情ではあったが、儚げで遠い目をしていた。

 そうだ、まるで全てが終わったら、僕らの前から消えてなくなってしまうような。



 「霧島……お前は一体?」

 「那木君、あなたに私の正体を明かすのが怖かった……だけど、もういいの、たとえ全てが終わってしまったとしても……あなたと天城さんを守れるのなら!」



 立ち上がって、ヤンキーたちの中心にいる三島 鷹雄を見据えた霧島は、体中からドス黒い……いや、不気味な程濃い紫の瘴気を放ち始める。

 さっきまでとは比べものにならない程のプレッシャーが、五感全てを呑み込み、僕は得体の知れない強大な恐怖に捕らわれていた。

 僕を抱かかえる高水さんも同じだ。手がガタガタと震え、必死に何かを言おうとしていたが、声が出せないのがわかった。

 こんな巨大な威圧感を放つ霧島の姿は、相変わらず小柄な少女のままだ。だけど彼女のその気配は、もはや人外の野獣か何かだった。



 そして、息を呑む程精悍で、恐怖すら覚えてしまう程美しい、少女の姿をした最凶の獣が、僕の目の前で初めて目覚めたんだ。



 「……お前ら、女を人質に取ったんだ……そんな卑劣な輩、もう何されても文句は言えないよな?」



 背中に堪えようのない悪寒が走った。言葉を発したのは、確かに霧島だ。だけどもう、その人格は残酷で猟奇的な何かに変わってしまったようだった。

 その禍々しさに金縛り状態であったヤンキーたちは、いよいよ悲鳴を上げて、そのほとんどが蜘蛛の子を散らすように出入口に殺到しようとした。

 さすがの三島も、その異様さに目に見えるくらい表情を歪ませていたが、何とかその場に留まって面子を保とうとしている。



 「うわぁぁぁぁーー!! 来るなぁぁぁぁ!!!」

 「もういい!! 帰るから!! 帰るから!!」

 「違うんだ!!! 俺は、俺は俺は俺は、命令されただけだ!!」

 「俺も、さささ、最初から反対だったんだよ!!! だから!!!」

 「おめーら! いい加減にしろ! 相手は女一人だ!!」



 フロア全体がカオスとなっていた。一旦出入口に向かったヤンキーたちは、向かう方向に立つ霧島の前で立ち止まり、恐怖のあまり高さも顧みずに二階の窓を割って飛び降り始めたんだ。

 その姿をしばらく見つめていた霧島は、ヤンキーたちの姿をせせら笑うように見つめ、ついに動き出したんだ。



 「あんまり逃げてくれるなよ! これは女を人質に取るようなクズ野郎どもへの天誅なんだからな!!」



 霧島は逃げ惑うヤンキーたちの集団の中へと、目にも止まらぬ速さで、そして人間離れした跳躍力で突っ込んで行く。



 「キャハハハハハ……さっさとくたばれよ! フ〇ッキン〇〇コ野郎ども!!!」


 

 霧島が跳び込んだヤンキーの集団の中からは、屈強な男たちの恐怖の悲鳴、耳を塞ぎたくなるような鈍い殴打の音、そして目を逸らしたくなるほどの鮮血が舞った。

 喧嘩? 暴力? もうこれはそんな生易しいものではない。まるでスズメバチがミツバチの巣でも襲うような、一方的蹂躙だったのだ。

 すっかり人が変わってしまった霧島は、その猟奇的な行為を楽しんでいるようですらあった。

 


 「霧島……嘘だろ?」



 ああ、今ならよく分かるよ。霧島のこの姿を見てしまった奴が、或る者は口をつぐみ、或る者は廃人のようになってしまうってことにね。霧島 摩利香という少女の片鱗くらいは知ったと思っていた僕でさえ、こんなにも恐怖を感じたのだから。

 僕と高水さんは、その場から動くことすらもできず、その凄惨な光景を呆然と見つめていた。

 そう、目の前でその凶行が起こる前までは……。



 「ふ、ふざけやがってバケモンが!!! 舐めてんじゃねーぞ!!!!」



 追い込まれた三島が及んだ最悪の凶行だった。逃げ惑うヤンキーたちに嬉々として制裁を加える霧島の背後へ、三島はポケットから取り出したナイフを突き刺したんだ。

 あれだけ縦横無尽に動き回っていた霧島の動きが止まり、突き刺された下腹部から血しぶきが吹いた。僕と高水さんはカナギリ声を上げる。



 「き、霧島ぁぁぁーー!!!」

 「姉さぁぁぁーん!!! 三島ぁぁ!! てめー何てことを!!!?」

 「は……ははは、て……てめーが悪いんだ!! この俺を……散々コケにしたんだからな!!!」



 正気に戻ったのか、自分の仕出かした凶行に震える三島は、恐れ慄くように後ずさりして床へへたり込んだ。

 僕らは重傷を負ったはずの霧島を危ぶんだが、どうも様子がおかしい。

 刃物で刺されて多量の出血をしている霧島は、暫くその場に立ち尽くし、溜息を吐きながら振返り言ったんだ。



 「馬鹿な男だ……大人しくやられていれば、命までは取らなかったものを……もうどうなっても知らないからな」



 霧島がそう呟くと、彼女の体から再びあの濃い紫の瘴気が溢れ出し、彼女の姿すら覆い隠していく。紫の瘴気はやがて形を変え、手や足、耳や鼻、それを包む毛皮となって生き物の姿をなした。

 僕はこの時ようやく全てを理解したような気がした。霧島の生まれた地方で伝承されていた大口様とは、おそらく正式には『大口真神』……日本各地で古来より信仰され、その姿は馬みたいに巨大な……。



 「お……狼!?」


 

 そうだ、霧島の本当の正体とは、精悍な毛並み、鋭い牙と爪、そして澄んだ美しい瞳を持つ、古の日本において食物連鎖の頂点。熊をも狩る最強の肉食獣……日本狼の化身だったんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る