第5話 春に焦がれて⑤
夕日が沈みかける、下校時間の迫った保健室。
机にかじりつきながら、悶々とした気持ちを事務作業に没頭して紛らせる。
七月君のあの表情を見てから、やってしまった……という後悔の念がずっと心に残り続けていた。
脳裏に蘇る、自分の口から出た言葉達。
もっとこう……気の利いた言葉を掛けてあげる事は出来なかったのだろうか。
七月君、少しも笑ってなかったよ……ハハハ……
やっぱり思春期の子供は難しいなと、この仕事の大変さを再認識すると同時に、自分の未熟さを痛感して、少し落ち込んでしまっていた。
私ではない他の誰かであれば、もっと七月君の気持ちに寄り添ってあげられたのかもしれない。
そう思うと、自分が無力に思えて仕方なかった。
あぁもぅ……私って本当……
そう、自分を卑下していると、不意に保健室のドアが開いた。
慌てて椅子から立ち上がり、体を入口の方へと向ける。
そうして入ってきた人物に目を向け、私は唖然とした。
「……あ、あれ、七月君? ど、どうしたの?」
「すいません、手の皮また剥けちゃって……絆創膏とか、テーピングとかってありますか?」
「あ、あぁ……うん、ちょっと待ってね」
そこにいたのは、七月君だった。
先程までの微妙な表情の名残はなく、いつも保健室を訪れる時のような、落ち着いた様子。
どうやら、私が思っていた程、彼は先程のあの言葉を気にしていないみたい。
良かった……と、ほんの少しだけ胸を撫でおろし、救急箱から絆創膏とテーピングを取り出す。
そうして、七月君に向かって、こっちにおいでと手招きをした。
「いや、大丈夫ですよ。自分でできます」
「いいよいいよ、いつもやってあげてるじゃない。おいで」
「はぁ……」
断る七月君を無理やり呼び寄せ、丸椅子に座らせて手当を始める。
嫌われてしまったという不安が解消された反動のせいか、いつにも増して、慣れ慣れしく七月君に絡んでしまう。
いけないいけないと思いつつも、嬉しい気持ちは隠せずにいた。
彼はよく、こうして部活で負ったケガを治療しに保険室に来る。
初めは武道館に常備されているテーピングを使って自分でやっていたみたいなのだけれど、一度、それがなくなって保健室に来た時、あまりに適当にグルグル巻きにされた手を見かねた私が手当をしてあげるようになり、それから、この奇妙な関係性が始まった。
「もぉ、また無茶して。いつも言ってるでしょう? 頑張るのも結構だけど、あんまり無理しすぎるのも良くないって」
「すいません……」
私がそう言うと、七月君は申し訳なさそうに謝った。
この子はいつもそうだ。
どれだけ私が心配しようと、聞く耳を持とうとしない。
いや、厳密に言えば、聞いてはくれているし、そうしようと心がけてくれてはいるのだと思う。
けれど、おそらく、自分の目的や目標と、私との約束を天秤にかけた時、無意識の内に自分の意思を優先させて、自分の体を二の次にしてしまうのだろう。
強く、それでいて大人びた子だ。
固い意志には抗えないのだろう。
心配だけど、それはとても立派な事だと私は思う。
だから、分かっているから、私もついつい甘やかしてしまうのだ。
「まぁ、七月君が誰よりも頑張ってるの知ってるから、あんまり強くは言えないけど……それでも、たまには自分の事も労わってあげるんだよ?」
「……はい」
「うん、わかればよろしい!」
素直で、それでいて偽りのない頷き。
それを見て満足した私は、小言を言うのをやめ、治療を終えた手を優しく叩いた。
すると、七月君がゆっくりと、気まずそうに口を開く。
その表情は、先程私に見せたものと同じで……
「先生」
「なに?」
「今日……その……見てました?」
「え……あー……えっと……」
恐る恐る、と言った様子で七月君が聞いた。
その問いに対し、私は曖昧な態度を取ってしまう。
けれど、今更誤魔化すわけにもいかないだろうと判断した私は、七月君のいる方向に体を向き直り、ゆっくりと目を合わせて言った。
「ごめん、覗くつもりはなかったんだけど、たまたまその場に居合わせちゃって……」
「そうですか……」
気まずそうに眼を伏せる七月君。
そんな彼を見ていたたまれなくなった私は、言い訳をするように謝った。
「ごめんね」
「いや、大丈夫ですよ……」
「そっか……」
言葉とは裏腹に、落ち込んだ様子を見せる七月君に私は何も言えなくなった。
そんなに、自分のプライベートな部分を見られるのが嫌だったのだろうか。
思春期だろうから、気持ちは分かる。
でも、それでも、少しでも仲良しだと思っていた私からしてみれば、その反応は正直ショックだった。
もっとこう……相談的なものを持ちかけてくれてもいいのに……
私って、そんなに頼りない教師なのだろうか。
それとも、信用がないとか?
どちらにせよ、それが事実なら、ちょっと落ち込んじゃうな……
「……でも、七月君ってモテるんだね」
「いや、別にそういうわけじゃ……」
「私、学生時代ずっと女子高だったからそう言うの疎くて……なんか憧れちゃうな、“青春”って感じがして」
「はぁ……」
気まずさに耐えられなくなったのか、はたまた頼られない事に少しだけ腹が立ったのか、私は少しだけ踏み込んだ質問を彼に投げかけた。
すると、彼は困惑気味に反応する。
それが何だか可愛くて、ダメだと分かりつつも、からかうような言葉を続けてしまう。
「それで、どの子と付き合うの?」
「……いや、誰とも付き合いませんよ」
「え、そうなの!?」
彼の返答に、私は思わず声をあげてしまった。
そ、そんなもったいない……
三人ともすごく可愛らしい女の子だったのに、どうして……
そんな野次馬根性甚だしい疑問が、頭の中をグルグルと回る。
もしかして、七月君ってそっち系……
「はい……アイツらには申し訳ないけど……」
「そっかー……まぁでも、七月君がそう言うなら仕方ないね。でもどうして? 三人共あんなに可愛らしいのに……あ、もしかして好きな人がいるとか?」
「……はい」
「えぇ!?」
会話を続けると、またしても意外な返答が却ってきて、年甲斐もなくはしゃいでしまう。
七月君、こんなに不愛想なのに好きな子とかいるんだ!?
や、やっぱり多感な時期なんだね……可愛い。
「そ、そうなんだ……いいね、若いって。え、どんな子なのその子、うちの学校の子?」
「まぁ、その……一応関係者ですね」
「へぇ!」
秘密を共有しているというか、打ち解けられているような気がして舞い上がってしまい、食い気味に言葉を返す。
けれど、七月君の顔は全く笑っていなくて、むしろ強張っていたというか、その表情には緊張感すら漂っていた。
さ、流石にからかい過ぎただろうか……
そんな心配をしていると、突然、七月君が俯き気味だった頭を上げた。
何か覚悟を決めたような表情で、こちらを真剣な眼差しで見つめている。
な、何だろう……と、そう訝しげに様子を窺っていると、ゆっくりと息を吐いて、彼が
言った。
「俺が……好きなのは……」
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