第80話 お母さんと呼ばないで!
【本文】
ウリカたちの帰りを待つエルゼは竈に住む火の精霊と戯れていた。幼体なのでうぱ君と名付けられている。
風呂を沸かす係はだいたいエルゼだ。すっかり仲良くなっている。
アーニーの影響もあるのだろう。
そこにウリカが顔に縦線が入ったような表情で帰宅した。
「ウリカ様? 何事ですか」
「あのね。レクテナさんがやってきた。胸も大きい、すっごい美人だった。あとでみんなとお話する」
「――ッ!」
エルゼも沈黙した。ウリカと同じような表情だ。おそらく二人足しても対抗できないだろうとウリカは考える。それほどに絶望的な胸囲的な戦力差。
モトカノ襲来。彼女たちにとって最大の脅威だった。
居間に全員揃った。
沈黙が重い。
彼らの自宅には、アーニーとウリカとエルゼの三人。そしてロジーネとイリーネとレクテナがいた。
レクテナの姿を初めてみた瞬間、エルゼも瞳から輝きが消えた。ウリカの訴えた危険性を間近に感じたのだ。
想像以上にスタイルが良く、美人であり、しかも才女。
しかも今日からドワーフ姉妹と同様に居候だという。
「本当に久しぶりよね。アーネストちゃん」
柔らかい微笑みを浮かべているレクテナは、置いていかれた怒りのようなものはない。今日から同居であるからだ。
「ああ。久しぶりだ。また逢えて嬉しいよ。こんな辺境まで済まないな」
「いいのよ。別に。ところであなた、10年以上地下迷宮に閉じこもっていたって本当?」
「本当だ」
ウリカはすぐ隣でアーニーの顔を見た。彼女の知っているアーニーは、迷宮の引き籠もり冒険者だ。
学園の知人たちにはきっと信じられないだろう。
「SSRになれたことで出る気になった、と」
「そんなところかな。いきなりソウルランクが上がったら周りもうるさい」
「で。この町の発展ぶり。夕方ちょっと散策したわ。――あなたの、本当の本気」
少々トゲのある言い方。
今まで本気など出したことなかったくせに、と言いたいのだろう。
「おおげさだよ。この町の住人たちによる努力のおかげだ」
「その努力を引き出す知識はどこから来たのかしらね? その本気を出させたきっかけが、ウリカちゃんなのね」
レクテナは少しだけ悔しそうに唇を噛みしめた。
かつての彼女ではできなかったことだ。
「本当に素敵なのよ、ウリカちゃんは!」
イリーネが太鼓判を押す。
「イリーネさん!」
いきなりイリーネに持ち上げられ、顔を真っ赤にするウリカ。
「この町をみればわかる。男を変えるものは女、って奴? 思い知ったよ、僕は。アーネスト君の本気を出させた人物は、間違いなくウリカちゃんだよ」
「私もそう思います」
イリーネの発言をレクテナが肯定した。
「エルゼちゃんも素敵ですよ。定命だからといって逃げ回っていたアーネストさんの懐に見事に入り込んでいます」
ロジーネが羨ましそうに言う。
「え、私ですか」
エルゼが話を振られびっくりした。自分は何もしていない。無理矢理押しかけて一緒に居るだけだ。
「エルゼちゃんにも言っとくね。アーネスト君は亜人嫌いじゃないのよ。この子、本当は亜人に生まれたかったって言ってたぐらいだから」
「ばらすなよ、先生! ってばらすというか昔の話で」
「変わってないわよねー」
底抜けの明るさでにっこり笑うイリーネ。
「少々……予想外です」
エルゼが呆然と言った。これもまたアーニーの知らない面。ウリカも同様だ。
「イリーネとロジーネがウリカちゃんとエルゼちゃんを認める気がわかります」
レクテナが穏やかに微笑んだ。
「ウリカ様はともかく、私なんてとても……!」
エルゼが珍しく慌てふためいて否定した。
「いいや? 距離感でわかるもの。この前も背中から抱きついてぶらさがっていたよね」
「は、はい」
「この子、寿命差気にしすぎて、亜人には冷たいのよ。その割に気遣うからもてるのよね」
「あああ…… わかります」
「あなたは私たちの希望よ。ウリカちゃんがいるにも関わらず、亜人でなおかつ、アーネストちゃんの側にいるあなたが、ね。私たちの居場所もできる可能性高いんだもの」
レクテナはエルゼに笑いかけた。
「一人例外作ったなら、二人三人例外ができてもおかしくないわよね!」
「そうですそうです」
「そんなに例外作らないぞ!」
「説得力なーい!」
慌てるアーニーに、教師陣は笑い合う。
ウリカとエルゼは顔を見合わせている。自分たちがアーニーの側にいることが、これほど肯定的に捉えられていることは、驚嘆すべきことだと思う。
「私たちには手紙すらなかったものね」
「それはすまなかった。あと、突然消えて申し訳ない」
ポーラ同様、さすがに謝るべきだと理解しているアーニー。彼も成長したのだ。
「今回、私では無くイリーネに手紙を出しているところが許せないですけどね」
笑みを浮かべたレクテナの表情が、初めて冷ややかになった。とても怖い。
「そっちか……」
「へっへーん! アーネスト君と僕には深い絆があるからね!」
恨み節のレクテナに、自慢げに胸を張るイリーネ。
「イリーネ様は確かに。アーニー様のお母さん的なものを感じます」
「お、おか……」
エルゼの感想にイリーネが絶句する。
ロジーネとレクテナが笑い出した。
「た、確かにお母さんっぽいよね、イリーネ」
「姉さん面倒見良いですからね」
アーニーの一言で、場の空気が変わる。
「そうかもな」
「え? まじで?」
イリーネ本人が驚いていた。
「あれこれ面倒みてくれたし教わったしね。じいさんに家追い出されて、学園で右も左もわからないわ、馬鹿にされるわの俺を助けてくれた先生はイリーネだから」
「え、あ、いや。素直にそういってくれるとなんか照れくさいというか嬉しいというか…… でも僕も独身だからせめて姉で」
「わかった。姉だな」
アーニーが薄く微笑んだ。優しい表情だ。
「今の笑顔だけでこの町に移住してきた甲斐があったよ」
「姉さん、正直いって八つ裂きにしたいほど羨ましい」
「怖いから! あんたがいうと!」
「私なんて放置されていた上、無理矢理領主宅押しかけて移住権獲得したのに! この差は何?!」
そんななか、ウリカが顔に縦線を浮かべながらうつろな笑みをこぼしている。うつろな視線の先は床だろうか。
「アーニーさんがイリーネさん口説いてる」
ぼそっと言った。
「なんでそうなる」
「姉さんがまさかの一歩リード」
「お、おのれ……」
ロジーネとレクテナはさきほどの笑いはどこにいったのやら、焦り出す。
「悪くないよね。でも! ほら、最初に手紙もらったのも僕だしー?」
イリーネ、意地の悪い笑みを浮かべて余裕がでてくる。
「いきなり姉キャラで出し抜きおったわ! こやつ!」
レクテナが憤慨した。
「まあまあ。レクテナ様もなんか放っておけない姉みたいな雰囲気漂わせているし」
「それはあるな……」
「だったら放置禁止です」
エルゼのフォローに、レクテナは真顔で宣言した。
「でも学園時代アーネストちゃんと一緒にいることが多かった教師はロジーネだったりするのよね」
レクテナが新たな爆弾Bを投下する。
エルゼとウリカがアーニーをぱっと見る。
「アーニーさん、姉さんのしごきからよく抜け出して私の工房にきていたんですよ。お茶一緒に飲んでいただけですが」
「この子工房でもずっと無言なのに、アーネストちゃん自然に溶け込んで二人でお茶飲んでいるのよ? 長年の夫婦みたいな感じで連れ添う雰囲気まで漂わせて」
囁くように、ウリカとエルゼに告げ口するレクテナ。
ふっと微笑むロジーネ。余裕がある。
「どうしようエルゼ。私これ以上ない危機感。やっぱりみんな強敵だ……」
「私もです、ウリカ様」
「それはこっちの台詞!」
五人は笑い合った。
すでに昔からの知古のような意気投合っぷり。女性陣にアーニーは若干怯える。夜はまだ長そうだった。
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