第82話 ただいま 1
八月、お盆の連休。
「ただいま~」
勝手知ったる玄関のドアを開けて声を掛ける。靴を脱いでいるとぱたぱたとお母様が下りてきた。
「お帰り。あんた、駅に着いたら連絡よこしなさいって言ったじゃないの」
「大丈夫だって。荷物もそんなにないし」
懐かしの我が実家である。実に三か月ぶり。
家を出て最初の一か月間、五月の連休まではとても長くて、実家に帰れる日が待ち遠しくてしかたなかったけれど、そこから今日までは逆に凄く速かった。
お仕事も覚えて来て出来ることも増えたけれど、そうなるとどういう理屈なのか更に忙しくなっていったし、お仕事を終えてお部屋に帰ればネオデが待っている。毎日が矢の如しだ。
私のアバターであるコヒナさんはかなり強くなって、色々な場所に行けるようになってきた。ダンジョンでも真中くらいまではいけるし、誰かと一緒ならもっと深くまでも行ける。
ますます面白くなってきて、こうなるとお盆のお休み中もログインしていたいのだが、帰省してきてお部屋にこもってネットゲームと言うわけにもいかない。
なのでノートパソコンは泣く泣くお部屋に置いてきた。
上のお兄ちゃんは今回も赤ちゃんを連れてきていた。
赤ちゃんは前よりも大きくなっていて実家の広いリビングを活発に這い回っている。何かにぶつかるんじゃないかと見ていてひやひやするけれど、お父さんである上のお兄ちゃんもお母さんであるお義姉さんも慣れたものだ。
お母様が大人数分のご飯を作っていて手伝うよと言ったのだけど、「いいからあんたは座ってなさい」と言われた。後で下のお兄ちゃんに聞いたところによると私が動くとお義姉さんが気を遣うかららしい。
お義姉さんは赤ちゃんの事見てなくちゃいけないんだから気にしなくていいのにと思う。というか座ってなさいと言われても非常に手持無沙汰なのだ。
延々と赤ちゃんについての話題探しをするのは大変だし、私がいればお義姉さんはそれこそ気を遣うだろう。仕方なく私は自室にこもることにした。
こんなことならパソコン持ってくるんだったな。
夕方くらいには下のお兄ちゃんも帰ってきた。
お母様が腕によりをかけた豪華なお夕食の時に、下のお兄ちゃんから重大発表があった。
下のお兄ちゃんも結婚するのだと言う。
「へー。おめでとう。どんな人なの?」
お祝いの言葉を言うと下のお兄ちゃんは微妙な表情をした。
ん?
夕食の場にも何やら妙な空気が流れる。
ん? なになに?
「ヒナコお前、俺の時には凄い顔したくせに」
上のお兄ちゃんが苦笑交じりに言う。
えっ。
「そんなことないよ」
やめて欲しい、お姉さんの前で変なこと言うのは。そりゃお兄ちゃんがいなくなっちゃうのは寂しかったけど、ちゃんと我慢したのだ。
「まあまあ兄貴。ヒナコも大人になったんだよ。俺も正直かなり拍子抜けしたけどよ」
「お前、実は少し寂しいんじゃないのか」
お父さんが下のお兄ちゃんにそう言って笑った。
「まあ、ちょっとね。でも今回の帰省の一番の難所を突破してほっとしてるよ」
下のお兄ちゃんの言葉にみんな笑った。お義姉さんも笑っていた。
むう。そんなことないのに。みんなして人を小姑みたいに。
赤ちゃんがぶうう、と言ってお義姉さんは赤ちゃんをあやしだした。
「さてはお前、好きな人でもできたのか?」
下のお兄ちゃんが聞いてきた。何でそういう結論になるのかわからないけど、お父さんもびっくりして
「そうなのか?」
等と言い出した。
家を出る前なら、ここで「いる」なんて言ったら大騒ぎになった所だが、今はいて欲しいのかいて欲しくないのか微妙な所なんじゃないかな。
ちなみにお父さんは知らないことだが、私は男の人とおつきあいしたことがある。
高校生の時に同級生の子と。なんかよくわかんないうちに自然消滅したけど。
残念ながら今は報告できることは何もない。
「いないよ。お仕事忙しいもん」
「休みの日とか何してるんだ」
「ずっと部屋にいるよ。外に出るとお金かかるし」
事実をありのまま答えると、お父さんは困った顔で笑った。
別に私はブラコンと言うわけでもないのだが、うちのお兄ちゃんたちは二人ともかなりかっこいい上に優しいのでなかなかそれ以上となると見つからない。
事実お兄ちゃんたちは大変モテる。
上のお兄ちゃんは何人かの彼女と付き合ったり別れたりしていたのを知っているし、下のお兄ちゃんは私の知る限りではおつきあいはしていなかったと思うけど、何度か告白されて困っていたのを覚えている。
「それより結婚相手って、どんな人?」
報告することのない私よりも結婚すると言う下のお兄ちゃんの話を聞くべきだろう。「ずっと部屋にいる」と私が答えたあたりから会話から抜けて目をそらしていた下のお兄ちゃんに聞いてみる。
私にネオデを教えたのは下のお兄ちゃんなので責任を感じていたのだろう。でもネオデがなくても外には出かけなかったと思うので心配の必要はない。
「どうって……。普通の人だよ」
下のお兄ちゃんからは要領を得ない返事が返ってきた。お兄ちゃんに変な人を好きになられても困るので普通の人なのはいいことなのかもしれないけど、もう少し具体的な情報をくれないものだろうか。
「その人のどこが好きになったの?」
「どこって言われても困るんだが」
そういって下のお兄ちゃんはぽりぽりと頭を搔いた。答えやすいように質問の方を具体的にしたのにそれでも駄目らしい。おいおい。ちゃんとその人の事好きなのかね。
「じゃあ、その人を好きになったのはどんな時?」
「なんだ、コヒナお前今日はずいぶん聞きたがるなあ」
聞きたがっているというか、もっと答えやすくしてあげようと思ってそう聞いて見ただけなんだけど。
興味はあるといえばある。
私は高校生の時に告白されて付き合ってみた時も、その人の事好きなのかどうかよくわからなかった。嫌でなければ付き合ってと言われてそういう物なのかなと思ってOKしてみたのだ。
でも特にその後も何もなかったし、その男の子は数か月後に別の女の子と付き合っていた。私の方もそれを見てもああそうかと思っただけなので、やっぱり好きではなかったのかもしれない。
下のお兄ちゃんは良く女の子に告白されて困っていた。「好きとか言われてもなあ。向こうだって俺のこと知らないはずなんだけど」と言っていたのを覚えている。
何回も告白されても誰ともお付き合いしなかったお兄ちゃんが、その人のことを好きになった瞬間と言うのは気になる。
でも当のお兄ちゃんはまたううん、と唸って腕を組んだ。その仕草、お兄ちゃんにはあまりしてほしくないな。誰かさんを思い出してしまう。
「いつって言われてもなあ。ちょっといいことがあって、誰かに言いたいなってなった時にその子の顔が浮かんでさ。あー、これは好きなのかもしれない、と思ったな」
おお、下のお兄ちゃんらしからぬ発言。「これは好きなのかもしれない」とか恥ずかしい。上のお兄ちゃんなら普通にいいそうだけど。
上のお兄ちゃんはロマンチストなところがあって臭いセリフも平気で吐けるのだ。
その上のお兄ちゃんにも同じことを聞いてみた所、
「俺は何かを本気でやってて誰かの顔が浮かんだ時かな。特定の人にかっこいいとこ見せたいなって思った時な」
と案の定臭いセリフが返って来た。
質問の内容が内容だし、仕方ないのかもしれないけどお姉さんが困ってるのでほどほどにしてあげて欲しい。きっとお義姉さんは上のお兄ちゃんのかっこいい所をいっぱい見せられてきたんだろう。
お母さんがあらあらと笑って、みんな笑った。赤ちゃんがぶーっと言って、またみんな笑った。
夕飯が終わって片づけを手伝おうとしたけれどもまた止められた。お父さん曰く、張り切ってるんだから任せとけば大丈夫とのことだ。
わたしは仕方なくお部屋にこもることにした。
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