第十七話 必殺の代償

 山が動いている。


 アレを見た瞬間、その言葉が頭に浮かんだ。


 周囲を石灰質の白い岩山が囲む中、アレだけが灰色の体毛で覆われた異質な存在だった。


 遠近感を狂わせるほどの巨躯は、アレがどれだけ遠くにいるのか推し量ることを難しくする。


 鋭い鉤爪かぎづめを持つ四肢の動きは緩慢だが、地を這うような唸り声がどどめき、一歩踏み出すたびに大地を揺らしながら確実に我々との距離を詰めていた。



ドオオォォォォォォォォォォォンゥゥゥゥゥゥ


シュュュュュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ



 自陣から轟音が響き渡り、幾条もの飛翔煙が鈍色の空に引かれていく。


 こちらとしてもアレの進軍を、ただ指を咥えて見ている訳にはいかない。

 数百門の155㎜榴弾砲と220㎜多連装ロケットが進軍を阻止すべく、戦場の神と称された無慈悲な暴力を叩きつける。


 おびただしい砲撃は、着弾と同時に火山噴火のような爆炎を上げ、アレの上半を黒々とした黒煙によって覆い隠す。


「———— やったか……!?」


 思わず口に出た言葉は、黒煙から悠然と現した巨躯に否定された。


 灰色の体毛は所々黒く汚れているものの、砲撃による損害を被った様子はない。


 一見して何の打撃も与えられていないようだが、それでも奴からしたら煩わしいものだったのだろう。

  

 剛毛で覆われた巨大な丸い耳部はピンと逆立っており、頭部の大きさに比べて小さめの目玉は、爬虫類のような細長い瞳孔をさらに細くさせて怒りの感情を顕わにする。


『プギー』


 唯一体皮が露出している鼻部を震わせて、聞く者全てを汚染する濁り切った咆哮が世界を震わせた。


 魔界第4層に出現した超大型魔物。


 俺達人類の迎撃を歯牙にもかけない凶悪な存在。



 識別コード『コアラ』。



 誰がどう見てもコアラにしか見えない狂獣。


 出現から既に30分が経過しているというのに、未だに日仏連合はたかが1体の生物を撃破できずにいた。

 



「現状の軍備だと早期の撃破は厳しいな」


 砲戦力による迎撃の様子をしばらく見ていたけど、155㎜砲や220㎜ロケット弾ではアレの表皮を貫通するのは無理そうだ。

 信じ難いことだけど、あの生物の表皮は少なくとも旧時代の超弩級戦艦並みらしい。

 砲撃による業火と黒煙の中、悠然と歩を進めるアレは、愛嬌のあるクリクリとしたおめめをずっとこちらに向けている。


 燃料気化爆弾での迎撃も考えたが、あれは威力の割に装甲貫通能力はとても低い。

 野戦砲の徹甲弾ですら傷つかないアレにはほとんど無意味だろう。


 諦めるようにアレを眺めていた双眼鏡を下す。


「高嶺嬢」


「なんですかー?」


 声をかければ高嶺嬢はにこやかに答えてくれる。

 一見、気立ての良いお嬢さんだが、彼女の大きな瞳は完全に据わっていて臨戦態勢だと一目でわかった。

 語尾伸ばしてるしね!


「あのコアラをチョンパして欲しいんだけど?」


 俺の口から出たのは何とも情けない、彼女におんぶに抱っこな言葉。

 それでも高嶺嬢は嬉しそうに端正な顔をほころばせた。

 

「ヘイヘーイ!

 コアラの開きですねー?

 任せて下さいよー!」


 まるで夕ご飯のアジの開きのようにコアラを扱う高嶺嬢。

 コアラ利権を信仰するオーストラリア国民が聞けばファビョルこと間違いなしだろう。

 だが彼女はそんなことお構いなしに、おもむろに外套から抜き身の太刀を取り出した。

 

 すごいKATANAだ。

 全国のPTAと映倫を恐怖のズンドコまで叩き落した狂気は今も健在。

 日本のお母さん方は反射的にチャンネルを変え、学校教員は教室のカーテンを咄嗟に閉めたことだろう。

 常に彼女と共に戦場を蹂躙してきた大太刀は、子供達への影響なんてなんのその、刃文をギラつかせて殺意の高さをアピールする。

 ちなみに白影はコアラと同時に出現した敵の反攻部隊への対応で別行動中の為、フランスの情操教育は難を逃れた。


「では、いきますよー?」


 そう言って高嶺嬢はKATANAを振り上げるも、その姿勢で止まったまま中々必殺技をうってくれない。

 それどころか、彼女の後ろに退避した俺にチラチラと何かを期待する視線を向けてくる。


 どうした?

 もしかして必殺技が課金制にでもなったのか?



「…… ぐんまちゃんのー、可愛い応援聞きたいなー」







「———— は?」




 は?



「ぐんまちゃんのー、可愛い声聞きたいなー?」



 は?



 どういうこと?


「ぐんまちゃんのー、可愛い応援の声が聞きたいなー?」


 正気かお前?

 可愛いってなんだよ。

 大の男に何を求めてんだ?


 しかし高嶺嬢のチラチラは止まらない。

 場末のヒーローショーかな?

 奴の要求を飲まないと、必殺技を出してくれないのか?


 俺は悩む。

 やりたくない。

 むしろできない。


 だって自分の親が画面越しで見てるんだぞ?

 日本国民1億3000万人に絶賛生中継だぞ?


 そんな無茶振りさせんなや!


 だが高嶺嬢は微動だにしない。

 彼女の目だけが、その意思を悠然と語る。


「ぐんまちゃんのー、可愛いお願いの声が聞きたいなー?」


 いや、はっきりと彼女は語っている。


 俺は悩む。

 必殺技はうちたい。

 うてば決まる。


 しかし!



 代 償 が 重 す ぎ る 。




「………… たかみ—— は、は華ちゃん?」


「なんですかー?」



 代 償 が 重 す ぎ る 。 



「………… 必殺技、うって、あ、いや、その……」


「んー?」



 代 償 が 重 す ぎ る 。



「…… くっ。



 ———— はなちゃーん がんばえー! はなちゃーん まけうなー!」


天之時てんのとき


 天高く掲げられた刃先が、戦場を包む僅かな光を反射する。


地之利ちのり


 清廉なる朱光を白銀の刀身が纏う。


人之和ひとのわ


 超常の気配に、全ての意識が注目する。


是則これすなわち


 奇妙な戦場の空白、戦場から音が消え、全てが停止する。


一之太刀いちのたち


 刹那の時。


 大空を——


 大地を————


 世界を——————


 朱い光跡が———————— 斬り裂いた。



 俺のプライドと共に。


 上野群馬二十歳、戦場ニテ我ガ身ヲ顧ミル。

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