第十話 酸欠環境でもピンピンしている乙女
白く爛れた岩壁の薄暗い山岳坑道。
模様の刻まれた金属製の板が天井に等間隔で埋め込まれており、どういった原理なのかは分からないが淡く発光している。
温泉の蒸気で濡れた岩壁が淡い光に照らされて、なんとも不可思議な心地にさせられる。
幻想的とも言える光景だが、その実、対環境装備無しの常人では5分と持たない死地である。
地下に流れる溶岩による地熱とそれによる熱水は、乾球温度60度、相対湿度98%という尋常ではない環境を作りだす。
至る所から噴き出す硫黄ガスは、まともに吸い込めば数秒で死んでしまう猛毒の空気となり、延々と続く坑道に充満する。
その魔境に潜むは人間とは比べものにならない
戦闘訓練を積み重ね、血の統制と鉄の規律によって結ばれた職業軍人。
先に散っていった
正に死地。
一歩踏み込めば、死兵の群れに飲み込まれる現世に現れた冥界。
その地に足を踏み入れる人間がたった一人だけ、一振りの大太刀を手にした乙女が悠然と歩を進める。
華奢な体躯を軽鎧と外套で包んだだけの少女。
本来であれば生贄以外の何者でもない存在。
だが、少女が一歩、足を踏み出すたびに、魔物の戦列も一歩、後退る。
それは酷く奇怪な光景。
屈強なオーク族の戦列盾兵、オーガ族の突撃斧兵、フレイムウルフの火砲部隊、様々な種族による諸兵科連合とたった一人の少女。
少女が進み、異形軍が退く。
少女は既に朱く濡れ、少女の足跡は純白の岩床に朱い跡を残す。
死の覚悟を決めた筈の魔物達は、少女が近づくたびに全身を恐怖に染め上げて本能的に身を引いていく。
対する少女は釣り目がちな大きな瞳を爛々とぎらつかせ、楽し気に口元を吊り上げる。
「ヘイヘーイ、最初の勢いはどーしましたかー?」
そこまで大きな声ではない。
鈴のような可憐な声。
しかし、洞窟に反響するその音は、怯え切った魔物達の心胆を寒からしめた。
ふと、何を思ったのか少女が立ち止まる。
「かかって来ないんですかー?」
コテリ、と傾けた首。
濡れそぼった長髪が垂れ下がり、ポタポタと朱い雫が滴り落ちる。
「それなら——」
本能的に、魔物の軍勢が一斉に身構えた。
「さっさと片付けちゃいますねー」
『ヘイヘーイ!
身の程を思い知らせてあげましょー!』
複数の無人偵察機から送られる映像越しに、異形の軍勢を容赦なく蹂躙する高嶺嬢を見守る。
第3層の敵とは練度や統制、装備が明らかに異なる魔物達だが、彼女の前では蟻とバッタ程度の違いでしかない。
どちらも朱い津波の前では全くの無力だ。
魔物達の様々な兵科がお互いの長所を生かし、短所を庇い合う卓越した戦術で一人の少女を攻め立てる。
しかし、高嶺嬢が銀閃を瞬かせるたびに、戦列を構成していた兵士がダース単位でバラバラ死体となった。
ハーピーやガーゴイルなどの飛行種族による航空強襲も、理不尽な暴力の前では何の意味もなさない。
力尽くで抉り抜かれたオーガの長大な脊髄によって、ガーゴイルの部隊長が脳天から串刺しにされたのを皮切りに、天地の区別なしで
刀を持ってるのに、なぜわざわざ敵の脊髄を生きたまま抜き取って武器とするのか。
首を切り落とすだけで敵は死ぬのに、なぜ全身をバラバラにする必要があるのか。
敵の頭蓋を握り潰す、魔石を抉り取る、首を引き千切る、なぜ部隊長クラスを始末する時は敵に見せつけるかのようにゆっくり始末するのか。
高嶺嬢の戦闘手法はお世辞にも合理的とは言えない。
だが、彼女を構成するあらゆる要素が絶望と狂気を振り撒き、敵を容易く恐慌させた。
『素敵な
ドラゴンの巨躯に様々な種族の生首付き脊髄を突き刺した悪意のキメラ。
ソレを創り上げてしまった高嶺嬢が、謎の達成感と共に自称アートを敵後方部隊に向かって一直線に投げ飛ばした。
射線上に存在したあらゆる物体を挽き潰し、やがて大輪の朱い花を咲かせたところで俺は映像から目を離す。
「………… 高嶺嬢は今日も元気だな」
やっぱり女の子は落ち込んでるよりも、生き生きしてる方が良いよね!
俺は惨劇が繰り広げられている現実から目を逸らして戦域図を眺める。
厄介な地下坑道内の敵主力を高嶺嬢が正面から蹂躙している間に、地上では従者ロボ率いる無人機甲連隊によって既に一つの山を制圧しかけていた。
開戦当初の奇襲によって敵の指揮官クラスを大量に撃破したことで、この周辺に展開する魔物達は組織的抵抗能力を喪失している。
未だに敵の総数は見えてこないが、敵軍の一角を崩せたことには間違いない。
このまま戦況が我が方優勢で推移すれば1週間以内の攻略も十分見えてくる筈だ。
「そのためにも先ずは目の前の敵兵力を殲滅か」
敵の地下坑道が投映された戦域図、視覚ステルスである全環境型迷彩を解いた偵察機による陽動によって、高嶺嬢の戦域に次々と誘引されていく敵部隊。
飛んで火に入る哀れな虫を見ながら、俺は麾下部隊に地下坑道の連絡通路や出入口を順々に制圧させていく。
無人兵器による敵軍突破にはそれなりの下準備が必要だが、敵軍の侵攻阻止なら兵站さえ維持していればこちらが小隊規模でもそうそう突破されない。
一つの山をくり貫くような蟻の巣状に広がる地下坑道。
その連絡通路と出入口は混乱に紛れて浸透させた機甲部隊により次々制圧され、やがて鉄と火によって展開された銃弾の壁により敵の地下基地は完全に隔離された。
後に残るのは退路を奪われた数千規模の魔物と1体のヒト型決戦兵器が閉じ込められた棺桶のみ。
まあ、典型的な包囲殲滅ってやつか。
『ヘイヘーイ!
もー、逃げ場なんてーどこにもないですよー!!』
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