25・雪江の退院

 休校中だった学校に再開の目処がたったという知らせを受けたとほぼ同時に、雪江は数日中に退院出来るようになるまで回復していた。


 特に骨折とはいえそこまで重傷ではなかった左腕のギプスは直ぐに外され、今では退院に向けて松葉杖を使って歩くリハビリを行っている。


 平行して修助はようやく時間が取れた真琴を雪江に紹介した後、病室の片づけを手伝っていた。と言っても、私物らしい私物は特に無く、修助が頼まれたり、逆に彼がおすすめして持ってきた本が目立つぐらいだ。


「それじゃこの本、一旦預かっとくから。雪江ちゃん、住所教えてくれてありがとね」


 そう言って本の入った鞄を担いで病室を後にする真琴。初対面で軽く挨拶を済ませただけの関係な筈なのに、彼女は雪江が年上であっても気にする事無くタメ口をきいている。


 雪江も雪江で、真琴の勢いに気圧されてしまったのか、年下の筈なのに、まるで年上の女性を相手にしているような気分になり、すっかり萎縮して敬語を使ってしまう始末だ。世話好きのお節介焼きで、口調からも豪放さが感じられる様子では、そうなってしまうのも無理は無い。


「悪いな。真琴の奴、距離感の測り方がへたくそなんだ」


「ううん、そんな事無い。どっちかというと、何度も人生を経験しているからこそ、わかっているんじゃないかって思う」


 その雪江の発言に一瞬ぎくっと背筋を凍らせるが、雪江は例え話だよと笑いながら修助に優しく笑いかける。


「人生は一度きりなんだから、そう何度も経験出来るわけでもないし。真琴ちゃんはきっと、いろんな人にもあんな風に話しかけて、こういう人が居るって学んでいる。だからああいう風に気遣いできるんだよ」


(これは口が裂けても、俺達前世で一度死んでいるんだなんて言えないな)


 修助は雪江の言葉にどう返せば良いのか解らず、ただ黙ってぼんやりと立つ他無かった。


「さて、僕は最後のリハビリにでも行こうかな」


「立てるか?」


「うん、もう慣れた。最初は棗君に支えてもらってばかりだったけど」


「これからも支えになるぞ」


「ふふっ。学校で一緒に居るところ見られたら変な噂立ったりして」


「あながち否定できないのが嫌だな。北沢さんもそう言うの嫌か?」


「僕はもう噂所じゃないよ。ストレス発散の道具にされてる。棗君が居れば、多少はマシになるんじゃないかな? 少なくとも僕をいじめている女子達はみんな棗君の事嫌っているし」


「何だったら連中のスリーサイズや致命的な話題まで持ってるからな。学校から追い出すのは簡単だ」


 修助は物騒な話題や、やり方で復学後の雪江を守ろうと考えていた。所詮学校は教育機関であり、託児所では無いのだ。犯罪が起これば、それは教師がどうにかするのではなく、警察の仕事だが、その事をいまいち理解していない保護者のなんと多い事か。


 修助は前世の記憶で警察の頼り方や弁護士の使い方まで、この世界では学生とは思えないほどきちんとしたやり方でトラブルを解決する方法を心得ていた。それでも終わった後に何も失うモノが無い人から身を守る術が無いのは、なんとも皮肉な話である。


 しかし、兄が創造し、完結まで導いたこの”アビリティーガールズ”の世界でなら、一の周りに居る女の子達から力を借りれば何とかなるかもしれないし、修助自身も火災の中心で深呼吸しても無事なこの体を使えば、何とかなるのかもしれないと思っている節がある。


 一の事を慕っているヒロイン達は、共通して他人を優先するきらいがあり、自分の将来が真っ暗になろうとも、それが最善で、守りたい者を守れるのであれば平気でその手段を取る。数多あるライトノベル界のお約束の一つだ。


 特に遼平が描いた世界でのヒロイン達の行動は、笑って流してしまいがちなモノや、助ける為にそうせざるを得ない事をしてきたが、現実の法律に則って見ると、きちんと罰せられる事ばかりで、牢屋に入る程度なら可愛いものばかりだ。


 だが娯楽小説と呼ばれるライトノベルに、現実の法律を持ち込むのは御法度。フィクションだから大丈夫と割り切る必要が良くも悪くもあるのだ。


 だから修助は、仮に一やその周りの少女達が罰せられるような事をしても、そうそう捕まる事は無いだろうと考えていた。ここはライトノベルの世界。平和そうに見えて、殺伐とした。楽しむ為だけに作られた世界。


 その世界に今、自分は転生している。前世の修助なら泣いて喜ぶ展開ではあるが、これまでに巻き込まれてきた事を振り返ってみると、泣いて喜ぶのは少しオーバーだったかもしれないと冷静になる。


「ふふっ。それじゃ、退院して、学校へ行くようになったら、棗君と一緒に居ようかな。そうすれば、こんな怪我をする事も無いし」


 既に松葉杖をついて立っている雪江は、冗談混じりの笑みを浮かべながら、修助にそんな願いを話していた。


「大歓迎だ。何度も骨を折られちゃ、たまったもんじゃないだろ」


 そんな彼女を見てられなくなった修助は、ため息一つ吐き、その願いを受け入れた。


・・・


 それから日にちが過ぎ、自宅にロケットランチャーを撃ち込まれてから、それとほぼ同時に雪江と出会って一ヶ月ほどが経ち、家は何とか再建され、雪江も退院する運びとなった。


 学校も再開する事になったのだが、問題は雪江の通学方法。さすがに松葉杖をついて根性で何とかするのは時代錯誤も良いところだ。なんとかならないものかと考えていたところに、圭一郎が車を買い直したと言うのだ。


 どうも前の自宅をロケットランチャーで吹っ飛ばされた際、ガレージに保管されていた前の車も一緒にスクラップになってしまい、その車両保険が降りた為、買い直す資金を手に入れたという。


 家族で話し合った結果、松葉杖が不要になるまでの間、朝は圭一郎が修助と共に車で送り、放課後は一に頼る運びになった。なんだか世界の救世主である物語の主人公を便利に使っているようで罪悪感を感じたが、その主人公は極度のお人好しのようで、メタトロンで会って話した際は二つ返事で承諾してくれた。


 そして朝の通学路。中古車として納車したばかりのセダンに乗り込んで、雪江の住んでいるアパートへと向かっていった。


「父さん。何で新車にしなかったんだ?」


 向かう途中、疑問に思った事があった修助は、圭一郎に尋ねる。


「新車は今部品供給が追いついていないってニュースで見てね。ディーラーの在庫もスッカラカン、納車まで三ヶ月なんて、待ってられないよ。それにこのモデルは、この体に生まれ変わってから欲しかったモデルだったから、せっかく好きに選べるなら、好きな車の方が良いだろ?」


「父さん好みの問題になってない?」


「大丈夫だ。文句を言われたら、また別の車を買うさ。その車こそ、父さんの趣味の車としてきちんと一から組み直す。この辺は峠道が多いから、ラリーカーベースのモデルが良いな」


「プラモ感覚で車を買うなよ」


「はっはっは。でもな修助。これだけは覚えておけ」


 急に笑ったかと思えば、急に真顔になる。その表情は、修助に大事な事を教える時によくする表情だ。


 少しの沈黙の後、その重たい口が開かれる。


「俺にはこれしかない。これでなければ納得しないというモノや生き方を一つは持っておけ。何事も中途半端が一番ダメ、しかも周りがそうさせようとしてくるかもしれない。善意でかけられた声でも、自分の持っている大事なモノが中途半端になるなら、そんな声は聞き流せ。でなければ、お前は肝心な時に何も出来ない木偶の坊になる」


「解った……大事なものは直ぐに見つかるか解らないけど、見つけたらその言葉、常に胸の中に留めておくよ」


「それで良い。納得するモノや生き方は、簡単には見つからない。だから見つけたモノや生き方を簡単に曲げるようになるような奴にはなって欲しくないんだ。そろそろ着くかな?」


 距離にして五分。早起きすれば案外歩いて行ける距離かもしれないと、修助は思いながら、雪江の住むアパートの前で車が停まる。


「それじゃ父さん。迎えに行ってくるよ」


「ああ、待ってる」


 修助は圭一郎とそれだけ交わして、車から降りる。修助は一階にあるその家のチャイムを鳴らすと、既に支度を終えている雪江が顔を出してきた。どうやら片足で跳ねてバランスを取っているようで、松葉杖は既に玄関に置いてあった。


 少し焦ったような表情を浮かべてはいるが、身だしなみは整っているようで、二年生の証である青のリボンをつけ、ブラウスの上からブレザーを羽織り、スカートの先から延びる細い足の片側には、まだギプスがつけられたままだ。


「ご、ごめんね。ちょっとバタバタしちゃって」


「あわてんなって、下手コいて怪我したら目も当てられない」


 修助は言うと、彼女が靴を履きやすいようにゆっくりと腰を降ろさせ、靴を履くのを待つ。


「終わったよ」


「じゃあ立たせるぞ」


 言って修助は少しの力で彼女を立たせ、松葉杖でバランスを取らせる。怪我人の扱いはまだ慣れて無く、痛めてしまったらという恐怖感が強かったが、全面的に彼を信頼している雪江の表情を見ていく内に、その恐怖感は薄れていった。


 少し湿った土の地面でも、松葉杖は滑る危険を伴う。なので修助は常に彼女の前を歩き、倒れそうになっても受け止められるよう体制を整えていた。


 無事に車までたどり着くと、修助は助手席のドアを開けて座席を全力で後ろへスライドさせ、足を伸ばしたまま乗れるように背もたれも倒しておく。


「父さん、このセダン車高ちょっと低いんじゃない?」


「これが純正の車高だ。信じられないならタイヤとフェンダーの間に握り拳を入れてみろ。余裕で入るぞ」


「そんな事をしている時間が惜しい。北沢さん、大丈夫? 乗れそう?」


「うん。こうして、足を支えてあげれば」


 言って雪江は座席にゆっくり座ると、まず片足を車内へ入れて、その後もう片方の足を持ち上げてゆっくりと乗り込む。


 ギプスに内装が当たらないよう、慎重に扱い、松葉杖を抱えると、ドアを閉めても良いと修助に伝え、彼は彼女にぶつけないよう慎重に、かつ半ドアにならないように閉める。


 その後、修助は反対に回り、圭一郎の後ろの席のドアを開く。座席を全力で後ろにスライドさせている為、乗ることが出来ないのだ。


「良いよ。シートベルトも締めた」


 雪江にもきちんとシートベルトが締められているのを確認し、修助は圭一郎に伝えると、わかったの一言の後、圭一郎はゆっくりと車を発進させた。


 その姿は前世で母の真琴がよく話していた”余裕のある優しい運転”であり、自分が普段助手席に乗っている以上に慎重に運転しているのがシート越しに伝わった。

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